重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


本宮へ。
それだけを強く思っていた浅水は、気になっていたはずの来客のこともすっかりと抜けていた。
逸る気持ちは周囲に気を配ることすら忘れさせる。
本宮に辿り着けば、その場にいた門番に馬を頼んで直ぐさま駆け出す。


ヒノエが浅水を妻として熊野に戻ってきてから三年。


未だかつて、浅水のそんな姿を見たことがない門番は、思わず呆気にとられたという。
どこか鬼気迫るその表情は、声を掛けることさえ躊躇われたと。





馬から降りた浅水は、急いで本宮の一室に入った。
そこで今身につけている着物を、持ってきた着物に着替えるためである。
さすがに、今の姿の自分を知っているのは本宮では限られた者だけ。
これからしようとしていることを誰かに見咎められた場合、今の姿では非常に厄介だ。
けれど、ヒノエの妻としての姿でなら、既に何度かやっていることでもあるし、何を言われても今更だと返すことが出来る。

尤も、その行為ですら良く思われていないのは事実。

だが、背に腹は代えられない。
ここで邪魔をされるわけにはいかないのだ。


素早く着替え、髪を手櫛で整えてから部屋を出る。
草履を履いて外に出れば、本宮の裏手の方へと急いで向かう。
恐らく、浅葉はもう準備を始めているはずだ。


「急がないと」


走っていく自分の姿を見ていた人がいたのを、浅水は知らなかった。










走ること数分。
目的の場所に近付けば、そこに見える人影にホッと胸を撫で下ろす。
周囲に人はいない。
もちろん、わざわざ本宮の裏手にやってくる人などいないと見込んでこの場所を選んでいるのだ。
誰か他の人がいたら、それはそれで困る。


「浅葉、待たせたわね」


声を上げながら近付くのは、警戒されないための最初の行動。
もし声も上げず、気配も殺して近付こうものなら、烏である浅葉は自分の身を守るためにその刃を向けてくるだろう。


「いえ、準備はできています」


そう言った浅葉の足元を見れば、確かに。
先程頼んだ文箱と、これまでに保管を頼んでいた文の束。
そして、山になって集められている落ち葉と鍋。
鍋の中には石と芋が入っている。
もちろん、これも浅葉が用意した物だ。

浅葉が最初にこれを準備しろと言われたときは、一体何をするのかと訝しんだ。
落ち葉はまだしも、鍋の中に綺麗な石を入れて芋も入れろと言われたのだ。
しかも、その芋は必ずさつまいもでなければならない。
説明を受け、仕方なしに準備をした浅葉は、全てが終わった後にようやく浅水が何をしようとしていたのかを理解したのだった。
もちろん、鍋を準備しろと言われるのは秋だけ。
それ以外の時は、普通に文だけとなる。


「そう。なら始めましょうか」


そう言って、浅水は山になっている落ち葉の前に立ち、懐紙を浅葉に持たせ火打ち石で火を付ける。
乾燥された葉は燃えやすい。
けれど、直に火を付けるのはどうかと思い、必ず懐紙に火を付けてから落ち葉の中に火を落とす。
煙が上がり、落ち葉に火が付いたのを確認すると、今度は文の束に手を付ける。
浅水の元に届けられる文の多くは、貴族の姫君たちから。
熊野に嫁いできた当初に比べれば、その数もグッと減ったが、何かしらの悪意が込められている文は感じでわかるのだ。
それらを一箇所にまとめて保管しておき、溜まった頃にこうして本宮の片隅で処分する。
けれど、時折保管しておけない文という物もある。

今日のように、女房の体調を崩した文。
それは、強い呪詛が込められているせい。

幸いにも、熊野で神子として生活していた自分は、浄化するための祝詞も知っている。
わざわざ陰陽師を呼ぶまでもない。
それに、陰陽師を呼んだりしたら自分の身に何が起きているか、ヒノエに教えてしまうような物だ。


