重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


あぁ、またこの夢だ。


まず思ったのはそれだった。


目の前に見える鮮やかな夕焼け。
遙か遠くの水平線は、そのオレンジで空と海との境界を無くしている。


けれど、今自分がいるのは船の上ではなかった。
そこは冷たい水の中。
体温が根こそぎ奪われて、このまま凍えてしまうのではと思ってしまうほどに冷たい。
ちょうど自分の側に流れて来た板に捕まれば、なんとか海中に沈んでしまうのを防ぐことが出来る。


だが、どうしてこんな海のど真ん中で板が?
そう思い、自分の背後を振り返れば、そこに見えたものは信じられない物だった。










「──っぁ!」


声なき悲鳴を上げて、浅水は目を覚ました。
室内はまだ闇に包まれたまま。
知らず詰めていた息を吐けば、ようやく呼吸が出来るような気がした。
そっと隣をうかがえば、いつの間に帰ってきたのかヒノエの姿が目に入る。
最近は夜遅くに帰ってきて、朝早くに出て行っている。
疲れているだろう彼を起こさないようにそっと褥から抜け出して、羽織を手に部屋を出る。





外に出れば、途端に冷たい風が身体を包む。
手にしていた羽織を肩から掛けて天を仰げば、白い月が淡い光を放って世界を照らしていた。

先程見た夢のせいで、心臓がまだ高鳴っている。
ひんやりと冷たい風を感じるのは、空気だけではなく汗を掻いているせいか。
この汗は、紛れもなく冷や汗。
それ以外に有り得ない。


「何で、あんな夢……」


夢を思い出しながら、呟けば、最後に見た光景がフラッシュバックされる。
逆光でハッキリとは見えなかったが、確かにあれはヒノエだった。
自分がヒノエの姿を見間違えるはずはない。
けれど、そのヒノエの姿は自分の知る彼とはどこか違っていた。





まず、今の姿ではないのだ。





自分が知る限り、あの姿は確実に三年前。
源平で戦をしていたときだ。
その証拠に、戦闘服も今の物ではなく三年前の物だった。
そこから推察しても、あれはこれから起きうる未来ではない。
かといって、自分が経験した戦の中であんな事態に陥ったこともない。

どう考えてもおかしいのに、全ての感覚が夢見をしているときと同じくらいリアルだった。
確かに自分もその場にいて、あの光景を見ている。

これがいつか来る未来だとすれば、夢を違えるために何かしら動くことも出来る。
けれど、過去に起きたことだとしたら、もうこの夢を違えることは出来ない。


「何度も見ることに意味がある……?でも、あの夢が実現になるのは限りなく不可能に近い」


自分が白龍の逆鱗を使って時空跳躍でもしない限り、あの時間へは行くことができない。
でも、幸せを掴んでいるこの時代から、わざわざ過去へ戻る必要がどこにあるのだろうか。
それに、逆鱗は来たるべき日のためにしまってある。
望美から譲り受けた逆鱗は、あの日以来使うことはない。


「どういうこと?」
「こんな夜更けに、一人で月光浴かい?」
「え?」


不意に声が聞こえたかと思えば、衣と一緒にその腕に抱かれる。
相手の顔は見えないが、ここは別当夫妻の寝室で、滅多なこと以外は誰も来ないようになっている。
それに、浅水がいるのは部屋のすぐ側。
こんなことが出来るのは必然的に一人しかいない。
ふわりと風に乗って香る匂いは、彼がいつも付けている香の物。
触れ合った場所から伝わる体温に、どこかほっとする。


「気付いたらお前がいないから、月へ舞い戻ったかと思った」
「私は現代よりもこの地を選んだのに。今更ヒノエを置いて、現代へ戻るつもりはないよ」


ヒノエに背中を預ければ、布越しに伝わってくる確かな鼓動。
あれは悪い夢なんだと、こちらが現実なのだとようやく実感することが出来た。


「ごめん、明日も早いのに起こしたね」
「気にすることはないさ。明日は一日、本宮にいなきゃいけないからね」


明日は本宮にいなければならないとは、誰か来客でもあるのだろうか。
ここ最近、後白河院が熊野参拝に訪れるといった話は聞いていない。
だとしたら、別の人物なのだろう。
けれど、ヒノエ自らが出迎えなければならない相手。
一体誰だろう。


「それよりも、オレはお前の眠りを妨げた原因が気になるけどね」


思案にふける浅水を他所に、サラリと髪を撫でてくる手の感触がくすぐったい。
それに少しだけ身じろぎすれば、尚も追いかけるようにヒノエの手が髪に絡んでくる。
彼の気遣いに感謝するけれど、夢の内容を話せば余計に心配を掛けるのは目に見えている。
どうせあの夢が現実になることはないのだ。
話さなくとも、別段不都合はないだろう。


「ふふ、ちょっと夢に驚いただけだよ。そう、月を眺めたくなるくらいにね」


そう言って、再び月を仰ぐ。

月と言われて思い出すのは白龍と黒龍の神子たち。
それぞれ月の名前を抱いている彼女たちは、その名が示すように対照的だった。
あまり会えないが、朔とは便りを交わしてお互いの近況を報告し合っている。
けれど、望美とは連絡の取りようがない。
逆鱗を使えばいい、と誰かが言うけれど、それを使うのは憚られた。
自分は白龍の神子ではない。
それに、京ならば龍神の加護が得られているからいいだろうが、ここは熊野。


