紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
葛藤と無防備な寝顔
 









つまらないくらいにたったそれだけの無意味としか云えない願いを どうか










望美との会話が終わる頃には、既に日も暮れていた。
譲の作った夕餉を食べ、先に湯を使わせて貰うと、それまでの疲れがどっと押し寄せてきた。
やはり、初陣ということで気を張っていたのだろうか。
だが、それだけが理由ではない。





思いもかけない人との再会。


そして、妙に鋭い白龍の神子。





生娘の言葉の意味を教えるだけだったはずが、あそこまで長時間になってしまったのは、やはり彼女の質問のせいだろう。
その質問は、ともすれば那由多の口を閉ざしてしまう物だった。
けれど、黙っていることも許されず、核心に触れるか触れないかのところまで話してしまった。


「あそこまで話さなくても良かったはずなのに……それほどまでに動揺していたのかしら」


今思い返せば、もっと冷静でいられなかったのだろうかと反省の色ばかり。
少し肩を落としながら、自分の部屋を目指せば、とある部屋から漏れてくる光に気がついた。
一体ここは誰の部屋だろうか。
景時の部屋も朔の部屋も違う場所だった気がする。
九郎は自分の邸へ帰ったはずだし、ヒノエは六波羅か。
他の八葉はみな一つの部屋に集まっていたはずだ。



好奇心と抑制心。



勝ったのは、好奇心だった。





そっと、極力音を出さないように襖を薄く開ける。
そうすれば、部屋の中が目に入った。
天井高くまで積まれている書物や、その他の荷物。
まるで部屋が物置と化している。
片付ければ広いであろう部屋に、所狭しと荷物を積んでいく人物を、那由多は一人だけ知っていた。
熊野にある彼の部屋も、ここと似たようなことになっていた記憶がある。
本人曰く「後から使おうと思っていた」らしいのだが、いつ使うかも知れない物は、がらくたと変わらない。
襖をもう少し開けると、部屋の主の後ろ姿が目に入った。
燭台に火を灯し、何かを必死に読んでいる。
一つのことに集中すると、辺りのことが目に入らなく性質なのは変わらないらしい。
すでに小さくなった蝋燭を交換しようともしない。
この分なら、自分が側に行くまで気付かないだろう。

そっと部屋の中へ身体を滑り込ませ、後ろ手に襖を閉める。
何とか歩けそうな場所を探し、彼の近くまで歩み寄る。
どうやら自分の周りだけは何とか空間を確保しているらしく、もう一人座るだけの場所はあった。
背中合わせになるように、自分が歩いてきた方を向いて座る。
そのまま弁慶の背中にそっと、自分の体重を乗せてやる。





不意に背中に預けられた体温に、弁慶は書を読む手を止めた。
後ろを振り返ろうとしたが、背中に感じる体温から、自分に寄りかかっているのだとわかる。
一体いつからこの部屋に来ていたのだろうか。


「那由多……?」


名を呼んだのは確認のため。
鼻腔をくすぐる匂いが彼女の物だというのは、誰に言われずともわかる。


「龍神に選ばれる神子は、あの子のようにみんな鋭かったのかしら」


呟かれる言葉は、問いかけというよりも独白に近い。
尋ねたところで、本人がいないのだからその真相はわからないのだ。
他人から言われても、所詮それは想像に過ぎない。


「彼女に何か言われたんですか?」


那由多が部屋に来たことを知ってから、それまでの集中力はどこかへ消えてしまった。
これでは続きを読んでも頭に入らないだろう。
そう考えた弁慶は、読んでいた書を閉じて脇に置いた。
自分の背中に自らの身を委ね、ぼんやりとしている彼女は、どこか幽鬼のようにも見える。


「言葉の意味も知らない馬鹿だと思っていたけれど、違うみたい」


どうやら、自分の質問にも返事は返ってこないらしい。
弁慶は大人しく、那由多の言葉を黙って聞くことにした。


「妙に鋭いところがあるけど、彼女は何を知っているのかしらね。……ねぇ、弁慶」
「何ですか?」


ようやく出てきた自分の名前に、こちら側へ戻ってきたのかとホッと胸を撫で下ろす。
考え事をする那由多は、どこか遠くを見る癖がある。
しれは、まるで目に見えない物でも見てるかのように、虚ろ。
そうなってしまったら、こちら側へ戻すのは並大抵ではない。






「あの子、どこまで私たちのことを知っていると思う?」





那由多の問いに、弁慶が身を強ばらせたのがわかった。
本人に確かめたわけじゃない。
けれど、望美は自分たちが隠している、話していないことを知っているように思えてならない。
大輪田泊でもそう。
那由多と望美は遅れて行ったため、みんながどこにいるかわからないはずだった。
だが、望美は始めから居場所がわかっていたかのように、那由多の腕を引いたのだ。
少し考えればわかるのかもしれないが、望美の行動は考えるよりも早かったと思う。



そして、自分を見る目がどこか切ない。



いつもそうだとは言わない。
ごく稀に。
そう、弁慶と一緒にいた姿を見られたときは、望美の目がいつも切なそうにしていた。


何かを言いたい。


けれど、言えない。


そんなもどかしさが伝わってくるような。
でも、どうして彼女がそんな目をするのか、理由がわからなかった。
那由多はまだ、望美とそこまで親しくはない。
だから、自分のことをあまり話したりはしていないのだ。


望美が知っていることは、ヒノエの姉で、弁慶の姪。
そして、知盛の元婚約者ということだけのはずだ。


弁慶との関係については、一切触れていない。
ヒノエは、その話題を告げることはしないだろう。
そして弁慶も。
敦盛は、どこまで理解しているのかわからないから、おそらくは話していないと思われる。
将臣は論外だ。
だからこそ、不思議でならない。





一体何を、どこまで知っている?





