紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
一つの終わりと新しい始まり
 









泣きたい 泣けない










有馬へと戻ってからも、また一悶着あったらしい。
どうやら、政子が陣幕を去った後、九郎が今回の戦について不満を零していたとか。
那由多は与えられていた陣幕で、怪我人の手当てに回っていたため、詳しい事情はわからない。
まぁ、一介の薬師でしかない自分に、そこまで詳しい情報が入ってくるとすれば、それは弁慶から流れてくる物だ。
そして、ヒノエや望美といった面々。
自分は会話に混ざるより、結果だけを聞いた方がいい。
その方が、手っ取り早く済む。


「これでいいわ」


最後の一人を手当てし終わると、道具を片付ける。
今回は奇襲だったせいもあってか、負傷者もそれほど多くはない。
けれど、疲れないわけではないのだ。
それに、陣幕の中に籠もっている血の匂いは、すでに自分の鼻を麻痺させている。
少しだけ外に出て、新鮮な空気を吸いたかった。
近くにいた兵に一言残し、仕事道具を持って陣幕を出る。
外に出た瞬間、ようやく肩の力が抜けたような気がした。
いくら命に別状がないとはいえ、その後の処置の仕方によっては死に至ることもある。
戦場において、まともな手当てが出来ないことはわかっている。
けれど、一人でも多くの命を助けたいと思うのは、間違いではないはずだ。


「那由多さん!」


ぐん、と大きく伸びをすれば、自分の方へと向かってくる望美の姿が見えた。
微笑を浮かべながら彼女が自分の元へやってくるのを待つ。


自分よりも若い少女。


けれど、戦場においては誰よりも勇敢で、強い。


知盛が言った「美しい」と言う言葉も、あながち間違いではないと思う。
駆けるたびに紫苑の髪が宙を舞う。
洗練された動きは、まるで舞を舞っているかのようで。
この世界に来るまで、一度も剣を握ったことがないなんて、信じられない。
そして、戦場とは全く違う、少女の顔。
戦場で見る彼女の顔は、まさに武将と同じ。
けれど、こうやって笑顔を振りまく彼女は、戦とは無縁のように見える。
全く、白龍の神子という少女は、不思議だ


「あら、望美さん。怪我しているの?」


那由多の元へやって来た望美の手の甲に、一筋の切り傷を見付け、彼女の手を取る。
女性特有の柔らかい手。
けれど、彼女の手にはいくつもの肉刺が出来ている。
それだけ努力したのだろう。
肉刺が潰れて、血を流す程に。


「これくらい、かすり傷ですよ」
「かすり傷と言って手当てをしなければ、綺麗な手に痕が残るわ」


自分の持っていた仕事道具から、まず水と布を取り出して傷を拭く。
それから、薬草を取り出し患部に塗布して、布を撒く。


「ここじゃ、これくらいしか出来ないけれど」
「ううん、充分ですよ!ありがとうございます」


簡単に手当てを終わらせると、満面の笑みが返ってくる。
見返りが欲しくて薬師になったわけじゃない。
だが、手当てをした後に笑顔で御礼を言われるのは、嫌いじゃなかった。
自分のしたことが相手のためになる。


そう、実感できる瞬間だから。


彼女につられるかのように自分も笑みを深くする。
そこでふと、何か用があったのではないかと思い至った。
すでに今後の話は終わっているのだろう。
そうでなければ、望美が自分の元へ来る理由がない。


「それで、どんな用があったのかしら?」
「さすがですね」


そう言って苦笑を浮かべる望美に、違和感を感じた。
まるで自分が何を言うかわかっていたかのよう。
一緒に行動するようになって日は浅いが、そこまで彼女に自分はわかりやすい態度を取っていたのだろうか。



「平家が、妙な動きをしてるらしいんです。それで、私たちは京を守ることに決めました」



平家。
その一言で、思わず那由多は動きを止めた。



まさか戦以外で、何かをしようとでもいうのか。

平家の最大の武器は一体何だった?



自分が思い出せる限りの最良の答えは、怨霊。
だが、怨霊を使って一体何をしようというのか。
そもそも、平家の中で知盛以外に戦を好むような人物がいただろうか。

清盛は、蘇ってからは生前と全く変わってしまったと敦盛が言っていた。
だが、それ以外に変わったという話は聞いていない。
経正も、惟盛も蘇ったらしいが、生前と変わらないならば、戦を嫌っているはず。
かといって、あの知盛が怨霊を使うという面倒な手段を執るとは思えない。
彼ならば、怨霊を使うよりもまず自分が戦地へ駆けていくだろう。


あぁ、でも。
平家が京へやってくるのなら、接触するのもいいかもしれない。
弁慶は一度、薬師という名目で平家の中へ入ったことがある。
その際、清盛の信頼を得ているはずだ。


そして、自分も。


破棄となってしまった物の、一度でも平家に嫁ごうと思っていたのだ。
それなりに平家の中枢には顔が利く。





自分か、弁慶か。





清盛を消滅させるなら、平家方につくということも、考慮に入れていいかもしれない。
実際どうするかは、彼と相談しなければならないが。


「……そう」


考え込むように顎に手を当て、間をおいて返事をした那由多に、望美は那由多と知盛の関係を思い出していた。
元許嫁。
未だ、解消した理由は聞いていないが、平家に気持ちがないとは思えない。
もし平家の人のことを何とも思っていないなら、今だってすぐに答えが返ってきたはずだ。
それに、ヒノエの姉なら平家に親戚もいるのだろう。
複雑な心境なんだろうな、と望美はそっと溜息をついた。


