紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
再会と戦場
 









「救う」なんて言葉は誰だって簡単に言えるけれど本当に誰かを「救う」なんて結局は誰も出来やしないんだよ










本陣から主要人物たちの殆どが出払った頃。
那由多は一人、馬番の元へ来ていた。
主立った馬たちは連れて行かれてしまったが、弁慶の口添えのおかげか、自分が扱うには少し上等ではないかと思える馬を貸して貰った。
その際、薙刀を持った那由多を見て、やはり馬番の者が驚いていた。
馬に乗る前にもう一度、忘れ物がないかを確認する。
本陣から出たら、しばらくはここへ戻ってこない。
何か忘れているのなら、今のうちに用意しておかなければ。
必要な薬は持った。
武器もきちんと所持している。
着物は戦に参加すると決まってから、動きやすいよう、弁慶と似たような物を着ている。


「忘れ物はないわね」


確認のために、口に出して自問してみる。
そうしてから那由多はようやく馬に乗った。


「少しの間、よろしくね」


そう言って、首元を軽く叩いてやれば、那由多に答えるように小さくいなないた。
景時が出撃してから、かなり時間がたっている。
少しでも早く合流しなければ。
景時が向かった方角を見ながら、那由多は手綱をきつく握りしめ、馬の腹を蹴った。





一方その頃。
生田の森までやって来た景時は、すでに戦を始めていた。
どうやら生田を守っていたのは平知盛だったらしい。


「くそっ、みんな怯むな!」


部下に声を掛け士気を高めてはいる物の、自分たちよりも目の前の敵の方が圧倒的に強い。
次々と倒れていく部下を見ながら、景時は焦りを感じていた。

いくら奇襲をかけても、相手が怯むのは最初だけ。
形勢を立て直されてしまっては、元も子もない。

ましてや、有り得ないことに敵の将自らが自分の部下よりも率先して刀を振るっているこの状況。
自軍が殲滅させられないようにするのが精一杯かもしれない。
本来なら、敵の本陣を調べるはずだったのに、予定が狂った。
たまたま本陣を離れた平知盛と鉢合わせしてしまったのだから。


「クッ……お前たちの力は……こんな物なのか……?もっと楽しませてくれると……思ったんだが、な」


知盛の周囲には誰も立っている者がいない。
彼の刃に倒れ、辺り一面が血の海と化している。
圧倒的な強さに、知盛を囲んでいる兵士たちの足がすくむ。
一歩足を進めれば、その分後ろへ。
少しでも振り返るようであれば、それに驚いたように身体を震わせる。


「ぅ、あ……あぁぁぁぁっ!!」


そんな状況に耐えられなくなった兵の一人が、ただがむしゃらに知盛へと刃を向けて走り出した。


「待てっ!」


それに気付いた景時が、慌てて声を上げる。
けれど、恐慌状態に陥っている兵に、景時の声は届かない。
当然のように、そんな兵の剣先を、知盛が見切れないはずもない。
少し身体を反らして軽くかわして、一撃。


「ぐっ……」


そのままなぎ払いながら剣を引き抜けば、その場に刃から飛び散った赤い雫が宙に舞う。
それを冷めた瞳で見つめる知盛に、景時は恐れを感じた。



人を殺すことを何も思っていない。



確かに、命のやり取りをしている戦場で、人を手に掛けることに躊躇うようでは、自分が命を落とす。
それは充分に理解している。
けれど、相手の表情はそんなものではない。


まるで自分の娯楽のために。


そんな表現が、よく似合う。


「つまらん……な」


小さく呟いて、ぼんやりと空を見上げる。
彼が何を考えているのかはわからない。
けれど、今この瞬間なら彼に一撃、与えることが出来るだろうか。



知盛を囲んでいる誰もが、そんな思いを胸に抱いた。



けれど、そんなことは出来ないと理解している。
ただぼんやりと空を見上げているだけなのに、どこにも隙がない。
こちらが少しでも動こうものなら、途端に手にしている刃が閃くだろう。
そう理解しているからこそ、もどかしい。


