重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


目の前に広がるのは、オレンジの空。
鮮やかな夕焼けは、世界の全てを染め上げていた。
船の上から見るその光景は、空も海も等しく同じ色。
綺麗だと思ったのは、他でもない自分自身。
一緒にこの光景を見ているであろう愛しい人。
その彼に、この気持ちを伝えたくて、いつも彼がいる位置を振り返った。





それから先は、闇──。





ぱさり、と自分の上に何かが掛けられる気配で、浅水の意識は浮上した。
室内は薄暗くなっていて、自分の隣に誰かがいる。
けれど、見知った気配は自分が一番信用している物。
だから彼の人が室内にいても、自分は目を覚まさなかったのだ。


「あぁ、起こしたかい?夕餉まではまだ時間があるから、寝てても平気だけど?」
「ヒ、ノエ……?」
「うん?オレの奥方は、まだ夢に捕らわれてるのかな」


ぼんやりとしたままヒノエへと手を伸ばせば、小さく笑みながらその手を握り返してくれる。
触れ合った手のひらから伝わる熱が、これが現実だと教えてくれた。
そのことに小さく安堵の息をつく。
けれど、どうして安堵したのかがわからない。
ただ、彼がこうして自分の手を握ってくれたことが嬉しかったのか。
それとも、それ以外の何かがそう思わせたのか。


「浅水?まだ寝ぼけてるのかい?」


珍しいこともある物だ、と浅水の頬にかかる髪を耳に掛けてやる。
そのまま近付いてくる顔を、何とはなしに見ていれば、途端に視界が暗くなる。
一体何が、と思った次の瞬間には再び世界が開けた。


「接吻のときは、目くらい閉じなよ」


その言葉を、ゆっくりと頭の中で反芻させる。
それからパチパチと瞬きを二回。
目の前にある悪戯な瞳は、楽しげに光っている。


「っ!」


そこで浅水はようやく今の状況を理解した。
どうやら自分はあの後部屋で眠ってしまったらしい。
ヒノエがここにいるということは、仕事を終わらせてきたということ。
恐らく、心優しい女房たちは、気を利かせて誰も自分を起こしてくれなかったのだろう。
その結果が、今に繋がる。


「お早う。いや、おそよう、かな?」


浅水の態度を観察していたヒノエは、楽しげに声を上げる。
いや、事実楽しいのだろう。
昨夜久し振りに熱い夜を過ごしたせいで、今日は随分と自分のことを気に掛けてくれていたらしい。
昼間と、そして今この場にいるのがその証。
最近何かと忙しくしているヒノエには、浅水との時間が取れない日もある。
だからこそ、一挙手一投足ですら見逃したくないという思いがあるのだろう。
浅水にとっては、恥ずかしいことこの上ないが。


「起こしてくれたら良かったのに」


肩に掛けられた羽織を直しながら上体を起こす。
どうやら、弁慶の文を読みながら寝ていたらしい。
文机の上には皺になった弁慶の文が置かれたままだ。


「時間の許す限り、お前の寝顔を見ていたかった。って言ったらどうする?」
「本気?」
「もちろん」


信じられない物でも聞いたと言わんばかりに聞き返せば、さもありなんと返ってくる。
それに少々の頭痛を感じたが、ヒノエならやりかねないと半ば納得してしまう自分が恨めしい。


「私なら、夢で逢瀬を重ねるよりも、直接逢いたいと思うけど?」


夢は所詮夢でしかない。
触れることは出来たとしても、その人の持つぬくもりまでは伝わってこないのだ。
こうして触れ合うことすら、夢の中ではどこか儚い。


熱を感じたい。


そう思ったところで、夢の中では叶わないのだ。


「違いない。夢で逢うよりも、現実のお前の方が何倍もいいからね」


いつもなら、そんなヒノエの言葉も軽くあしらう浅水だが、今日はそれがなかった。
変わりに、ヒノエの胸元へと頭を預けてくる。
さらりと流れる彼女の髪が、ヒノエの胸元で揺れる。
元の姿に戻った浅水は、髪の長さも現代と同じで。
三年たった今は、ようやく背の中程までさしかかったところだ。

普段あるものが突然なくなると、不安を覚えてしまうのが人間の性。
当然、ヒノエもその一人だ。
浅水の顔が見えないのを良いことに、訝しげに顔を顰める。
甘えるような仕草を浅水自らすることなど、これまでにだって数えるほどしかない。
普段ならば、喜ぶであろうヒノエなのに、今日はどこか警戒したような張り詰めた表情だ。


「浅水」
「何?」


呼ばれてヒノエを見上げる浅水の表情は、何の変化も見られない。
けれど隠し事が上手な彼女だ。
それに何度騙されてきたかわからない。
だからこそ、邸にいる女房たちには浅水の「大丈夫」ほど信用ならない物はない、と言い聞かせている。
それを知ったとき、浅水はたいそう憤慨した。


「弁慶の文は読み終えたかい?」
「?ううん。途中で寝たから、全部は読んでないよ」


突然の話題転換に、少々驚きはする物の、問われたことには素直に答える。
結局、半分も読まないうちに寝てしまったせいで、肝心な所を読んでいないのだ。
火急の用なら、早めに読んでおいた方が良いかもしれない。
そう思い、チラリと文机を見る。
そこに置かれたままの弁慶の文。
ヒノエに断って読めば、彼が何を言いたいのかわかるはず。


