紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
姫君と逃走
 









綺麗に飾ってあげたかったな










速玉へ辿り着けば、辿り着いたでそれぞれ別行動を取ることになった。
それは景時が翌日頭領と面会予定を取り付けてきたこともあったし、何より、望美の支度もあるとのことだった。
何のことかはわからない那由多は首を傾げた。
だが「朔ちゃんを手伝ってやりなよ」というヒノエの言葉もあって、那由多は望美と朔と一緒にある部屋にいた。


「さ、朔……」
「望美、約束だったじゃない」


じりじりと部屋の隅に望美を追い詰めている朔の顔は、今までにないくらいの笑顔だ。
毎度毎度、朔の満面の笑みは同じ場所でしか見られないと望美は思った。
朔の笑顔を見られるのは嬉しいが、どこか脅迫めいたその笑顔は、どこかの誰かを彷彿させる。
そして、そんな朔に勝てるほど、望美は強くない。

そんな二人の攻防を部屋の隅で眺めていた那由多は、部屋に準備された着物をしげしげと眺めていた。
用意されている着物はどれも上等で、質の良い物ばかり。
京からわざわざ持ってくるとは思えないから、用意したのはヒノエ辺りだろうか。
そして、今の状況を判断すれば、望美に姫君の格好をさせるのだろう。



理由はやはり、頭領に会うため。



そう考えれば、ヒノエの言葉にも頷ける。
手伝えというのは、逃げる望美をしっかりと捕まえておけということか。
どうしてそうなったのかはわからないが、誰も何も言ってこないところを見ると、みんなそれに納得しているのか。
はたまた、朔の背後に弁慶と同じ物を感じ取ったか。


「でも、いくつになっても、女性は着せ替えが好きなものよね」


小さく呟いて、那由多は朔に協力すべく、二人に近付いた。


「那由多さんっ!」


近付いてくる那由多に気付いた望美が、天の助けといわんばかりに顔を輝かせる。
それに満面の笑みを返せば、そっと望美の肩に触れる。


「望美さん、約束を違えてはいけないわ」


その言葉に、那由多も朔の味方だと悟った望美は、がっくりと肩を落とした。
それからは那由多と朔にとっては楽しい時間。
望美にとっては、魔の時間の始まりだった。





綺麗に着物を着付け、うっすらと化粧を施せば、そこにいるのは白龍の神子ではなく、一人の姫君。
完成した望美の姿に、朔だけではなく那由多も喜んだ。
始めのうちは抵抗していた望美も、次第にそんな気力が薄れたのか、二人にされるがままだった。


「望美さん、お疲れ様」


そう言って、那由多が肩を叩けば、望美がホッと肩を落とした。


「綺麗よ、望美。きっと素材がいいからね」
「もう、からかわないでよ〜」


朔の言葉に少しだけ頬を染める。
反論するのは照れ隠しだろう。
綺麗だといわれて、嬉しくない女性はいない。
それが異性から言われても、同性から言われても。


「さ、それじゃ次は那由多殿の番ね」
「うん、そうだよね!」
「はい?」


二人の口から出た言葉に、那由多は目を丸くした。


「ヒノエくんに頼んで、那由多さんの分も用意してもらったんだ〜」
「那由多殿、ごめんなさいね」


申し訳なさそうに言う朔だが、その瞳は先程と同様に輝いている。
そして、着付けをされていたときの望美の大人しさはどこへ行ったのか。
嬉々として朔に協力するつもりらしい。
これは自分も諦めるしかないか、と那由多はこっそり溜息をついた。


「でも、あまり華美な物は遠慮したいのだけれど」
「えーっ!どうしてですか?」


せめてもの妥協案を告げれば、案の定望美から不満の声が上がる。
朔の方は理由を知っているのか、小さく頷くだけだった。


「望美さん。頭領と会うのはあなたでしょう?私が着飾っても仕方がないのよ」


理由を告げれば、未だ不満は残る物の、どうやら納得してくれたらしい。
そもそも、自分まで着飾る必要など何一つ無いのだ。
とりあえず、着付けだけを手伝ってもらうことにして着替えることに。
さすが、ヒノエに頼んだということだけはある。
那由多の好みに合わせて、そこまで華美でもないけれど、上質の着物が用意されていた。


肌を滑る布が心地よい。


薬師という職業柄、あまり上質の着物など着る機会がない。
数年前ならまた違っていたのだろうが。


「……綺麗」


着付けを済ませると、那由多の姿を見た望美が思わず呟いた。
朔もほう、と感嘆の溜息をついている。


「本当。望美とはまた違った感じで綺麗だわ」
「そうかしら?ありがとう」


一つに結っていた髪を解けば、ふわりと背に髪が流れる。
緩い癖のある髪は、動くたびにふわふわと揺れる。


「せっかくだから、みんなに見せてきてはどうかしら?」


勧められた望美は、少し考えてから小さく頷いた。
やはり女の子。
誰かに見てもらいたいという思いはあるのだろう。


「那由多さんも一緒に行きませんか?」
「私も?」
「はい!弁慶さんに見せに行きましょう」


望美から出てきた名前に、思わず瞠目する。


どうして弁慶を指名するのか。


自分の知り合いを言うのなら、ヒノエも敦盛もいるというのに。


それとも、望美は知っているというのだろうか。


自分と弁慶の関係を。



弁慶が進んで話したとは考えにくい。
ならば、望美が自分で気付いたというのか。
だが、自分と会ったのは昨日が初めて。
それまで弁慶とは連絡を取ってもいない。
本宮で彼と再会してからも、それとわかるような態度は取っていないはずだ。





ならば、なぜ──?