「景時様、どうしますか?」
「とりあえず坂茂木を取り払って、道を作るんだ」


飛んでくる矢をかわしながら問うてきた部下に、命令する。
けれど、それが難しいことはわかっていた。
まず、飛んでくる弓に気をつけなければならないし、何より知盛に気付かせてはならない。


(九郎……頼むよ)


何を頼むのかは知らないが、自然とそんな言葉が胸に上がった。
それは、この戦のことかもしれないし、妹の朔のことかもしれない。
どちらにせよ、頼みの綱は九郎しかないのだ。
景時は銃をしっかりと握り直し、いつでも応戦出来るように構えた。










景時から遅れて本陣を出た那由多だったが、馬を駆け続けたおかげで、生田の森近くまでやって来た。
この先で景時が戦っている。
そう思うと、背中に嫌な汗が流れてくる。
もしかしたら万が一とういうことも有り得る。
職業柄、人の死には接することがあるが、病で命を落とすのと、戦で命を落とすのではわけが違う。
天命を待たずして儚くなるなんて、無意味以外の何物でもないのだ。


(どうか無事でいて)


景時の無事を祈りながら、先を急ぐ。
これより先は、怨霊や敵兵が潜んでいる可能性もある。
今まで以上に用心しなくてはならない。
しばらく進んでいれば、目の前に源氏の兵が倒れているのが見えた。
慌てて馬から飛び降りて、側へと膝をつく。


「大丈夫っ?!」
「……っう……」


うつぶせになっているのを仰向けにさせれば、小さくうめき声が聞こえた。
それにまだ生きているのだ、と気づき、脈を取る。
そうすれば、確かな脈拍を感じ取ることが出来た。



これなら助かるかもしれない。



那由多は持っていた荷物から水と布を取り出した。
この場では応急処置しかできないが、それでもやらないよりはやった方がましというもの。
本陣へ戻れば、怪我人を治療する人がまだ残っていたはずだ。
止血と、傷の応急処置。
それを終わらせると、那由多は兵を見た。
このままここに残していては、いつ平家の兵が現れるともしれない。
だとすると、残された道は一つ。


「傷が痛むかもしれないけど、我慢してちょうだい」


一言告げて、兵の両腕を自分の首に巻き付けさせる。
その後、自分が兵の首下と脇の下に手を入れる。
勢いを付けて上半身を起こせば、傷が痛んだのか、声が上がった。
だが、そんなことに構っている暇はない。
いつまでもここで長居しているわけにもいかないのだ。


「あなたを本陣へ帰すわ。いいわね?」


はっきりとした声で言えば、小さく首が動いたような気がした。
次に、自分の肩に腕を回させ、自分は脇の下に腕を入れて支える。
非力な女の力では、思うように相手を立ち上がらせることも出来ない。
少し時間がかかったが、何とか立ち上がらせれば、引きずるように馬へと連れて行く。
そうなると、次の問題はどうやって馬に乗せるか、だった。
まさか自分が乗ったように乗せることもできない。
一番楽なのは、馬の背に腹を乗せることだろうが、自分の力ではまず無理だ。


「お願い。少しだけ、手伝ってくれるかしら」


懇願するように馬に頼めば、願いを聞き入れてくれたのか、馬は乗せやすいように足を折ってくれた。


「ありがとう」


そのことに心底感謝して、低くなった馬の背に兵を乗せてやる。
落馬しないように、紐で身体を固定して離れれば、馬がその場に立ち上がる。
馬の正面に立って、その瞳をしっかりと見る。


「あなたはとても賢い子。本陣まで、ちゃんと戻れるわね?……行きなさい」


顔を撫でてやってから、馬の尻を叩いて走らせる。
馬の姿を見送ってから、自分の荷物と武器を手にする。
恐らく、ここから戦場までは、近い。


「急いだ方が良さそうだわ。嫌な予感がする」


ざわざわとした気持ちが胸の中を駆けめぐる。
そんなときは、決まってろくなことが起きないのだ。
那由多はその場を駆けだしていた。





一時撤退を余儀なくされた景時が那由多と合流したのは、那由多が走り出してからそれほどたっていなかった。


「景時殿っ!」


見えた姿にホッとしたが、傷だらけの姿に目を見張る。
慌てて近付けば、那由多の姿を見て逆に景時が目を見張った。


「那由多ちゃん?!君、どうしてここに」


本陣にいたはずじゃ、と言葉を続ける景時をよそに、自分の荷物から必要な物を取り出して傷の手当てを始める。
見たところ、数は多いがどれも深い物ではない。
それに少しだけ安堵する。


