重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


言葉を告げるために口を開いたはずなのに、どうしてだかその言葉が出てこない。
そんな様子に、ヒノエだけではなく、湛快も眉を顰めた。
ヒノエはそんなに早く返事が聞きたいのか、ぶつけてくる視線が酷く鋭い。
ピリピリとした空気は、まるで彼の思考をそのまま現しているかのようだ。
弁慶は開いた口を閉じ、その口でやんわりと弧を描いた。
彼が笑顔を向けるときは機嫌が悪いときか、何かを策略しているとき。
げ、と小さい声を上げたのは果たしてどちらの物だったか。


「随分と、」


ようやく弁慶の口から言葉が紡がれたと思ったら、それはヒノエの望んでいた物ではなかった。


「随分と性急ですね。そんなにこれは、浅水さんには聞かせたくない話なんですか?」
「っ」


僅かながら、ヒノエが息を呑むのがわかった。
こちらとしては、カマをかけてみただけなのだが、どうやら図星らしい。

そう、自分が熊野を訪れることは浅水にも文で伝えてある。
にもかかわらず、この場に彼女の姿はない。
刻限を指定したということは、その間に済ませてしまいたいことがあるから。
済ませてしまいたいことが何かは、先程のヒノエの言葉から理解できる。


「彼女には何も言ってないんですか?」


たたみかけるように言及すれば、ヒノエの表情が変化した様に見える。けれど、瞬きする間にまた普段通りに戻ってしまうのだから、その点はさすが、というところか。

──もちろんそれは、湛快や周囲の並々ならぬ教育もあったからだろうが──

つい、と弁慶の視線から逃れるように顔を背ければ、それは無言で肯定してしまったも同然。
そこまで頭が回らないほど、事態は急を要しているのだろうか。
チラリと視線だけで湛快を見るが、この件に関しては彼も関与していないのだろう。
顎に手を当てて、訝しげに息子を見ている。
これでは、湛快に話を聞くことも無理そうだ。





ヒノエから弁慶に届いた文。
その内容は、浅水を暫く梶原邸で預かってもらえるように、便宜を図ってもらえないかという物だった。
どうしてヒノエが突然そんなことを言い始めたのか、弁慶にはもちろんわかるはずもなく。
とりあえず熊野へ帰郷する前に、景時に相談してそれについての回答ももらってある。
湛快から、ヒノエに側室をという声が上がっているということも、以前聞いていた。
事実、彼が側室を持たないであろうことは想像に難くなかったが、今でもその話が上がっているとなると考えも変わってくる。
未だ二人の間に子の一人もいないとわかれば、その理由も安易に想像できた。


けれど、どうしてヒノエが浅水を熊野から遠ざけるのかがわからない。


側室を持たないと宣言しているのなら、逆に浅水は熊野に置いておくべきなのだ。
それを、自ら手放すなど、普通では考えられない。
となると、浅水に知られたくないことが熊野で起きているのだろうか。
だとすればこの場に彼女がいないことも、ヒノエが秘密裏に物事を進めようとしていることにも理解できる。
とはいえ、自分にまで内密にされるというのが、弁慶は面白くなかった。
協力を求めておきながら、詳しい話を何一つ聞かせてもらえないのでは、割に合わない。
そんなに話したくないのであれば、ヒノエ自身から話すように仕向けるしかない。

自分と──浅水に。

彼には悪いが、感情を表に出さないことにかけては、自分の方が長けている。
笑顔で対応するのは、相手に感情を悟られないようにするため。
今思えば、弁慶にとっての処世術でもあった。


「……浅水には、話すさ」


ややあって、重い口を開いたのはヒノエの方だった。
どこかぎこちないその口調に、彼の中の葛藤が垣間見えたような気がした。


「なら、その話とやらを聞かせてもらいましょうか」


けれど、弁慶にヒノエの内心が読めるはずもない。
想像することは可能だが、それはあくまで自分の想像でしかない。
真意を知るのは、ヒノエ自身。
だからこそ、その真意を全て話してもらおうと思った。

肝心なことをはぐらかすのは、その血が為せる業か。
けれど、一滴でも同じ藤原の血が流れている以上、それに引っかかるほど間抜けではない。
ましてや、自分より八つも年下の甥に。

そして、ヒノエの真意を聞くのは自分だけではない。

当事者は、もう一人。










「ねぇ、浅水さん」










そう言って、弁慶は自分の後ろの障子を開けた。
そこに立っているのは、ざるを持った姿の浅水。
その中にあるのはさつまいもだろうか。
湯気を上げている様子が見て取れた。


