重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


弁慶との会談から数日後。
浅水が熊野を出発する日は、奇しくもヒノエが航海に出る日に決まった。
荷物は既にまとめ終わり、いつでも出られる状態になっている。
後は、当日に細々した物を持てば完璧だ。
本来ならば、それなりに荷物を持っていくのだろうが、今回浅水が用意したのは僅かな物。
しかも、そのほとんどは熊野別当の奥方というよりは、翅羽としていたときの動きやすい物ばかり。
別当の奥方が熊野を出たと言う噂は、ヒノエが航海に出た後に流すらしい。
ヒノエがいない時を見計らって家を出るなど、別当家に取って汚点になりそうな物だが、それを考えたのはよりによってヒノエと弁慶だ。


「全く、信じられないわ。わざわざ熊野にとって良くない方を選ぶなんて」
「やるからには徹底的に、っていうだろ。安心しなよ、全部終わったらちゃんと迎えに行くから」
「ん……」


翌日の仕度をしている浅水の唇に自分のそれを重ねながら、ヒノエが直ぐ隣に座る。


「逆鱗も持っていくのか?」
「ああ、これ?何となくね」


いつもはしまってある逆鱗が出ているのを見付け、ヒノエはそれを手に取った。
キラリと光るその逆鱗は、望美からの餞別品。
自分が浮気したらこれを使って戻ってこいと言った神子姫の言葉は、きっと冗談ではなく本気だったのだろう。


だが、ようやく手に入れた天乙女。
一体誰が手放すというのだろう。
本当なら手元に置いて、一時だって離したくない。
今回のようなことがなければ、ずっと熊野に置いておくというのに。


「そもそも、弁慶に頼まなきゃいけないってのが気に入らねぇ」


梶原邸に浅水を送り届ける役が弁慶というのも、ヒノエの機嫌が悪くなる一つである。
いい加減素直になれないのは、すでに年月がたっているせいだろう。


「いい加減機嫌直しなさいって。それに、浅葉も一緒なんだから」


今回の京行きについて、浅水は条件を一つ付けた。
それは自分付きの烏である浅葉も同行させること。
初めからそのつもりだったヒノエは、浅水の言葉に一も二もなく頷いた。
浅水の実力は知っていても、流石に一人で熊野から出させるわけにも行かない。


「あ、そのことだけど、浅葉の他にもう一人付けるから」
「もう一人?」
「そ、連絡役も必要だからね」


思わぬ言葉に思わず浅水の顔が訝しそうに顰められる。
確かに連絡を考えると、烏一人では足りない。
しかも、近場ならまだしも京と熊野という距離だ。
間にまだ烏を入れるとしても、最低二人は必要か。


「ま、それくらいは妥協しましょ」
「本当なら、もっと付けたいところなんだけどね」
「冗談でしょ」


下手に目付役を付けられては、熊野に帰ったときが怖い。
いや、それよりもヒノエは「迎えに行く」と言った。
これは誰かを迎えによこすのではなく、ヒノエ自身がやってくるという意味ではないだろうか。
それを考えると、何かをした場合、熊野への道中が説教という可能性も拭えなくなる。
一気に冷や汗が流れる感触。


「……大人しくしてるべきかしら」


思わず本音が零れ出た。
ヒノエのことだから、きっと連絡は何日おきかに入れさせるはずだ。
積もりに積もった説教ほど、怖い物はない。


「浅水、終わったのか?」
「うん、後は明日かな」


すっかり手が止まった浅水に、ヒノエが声を掛ける。
隣にいるヒノエに身体を預ければ、そのまま肩を抱かれた。
これまではヒノエが航海に出ていても、熊野で彼の帰り待っていた。

けれど、明日からは違う。
見知らぬ土地、とは言わない。
むしろ戦友がいる土地だ。
決して心細い等ということはないだろう。
それに、自分がそこまで可愛いキャラだとも思わない。
今までの経験を考えれば、それは些細なこと。

