紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
知らされる事実と救助
 









綺麗なんていらない










ゆらゆらと、体が揺れるのを感じる。
そして鼻につく潮の香り。
耳に届くのは波の音と、男女の喧騒――。





意識が浮上するなり耳に入る口論。
女の声は、どこかで聞いたことがあるような気がする。
けれど、はっきりとしていない頭のせいで、どこで聞いたのかも思い出せない。


「だからっ、私はお姫様じゃないって言ってるでしょっ!!」
「何ぃ」


痴話喧嘩か痴情のもつれだろうか。
それにしては、随分と色気のない内容だ。
そう思ってから、やっとはっきりしてきた頭で、自分の今の状況を思い出す。
速玉大社を出た後、何者かに襲われたのだ。
ならば、口論しているのは白龍の神子と自分たちを襲った奴らだろう。
幸いなことに、那由多の意識が戻ったことは誰も気付いていない。


(少し様子をみた方が良さそうね)


望美には悪いが、しばらくはこのまま彼らの相手をしてもらおう。
薄く目を開けば、自分が寝ている板と、男たちの足が見えた。
そして、思ったよりも近い波の音と、独特な揺れ。
その二つで船の上だとわかった。
一体何のために、と思ったが、先程の望美の言葉からそれはすぐに理解出来た。
着飾った自分たちを見て、どこぞの姫君とでも思ったのだろう。



目的は、身代金目当ての誘拐。



望美が声を上げているのは、自分が姫君じゃないと反論しているから。
確かに、綺麗な着物に身を包んでいれば、それだけで姫君だと勘違いする馬鹿もいるだろう。
それを知っていながら、口にしなかった自分にも非はある。
だから望美には申し訳ないと謝るべきなのだろう。



本来ならば。



だが、それをしないのはこの熊野で馬鹿なことをした彼らに、しかるべき処分を受けてもらうため。
もちろん、自分が彼らを罰するわけではない。
するのは熊野の頭領。
そして、今の自分に出来ることは、彼らが助けに来るのを待つこと。
烏が自分たちを見ていたのは知っている。
ヒノエに連絡はついているはずだ。
自惚れているわけではないが、自分が誘拐されたと聞かされて、ヒノエが動かないはずがない。
きっと、彼はやってくる。


「チッ、仕方がねぇ!もう一人のほうはどうだっ」


望美と話していても埒があかないと判断したのか、那由多へと視線が集まる。
けれど、未だ意識を失った振りをしている那由多には、声は聞こえても何をしているかなどわかるはずがない。
男が那由多の近くにしゃがみ込み、その髪を掴んでも、これから何をされるかなど全くわからないのだ。
ぐい、と思い切り髪を掴まれ、その痛みに思わず声を上げてしまう。


「っ……」
「お、気付いたみたいだな」
「那由多さん、大丈夫ですかっ?」


仕方なく、今気付いたかのように、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。
目の前に現れたのは、どこか胡散臭い男たち。
この中の誰かが、自分を殴って気絶させたに違いない。


「さて、単刀直入に聞くぜ。綺麗なおべべ着たアンタも、お姫様じゃないとか言うのか?」


本当に単刀直入すぎる。
まさか、ここまで露骨に尋ねられるとは思わなかった。
パチパチと瞬きを繰り返す。
これで自分も姫じゃないと答えれば、この後はどうするつもりなのだろうか。



このまま海へ放り出されるか。


それとも、この男たちに慰み者にされるのか。



可能性があるのは後者の方だが、生憎、そんな物にされるくらいなら舌を噛み切ってやった方がマシだろう。
それか、自分の持っている懐剣で、出来るところまで抵抗してみるか。
未だヒノエが現れていないから、せめて彼が来るまでは時間を稼がなくては。
チラリと男の向こう側にいる望美に視線を走らせる。
心配そうに自分を見る彼女の着物に、乱れた様子は見受けられなかった。
見える場所に外傷もなさそうだ。
そのことに、ほっと息をつく。