「掛け巻くも畏き隠月大神の御前に畏み曰く……」


祝詞を唱えているうちに、火が落ち葉全体に回り始める。
文に掛けられた呪詛が消えたのを確認してから、浅水は持っていた文を次々と火の中へ放り投げた。
火は、文を飲み込むようにあっという間に広がった。
それらを繰り返して、全ての文をくべるとほっと息をついた。


「浅葉、お願い」
「はい」


浅水が火の側から離れれば、浅葉は上手く木の枝などを使って鍋を火に掛けた。
これも、何度か経験するうちに身についた物である。
火にかかっている鍋の中には芋。
燃えさかっている落ち葉も、暫くすればその火種が消えるだろう。
その頃には、鍋の中の芋もいい感じに出来ているはずだ。


「ありがとう。後は私がやるわ」
「お一人でいる姿を見られたらまた……」


手を上げてみなまで言わせなけば、不満そうな浅葉の瞳が浅水を捉えた。
彼が何をいいたいのかは知っている。
以前も、今日のように呪詛を消したことがあった。
その際、ヒノエは本宮にいなかったが、逆にたまたまその場に現れた古参の一人に出くわしたのだ。
本宮の裏手で、誰にも見つからぬように火を焚いているなど何を考えていると、酷く罵っていたのを覚えている。
だからといって、素直に理由を話せるわけもなく。
浅水はただただ時間が流れるのだけを待っていた。
そのときも浅葉はすぐ側にいて、一部始終を見ていることしかできなかった。
本来なら、主であるヒノエにも報告しなければならないこと。
けれど、浅水がそれをさせなかった。


一々報告していてはきりがないと言って。


事実、その後も本来ならヒノエに報告しなければならないことは、多々起きている。
だがそのどれもが、浅水によって口止めをされていた。


「大丈夫よ。彼らはヒノエが本宮にいる間は何も言ってこないから」
「頭領がいる間は何も言ってこなくとも、いなくなればわからないのでは?」


浅葉の言葉に、小さく嘆息する。
始めのうちはそれこそ従ってくれていたのに、今では逆に口答えをする始末。
どうやら、ここにもヒノエの「教育」が根を張っているらしい。
それを考えると、大丈夫と言った自分を恨めしく思う。
それさえ言わなければ、素直にいつもの任務に戻っていただろうに。


「随分と賢くなっちゃって」
「何年あなた付きとして側にいると思ってるんですか。そこまで馬鹿じゃありません」
「わかったわよ。でも、それこそ烏が一緒にいられる姿を見られるのは喜ばしくないわ」


これ以上、良からぬ噂をたてられるのはごめんこうむる。
だからこそ、浅葉が側にいる姿を見られるのは困るのだ。


「わかりました。ですが、何かあったら……」
「わかってる。そのときは浅葉に頼むから」
「……わかりました」


渋々と納得すると、浅葉はその姿を消した。
否、気配は感じられるから、普段通りの任務に戻っただけの話か。
浅水は火の側から少し離れ、背もたれにちょうど良さそうな場所を探すと火が消えるまでその場に佇んでいた。















約半年ぶりの熊野は、いつもと変わらず。
勝手知ったる何とやらで、ヒノエの待つだろう広間へと歩を進める。
そんな弁慶の視界に入ったのは、一人の後ろ姿。
女房や巫女であったらなら気も留めなかっただろうが、その姿は自分もよく知っている人の物。
思わず足を止める。


「浅水さん……?」


あんなに慌ててどこへ行くのだろうか。
彼女が向かった方向には、何もなかったはずだ。
追いかけてみようか、そう思って止めた足を動かしたとき、誰かに肩を叩かれて勢いよく振り返った。