ヒノエが迎えに来るまで熊野には帰れない。
そのことが、妙に寂しく思えてしまう。


「直ぐに迎えに行ってやるから、少しだけ待ってな」
「あんまり遅いと、逆鱗使って現代に帰るんだからね?」
「おいおい、それは流石のオレでも迎えに行けないんだけど」


冗談めかして言えば、眉をしかめるヒノエが見れた。
もちろん、そんなことをするつもりはない。
けれど、少しくらい脅していれば彼は早く自分を迎えに来てくれるだろう。


「浅水」
「うん」


名前を呼ばれただけ。
それだけで、何を求められているか分かる。
更に、今日は特別だ。

寝具まで行けば、ヒノエが燭台の明かりを吹き消す。
たったそれだけで、室内に暗闇が訪れた。

少し遅れて寝具に入り込んできたヒノエに、浅水はピタリと身体を寄せた。
鼻腔を掠めるヒノエの香の匂い。
明日になればお互いに旅立つことになるから、この腕ともしばしの別れとなる。





触れてくるこの体温も、



与えられる快感も、



忘れることがないように深く、深く身体に刻み付けて。





「さすがに、明日動けなくなったら困るだろ?」


髪を撫でながら顔中にキスをするヒノエは、明日の出発に支障がないようにと気を遣ってくれているらしい。
永久の別れではないけれど、きっと熊野へ戻ってくるには暫く時間がかかる。
それは予感。

未来が見えずとも、良くない予感ほど当たる物はない。


「いい、から……お願っぁ……っんぅ……」
「そんなに煽られたら、オレも止められないぜ?」
「あっ……ヒ、ノエッ……」


一度ついた情熱は、そう簡単に消えることはない。
それが、別れの前夜なら尚更。
熱く、激しい想いをお互いにぶつけ合って。
意識を失うように眠りに落ちたのは、空が白み始めた頃。


「愛してる」


そう言って、寝ている浅水にキスを落とすと、ヒノエは部屋から出て行った。

浅水が起きたのはそれから少ししてからのこと。
隣にあった温もりが失われているのを知り、少しだけ寂しさを覚える。





これからどれだけの夜を一人で過ごすことになるのだろう。















弁慶と湛快も一緒に朝餉を取り、少しゆっくりしてから浅水はいよいよ出発の準備を始めた。
今回は徒歩ではなく馬を使って京へ向かうので、大きな荷物は馬に乗せてしまう。
動きやすい着物に着替え、望美と同じように逆鱗を首に掛ける。
袷の中に逆鱗を入れて、唯一の武器である小太刀を腰にはく。
たった三年だというのに、懐かしい感じがするのは何故だろうか。


「浅水さん、仕度は出来ましたか?」
「あぁ、ちょっと待って」


背に流している髪を首の後ろで一つにまとめ、弁慶と同じように結ぶ。
そうして全ての仕度を終わらせると、浅水は弁慶の元へと急いだ。
弁慶の方は既に終わっているらしく、湛快と雑談をしている。


「お待たせ」
「いえ、大丈夫です」


やって来た浅水に声を掛けた物の、そのまま弁慶の動作が止まる。
一体どうかしたのかと首を傾げていれば、次の言葉に思わず自分の姿を見下ろした。


「……その姿だと、三年前とあまり変わりませんね」


確かに、着ている着物は三年前の物と大差ない。
それは動きやすさを重視しているのと、自分が別当の妻だと分かり難くするためだ。
そして腰にはいている小太刀も四神の力の媒体として使っていたそれだ。

こちらの世界に戻ってきてから、てっきり四神の力も白龍と同じようにあるべき場所へ戻ったのだと思っていた。
けれど、何故かは分からないが、小太刀はそのまま。
時折神気を感じるそれは、浅水が未だに四神の加護を受けている証でもある。


「その言葉、私が成長していないって言ってるように感じるんだけど」
「そんなことはありませんよ。君も充分変わったでしょう?」
「そうね。そういう意味なら受け取ってあげる」


相変わらず口が上手い。
口先で相手を丸め込むのは、すでに弁慶の一部となっているのだろう。
それに太刀打ちするほど馬鹿ではない。
熊野は勝ち目のない戦に手を出さない。
それと同じように、浅水も勝ち目のない口論を始めようとは思わなかった。