「さぁ、答えてもらおうか!」


イライラとした様子で、那由多に返答を求める。
それほど金が欲しいのか。
けれど、この男たちに果たして朝日は昇ってくるのだろうか。
誘拐するに辺り、確かに目の付け所は悪くはなかった。





那由多の素性を知っているなら。





残念なことに、目の前の男たちは自分を知らないらしい。
そのことから察するに、別当の顔も知らないに違いない。
熊野で悪事を働こうと考えるのなら、せめて別当の顔くらいは知っておくべきだ。
ふらふらと風のように彷徨ってばかりいる別当は、ここ最近、熊野不在のせいであまり顔を見せてはいないけれど。


「違う、と答えたら、あなた方は私たちをどうするつもりなのかしら?」
「あ?そりゃ決まってんだろうが」


そう言って、男は下卑た笑みを浮かべた。
やっぱりか。
分かりきっていたことだが、溜息が零れるのを止められない。
そして、那由多の返事から何らかを悟ったのか、男は周囲の仲間たちに目配せする。


「那由多さんっ!」


どこか切羽詰まった望美の言葉に顔を上げれば、途端に視界が回転する。
え、と声を上げる間もなく、再び床とお友達。
綺麗な青空が頭上に広がる。
そして、自分の上には男がのしかかっている。


「ちょっ、離してよっ!」


望美の声が聞こえて、慌ててそちらへ顔を向ければ、自分と同じように望美も男に迫られている。
小さく舌打ちして、どうやってこの状況を打破すべきかと頭を巡らせる。
一番いいのはヒノエがこの場にやってくることだが、今の状況ではそれすらも望めそうにない。
せめて望美だけでも助けなければ。
だが、どうやって?
焦れば焦るほど、頭は混乱していくばかり。
自分の上にいる男のことなど、すっかり忘れていた。


「すぐにヨくしてやるよ」
「ゃっ……」


自分に馬乗りになっている男が、そう言って那由多の着物の袷に手を掛ける。
そこから入ってきた手に、思わず嫌悪感を抱いた。
だから、それ以上妙なことをされるよりも早く、と懐に隠していた懐剣を取り出し、男の眼前に刃を向けた。
急に目の前に現れた刃物に、男の動きが一瞬固まる。

ちょうど、そのときだった。










「待ちな!」










まるで天からの救いのような一言。
これで助かったと、気を抜きそうになった。
だが、助けが来たと言っても、自分の上に男が乗っているのは変わらない。
それがどうにかなるまで、自分の身は自分で守らなければ。
そう思い、再び男に視線をやれば、自分の懐剣以外にも刃が男に向けられている。
それは喉元ギリギリで止められていて、少しでも前に動けば鋭い刃が喉を貫くだろう。
だが、ヒノエは望美の側にいるようだから、そうなると一体誰が自分の元へいるのだろう。
男へ向けた懐剣はそのままで、もう一つの刃を辿ってみる。
すると、辿り着いた先にいたのは自分のよく知る人物だった。


「べ、んけい……」


どうして彼が。
現れるとは思ってもいない人物の登場に、那由多は言葉を無くした。


「彼女から離れなさい。離れなければ、この刃が喉を貫きます」


明らかに怒気をはらんだ口調で告げる。
その表情のどこを取っても、いつもの笑みなど見付からない。
鋭い眼差しと、弁慶から溢れている気に恐れを成したのか、男は慌てて那由多の上から飛び退いた。
けれど、刃を下げることはしない。
そのまま男に刃を向けたまま、那由多の脇に膝をつく。


「大丈夫ですか?」


一度那由多の顔を見た後、乱れている胸元へと視線を移す。
それに気付いて慌てて着物を押さえると、膝を使って上半身を起こす。


「大丈夫、何もされてないわ」


そう言って自分の身を抱く那由多に、弁慶が自分の外套を外して彼女の肩に掛けた。
ずり落ちないようにしっかりと外套を掴み、その場に立ち上がる。
すると、弁慶が那由多を庇うように前に立ち、ヒノエと望美のいる場所まで戻る。


