紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
理由と事情
 









さよならでさえ 遠い過去










京へと戻る途中、八葉の一人が同行することになった。
言わずもがな、それは将臣のことだが。
熊野から源氏に参加することになった那由多と、都合によりまれにしか一緒に行動しか出来ない将臣。
二人が会うのは初めてのはず、だった。


(随分とややこしい関係なのね……よりによって、八葉に平家。しかも、還内府殿だなんて)


そっと溜息をつく。
残念ながら、二人が顔を合わせたのは初めてではなかった。
知盛の許嫁だった頃、那由多はよく平家へ遊びに行っていた。
その時、平家に保護されたばかりの将臣と会ったのだ。
何やら怪我をしていたので、手持ちの薬を用いて手当てした記憶がある。
あまり見慣れない服装をしていた物だから、その時のことは良く覚えていた。
今よりもう少し若かったが、それは時間の経過という物。
数年前に見た彼より、成長していて当然。



それから、ほどなくして清盛が亡くなり、蘇った後に清盛は彼のことを重盛と呼ぶようになった。



そのことで悩んでいる姿も見たことがある。
けれど、その後すぐに自分は知盛の許嫁ではなくなったから、彼がどうしているのかまではわからなかった。
だが、重盛が蘇ったという噂はすぐに流れ、将臣がそう呼ばれることを認めたのだと知った。
平家から離れた今、彼に会うことは二度と無いと思っていた。



会うならば、知盛と同じように戦場で。

そうなるだろう、と。



だから、将臣が八葉だと知ったときは驚いた。
挨拶をするとき、彼も自分の姿を見て驚いていた。
それもそうだろう。
あの時那由多は熊野に住んでいると言ったし、源氏とは何の関わりもなかったのだから。
けれど、自分が何を言うよりも早く、将臣は「初めまして」と言ってきた。
那由多の姿を確認した上で、その言葉を言ったのだ。
それは、知り合いだとバレては困るからだろう。
そして、平家の大将だということも。
誤魔化す術はいくらでもある。
だが、下手に隠した場合、知られたときが怖い。
だから那由多も、将臣に会わせて「初めまして」と答えた。
弁慶辺りなら何か気付いていそうだが、何も言ってこないところを見ると、何か考えがあるかもしれない。
後から話すべきか、とも思ったが、もし何も知らなかった場合、将臣が敵の大将だとみすみす知らせてしまうことになる。
本人が隠そうとしていることを、他人がバラすわけにもいかない。
この件に関して、那由多は口を閉ざしておくことに決めた。


「さて、それじゃあ話してもらおうか」


京の六条櫛笥小路にある景時の邸へ戻れば、広間に入るなり九郎が説明を求めてきた。
一体何のこと、と思ったが、そういえば大輪田泊でちゃんと話が出来なかったことを思い出す。
本当ならあの場で話そうと思っていたが、戻ってきた弁慶と望美の空気──どちらかといえば、弁慶の方だが──のせいで、有耶無耶の内に戻ることになったのだった。
事情を知らない誰もが興味津々と言った様子だが、今まで部外者だった将臣は、何のことかと首を傾げている。
それもそうだろう。


源氏の内情を、彼が知るはずもない。


だが、那由多が知盛の許嫁だったことは、知っていたはず。
わざわざ知盛自身が那由多を紹介するときに、そう言っていたような気がする。
けれど、そんなことは知らない望美が、将臣に始めから説明している。
そんなことを話しては、源氏ということが彼に知られてしまうのでは、と思ったが、望美が話したことは源氏とは悟られないような内容だった。



ただ簡潔に、那由多が知盛の許嫁であったことと、今はそうではないということ。



知盛の許嫁と言われたときには軽く流していたが、今は違うと教えられたとき、将臣は僅かに瞠目した。
その様子に、思わず那由多は首を捻った。
もしかして、彼は自分が知盛の許嫁ではなくなったことを、今まで知らなかったのだろうか?