「じゃあ、湛快さん。後はお願いしますね」
「おう、こっちのことは心配するな。なぁに、あの息子も何年も待たせることはないだろうよ」
「頼りにしてます」


ヒノエが航海に、浅水が京に旅立つと、必然的に熊野をまとめる要がなくなる。
そこで別当代理として駆り出されたのが湛快だ。
元々、隠居するにはまだ早いと言われたくらいだ。
まだまだ若い者には負けないだろう。
それに、三年前の戦の時、ヒノエと浅水が熊野を留守にしていたときにも、熊野を預かっていたのだ。
湛快の力は、ヒノエが誰よりもよく知っている。


「では、そろそろ行きましょうか」
「わかった」


弁慶に促され表に出る。
そこには既に二人の馬が出発を待っていた。


馬上に乗り、手綱を握りながら軽く馬を撫でてやる。
暫くは自分の足代わりとなる相棒でもある。


「それじゃ、行ってきます」
「あぁ、気を付けてな」


そう言うと、浅水と弁慶は熊野を出発した。

まさか今回のような理由で熊野を離れる日が来るとは思ってもいなかった。
必ず戻ってくると分かっているが、心のどこかにある不安が未だ残っている。
そういえば、ヒノエに用心するように伝えておくのを忘れていた。
その事実に小さく舌打ちする。



あやふやな夢は、既に過ぎ去った過去の姿で現れる。
今とは違うその姿に、あの夢が杞憂であることを願うばかり。
けれど、夢が現実になるときは、自分もヒノエの側にいるとき。

今暫くは、あの夢が現実になることはないだろう。
けれど。


「ねぇ、弁慶」
「どうかしましたか?」


邸を出てからというもの、何かを思案していたはずの浅水に呼ばれ、思わず顔を向ける。
何か忘れ物でもあったのか。
だが、それは烏に言えばまだ持ってこれる範囲だろう。


「少し、海を見ていきたいんだけどいいかな」
「海、ですか?」


航海に行ったヒノエを案じているのか。
それとも、それ以外に何か思うことがあるのか。

別段急ぐ度でもないので弁慶は返事二つで返した。
けれど、好奇心は抑えられる物ではない。
海を見に行った後に、その理由を聞いても構わないだろう。





二人が向かった先は三段壁だった。
馬に乗ったまま暫く海を眺めていれば、それで気が済んだのか浅水は先を促した。


「そう言えば、海に何かあったんですか?」


暫く進んでから出された弁慶の問いかけ。
それに浅水は曖昧に笑った。
別段深い理由はない。
ただ、あの夢が現実にならなければいいと思いながら、ヒノエの航海の無事を思っただけだ。
だが、言葉を濁しては何かありますと教えているような物でもある。
その相手が弁慶では、どう誤魔化しても必ず聞き出されてしまうだろう。
それならば最初から当たり障りがないように話した方が無難だ。


「ヒノエの航海の無事を願って、ね」
「航海の無事、ですか……」


そう言いながらも、弁慶の中ではどこか引っかかりを覚えたらしい。
それもそうだろう。
ヒノエが航海に出るのは良くあることだ。
そして、邸で帰りを待っているのも、良くあること。
いつだって無事に航海が終わるわけではない。
時には命に関わるときもある。

浅水はそれを身をもって知っているからこそ、いつだって航海の無事を願っている。


「……そういうことに、しておきましょうか」


帰ってきた弁慶の言葉に何か含みを感じて、思わず冷たい汗が流れた。
ヒノエから何か言われたのだろうか。

会談のとき、少なからずも自分が広間へ行くまでに三人で会話は出来たはずだ。
短い時間ではあるが、話すだけなら充分な時間。
かといって、ここで弁慶から聞き出そうにも、逆に問い詰められそうで怖い。
それを回避する方法は一つ。

話題に触れないこと。

それ以外に思い付かなかった。


「弁慶、京につくまでみんなの様子を話してくれない?朔から文はもらってるけど、詳しくはわからないから」
「えぇ、構いませんよ。では、僕に熊野でのことを話してもらえますか?」
「いいわ。弁慶の場合、熊野でのっていうより、ヒノエについてのような気もするけど」


京までの道中、退屈することはなさそうだと浅水はそんなことを考えた。










夢と航海と旅立ちと 










熊野編終了っ!
2009.1.24
 
  

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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