いろは47音恋煩い | ナノ
「まだ言ってなかったのっ?!」
「浅水、声が大きいわ」
これが落ち着いていられるか、と浅水はそのまま那由多へ詰め寄った。
「何で言わないの?」
問い詰める浅水の視線が痛い。
理由なら、ある。
その理由が彼に告げることを躊躇わせているのだ。
「だって、あの人は自分の血を残すことを良しとしてないもの」
「……私としては、この状況でそれを言う那由多が信じられないんだけど」
伏せ目がちに言えば、浅水が大きく溜息をついたのがわかった。
「いい?那由多」
ずい、と眼前に迫る彼女の顔。
その顔は真剣そのもの。
「自分の血を残すのが嫌なら、始めから身体なんて繋げたりしない。それくらい、弁慶だってわかってるはずだよ」
「でも……」
「でも、もヘチマもない。これは弁慶の責任でもあるんだから」
そこまで言うと、浅水はす、と目を細めた。
「そこで立ち聞きするくらいなら、さっさと入ってきなさいよ」
「立ち聞きだなんて酷いですね」
静かに障子を開けて現れたのは、話題になっていたまさにその人。
普段なら那由多ですら気付いたであろう気配に気付かなかったのは、それほど余裕がないからか。
「あっ……」
「たまたま通りかかった、という考えはないんですか?」
「弁慶に限ってそれはないね。断言してもいいよ」
弁慶が部屋に入ったのを確認すると、浅水はその場に立ち上がった。
「ここからは二人で話してちょうだい。部外者は立ち去るから」
「浅水さん」
ひらひらと手を振りながら去ろうとすれば、引き止められる。
立ち止まり、首だけ振り返れば、にこにこと笑顔を浮かべている弁慶の姿。
「君たちのところはまだなんですか?」
その言葉に、自分たちが何を話していたか、わかっていたのだと理解する。
そして、逆に問い掛けてきたのは純粋な興味からか。
「……まだその時期じゃないわ」
小さく呟いた言葉は、自分に言い聞かせるかのように。
「浅水……?」
言葉を聞き取れなかった那由多は、ただ首を傾げるばかり。
「こればっかりは、人がどうこうできる問題じゃないからね」
肩を竦めながら言えば、弁慶が納得したように頷いているのが視界に入った。
本当は、その理由を知っている。
けれど口に出すことはできない。
その時期が来るまでは、決して。
わかるのは、その時期がやってくるのはもう少し先だということ。
「ともかく、人の心配より自分たちのことを考えなよ」
まずは目先の問題、と二人に釘を刺してから部屋を出る。
障子を閉めてから、背を預けるようにして溜息を一つ。
「浅水」
「ヒノエ」
そんなとき、こちらへと向かってくる彼を視界に捉えれば、浮かぶ感情は罪悪感。
何も言わないが、きっと彼だって弁慶と同じことを思っているに違いない。
内心でヒノエに謝りながら、普段と変わらぬ態度をとる。
「どうかしたのか?」
「何でもないよ」
自分たちのことは後からだ。
二人の今後を左右する問題をどうにかする方が先。
浅水はヒノエの腕を取り、その場から離れることにした。
部屋に残された那由多と弁慶は、お互い向き合ったまま、何一つ言葉を交わさない。
どうにも居心地の悪さを感じる。
「……ふぅ」
弁慶が溜息を一つ吐くたびに、重くのしかかるのは、重圧。
「那由多」
名を呼ばれ、小さく肩が震える。
「君が胸に秘めていることを、僕に話してくれませんか?」
ね、と優しく言葉を掛けられれば、思わず口を開いてしまいたくなる。
いっそのこと、打ち明けてしまえば楽になれるのに。
それが出来ないのは、やはりどこかで拒絶されるのを恐れているからか。
「那由多」
再び名を呼ばれてしまえば、堪えきれずについて出る言葉。
「わかってるくせに言わせるなんて、本当に嫌な人ね」
「君の口から聞きたいんですよ」
そう言う彼の顔が、どこか嬉しそうに見えるのは自分の気のせいだろうか。
那由多は渋々と重い口を開いた。
「……あのね」
さっさと言っちゃえばいいのに2008.2.27