「浅水……いつから?」
「あら、いつから熊野別当は人の気配に疎くなったのかしら。それとも、私がいたことに気付かないほど、動揺していたの?」


それをヒノエが聞くのか、と言わんばかりの口ぶり。
スッと室内に入れば、両手が塞がっているため、弁慶が障子を閉める。
それに一言礼を言ってから浅水はにこりと微笑んだ。


「まさか今日の客人が弁慶とは思わなかったわ。久し振りね」
「おや、僕が来ることは伝えていたはずですが……知らなかったんですか?」
「弁慶が来るのは知っていたけれど、今日の客人については何一つ聞いてないの」


言葉のそこかしこにヒノエに対する棘が感じられる。
これではヒノエも言い出し難いだろう、と思わず苦笑を浮かべてしまう。
そんなヒノエの方はと言えば、いかにも不機嫌全開だ。


「そうそう、焼き芋持ってきたの。みんなで食べよ」
「焼き芋、ですか」
「ほぅ、こいつぁ誰かに作らせたのかい?」


浅水の持ってきた芋を手にしながら、一息つくかと言ったのは湛快だ。
どうやら、これまで雰囲気に多少うんざりしていたらしい。
それもそうかと、弁慶は小さく息をついた。
冷めてしまった茶を浅水が煎れ直していれば、ヒノエが手を伸ばしていないことに気が付いた。
いつもなら直ぐに手を出すのに、今日はそれをしていない。
少し言い過ぎたか、と浅水と弁慶が揃って思ったときである。


「浅水」


ぐい、と勢いよく腕を取られヒノエの方へと倒れ込む。
手に湯飲みを持っていなくて良かった、と思う反面、突然こんなことをするヒノエがわからない。


「ちょ、ヒノエ」
「今度はどこの姫君だい?」


抗議の声を上げようとすれば、それを遮るようなヒノエの言葉。
主語はなくとも、彼が何のことを言っているのか心当たりがありすぎる浅水は、思わず身体を硬くした。
それに反応したのは、浅水以外では湛快。
弁慶は何のことかサッパリで、首を傾げるしかない。


「……いつから」
「気付いてたかって?」


素直に頷く。
まさかヒノエに悟られていたとは露程も思わなかった。
文については勘付いていたかもしれないが、ヒノエが言っているのはそのことではない。
呪詛を消したことを言っているのだ。


「流石にオレもそこまで鈍くないからね。前にお前が同じことをして見つかったことがあったろ」


それを聞いて、今度は浅水の眉間に皺が寄る。
以前古参の者に見付かったのは、今から数ヶ月前のこと。
既に知っているのなら、わざわざ隠す必要はなかったのにと、漏らしてしまう。


「お前が隠したいことなら、オレが口を出す必要もないかと思っただけだよ」
「言ってくれればいいのに。隠してた自分がバカじゃないの」
「まさか今日やるとは思わなかったからね」
「仕方ないでしょ。今日届いた文が『そう』だったんだから」


目の前で進んでいく会話についていけない弁慶は、一体どういうことかと視線だけで湛快に説明を求めた。
何も言わないから湛快も知らない、と言うわけではなさそうだ。
現に、浅水とヒノエの会話を聞いて、難しい表情をしている。


「これが、それ以外の理由さ」
「それ以外の理由……?」


端的に言われてしまえば、それを反芻して理解するしかない。
そういえば、この部屋に入る前にもそんな話をしていたような気がする。
結局、話を聞く前にヒノエと再会したせいで、その話自体が流れてしまったが。
浅水が隠していることとヒノエが知っていること。
それの何が問題なのだろうか。


「そういえば、兄上に会う前に浅水さんの姿を見かけたんですが、それと何か関係が?」
「やだ、弁慶ってば見てたの?」


後ろ姿しか確認していないが、恐らくあれは浅水だったのだろう。
その証拠に、バツの悪そうな表情をしている彼女がこちらを向いている。


「後ろ姿しか見ていませんが、裏手の方へ急いでいませんでしたか?」


あの時見たままを伝えれば、浅水は両手を挙げて肩を竦めた。
まさか弁慶に見られているとは思わなかった。
もちろん、客人が弁慶だと知らなかったのだから、それは仕方ない。
視線だけでヒノエに了承を取れば、彼が小さく頷いたのを見た。


「出来ることなら、呪詛は早く消したいじゃない。だから急いでたのよ」
「呪詛、ですか。本宮で呪詛を掛けようだなんて、随分と舐められているんじゃありませんか?」


後半の言葉は明らかにヒノエに対する厭味に違いない。
結界で守られている本宮に、呪詛を持ち込むような不定の輩の侵入を許すとは。


「何か勘違いしてるみたいだけど、違うからな。呪詛は本宮で掛けられたわけじゃねぇ」


弁慶が何を言うか予想していたのか、不愉快そうにヒノエが口を開く。
本宮で掛けた物でないのなら、一体どこで、誰に?