「読んでないならそれでも良いけど、」


そう思っていれば、全てを見透かしたようにヒノエが言葉を紡ぐ。
思わず視線をヒノエに移せば、少しだけふてくされた表情が目に入った。
ヒノエがそんな表情をするときは限られている。
血縁である弁慶が関係しているときである。


「弁慶が、熊野に来るってさ」


ヒノエの口からもたらされた物は、案の定彼の叔父のことで。
彼と結婚した浅水にとっても、義叔父になる。


「へぇ、随分久し振りじゃない?半年振り……だっけ?」
「まだそんなもんしかたってないのか」


最後に彼が熊野に滞在していたのは、まだ春先のことのように思う。
薬師としての知識を浅水に教える一方で、何やら動いているのはわかっていた。
けれど、肝心なことがわからず終い。
結局、何のために動いているのか弁慶を問い詰める間もなく、彼は京へと戻ってしまった。
それ以降、顔を見せるどころか、文の一つすらよこす様子はなかった。


それなのに、突然の文が届いた。


これは、何かあると見てしかるべきだろう。
自分だけにならまだしも、ヒノエにまで文を送っているのだ。
余程のことが起きているのかもしれない。


「お前が心配するようなことは起きてないよ」


昼間と同じ言葉を繰り返される。
嘘つき、と言葉に出来たらどれほどよかったか。
それが出来なかったのは、自分を抱きしめるヒノエの力が、思っていた以上に強いから。
まるで、子供が自分の大切な物を取られまいと、自己主張しているかのように。
浅水の言葉を拒絶するようなヒノエの態度に、どこか確信めいた物が浮かんでくる。





自分が心配することではないけれど、ヒノエが自分の身を案じる『何か』があるのだと。





それに弁慶が関係しているというのなら、彼の兄であり義父である湛快も一枚噛んでいるのか。
それとも、彼が身を置いている京にいる友人たちのほうか。


「……今はその言葉に、騙されてあげる」


そっと呟いた囁きは口中に。
必死に隠していたいことならば、自分は気付かない振りをしていよう。
少なくとも、今はまだその内容はわからないのだ。

全ての鍵を握っているのは、恐らく弁慶。

彼が京から熊野へやってくるには、まだ少し時間があるはずだ。
それまでに、何があってもいいように準備をして置いた方がいいのかもしれない。


心の。


そして同時に、浅水の脳内を過ぎったのは一つの夢。
目覚める前に見ていたあの夢は、一体何だったのか。
この世界に戻ってきてから、先見の力は失ってしまったのでは、と思うほどに夢を見なくなっていた。
現代にいた頃と同じように。
けれど、先程の夢はあまりにもリアルで。
良く覚えてはいないその夢は、これまで見てきた先見とよく似ていた。

これから先に起こることを予見しているのだろうか。

もしそうだとしたら、関係があるのは海と船。
その繋がりでいくと、熊野──ヒノエに繋がりかねない。
ヒノエの身に何かが起きるのだとしたら、それだけは阻止しなければ。
そう思いながら、ヒノエに気付かれぬように小さく拳を作る。

ヒノエが熊野を愛しているように、熊野もヒノエを愛している。
どちらも、欠けてはならないのだ。


「頭領、夕餉の仕度が出来ましたが、どうなさいますか?」


襖越しに声を掛けられ、もうそんな時間か、とヒノエは浅水を抱く力を少し緩めた。


「運んでくれ。二人分だ」
「かしこまりました」


返した返事に、短く返事が返ってくる。
それから、ヒノエはおもむろに部屋に明かりを灯した。
薄暗かった部屋は、すっかり闇に包まれていた。
灯された明かりが、ぼぅ、と部屋の中を照らし出す。
その後、ヒノエは再び元いた場所に収まった。
部屋に明かりが灯されたことで、浅水はようやく自分の態勢をハッキリと自覚した。

夫婦になって三年。
幼い頃から過ごしていた日々も混ぜれば十年以上が経っている。
そのことを考えれば、今の態勢もおかしくないかもしれない。
だが、感情が先行してしまう浅水としては、恥ずかしくて仕方がない。
出来ることなら、女房が夕餉を運んでくる前にヒノエの腕の中から逃れなければ。
二人きりならまだしも、第三者にこんな姿を見られるなど、想像するだけでも顔から火が出そうだ。


「オレとしては、もう少しこのままでいたんだけどね」
「あのね、夕餉だっていうのに何馬鹿なこと言ってるの」


身じろぎし始めた浅水に気付いて、ヒノエが残念そうに肩を竦める。
けれど、緩めた腕に再び力を入れることはしなかった。
簡単にヒノエの腕から抜け出しすと、襟元を正して手櫛で髪を梳き、身なりを整える。
いくら何でも、乱れた姿を女房にさらすような真似は出来なかった。


「失礼いたします」


程なくして、数人の女房が膳を持って部屋へと入ってくる。
膳が並べられるのを待ち、全ての仕度が調ったところで女房を下がらせる。
それから、二人は目の前の料理に手を付けた。





運命の歯車は、既に回り始めていた。










嘘も駆け引きも譲れない 










ビバ☆ツンデレ(爆)
2008.10.28
 
  

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