星の蝶 | ナノ
 



季節は夏。


怨霊となった身には暑さも寒さも関係ない。
渡殿を歩いていれば、庭の方から聞こえてくる少し高い声。
子供と言えば、すぐに思い浮かべるのは帝だが、少し前から平家は一人の少女を迎えていた。



有川若菜。



三草での戦の際、平家の邸に侵入者として現れた少女。
戦場より戻ってみれば、知盛がその少女を抱えて出迎えた。
どうやら、有川将臣の妹であると判明したのは、そのすぐ後。
元々、将臣にいい感情を抱いていない惟盛にとって、そんなことはどうでも良かった。


「全く、軍議を開かないのなら、私は部屋へ戻ります」


そう言って、その場から立ち去るようにして出て行ったのは、既に過去のこと。
それからしばらくして、清盛の口から娘として若菜を平家へ迎え入れると言われたのだ。


「あ、あの……お世話に、なります」


そう言って、小さく頭を下げた少女。
集められた人の前で、これから一族になると紹介される。
その姿は、数年前から平家に厄介になっている男とは、似ても似つかないほどに華奢で儚く見えた。





聞こえてきた声を頼りに、庭の方へと足を向ける。

夏特有の、うだるような暑さは怨霊の身には感じられないが、日差しの強さに思わず目を細めた。

まだ太陽は中天へと達していない。
日陰に入っていても直、眩い陽光。

これほど日差しが強くては、直接陽の光に晒されている人間はどれほどの眩しさを感じているのだろうか。
歩を進めるにつれ、耳に届く声が大きくなっていく。
始めは帝の声かとも思ったが、それに比べるともう少し高い。


そこで思い出したのが若菜の存在。



(子供という物は、どこでも無邪気な物ですね)



今は戦の最中だというのに、それすらも判らないのか。
何とはなしにそんなことを思いながら、歩き続ければ、ようやく庭に若菜の姿を見付けることが出来た。


けれど、その姿は惟盛に取って考えられない物だった。


「あっ、有川若菜!貴女は何という格好をしているのですかっ!」
「へ?」


突然名前を呼ばれた若菜は、思わず声を上げてキョロキョロと辺りを見回した。

将臣と清盛によって着物を用意されていたはずの若菜だが、今の彼女の格好は単衣のみ。
女人がそんな格好で表に出るなど、恥ずかしくて出来ないというのに。
しかも、その単衣すら、両袖をたすきがけにしている上に、膝の上まで捲られている。
素肌を外気に晒している本人は涼しくていいのだろうが、それは褒められた行為ではない。


「惟盛、殿。私の格好がどうかしましたか?」


ことり、と首を傾げながら近寄ってくる少女に、惟盛は眉を顰めた。

あの馬鹿兄は妹に一体何を教えているのか。
それとも、兄が兄だけに妹もそうなのか。
だとしたら、平家は更に厄介なことを抱え込んだことになる。


そして、自分の呼び方。


なぜだか彼女は、自分に対してだけ他の人とは違う敬称で自分を呼ぶ。
別段、それについて言及したことはない。
けれど、必ず名前で一度区切られるのは、妙に気になってしょうがない。


「どうかしましたか?じゃないでしょうっ。年頃の娘が、そんなあられもない格好をして……貴女は恥ずかしいとは思わないのですかっ!」
「え……と」


激高する惟盛を前に、若菜は思わず押し黙る。


現代において、今の自分の格好は浴衣と変わらない。
だから別段、恥ずかしいとも思わないのだが、目の前にいる惟盛にとって、この姿は自分のような年の女がする物ではないと言う。

だが、夏のこの時期。
エアコンや扇風機といった電化製品がないこの世界で、暑さを緩和させる最も手っ取り早い方法が薄着だと将臣が言っていた。
扇で仰いでも、生暖かい風を循環させているだけの事実に、若菜も将臣の言葉に早々に同意したのだ。


