紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
熱い視線と疑惑の目
 









君との出逢いを君の声を君の髪を君に触れた熱を君を愛した時間を想い出すよ










景時の元へ向かうときに抱いた「嫌な予感」
あれは、こういう意味だったのかと、那由多は目の前の人物を、ただただ見つめることしかできなかった。



平知盛。
少なくとも、二年前までは自分の許嫁だった男。
何かをやらせれば器用にこなす。

舞も、和歌も、武術も

けれど、彼と会うといつも気怠げで、たまに見せる表情は、生きることにどこか飽いているように見えた。
そんな彼を見ていたからだろうか。
目の前にいる彼は、とても生き生きとして見える。
頬と鎧についた返り血が、余計にそうさせているのだろうか。


恋愛感情がなかったとは、言わない。
少なくとも、自分は彼のことを嫌いではなかった。

けれど、選んだのは自分。

自分は、彼ではない、あの人を望んだ。

それが今の状況に繋がっているのも、やはり自分のせい。


「なぁ、元許嫁殿。アレは、お前を満足させているか……?」
「っ……!」


知盛が何のことを言っているのか悟ると、瞬時に耳まで赤くなるのがわかった。
何という言い方をするのか。
元より、どこか言葉遊びをしているような、遠回しで物を言う人だ。
まともに取り合う方がどうにかしている。
けれど、そうだとは知らない他の面々にとっては、誤解を招く言葉以外の何物でもない。
そっと周囲を見回せば、案の定。
自分と知盛を見るみんなの表情が、不審の色で染まっている。


「……生憎、私はあなたのような名の知れた武将と、許嫁だった覚えはありません。どなたかと間違えていらっしゃるのでは?」


嘘だ、と。
僅かに震える声がそれを物語っているが、この場で出たのはその言葉。
あまりにも動揺しているせいか、上手く言葉を紡ぎ出せない。
口の中がカラカラに乾く。
何度も唾液を飲み込んで湿らせようとしても、思うように上手くいかない。


「ほう……人違い、か……」


知盛も、那由多の言葉が偽りであると知りながら、その言葉を指摘することはない。
それどころか、楽しそうに口元を歪めるだけ。
彼がこんな表情をするときは、ロクなことがない。
それを知っている那由多は、少しだけ気を引き締めた。


「……ならば遠慮はいらないな」


小さく呟いた直後、知盛の姿が動いた。
慌てて手にしている薙刀を構えるが、それより彼の方が一瞬動きが速い。


「那由多!」
「那由多さんっ!」
「那由多殿っ!」


那由多よりも前にいた望美や弁慶たちの間を器用にくぐり抜け、一直線に。
あまりにも突然のこと過ぎて、誰もが対応に追いつかないようだった。
次の瞬間には、那由多の薙刀の柄と知盛の刀の刃が交わっている。


「くっ……」
「ほぅ、止めた……か」


ギリギリと知盛の剣に押されているのが自分でもわかる。
だが、このまま押さえきらなければ斬られる。
それほどまでに、目の前の知盛から感じられる殺気は、本物だった。
それがわかっているからこそ、誰も自分たちの間に入ることは出来ない。


じっと自分を見つめてくる彼の視線が熱い。
顔に血が上るのがわかるけれど、そのままそれを逸らすこともできない。
視線を逸らすのは、負けを彼に認めたような物だ。


「お前……まだ、生娘か……?」
「なっ……!」


ポツリと、信じられない物でも見たかのような彼の発言。
幸か不幸か、それは、刃を交えていた那由多の耳にしか届かなかった。
しかし、そんなことを言われた身としては、怒りを覚えずにはいられない。
羞恥以外の感情で頭に血が上る。
那由多の反応を楽しそうに見た彼が一言。


「図星、か」
「うるさいっ!」


それにカッとなり、勢いに任せて相手の剣を振り払う。
自分の力では振り払うことなど出来ないと思っていたが、相手がそれに合わせて引いたおかげでようやく距離ができた。
それを見計らって、那由多の前に弁慶とヒノエ、敦盛が立ち、壁を作る。


「随分と……大事なようだな……」


それは、誰に向けて言った言葉なのか。
誰かが口を開いて言葉を発するよりも速く、それは第三者の声によって遮られた。


「平知盛……やるなら、私が相手になるよ」


すらりと、腰に帯びた剣を抜いて望美が構える。
それに興味を引かれたのか、知盛の視線が那由多から望美へと移される。


「気の強い女だ……だが、美しい……と言ってもいいな」


剣をしっかりと握りしめ、再び構える知盛に、望美の身を案じる。
本当に、彼とやり合うつもりなのか。
望美の腕前は見ていないから知らないけれど、一介の少女が彼に適うとは思えない。


「望美さんっ!」


思わず声を上げれば、大丈夫です、と答えが返ってくる。
やはり、視線を逸らすことは出来ないせいで、彼女の表情まではわからない。


「私は大丈夫。だから弁慶さんは那由多さんを安全な場所へ」
「那由多」


弁慶に連れられて、那由多がやって来たのは、今まで自分がいた場所から少し離れたところだった。
望美たちが気になって仕方がない那由多は、弁慶が何を言っても上の空。
まるで心ここにあらず、だ。
だが、そっと頬に触れれば、それに驚いたのか大きく身を震わせた。