「話せと言われても、何を話せばいいのかわからないわ」


どうせなら、何を知りたいのかを言って欲しい。
そうすれば自分は知りたいことだけを話す。
下手に情報を与えて、何かを悟られることだけは避けておきたい。
事情は知っているからと席を外してくれればいいが、弁慶もヒノエも敦盛も、しっかりと広間に腰を下ろしている。
多分、何かあったときのために同席しているのだろうが、彼相手にそこまでヘマをするとは思えない。


「では、どうしてお前は知盛の許嫁ではなくなった?」


尋ねるのはそこなのか、と思わずにはいられない。
それとも、知盛の許嫁ということで、自分の素性は全て理解したとでもいうのだろうか。


否、それはないだろう。


もし那由多の素性を知っているのなら、熊野別当への口添えをしてくれと、九郎なら言いかねない。
それか、その前に驚いているか。
そのどちらも無かったことから、九郎は未だ自分がどこの誰かを知らない。
弁慶の紹介で源氏に協力する、ただの薬師。
そうとしか思っていないのだろう。
良かったような悪かったような、少々複雑な心境だ。
それとも、頭を使う仕事は、軍師である弁慶に全て一任しているのだろうか。



さて、どう説明した物か。
チラリと視線を走らせれば、余裕を含んだ笑みを浮かべている弁慶と、興味がなさそうにしているヒノエが目に入った。
心なしか、弁慶が余計なことは言うなと目で訴えているような気がする。
言われなくても、と小さく睨み付ければ、少しだけその目がほころんだ。


「私の体質がどんなものか、あなたたちは熊野で見たわよね?」


どうせ一から十まで説明しなければならないのだろう。
だったら、最初から順を追って説明するしかあるまい。
多少時間はかかるだろうが、そうすれば将臣にも理解してもらえるはず。


「えっと、体質って穢れに弱いってことですか?」
「そうよ」


熊野で直接、那由多の身体の穢れを浄化した望美が口を開く。
それに小さく頷けば、再び九郎が口を開いた。


「穢れに弱いことと、許嫁ではなくなったことが、一体何の関係があるんだ」
「九郎、話は最後まで聞く物ですよ」


眉間に皺を寄せながら質問することで話の腰を折った九郎に、弁慶の指摘が入る。
それにすら抗議しようと九郎だが、弁慶の方を振り返ったところで、動きが止まった。
まるでカラクリのように、ぎこちなく首を動かして、話の先を求める。
その顔色はどこか青かった。
九郎の顔色が変わるほど、弁慶はどんな顔をしたんだろうかと思ったが、想像するだけでも怖い。
言うなれば、再現して貰うのはもっと怖い。
大人しく話の先を求めるのなら、早くそれを話してしまえばいい。


「望美さんが言ったとおり、私は穢れに弱いの」


傷を負った場合、その傷を介して穢れが全身を蝕んでいく。
そう告げたとき、ごくりと喉を鳴らしたのは誰だろうか。
別に、傷さえ受けなければ穢れを受けることもないのだ。
それさえ用心していれば、怨霊を恐れることはない。


「彼──知盛殿の許嫁でなくなった理由は、それよ」


そう言えば、九郎はわかったようなわからないような、微妙な表情をした。
恐らく、頭の中で理解しきれていないのだろう。
言い表すのなら、釈然としない、そういったところか。


「なぁ、ちょっといいか?」


小さく手を挙げて説明を求めたのは、九郎の対である天の青龍。
将臣だ。
こちらも納得がいかないようで、こめかみに指を当てている。


「知盛は怨霊じゃないだろ?なら、穢れに弱くても大丈夫なんじゃねぇのか?」


将臣の言葉に、那由多は小さく笑んだ。
理解力は源氏の大将よりも、平家の大将の方があると見た。
それとも、柔軟性の問題だろうか。


「そうね、知盛殿は怨霊じゃないわ」
「だったらそれは許嫁を解消する理由にはなりませんね」


眼鏡を上げながら同意する譲に、ヒノエではないが、那由多は口笛を吹きたくなった。
確か、この二人は兄弟といっただろうか。
さすが、目の付け所が違う。


「その通りね。けど、それが理由なのよ」
「知盛殿が怨霊じゃなくても、怨霊の数が多ければ多いほど、陰の気が強くなる」


不意に誰かが那由多の言葉を補足するように語り始めた。
この中で、弁慶以外に自分の事情を知っているのは二人だけ。
特に、平家方の事情について詳しいのは、平家の一員であった敦盛だ。


「でも、怨霊が多くても傷を受けなければいいんじゃないんですか?」


望美が素朴な疑問を口にする。
そうすれば、それに続くように同意する者が現れた。


「確かに、傷を受けなければ穢れは受けない。けれど、陰の気が強まれば、それに当てられ体調を崩す」


遠回しに説明を省いた那由多に代わり、敦盛が細かく理由を説明すやる。
すると、望美は言われた言葉を理解したのか、小さく声を上げて黙り込んでしまった。
人も陰陽の調和が取れなければ、体調を崩す。
特に白龍の神子ともなれば、そういった経験だってある。
望美は、過去に似たようなことで体調を崩したことがあった。
その時は身体が信じられないくらい重く、少し動くだけでも億劫だった。
健康体である自分がそうだったのだ。
穢れに弱い那由多が同じ症状になった場合、自分よりももっと具合は悪いだろう。