「それで、源氏はいつ京へ戻るのかしら?」
「えっ、あっと……」


望美の表情が曇ったのを見て、那由多は話題を切り替えた。
おそらく、自分のことを思ったのだろう。
心優しき神子姫様は、自分という人物を理解するには、一緒にいた時間が短すぎる。
この場にいたのが弁慶だったなら、お互いに今後どうするか話し合っていたところだろう。


「今から帰還ですよ」
「弁慶さん!」


やって来た人物に、望美が声を上げる。


「望美さん、九郎が探していましたよ。早く行ってあげた方がいいかもしれませんね」
「わかりました。じゃ、那由多さん、また後で!」


弁慶の言葉に頷いて、パタパタと駆けていく。
振り返って手を振りながら行く少女に、自分も少しだけ手を挙げて応えてやる。
そんな望美の後ろ姿を、弁慶と二人見送る。
周囲をよく見れば、帰還の伝令が伝わっているのか、撤収の準備がそこかしこで始まっている。


「平家が、動きます」


ボソリと、呟かれた声は低く。


「そうみたいね」


返す声もまた、変わらない。

視線が交わる。

その中に見付けた物は、どちらも同じ物か。
はたまた、違う物か。


「その辺は戻ってからにしましょうか」
「そう、ね。九郎殿の誤解も解いておかないと、後々不利だわ」


自分で言っておきながら、説明するのが面倒だと思っている節がどこか、ある。



全てを説明せずとも理解出来る人間と、そうでない人間。



恐らく九郎は後者だろう。
自分が理解できるまで、ちゃんと説明をして貰わなければ納得できない。
少し視点を変えて、柔軟な頭で考えれば答えなど簡単に出る物なのに。



特に、自分が知盛と許嫁を解消したことに関しては。



答えは全て、彼らが持っているのに。
わざわざ説明せねばならない事実が、煩わしい。


「誰かさんと違って、石頭だものね」
「それは、誰のことを言ってるんですか?」
「地獄耳」
「こんなに近くで言われたら、嫌でも耳に入るでしょう?」


自分にとって不都合なことであれば、聞こえていても聞こえないふりをする癖に。
そう言おうとして、止めた。
知盛との会話を望美に聞かれていたのだ。
もしかしたら、という可能性もある。



聞こえていたくせに質問する。弁慶だったらやりかねない。



もし仮に、弁慶があの時の会話を聞いていたとしたら。
そう思うと、途端に恐怖がやってくる。
その理由を弁慶に問い詰められたら、口を閉ざしていられる自信がない。
感情的になって、一方的に彼に八つ当たりしてしまいそうだ。





そんなことはできない。



したく、ない。





万が一、それを口にしたときが恐ろしい。
いつも以上に冷めた瞳で、感情のない声。
怒っているのか、そうでないのかわからない口調で、自分は切り捨てられるのだろう。


「那由多?具合でも悪いんですか?」


不意に黙り込んだ那由多を不思議に思ったのか、弁慶が顔を覗き込んでくる。
途端に現れた弁慶の顔に、思わず目をしばたかせた。


女の自分と同等か、それ以上に端正な顔。
男であるのが勿体ないと思うが、それと同時に、女でなくてよかったと思わずにはいられない。
世の女性なら、彼の顔が眼前にあれば、それだけで頬を朱に染めるのだろう。
けれど、自分はそんなことくらいで頬を染めるほど、うぶではない。


「そうね、少し血の匂いに酔ったかしら」


薬師である自分が、そんな物に酔うとは思えない。
けれど、弁慶はあっさりと自分の言い分を鵜呑みにしたようだ。


「今回はあまり負傷者がいませんが、君にとっては初陣でしたからね。気を張り詰めていたんでしょう」


そう言って、弁慶の外套にくるまれる。
胸元に顔を引き寄せられ、誰かに見られたら、と思ったが、すっぽりと彼の外套に入ってしまえば足以外は見えないだろう。
怖くなかったと言えば、嘘になる。

戦場は、死に近い場所だ。

そんな中、本陣で待機するはずの自分が、一人戦場を駆けた事実に、今更ながら震えが来た。
よく怨霊や平家の兵に見付からずに、景時と合流出来た物だ。
下手をしたら合流するより先に、自分が倒れていたかもしれないのに。


「よく、頑張りましたね」


そっと、誰にも聞こえないように囁かれた声は、いつも以上に優しくて。
思わず零れそうになる涙を必死に堪える。
怖いのは自分だけじゃない。
誰だって、そう。



まして、戦とは無縁の世界にいた望美と譲は、特に。



初陣ではないにしろ、恐怖心というのはそう簡単に取れないはずだ。
けれど、彼女たちは弱音を吐いたりしていない。
それなのに、この世界の住人である自分が、たった一度戦に出ただけで弱音を吐くことは、できない。










「この震えが止まるまで、このまま抱きしめて」
「君の願いなら、喜んでそうしますよ」










那由多の願いは、二人を呼びに来るヒノエがやってくるまで叶えられた。










きみのためぼくにできること










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福原編はこれにて完了
2007/10/12


  
 

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