ヒノエの受難 | ナノ
 




ヒノエの姿が小さくなってから、少しだけ時間は流れて。
朝餉の準備をしていた朔を望美が捕まえると、事細かに自分がその目にしたことを対である彼女に教えていた。

多少、興奮気味に。


「もうね、ヒノエくんってばどこもかしこも小さくなっちゃってて、可愛かったのーっ!!
「まぁ、そうだったの。それは……私も見てみたかったわ」


語尾にハートマークがつくんじゃなかろうかと思われるほどの、望美の興奮具合。
そんな彼女の様子を見て、笑顔で同意してみせる朔の表情も、嬉々としていたのは見間違いじゃないだろう。


「……のぞみ……っ」


そんな二人の姿を見たヒノエは、ガクリと泣き崩れたという。










〜 それから 〜











あり合わせの着物でヒノエの身支度を済ませれば、弁慶はヒノエを連れて朝餉の仕度がされている部屋へと向かった。
自分の隣を歩く小さな物体。
ちまちまと動くその様は必死で、揺れる頭が重いのか、中々歩きにくそうでもある。
そして自分が一歩踏み出せば、そこにヒノエがやってくるまで三歩はかかる。
一々ヒノエを待っていては、部屋に辿り着くまでに夕方になってしまうのではないだろうか。
そう思った弁慶は、自分の隣りにようやく辿り着いたヒノエの首根っこを、猫でも掴むかのようにむんずと引っ張り上げた。
それに驚いたのはヒノエである。

突然高くなった視界。
そして、首筋に走る妙な痛み──弁慶が掴んでいるせいなのだが──。


「ちょっ、なにすんだよ!」


突然の出来事に、ジタバタと身体を動かして抵抗を試みるも、効果は全くない。
それどころか、弁慶はヒノエの顔が自分の方を向くようにと手を動かした。


「このまま落としてもいいですか?」


ニッコリと満面の笑みで問われ、一瞬ヒノエの顔が強張る。
恐る恐る床を見れば、小さくなっているせいか、かなり距離があるように見える。
落とされた位で怪我をすることはなさそうだが、痛い思いをするのは自分自身だ。
フルフルと首を横に振って必死に訴えれば、わかればいいんです、と弁慶はそのまま歩き始めた。





部屋へ向かうにつれ、楽しげな声が耳に届く。
朝からこれほど元気のいい声は、望美以外にないだろう。
別段、会話の内容を気にするでもなく歩を進めれば、やがて耳に届いた言葉にヒノエの表情がピシリと凍ったのを弁慶は見た。


「だって、あそこまで小さくなるなんて思わないじゃない!」
「望美、そんなことを言ってはヒノエ殿が可哀相よ」


一体何の話をしているのか。
少なくとも、自分にとっていいことではあるまい。
そう考えたヒノエは、直ぐさま部屋に戻りたい気分になった。
けれど、今自分を持っているのは弁慶で。
抵抗しても、適いそうになかったことは既に実証済みだ。



そして、弁慶がそんな話を耳にして、悪ノリしないはずがない。



ヒノエは自分の不憫さを呪った。
だが、意外にも弁慶はヒノエが思っているようなことはせず、そのまま静かに部屋へと入っていく。


「随分賑やかですね」
「あら、弁慶殿。お早うございます」
「べ、弁慶さん……」


部屋に現れた弁慶の背後から、望美は何か黒いオーラを感じ取ったらしい。
その顔はどこか青ざめているように見える。


「朔殿、浅水さんを知りませんか?」
「そういえばまだ見ていないわね」


弁慶が浅水の姿を尋ねれば、未だ姿を見ていないという返事が返ってくる。
この時間にまだ寝ているとは考えにくい。
となると、今頃顔でも洗っているのか。
もう少しすれば、部屋に現れるだろうと推測する。
チラリと視線を自分の持つ小さい物体に移せば、何やらしょげているらしく、小さい身体が更に小さく見える。
それほどまでに、望美に言われた言葉が衝撃的だったのか。


「あれ、ヒノエがまだなんて珍しいね」


そんなとき、部屋に響いた声にヒノエがハッと顔を上げる。
その表情は何か期待に満ちているような気がして、弁慶は少々気分が悪くなった。


「浅水さん」
「ん?何、弁慶」


自分の方に近付いてくる弁慶を、その場で待てば、目の前に立ったときに「はい」と何かを差し出される。
それなりに大きさのあるそれは、ぬいぐるみと言ってしまうには少々大きすぎる。
思わず手を差し出して受け取れば、それからは確かに体温を感じることが出来た。


一体何、と目の前まで受け取った物を持ち上げれば、朱いふわふわとした髪にくりくりとした瞳が強烈的。


どこかで見たことのある顔に、ヒクリと頬が引きつった。





「弁慶、隠し子なら自分で認知して自分で育ててよね」
「どこをどう見たら、コレが僕の子供に見えるんですか?」





真顔で言えば、先程望美に見せた物よりも更に黒いオーラを身に纏い、弁慶は浅水に対して真っ黒な笑顔を向けた。
しかし、浅水も弁慶に負けず劣らずな笑顔を浮かべているため、二人の間に挟まれているヒノエは堪った物じゃない。


「あ、ヒノエくん泣いちゃった」
「望美、見てはいけないわ」


ほろほろと、声も上げずに涙を流し始めたヒノエを、望美が指差す。
けれど、朔が望美の視界を塞ぐように手で覆い、部屋から連れ出したせいで、ヒノエを助け出せる人物は確実にこの部屋からいなくなる。


望美と朔が部屋からいなくなったのを見て、浅水は小さく溜息をついた。
自分の腕の中にいる人物が、弁慶の子供でないことは一目瞭然だ。
それに、声もなく泣いている子供を──中身は例え元服済みのヒノエだとしても──そのままにしておくのはさすがに忍びない。
抱き直して子供をあやすように背中を軽く叩きながら、浅水は改めて弁慶を見た。


「弁慶、ヒノエに何やったわけ?こんな姿にするなんて」


必死にヒノエを宥める浅水を見ながら、弁慶は顎に手を当てて小さく唸った。


「おかしいですね。身体は小さくなっても、幼児退行までするような薬じゃないはずですが……」
「一体何がしたかったのよ」


さらりと呟かれた言葉に、多少の怒りを感じても問題はないだろう。
彼が昔から、主にヒノエを使って新薬の実験をしたりしていたことは知っている。
知ってはいるが、さすがに姿が変わるような物は今までなかった。
それだけに、今回のことはヒノエに同情する。


「こいつ、きのうのかぜぐすりに、なにかまぜたんだ」


たどたどしい言葉で説明するヒノエに、思わず頬が緩みそうになる。
普段聞いている声よりも多少高い、子供特有の声。
幼児退行までしない、と言っていたから、中身は十七歳のヒノエのままなのだろう。
だが、外見だけを見てしまえば、そうは思えない。


「とりあえず、解毒剤ちょうだい。あるんでしょ?」


まずはヒノエの姿を戻すのが先、と片手にヒノエを抱いた状態で空いた片手を差し出す。
けれど弁慶はゆるゆると首を横に振った。
その姿を見て、まさか、と嫌な予感が冷や汗となって背中を流れる。


「浅水さん……
いつだって あると思うな 解毒剤」


その言葉に、浅水は頭痛を覚えた。
まさか、とは思っていたが、本当にそうだったとは。










「……っ、べんけぇーっ!」










その日、梶原邸に幼い子供の声が響いたという。





2008.6.15


 
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