不意に黙り込んでしまった那由多に、望美と朔は顔を見合わせた。
何か拙いことでも言っただろうか?と。
それまでは普通だったのに、突然難しい顔をして何かを考え込む那由多。
その横顔が、誰かに似ているような気がしてならない。



それは一体誰?



望美が首を傾げていると、朔が那由多に声を掛けていた。
声を掛けられ、ハッと我に返った那由多は笑顔で、先程までの難しい表情はどこにもなかった。


「那由多さん、行きましょう!」


望美は那由多の手を取って、部屋から出て行った。
部屋に一人残された朔は、部屋を片付けながら二人の後ろ姿を見送った。





望美に手を取られ、みんなが待っているであろう部屋へ向かえば、そこには白龍の姿しかなかった。
誰もが空いた時間を有効に使っているらしい。
ならば自分も解放されるだろうかと、少しだけ期待した那由多は、次の瞬間にその考えが甘かったことを知った。


「少し外に行きましょう?」


にっこりと無邪気に言われ、それを無下に断るほど人でなしではなかった。
たわいもない話をしながらのんびりと外を歩く。
普段の格好ならまだしも、今の格好では嫌でも人の目を惹く。
それをこの少女はわかっているのだろうか。
わかっていてやっているのなら、たいした物だが、そうでないのならただの馬鹿か。
自分の立場すら理解していないようでは、これから先が思いやられる。
けれど、少し離れた場所から烏の気配も感じるし、何かあってもすぐにヒノエに連絡が行くだろう。
そのことだけは、この土地が熊野であることに感謝する。



幾度も運命を上書きしていた望美は、自分が熊野でお姫様の格好をした際に何が起きるか知っていた。
知ってはいたが、今までとは違う運命だと気を抜いていたのかもしれない。



自分が着飾ったときに、那由多も一緒に着飾ったことなど、今まで一度もなかったから。



それでも、少しだけ警戒していつもとは違う道を歩く。
なるべく人が多い道を選んで。
けれど、どの運命でも起こるそれが、変えることの出来ない運命だと望美が悟るのは、もう少ししてからの話。


「望美さんが見せたかったのは、一体誰なのかしら」
「えへへ、秘密です」


そう言って教える様子のない望美に、部屋にいなかった人たちの内の誰かかと思う。
部屋にいたのは、龍神である白龍。
それ以外は何かしら用があって外に出ていると言っていた。
しかし、そうなると八葉全員がその対象に入ってしまう。
その中から一人に絞り込むのは難しそうだ。


「そういえば、八葉は一人欠けているのよね?」


今いる八葉は七人。
本来なら八人そろっての八葉は、現在一人別行動らしい。


「はい。私の幼馴染みの将臣くんなんですけど、今は用事があるらしくって」
「将臣……?」


望美の告げた名前を反芻する。
そういえば、平家にも同じような名前の青年がいなかっただろうか?
それとも、単に名前が似ているだけで別人か。
何にせよ、源氏と平家は敵対している。
いくら八葉でもお互いの背景を知っていて協力することはないだろう。


「将臣くんを知ってるんですか?」
「いえ、少し聞いたことがあったような気がしただけよ」


自分の気にしすぎだろうと、緩く首を振る。
そのまま勝浦へ向かおうと二人が歩を進めていたときである。
突然現れた数人の男に、那由多の目が細められる。
どう見ても、まともには見えないその男たちは那由多と望美を視界に入れると、ニヤリと口角を斜めにした。


「へえっ、こいつは上玉だ。ちょうどいい、こいつを攫っていこうぜェ!」


出てきた言葉にやっぱりかと眉をひそめる。
周囲の様子を探ってみても、囲まれた様子はない。
このまま逃げて男たちを撒けば、何とかなるかもしれない。
自分はいつも持っている懐剣があるが、望美は丸腰だ。
彼女を庇いながら戦うには、自分の腕は未熟すぎる。


「……望美さん、逃げるわよ」


囁くように呟くが、隣の望美からは何の反応も返ってこない。
一体どうしたのだろうかとチラリと彼女を見れば、酷く驚いたような表情をしていた。
今は驚いているよりも、逃げることの方が先だというのに。
小さく舌打ちすると、那由多は望美の手を引いてその場から走り出した。


「逃がすな!何としても捕まえろっ!」


二人が駆けだしたのを見ると、男たちも二人を追って走り出す。
いつもとは違う着物のせいで走りにくい。
けれど、捕まったら最後、何が待ちかまえているかは嫌というほど知っている。


「那由多さん!危ないっ!!」
「え……?」


望美の声が聞こえたと同時に、頭部に感じた鈍痛。
何かで殴られたんだと、那由多は薄れていく意識の中で思った。
彼女は無事だろうか?










そこで、那由多の意識は完全に失われた。










貴方は何一つとして知らないでしょう?










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あれ、また弁慶がいない……。
2007/9/19


  
 

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