考えるべきことは山のようにある。
けれど、思うように頭がついてこないのはどうしてだろう。
思考が、何もかも一つに溶けていくような感覚。
目の前も、心なしか霞んで見えてきた。
目蓋が重い。
背中に感じる弁慶の体温が、心地いい。



先程よりも、自分の背中にかかる重さが増したことで、弁慶はようやく我に返った。
望美が自分の罪を知っているとは思えない。
なぜなら、そのことが一度も話題になったことがないから。
みんなの前で話せないことではあるが、二人きりになろうと思えばいつでもなれる。


そうしないのは、二人きりになる必要がないから。

自分の罪を知らないから。


そう、思っていた。
けれど那由多の言い方では、まるで自分の罪を望美が全て知っているかのようではないか。
有り得ない。
どう考えても、それだけは有り得ない。


「那由多」


声をかけ、そっと身体を動かせば、それに合わせるように那由多の身体も動く。
だが、動くと言ってもそのまま後ろに倒れてくるだけ。
弁慶が慌てて身を受け止めれば、規則正しい小さな寝息が聞こえてきた。
余程疲れていたのだろう。
初陣に、元婚約者の知盛との再会。
そして、九郎が抱いた誤解の解消。
気を張らないはずがない。


「僕の前で無防備に寝るなんて、本当に君という人は……」


そっと、那由多の頬に触れる。
こうして彼女の寝顔を見たのは熊野以来。
あのときは、穢れを受けていたせいで、寝ていたというよりは意識を失っていた。
だが、今はあの時のように顔色が悪いわけでもない。
赤みが差してある頬に、安らかな寝顔。
心配することは、何一つとしてない。



そんな彼女の顔を見て覚えるのは、罪悪感。



あれから二年とたっていないのに。
今からこれでは、これから何年も自分は彼女に罪悪感を抱き続けなければならない。
それも、悟られないように。
聡明な那由多のことだ。
自分が彼女に罪悪感を覚えているということは、感づいているのかもしれない。
それを表に出さないだけで。
自分と同じように、感情を表に出さないことを知っている那由多だ。
知らない振りをすることくらい、たやすいことだろう。
そう思い、そっと溜息をつく。
これくらいで彼女が目を覚ますとは思えないが、もし目を覚ましたら、どうかしたのかと聞いてくるだろう。


「仕方がないですね」


寝ている那由多を横抱きにして立ち上がり、襖を目指す。
進行の邪魔になる物は足でどけた。
襖も、足を使って器用に開けると、そのまま那由多の部屋へ歩き出す。
途中誰かに見られても、別段困らない。
理由などいくらでもあるのだから。
だが、ヒノエに会ったらまた何か言われるのだろう。
こと那由多に関しては敏感だ。



すたすたと歩いていれば、誰にも会わずに目的の部屋の前まで来ていた。
この場を朔に見られたら、とやかく言われるのは目に見えている。
それを危惧して、弁慶は早々に那由多の部屋へと入った。
自分の部屋とは正反対の那由多の部屋。
まぁ、景時の邸へ来たばかりなのだから、物がないのは当然だ。
用意されている寝具へ那由多を横にさせ、ちゃんと上掛けを掛ける。
それでも起きる様子のない那由多に、どれほどの疲れがあったのかを知らされた。


「……那由多」


彼女の顔の両側へ手をつき、自分の顔を近づける。


「……ん……」


弁慶の髪の一部が顔に触れたのか、那由多が小さく声を上げる。
その声に思わず弁慶は動きを止めた。
気付けば距離はほとんど無い。
何かの拍子で直ぐさま唇が触れてしまうような距離だった。


「ははっ。僕は一体、何をするつもりだったんでしょうね」


ゆっくりと離れると、自虐的な笑みを浮かべた。
前髪を掻き上げ、天井を仰ぐ。
それからきつく目を閉じた。


「忘れろ。そんな想いなど」


まるで暗示でもかけるかのように強く一言。
大きく息をついてから、もう一度那由多を見る。


「おやすみなさい、那由多。いい夢を」


さらりと彼女の髪を一撫ですると、弁慶はその場に立ち上がり部屋を後にした。
そっと閉められた襖は、それでも小さな音をたてた。
その音に、那由多は閉じていた瞳を開けた。
起きていたわけではないが、近くにあった気配がなくなったことに気付いたから。










「……意気地なし」










弁慶がいなくなった部屋で、那由多は天井を睨み付けながら言葉を吐き出した。










見て見ぬ振りをしたそれが 罪










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弁慶もじれっ隊?(爆)
2007/10/16


  
 

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