「那由多さん!大丈夫ですか?」
「那由多、無事かい?」
「ええ、何とかね。それより、ヒノエ。彼ら、熊野の出じゃないみたいよ」
「へぇ……」


ヒノエと望美から安否を聞かれ、それに答えると、男たちについてわかったことを告げる。
顎に手を当て、納得したように男たちを見るヒノエに、何のことかと望美の首が傾げられる。
そういえば、ヒノエが何なのか、彼女も知らなかったはず。
ここで名乗りを上げれば、自動的に望美にも教えることになる。
だが、最終的には望美にも名乗らなければならないのだ。
それが遅いか早いかの問題。


「テメェら、何者だっ!」


誰何の声を上げる男たちに、ヒノエの視線がす、と細められる。
那由多の言ったとおりだ。
熊野の者、まして海の男なら、ヒノエの顔を知らないはずがない。
だが、それを知らないとなると、余程の三下。
それに、源氏の軍師である弁慶の顔すら知らないのだ。
源氏でも平家でもないのは一目瞭然。


「オレは熊野別当、藤原湛増」
「うげっ!熊野の頭領っ!!」


ヒノエが名乗りを上げた瞬間、男たちの目が丸くなる。
望美も驚いているのだろうかとチラリと見るが、別段驚いている様子は見られない。
敢えて平静を装っているのか。
それとも、ヒノエが別当だと知っていたのか。
判断基準が少なすぎて、どれが本当なのかわからない。
けれど、ここで騒がれないだけよかった。
この場で望美に詰られても、目の前のことをどうにかしない限り、話など出来るはずもない。
那由多がそう思っている間にも、ヒノエの言葉は続く。


「オレの姉上と姫君に汚ねぇ手を出したんだ。お前ら、当然覚悟はできてんだよな?」
「え……?」


その中の単語に望美が声を上げた。
ハッとして弁慶と共に立っている那由多へ顔を向ける。


「那由多さんが、ヒノエくんのお姉さん……?」


信じられない、と呟いた望美の声は、那由多の耳にも届いた。
それに少しだけ笑みを浮かべてから、唇に人差し指を当てる。
まるで、これ以上は秘密とでも言うように。


「野郎共、やっちまいな!」


弁慶とヒノエより、少し遅れてやって来た水軍衆にヒノエが指示をすると、那由多と弁慶は船を移動した。
その間、弁慶が那由多の側から離れることはない。
しっかりと肩を抱き、誰にも触れさせないように。


「君という人は……どれだけ僕を心配させれば気がすむんですか」
「今回は不可抗力だわ。それに、何もなかったからいいでしょう?」


ヒノエの船に移ると、弁慶はようやく人心地ついたように、盛大に安堵の溜息をついた。
それに年甲斐もなく、少々頬を膨らませて言うと、弁慶の視線が鋭く光る。


「そういう問題じゃありません。それに、何かあったとしたら、僕はその相手を殺してますよ」


思いも寄らない言葉に、少しだけ目を丸くする。
目の前の彼は、こんなにも過激な一面を持っていただろうか、と。
それとも、源氏へ行ってから変わったのだろうか。
そうだとしたら、良い傾向だが、少しだけ悲しい。
やはり熊野では駄目なのだろうか。


「那由多?やっぱり、どこか具合でも悪いんですか?」


突然黙り込んだ那由多に、心配そうな弁慶の声が届く。


「ねぇ、それは嫉妬と取ってもいいのかしら……?」


何事もなかったかのように問いかければ、今度は弁慶の目が丸くなる。
それからゆっくりと視線を巡らせ、言葉を探す。
言葉を探すということは、やはり先程の言葉は社交辞令か。
わかってはいたが、やはり気落ちするのは否めない。















「……嫉妬なんて、そんな生易しい物じゃありませんよ」















波の音に遮られ、弁慶の言葉は那由多の耳にまで届かなかった。










愛するきみを例え髪の一本でも骨の粒子であってもぼく以外の誰かのものになること耐えられないのです










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ヒロインとの関係発覚
2007/9/26


  
 

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