熊野が奉っているのは、龍神ではない。


逆鱗と、龍神の力を借りたところで、龍神の力は弱いだろう。


「月、ね。そんな月にオレが嫉妬を覚える前に、褥に戻ってくれると有り難いんだけど?」


どこか楽しげな口調の中に混ざる本音。
このままヒノエの体温を感じていれば、夢など見ずに眠りにつけるだろう。
高鳴っていた鼓動も、今はすっかりと落ち着いている。
するりとヒノエの腕から逃れ、逆にヒノエの手を取る。
すると、掴んだ手をしっかりと握り返される。


「それじゃ、戻ろうか」
「今度は、オレの腕の中から逃がさないよ」
「またそんなこと言うんだから」


ヒノエの軽口を軽くあしらいながら、再び部屋へと戻る。
横になればややしてやってくる眠気。
眠りに落ちる前にヒノエの胸元に顔を寄せれば、しっかりと抱きしめられたのを感じた。



浅水はそのまま、朝まで夢も見ずに眠りにつくことが出来た。










翌日、ヒノエは朝から本宮へと出掛けていった。
朝餉の際に、会わせたい人がいるから昼前に本宮に来てくれ、とヒノエに言われた。
けれど浅水にはそれが誰なのかはわからなかったし、聞いても教えてくれなかった。


「全く、誰かくらい教えてくれてもいいのに」


ブツブツと愚痴を言いながら、本宮へ向かおうとしていた矢先のこと。
青い顔をした女房が浅水の元へやってくるのが見えた。
その手にあるのは文箱だろうか。
そう思った直後、浅水はその女房の元へ駆け寄った。


「あ、お方様……」
「大丈夫?随分と顔色が悪いわ」
「いえ、朝は平気だったんですが……先程から少し。あの、文が届いております」


体調が悪くとも、自分の為すべき仕事を果たそうとする女房から文箱を受け取る。
文箱を手にした瞬間に感じた嫌悪感。
恐らく、それが女房の体調を崩したのだろう。
女房の肩に手を置きながら、小さな声で呟くのは言霊。
これで、彼女の穢れも祓えるはずだ。


「ありがとう。今日はこのまま下がって休みなさい」
「はい、申し訳ありません」
「少し待っていて、誰か呼ぶから」


ふらふらとしている女房をこのまま帰すのも忍びない。
介添えとして別の女房を呼び、自分はそのまま部屋へ戻る。
一枚の札を取り出して文箱へ貼り、それを持って再び部屋の外へ。
周囲に誰もいないことを確認してから、そっとその名を呼んだ。


「浅葉」


けれど、浅葉の名を呼ぶ声はいつもとは違い、どこか緊張した物。


「ここに」


いつぞやと同じように、気配もなく現れる。
けれど、いつもなら浅水の後ろに現れる浅葉は、今日は浅水の目の前に現れた。
どこか硬い口調のそれは、いつもとは明らかに違う異変を如実に物語っていた。


「これを本宮へ。それと、いつもの場所に保管してある物も全て持ってきて」
「わかりました。持って行く場所はあそこでよろしいので?」


札の貼られた文箱を受け取りながら、浅水の言葉に聞き返す。
いつもなら保管しろと言うはずの浅水が、本宮へ持って行けと言う。
それは、今日届いた文が厄介な物だということ。
最近はあまりなかったというのに、よりによってヒノエが本宮にいるときに限って届くとは。


「ええ。私も、今から本宮へ向かうわ」
「わかりました。では、御前失礼します」


浅葉の姿が見えなくなったのを確認してから、浅水は急いで本宮へ行く仕度を始めた。
言われた時間まではまだあるが、早めに終わらせなければいけないことが出来た。
それに、これがヒノエに見つかったら何を言われるかわからない。





それでなくとも、今の浅水は古参の者から良く思われていないのだ。





その理由はよくわかるし、自分があちらの立場にいたとしたら同じことを思うだろう。
けれど、譲れない部分もある。
理解者として湛快には全て話してあるけれど、ヒノエには話していない。
というよりは、話せなかった。
いつかは話さなければいけないことだが、もう少しだけ隠しておきたいと思うのは自分の我が儘だ。


「本宮へ行ってくるわ。後はよろしくね」
「かしこまりました。共の者はどうなさいます?」
「馬で行くから大丈夫よ」


邸から本宮までは歩いて三十分くらいの場所にある。
けれど、早く本宮に辿り着きたい浅水としては、歩くよりも馬に乗った方が早い。
そう考えたからこそ、着ていた着物を動きやすい物に変え、本宮で着替える着物も準備した。
いつもは背に流している髪も、今は首の後ろで一つに結っている。
この姿の浅水を知らなければ、熊野別当の妻だと判断する人はいないだろう。
邸にいる女房たちはそれを知っている。
けれど、もしものことを考えれば、心配の種は尽きない。


「何かあったら烏がいるわ」


その言葉を出せば、女房もこれ以上何も言えなくなる。
小さく溜息をつきながら浅水を見送るのも、これで何度目だろうか。


「行ってらっしゃいませ」
「うん、行ってくる」


用意された馬の背に乗りながら、浅水は邸を後にした。
秋も深まり、世界はその色を緑から赤へと鮮やかに変えていた。
けれど、脇目も振らず本宮へ急ぐ浅水の目に、周りの景色は目に入らない。





本宮で待っているのは、再会と決断。










私を捉える物は何 










事件勃発
2008.12.2
 
  

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