紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
言葉の意味と会話の意味
 









きっと口が裂けても云わないのでしょう










望美の言葉にどう答えるべきか。
まさか、彼女が知盛との会話を耳にしていたとは。
よりによってそれは、自分が一番触れて欲しくない話題だ。
だから弁慶にさえ、沈黙を通したというのに。
那由多は溜息をつきながら、小さく首を振った。


「望美さんが聞きたいのは、その言葉が持つ意味かしら。それとも……他の意味?」
「え?」


できれば前者のほうであってほしい。
そう願いながら尋ねれば、きょとんとした視線と少々抜けた声が返ってくる。
このぶんならば、前者かもしれない。
そう、予想をつけて。


「もし、生娘という言葉の意味が知りたいのなら、この戦の後で教えてあげるけれど……」


語尾を濁し、それ以上は言葉にしない。
下手に自分から言って、墓穴を掘る必要などどこにもない。
ただそれは、彼女がどこまで知っているかにもよるが。


「ホントですかっ?」


けれど、那由多の心配は杞憂に終わったようだ。
キラキラと目を輝かせる目の前の少女は、純粋に、その言葉の意味を知りたかったらしい。
そういえば、白龍の神子は異世界から来たのだったか。
その世界で使わない言葉ならば、意味を知らなくても当然か。
ホッと、知らず詰めていた息を吐く。


「けれど、その言葉は無闇に口にしない方がいいわ。そう、特に弁慶殿には」
「弁慶さん、ですか?」


不思議そうに首を傾げる望美に、小さく頷いてやる。
もし彼女が弁慶にその言葉の意味を問えば、必然的にどこで聞いたのかも話さなければないだろう。
そうなると、先程自分が口を閉ざしていた理由が、弁慶に知れてしまう。
それだけは阻止したかった。


「ヒノエ、も止めておいた方がいいわね」


彼ならば、身体で教えてやると言いかねない。
我が弟ながら、女性に対する態度だけは、弁慶と良く似ている。



だが、確実に弁慶とは似て異なる。



あれでも熊野別当だ。
遊びと本気の区別はつくだろう。
けれど弁慶は……。


「那由多さん?」


望美に声を掛けられ、ハッと我に返る。
考えても、こればかりはどうしようも出来ないと理解していたはずだ。
今更そのことで、落ち込んでなんていられない。


「ごめんなさい。そろそろ行かないと、九郎殿たちに怒られるわね。言葉の意味は、後でちゃんと教えてあげるわ」
「あ、はいっ」


那由多に促され、望美は那由多と共に駆けだした。
その間、自分の隣を走る那由多の顔を、チラリと伺う。
知盛と那由多が許嫁だったという事実には、耳を疑った。
けれど、それ以上に彼との会話には不可解なものがあった。
どうして自分に聞こえたのかはわからない。
だが、あの時知盛は確かに「まだ」と言った。
それに那由多が声を上げたということは、恐らくそれが事実であるということ。
けれど、この時代では白拍子や遊女以外は、特定の男性以外とあまり身体を合わせなかったような気がする。
なら、那由多にはそういった相手がいるということ。
単純に考えれば、それは弁慶なのだろうが、あの二人を見ているとどうも違うような気がする。
そして、前の時空で彼女が言った「共犯者」と言う言葉。
それがどういう意味なのか、未だに自分は理解していない。


「どうかした?」


望美の視線に気付いたのか、走りながら那由多が尋ねてくる。
それに何でもないと返すと、再び前を見据えて走る。



今は、目の前のことに集中しなければ。



弁慶が大輪田泊へ着けば、海へ出た平家の船を燃やしてしまう。
変えられない運命だとはわかっているけれど、出来ることなら思い留まらせたい。
今は見えない仲間の姿を追うために、二人は必死に足を動かした。





大輪田泊へ着いた物の、先に来ているはずのみんなの姿が見えない。
一体どこへ、と那由多が周囲を見回していれば、望美はある方向を見据えていた。


「那由多さん、こっち」


ぐい、と那由多の腕を掴み望美が走り出す。
それに引っ張られるかのようについて行けば、連れて行かれた先は港。
そこには、すでにみんなの姿があった。


どうして彼女はみんなの居場所がわかったのだろう?