「助かったよ、ありがとう。でも、どうして君がここにいるの」
「ちゃんと弁慶殿に許可は取ってあります。それに、必要だと思ったから私が来たんです」


傷の手当てをしながら、問われたことに返事を返す。
景時の手当てが済んだら、今度は兵士たちの。
けれど、その場に留まっているわけにも行かず、重傷者を先に手当てし、軽傷者は移動しながらの手当てとなった。


「景時っ!」
「景時さん、無事で良かった」


前方から、聞いたことのある声が聞こえる。
けれど、そちらを気にするよりも、目の前の負傷者の方が先だ。
いつまた平家と戦い始めるか、わからないのだから。

思っていた以上の負傷者の数に、時間がかかると危惧していたが、それは那由多の杞憂に終わった。
何故なら、負傷者の手当てをしていたのは、那由多一人ではなかったからだ。


「今の人でお終いですよ」
「え?」


未だ治療をしていない人を探していた那由多に、声が掛けられる。
振り返れば、そこにいたのは弁慶。


「時間がありませんから。僕と朔殿も応急処置をしたんですよ」
「そうだったの。ありがとう」
「いえ、君が無事で何よりです」


知らされた事実に礼を言えば、そっと、頬にかかる髪を耳に掛けてくれる。
さすがに、この場で抱きしめるは憚られたのだろう。
だから、髪を耳に掛けるだけに留めたのだ。


「今からまた出撃しますが、君は後ろに下がっていてくださいね」
「わかってるわ。自分の身の程は、知っているつもりよ?」


荷物を片付けながら頷けば、弁慶は九郎の元へと戻っていった。
出撃するにはもう少し時間がかかるのだろうか。
弁慶と九郎、景時が集まって、何やら話している。
話しているのは、これからのことについてだろうか。
ぼんやりと三人を眺めていたら、背後に人の気配を感じた。
知っているその気配に、小さく肩を竦める。



「那由多」



自分を呼んだ声は、どこか固く。
怒りを含んでいるのとは、また違った感じがした。

「ヒノエ、どうしたの?」

振り返りがてら尋ねれば、ヒノエと共に敦盛の姿もあった。
昔からよく二人で一緒にいたが、八葉となった今でも二人は一緒にいるのだろうか。
そんな考えが頭の中に浮かんで消えた。


「那由多殿……その」
「敦盛?」


ヒノエではなく、言いにくそうに口を開いたのは敦盛だった。
何かあったのだろうか?
そう思ったが、自分が考えられるようなことは何もない。
結局、二人が何か語るよりも早く、出撃との声が上がり、肝心なことは何一つとして聞けなかった。
それに首を傾げた那由多だったが、生田神社でその理由がはっきりとした。


「知盛殿……」
「敦盛、か……?」


敵の将を見た瞬間、那由多は思わず自分の目を疑った。
そういえば、生田の守りは誰がしているのか、敵の将の名を聞いていなかったことに気付く。


「……知盛、殿」


小さく名を呟けば、ふとした瞬間に彼と目があった。
一瞬だけ、那由多を見て驚いたように瞬きをしてから、まるで面白い玩具でも見付けたかのように、口元を斜めに引き上げる。










「これは……誰かと思えば……。……元許嫁殿は、いつの間にか源氏となっていた……か。クッ……面白い」










知盛の言葉に、那由多は俯いて顔を逸らした。

まさか、彼と再び会うとは思ってもいなかった。

しかも戦場で。



あぁ、ヒノエと敦盛が言いたかったのは、このことだったのだ。










貴方ともっと違った形で出逢えたなら愛を語ることも赦されたでしょうか










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話の流れに無理があるのはスルーの方向で
2007/10/06


  
 

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