「何だぁ?そんなに強く叩いたか?」


その場に立っていたのは兄である湛快。
彼の姿を見て、思わず肩の力を抜いた。


「いえ、少し驚いただけです。それより、浅水さんは?」
「ヒノエが昼前に来いって言ったらしいから、そろそろ来るはずだが……どうかしたのか?」


湛快の言葉に、先程見た姿は別人だったのだろうかと思う。
それに、まだ本宮にいないのだとしたら、必然的に先程の人物は別人と言うことになる。
時間に遅れたことのない浅水だ。
自分が来るのを知っていて、どこかへ行くことは考えられない。


「いえ、何でもありません」


きっと今頃本宮へ向かっているのだと思い直し、弁慶は湛快と一緒に広間へと足を動かした。


「何か変わったことは?」
「……変わったこと、ね。相変わらずさ」


相変わらず。
その言葉に、全てが込められているのだろう。
それは熊野のことというよりも、ヒノエのこと。


「まだヒノエに側室を?」
「あぁ。爺さんたちにも困ったもんだが、肝心のあいつも首を振らねぇときた」


ヒノエに側室を持たせようという話が出てきたのは、今年に入ってからのこと。
二人の仲が何時までも新婚のように睦まじいのは周知の事実。
けれど、それだけでは駄目なのだ。


熊野には跡継ぎが必要だ。


湛快、ヒノエの後を継ぐ後継者が。
それなのに、三年たった今でも二人の間に子供はない。
それに焦れた周囲が、ヒノエに側室をと言ってきた。


「それは……そうでしょうね。ヒノエの彼女に対する想いは、誰にも適いませんよ」





幼い頃から一緒にいた。

何度も辛い思いを経験してきた。





だからこそ、ヒノエの想いは浅水以外に向くことがない。
それに、多妻制のこの世で一人の女性だけを想うことがどういうことか、それは湛快が誰よりもよくわかっているだろう。
彼もまた、一人の女性を愛し続ける男だ。


「わかっちゃいるんだけどな。こればっかりは、どうしようもねぇ」
「確かに。望めば恵まれる物でもありませんからね」


子供に恵まれない夫婦だっている。
それは、薬師をしている弁慶のほうがよく理解していることだ。
だが、別当夫婦がそうだとすると、側室をと言う声が上がるのも必死。
三年でそれが上がったのは、果たして早いのか遅いのか。


「あぁ、だからですか……」


自分がヒノエに文をしたためた後日。
今度はヒノエから弁慶に文が届いた。
一体どういうつもりで自分に文など、と思ったがその文面はいつもの彼らしくなかった。
自分に相談事や悩みの類など、ヒノエは滅多なことでは口にしない。
内容は至って簡単な物だったが、その真意を探ることは文だけでは難しかったのだ。


「それ以外にも問題はあるんだがな」
「それ以外?それは一体……」
「おう、俺だ。入るぞ」


弁慶が何かを言うより先に、広間に辿り着いた。
中にいる人物に声を掛けて障子を開ければ、部屋の中央に座っている朱い髪。
着ている物が別当としての正式な物ではなく、普段着ている物なのは、相手が弁慶だからか。


「久し振りですね、ヒノエ」


挨拶を述べながら広間に入る。
弁慶の姿を確認した途端、ヒノエの顔が歪められるのを見て、思わず失笑する。
野郎には興味がないと言っている甥だ。
それに、自分のことは今でも苦手意識が抜けていないらしい。
外面は上手く作る割に、身内にはどこまでも素直だ。


「オレはできるなら、あんたに会いたくなかったけどね」


言葉を返しながら、二人に座るように促す。ちょうど二人が座った頃に、女房が茶を持って現れた。
出された茶を飲みながら、女房が部屋から離れるのを待つ。










「それで、景時からの返事は?」










いっそのこと簡潔に。
要点のみを言ってくる甥は、限りなく真剣その物。
張り詰めた空気に、弁慶の表情も引き締められる。
それは、軍師として戦場に立っていたときと同じもの。
弁慶は答えるために口を開いた。









隠し事はお互い様 










弁慶と湛快登場
2008.12.6
 
  

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