「あぁっ、何て嘆かわしい!大体、初めて会ったときもそうです。訳のわからない着物を身に纏って、それすらも素肌を酷く露出していたではありませんか!」
「はぁ……」


惟盛が言っているのは、若菜が初めてこの世界に飛ばされたときの格好のことだ。

現代から飛ばされた若菜は、こちらの世界に辿り着いたときもその姿のまま。
素肌を酷く露出していた、というのはスカートのことだろう。
この時代、スカートという物はなかったはずだ。

まるでヒステリックな女性のような惟盛の言葉を、若菜は右から左へと聞き流す。
こういう説教じみたことは、一つ上の兄である譲で経験済みだ。
一々反応していては、いつまで経っても終わらない。


「いいですか。曲がりなりにも一門の一人となったのですから、貴女にもそれに相応しい姿でいてもらいますっ」
「こ、惟盛、殿……?」
「口答えは許しませんっ!それに、何ですかその呼び方はっ」


いつになく熱い様子の惟盛にギョッとして、思わず口を挟もうとしたが、たたみかけるように言われてしまえばそれ以上の言葉が出ない。


「よ、呼び方ですか?」
「そうです。いつもいつも、人を中途半端に呼んで……敬称をつけるならつけるで、はっきりなさい!」


若菜が惟盛を呼ぶときに一度区切ってしまうのには訳がある。

経正や知盛は、あの通りの人物なので自然と呼び方も決まった。
けれど、惟盛だけはあの二人とは違うと本能が察知したのだ。

それに彼はどうやら兄の将臣を酷く毛嫌いしている。
その理由はわからないが、下手に呼ぶのは兄の立場を更に悪くしそうだと判断してしまったのだ。


「じゃ、じゃあ『惟盛さん』でもいいですか?」
「…………仕方ありませんね。今はそれで許してあげましょう」


ふい、と顔を背けたその横顔に、どこか朱が差したように見えた。
そのことに、若菜の頬が緩む。
だが、その表情を目に留めた惟盛の顔が、更に顰められる。


「ですが、それとこれとは話が別です。こちらに来なさい!まずは正しい服装から教えて差し上げますっ」


そう言って、若菜の側へとやってくると、惟盛は彼女の手首を掴んでぐいぐいと引っ張っていく。


「ちょっ、惟盛さんっ!まさか、本気でっ?!」
「誰が嘘をつくというのですか。貴女にはしっかりとした教育が必要なようですからね。さぁ、行きますよっ」
「えっ、いやっ、ちょっと待って下さいっ!」
「時間は待ってはくれませんよ。一刻も早く、貴女には一門に相応しい女性になってもらいます」


いくら女性のような容姿だとはいえ、やはり男。
惟盛の力に華奢な若菜が叶うはずもない。
最終的には諦めたように、ずるずると惟盛に引きずられていく。


「その歩き方は何ですか!しゃんとなさいっ」
「いや、でもですね……」
「でも、もヘチマもありませんっ!」
「……はぁ」


若菜はがっくりと肩を下ろし、惟盛に引きずられるまま座敷へと連れて行かれることとなる。

それから日が暮れるまで、若菜は惟盛によって、作法のいろはを嫌と言うほど叩き込まれた。










「良いのですか?惟盛殿を止めなくて」
「止めたって聞くような奴じゃねぇだろ。それに、惟盛も若菜には俺みたいな態度は取らねぇよ」


座敷へと消えていった二人を見送るような形で、柱の影から将臣と経正が言葉を交わす。


実は二人のやり取りは始めから見ていた。
けれど、間に入らなかったのは、ひとえに惟盛の矜持を傷つけないため。
それに将臣が仲介に入ったら最後、惟盛は気分を害するだろう。


清盛が彼の父である重盛と自分を間違えているせいで。


「幸いなことは、知盛殿と手合わせをしてるときじゃなかった、ということですね」
「……フン。それはそれで、一興」
「バッカ。それこそ惟盛からの風当たりが強くなるだろうが」
「さて、な……」


二人のやり取りを聞きながら、経正は小さく苦笑した。


誰からも愛される少女。


怨霊として蘇った惟盛は、生前とは全くと言っていいほど変わってしまった。
けれど、彼女ならそんな惟盛に何かしら変化をもたらしてくれる。
そう思わずにはいられない。







梅との華






 
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