白龍の神子というのは、怨霊を封印・浄化する以外にも、特殊能力を持っているのだろうかj。


口元に手を当て、考えるように望美を見つめる。
どうにも、彼女も何かを隠しているようにしか思えない。


「平家は、逃げたのね」


確認のために口にすれば、ヒノエから肯定の返事が返ってきた。
だが、振り返った九郎の視線にあるのは、怒り。


「遅いぞ!一体何をしていた」


きつい物言いは、未だに自分を疑っているからなのか。
それとも、遅くやってきた自分たちを心配してのことなのか。
恐らく、そのどちらも合っているのだろう、と小さく笑みを零す。


「な、何がおかしい」


源氏の総大将。
真面目で一本気。
それゆえ、少々頭は固い。
そして、限りなく不器用だ。
心配なら心配だと、はっきり言えばいいのに、それを口にすることすら憚れるのか。


「別に。望美さんを心配していたのなら、素直にそうだと言えばいいのに」
「なっ……」


くすくすと笑いながら言えば、九郎の顔が途端に朱に染まる。
彼もまた、自分の感情に不器用なのだ。


「九郎さん、弁慶さんは?」
「ん?弁慶なら、用があると言って外しているが……」
「遅かった」


九郎の言葉を最後まで聞かずに、その場から駆け出す彼女の後ろ姿を、何とはなしに見送る。
平家が船を使って逃げた後、軍師である弁慶に残された仕事。
恐らく、自分の考えは間違っていないだろう。
ならば、自分も彼のした行いをこの目に焼き付けておかねばならない。
優しい彼女は、彼がした行為を詰るだろうか。
それとも、酷い、と罵るのだろうか。
けれど、弁慶はそれを弁解しないだろう。
かといって、自分が行ったところで何の意味も無いことは知っているが。
弁慶のしたことを弁明するわけじゃない。





自分は、弁慶の共犯者として──彼の半身として──彼のしたことを見届けるだけ。





望美が走っていった方向へ那由多も向かおうとした。
けれど、それを止める声が聞こえる。
そういえば、戦が終わったらちゃんと説明する約束だったか。
確かに、平家が逃げたことにより、戦は終わったと取れなくもない。
だが、ここで話す内容ではないようにも思える。


「那由多、本陣には鎌倉殿の名代がいるだろう?」


そっと、耳打ちをしてきたヒノエの心遣いが有り難い。
本陣には政子がいたのだった。
彼女の耳に、自分が知盛の元許嫁だと知れれば、それは頼朝にも伝わるだろう。
出来ることならそれも避けたい。
そんなことが頼朝に知れたら、自分は源氏から去らなければならないだろう。
いや、それだけならいい。
下手をすれば、命を失いかねない。


「わかったわ。ちゃんと話せばいいんでしょう?」


くるりと体勢を九郎の方へと向き直し、諦めたように肩を竦めた。
どうせ弁慶が戻ってくるまでは時間がある。
それまでに、必要なことだけを話せばいいのだ。
そう、知盛の元許嫁であった事実だけを。





あぁ、けれど弁慶はともかく、望美にも話さないといけないのか。





望美を除いたまま話せば、ここでした話を、再び彼女にもしなければならない。
好奇心が強い彼女のことだ。
自分と知盛の間柄を聞いてみたいと思っているのだろう。



女性という物は、どこでも噂話のたぐいが大好きだから。



だが、ここでそれを話したところで、総大将殿はそれを許してくれるだろうか。
彼のことだから、やっぱり平家の間者か、と決めつけられてしまうのか。
どちらにしろ、面倒だ。
何かいい案はない物かと思う物の、中々思い通りに事は運ばない。


「どうせ望美も気になってるんだ。戻ってくるのを待ったらどうだい?」


そんなときに降って湧いた、天の声。
相変わらず、気が利きすぎて嫌になる。


「だが、それではいつまで経っても話にならないだろう」
「え、オレはそれでもいいと思うけど。だって、那由多ちゃんはちゃんと話してくれるんだろ?」
「そうですね。それに、先輩抜きで話したら、那由多さんは後から先輩に、また話さなきゃならないんですよ?」


ヒノエの言葉に、やはり九郎が反論したが、驚いたことに景時と譲が同意してくれた。
持つべき物は、弟の発言力だろうか。
望美以外には熊野別当だと言うことを話していないはずだから、これはヒノエ自身の能力。


「ありがとう」


耳元でそっと囁けば、どういたしましてと、彼の持ち前の笑顔が返ってくる。
結局、話をするのは望美が戻ってきてから、ということで話はまとまった。
二人が戻ってくるまでは、しばらく大輪田泊に留まることになった。
だが、戻ってきた弁慶と望美の様子は、いつもとどこか違っていた。
それに誰もが気付いていたはずなのに、誰も、何も口にしなかったのは、弁慶を取り巻く空気が何も聞くなと物語っていたからか。










結果、望美が戻ってきてからのはずだった話は、後日に持ち越された。










それがどれだけ重く残酷な言葉なのかを知っている










+++++++++++++++

今回は短いです。
2007/10/10


  
 

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