「……だから、平家とは縁を切ったんですか?」


小さく呟かれた言葉は、しっかりと那由多の耳まで届いた。
それに小さく答えて微笑を浮かべてみせれば、何故か望美は那由多を見て、悲しそうな表情を浮かべた。
どうして彼女がそんな顔をするのだろう。
これは全て、自分の問題だ。
彼女が悲しむ必要は、何もない。


「理由も知らずに声を上げて、悪かった」


望美から遅れることしばらく。
ようやく事情を理解したらしい九郎からも、謝罪の言葉が寄越された。
理解してもらえたならそれでいい。
そう告げると、九郎は再び頭を下げた。
律儀というか、真面目というか。
恐らく、彼は不器用な生き方しかできないのだろう。





自分や弁慶とは、生きる道が違う。





九郎のように、真っ当に生きることなど、今更できない。





自分たちの行き着く先は地獄なのだろう。
そう考えると、少しだけ、九郎が羨ましく思えた。


「それじゃ、この話はもう終わりで構わないかしら?」


九郎もきちんと理解してくれたようだ。
今後、那由多のことを平家の間者と疑うことはないだろう。
仮に疑ったとしても、弁慶にヒノエ、敦盛が彼を言いくるめてくれるはず。
ぐるりとみんなの顔を見回して、誰も声を上げないのを確認してから、その場に立つ。


「望美さん、あなたはもう少しだけ私に付き合ってくれるかしら?」
「あ、はい」


望美へ向かって手を差し出せば、一つ頷いてからその場に立つ。





彼女の手を取り、向かった先は自分のために用意された一室。
部屋に入り、きちんと障子を閉めてから、部屋の中央に座る。
すると、それにつられるかのように、望美も那由多と向かい合わせになって座った。


「話す約束だったわよね。生娘の意味」


そう切り出せば、望美の姿勢が正されたのがわかった。
そんなに硬くならずとも、ちゃんと言葉の意味は教えてあげるというのに。


「その前に、一つ聞かせてもらえるかしら?」
「何をですか?」


首を傾げる彼女に、すっと目を細める。
ここで望美が何と答えるかによって、口止めをするべきか否かを決めなければならない。










「私と知盛殿の会話、あなたにはどこまで聞こえたのかしらね?」










一方、尋ねられた望美は、那由多がどうしてそんなことを訊いてくるのかわからなかった。
彼女と知盛の会話には、多少妙な言葉はあったけれど、おかしな所など無かったはずだ。
だのに、今の那由多の表情は、先程知盛との関係を説明したときより、硬い。



多分、この会話が、今後の流れを変える物なのかもしれない。



そう思うと、下手な言葉は言えない。
しっかりと言葉を選んで、彼女が望む答えを言わなくては。
弁慶と同じで、一癖も二癖もある那由多だ。
安易な答えを言って失敗してしまうのでは、時空を越えた意味がない。


「私、が聞いたのは……」
「聞いたのは?」


ゆっくりと、二人の会話を思い出すようにしながら、話すべき言葉を選ぶ。
彼女は一体何を求めている?


「知盛の言葉だけ、です。那由多さんに『まだ生娘か?』って聞いた、知盛の」
「……そう」


恐る恐る言いながら、伺うように那由多の表情を見る。
何かを考えるように顎に手をやり、腕を組んでいる那由多に、望美は祈るような気持ちでいた。



どうか、自分の選択が間違っていないように、と。



もしここで自分の答えが違っていたなら、きっと彼女が隠している沢山のことは、この先知ることは出来ないだろう。
だからこそ、ここで間違えてはならない。
那由多が何か言うべく口を開く。
望美は、判決を言い渡される囚人の気持ちが、痛いほどわかったような気がした。










「生娘というのはね、一度も男性と契ったことのない女性のことをいうのよ」










那由多の言葉に、望美は自分の選択が間違っていないことを喜んだ。
けれど、直ぐさま湧いてきた疑問を押さえる術を、このときの望美は持っていなかった。










大きくなって様々なこと知ってしまった私達にはもうあの無邪気な過去は遠いのね










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もう一話続きます
2007/10/14


  
 

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