「な、何?」
「血が出ていますよ」
「血?」


言われてその場に触れれば、確かに血が出ている。
一体いつと思ったが、おそらく、知盛と刃をかわしたときに、彼の剣が起こした風圧で斬れたのだろう。
怨霊ならば穢れに用心しなければならないが、彼は怨霊なんかではない。
生身の人間だ。
穢れの心配はいらないだろう。
そう思っていると、いつの間にやら自分の顎を固定され、弁慶の顔が自分の顔のすぐ側まで迫っていた。


「ちょ……」


何を、という間もなく、傷口に感じる濡れた感触。
舐められていると理解したのはその直後。


「っ」


ゾクリと背に走った物に、思わず肩を竦めた。
弁慶の胸元を手で押し返し、身を離す。
舐められた傷口を手で押さえ、キッと弁慶を睨む。


「何をするのよ」
「何って、消毒ですよ」


ニッコリと笑顔を浮かべる弁慶に、那由多は思わず後ずさった。
これは完全に怒っている。
逃げだそうにも、この場から逃げるということは、再び戦場へ戻るということ。
すなわちそれは、みんなの足を引っ張ることになる。


「知盛殿に、何を言われたんです?」
「何って、別に何も……」


その言葉で、先程のことについて怒っているのだと判断できた。
けれど、自分に刃を向けてきたのは知盛自身。
あれは不可抗力だったと主張したい。


「何も言われていないのに、君があそこまで声を張り上げるわけないでしょう?」


しかも、顔を赤くしてまで、と続けられると、さすがに何も言えなくなった。
自分でもわかっている。
普段ならあんなに取り乱したりなどしない。
そうさせたのは、久し振りに知盛と再会したせいだ。
あそこで彼に再会しなければ、今のような状態になったりしなかったのに。
あの場であんなことを言われなければ。










けれど、弁慶には言えない。





言っては、ならない。










自分はちゃんとわかっていたはずだ。

知盛との許嫁を解消したときから。

湛快にだって諭された。

けれど、それでもいいと願ったのは自分自身。





きつく口を閉ざした那由多に、弁慶は小さく溜息をついた。
自分と同じように、彼女もまた、人に知られたくないことは堅く口を閉ざしてしまう。
この様子では、先程の知盛との会話も教えてはもらえないだろう。


だが、彼女をあそこまで感情的にさせるなど、一体知盛はどんな言葉を口にしたのか。
しばらくその場にいれば、決着がついたのか、二人の元へみんながやって来た。


「今から大輪田泊へ向かうことにしたんだが……」


語尾を濁しながら、九郎の視線がチラチラと那由多へ向けられる。
よく見れば九郎だけじゃない。
似たような視線をいくつも感じる。
何を言いたいのかは聞かずともわかった。



知盛との関係についてだろう。



さすがにこのままでは場の雰囲気がよくない。
更には今後にも関わってくるだろう。
なるべく早い内に解決させた方がいい。


「私に言いたいことがあるんでしょう?」


九郎の目の前に立てば、カチャリと喉元に彼の刀が向けられた。
切っ先はギリギリ皮膚まで届いていない。
けれど、少しでも動かしたり手元が狂ったりすれば、たちまち血が流れるだろう。


「九郎さんっ!」
「九郎殿!」


悲鳴にも近い声が望美と朔から上がる。
けれど直ぐさま斬られないだけでもいい方だ。


「……お前は、平家の間者か?」


探るような強い瞳。
源氏を率いる総大将は、平家の間者を見逃すことは出来ない。
ここで那由多がそうだと頷けば、即刻切り捨てられるのだろうか。
誰もが、那由多の言葉を待つ。


「違う、と言えば信じてもらえるのかしら?」


肯定にも、否定にも取れる言葉に、九郎の刀が小さく動いた。


「確かに、那由多殿は知盛殿の許嫁だった」
「敦盛」


刀を那由多の首筋からどけさせ、彼女の前に立ったのは敦盛だった。
どけさせた刀は、また九郎が構えないように、彼の手で押さえたまま。


「だが、数年前に許嫁を解消した後、一度も再会していないと聞いた」
「本当なのか?」


敦盛の言葉に、訝しそうに九郎が問う。
それに頷けば、渋々と九郎は刀を引いた。
だが、完全に納得していないのは、誰が見ても明らか。


「九郎、今はそんなことをしている場合じゃないんでしょう?」


尚も何か言い出しそうな九郎に、弁慶が声を掛ける。
そうすれば、彼も今は何が最優先かを思い出したらしい。


「この戦が終わったら、ちゃんと説明してもらうからな」


そう那由多に言い残して、先陣を切っていった。
それに続くかのように誰もが駆け出す。
けれど、望美一人がその場に残っていた。


「望美さん?行かないの?」


立ったままの彼女の元へ近付けば、何かを考えるようにして自分を見つめる望美の姿に、眉をひそめた。
彼女も自分が平家の間者だと疑っているのだろうか。


「ねぇ、那由多さん」


静かに発せられた言葉に、正面から彼女と向き合う。
一体何を言われるのだろう?
そう思っていた那由多は、望美の口から出た言葉に、二の句が告げられなかった。










「生娘って、どういうことですか?」










刀傷が残した幾重もの










+++++++++++++++

あ、あれ?どうしてこんな展開に……(汗)
2007/10/08


  
 

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