「私だよ」
「はい?」


意味がわかりかねる。
彼女が呪詛を掛けた、と言うことはまずないだろう。
仮にも、熊野別当の正室であり、熊野を愛している一人でもあるというのに。


「私宛に呪詛が送られてきたから、それを祓う必要があったの」
「いっそのこと呪詛返しでもしてやればいいのに」
「バカ。そんな真似できるはずがないでしょう」
「たまにはわからせてやった方がいいと思うけどね」


呪詛返しは返された者に倍となってやってくる。
強い呪詛であればあるほど、返されたときの反動が恐ろしい。
ともすれば、命を落とすことにすらなりかねないからだ。
それを知っているからこそ、浅水は呪詛返しなどせずに祓ったり消したりする。
邸でやらないのは女房たちに見つかると面倒なことと、神気に包まれている本宮の方が集中しやすいから。
ヒノエがそれを知っていたとわかれば、隠す必要はどこにもない。


「なるほど。そういう理由でしたか」


理由さえ判れば、これまで謎だったことにも納得がいく。
ヒノエが浅水を熊野から離そうとしている理由は、少なくともこの呪詛が関係しているのだろう。
話を聞く限りでは、これが始めてではなく、既に何度か同じことを繰り返しているようだ。
今回はたまたまヒノエがいるときに文が届いたが、いつもはそうでもないらしい。
自分が不在の時に浅水に何かあっても、守ってやることは出来ない。
ならばいっそ、熊野を離れることになっても、旧知の仲である景時の邸で世話になっているほうが安心できる。
そういうことか。
京ならば景時だけではなく、弁慶も九郎も、リズヴァーンもいる。
ヒノエにとっては面白くないだろうが、何かあっても切り抜けられると思っての選択だろう。


「私にはよくわからないんだけど?」
「そうですか?君なら話さずとも理解すると思ったんですが」
「私はそこまで万能じゃないの。一で十がわかるほど、利口じゃないのよ」


つん、と顔を背ければ、誰かが吹き出すのを感じた。
弁慶じゃないのはわかる。
そして、視線の先にいるヒノエもそのままだ。
だとすれば、吹き出したのは湛快か。
この中で、ハッキリと幼い頃の自分の姿を覚えているのは彼だろう。今の自分の態度に、幼い頃とそれほど大差がないことを吹き出したのか。


「湛快さん」


窘めるように名を呼べば、笑みを浮かべたまま詫びを告げる。
湛快を義父と呼ぶことに未だに抵抗のある浅水は、それまでと同じように湛快を名前で呼んでいる。
それは湛快も同じようで、時と場合にも寄るが浅水のことは未だに嬢ちゃんのままだ。


「やっぱり姿が違ってても嬢ちゃんは嬢ちゃんだな」


当然だ。
姿が違えど、中身が変わらなければそれは同じ人物にしか過ぎない。


そう、中身が同じなら。


けれど、浅水は自分とそっくりな格好でありながら、全くの別人である少女を知っている。
彼女が一体何者なのかは、未だわからずじまい。
もしかしたら、と思う部分もあるが、それは単なる憶測でしかない上に、答えられる人もいない。
自分が彼女と会ったのは、夢の中であり、不思議な空間。
あの時のことは誰にも話していない。
浅水の胸の中に留めたまま。


「で、話が逸れたけど、返事は?」


いい加減、聞かせてもらうかと言わんばかりの態度と声。
ヒノエが何を思い、どういう意味であんなことを言ったのかを理解した今、自分が持ってきた返事を渡さないと言う理由にはならない。
話す前に浅水を見れば、未だ状況把握の出来ていない彼女だけが首を傾げている。
これを告げたら一体どんな態度になるのだろう。
ふとそんな考えが頭を過ぎったが、そこから先はヒノエの仕事であって、自分の仕事ではない。
そう考えると、随分と気が楽だった。










「喜んで、浅水さんを迎え入れるそうですよ」










弁慶のその言葉に、浅水が難色を示したのは言うまでもない。










胃薬と頭痛薬は必要ですか? 










中々進まない……orz
2009.1.10
 
  

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -