重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


もう一人の自分がその場から消えれば、そこには再び浅水一人きり。
全てが曖昧なこの空間に居続ければ気が狂ってしまうかもしれない。
ぼんやりとそんなことを思いながら、さてどうしようかと考える。
自分の意思で来たわけではないので、どうやってこの場から出るか分からないのだ。
そういえば、前にも似たようなことがあった。
あの時は自分を呼んでいるヒノエの声を頼りに出口を探したが、今回もそれと同じ手が使えるとは思えない。


どうして浅水が消える前に聞いておかなかったのか。


後悔しても既に遅い。
分かってはいるが、自分の浅慮さに嫌気が差すのはこういうときだ。
目の前のことに集中するとどうしても周囲がおざなりになる。
少しは成長したのかと思いきや、根本的なところが成長していない。
直せるならば直したいが、ここまで来たら最早手遅れかもしれない。
外見以上に重ねた年数が多いのだ。
きっと、性格の一部として自分の深い場所に組み込まれているのだろう。


「まるで出口のない迷路、ってところね」


何とはなしにポツリと呟く。
たとえ迷ったとしても、いずれは出口に辿り着く。
だがそれは出口がある場合に限り、だ。
周囲を見回しても何も見あたらず、ましてや世界は全て同じ色に染め上げられている。
そんな場所に出口などあり得るのだろうか。


「思えば、ずいぶんと助けられてたのね」


いつだって自分の時間に戻るときには標があった。
それはヒノエであったり四神であったり──不思議な少女であったり。
今思えば、その都度誰かしらの助力があったのだ。
それを当たり前のことだと認識していたのがそもそもの間違いなのだろう。



人は、必ずしも一人で立っている訳じゃない。



気付いていないだけで、数多の人がその手を差し伸べてくれているのだ。
しかし浅水が今更それに気付いたところで、この場ではどうすることも出来ないのも事実。
だが、気付かないままでいるよりは気付いてよかったと素直に思う。
ありがとう、と誰の耳に届く訳でもないが言の葉に乗せる。
そうしてから、再び脱出方法について考える。
やはり一番はこれまでと同じように助力を請うことだろう。
けれど、誰が応えてくれるかわからない上に、元の時空に戻れるかすらあやふやだ。
そうなってくると助力を請うのもある種の賭となる。
下手に違う時空へ跳ばされては、こちらとしてもたまった物じゃない。


『浅水』


不意に呼ばれた自分の名。
それに反応して周囲を見回すも、辺りには誰の姿も見えない。
空耳だったのだろうか、と胸に浮かんだ淡い期待を否定するようにゆるりと首を振る。
他人の力を当てにしているから空耳まで聞こえてくるのだ。
もっとしっかりしなければ。


『浅水』


再び聞こえてくる声。
それは四神とも、彼の地を守護する神とも違う。
柔らかく、それでいてどこか幼いそれ。
けれどその声の持ち主を確かに自分は知っている。
会ったのは三年前。それも、数えるほどでしかない。


『浅水』


何度も自分を呼ぶ声に、どうした物かと思う。
いっそのこと、早々に姿を現した方が早いというのに、どうして自分の名を呼ぶだけなのだろうか。
何か目的でもあるのか、それとも姿を現せない理由でもあるのか。

恐らく後者だろうな、と目星をつける。

きっと現れるには何か条件があるのだろう。
自分にはその条件が何なのか、皆目見当もつかないが。
いっそ、名前を呼びたいような気もするが、呼ぶ名前すら知らないのでは意味がない。
過去に名前を尋ねたときは、自分に名乗れる名前がないと言って教えてはもらえなかった。


「あなたが、私をここから連れ出してくれるの?」


虚空へ向けて問いかければ、返ってくるのは沈黙ばかり。
失敗したかと肩を落とすも、元の状態に戻ったに過ぎない。
それほど強い落胆でないのは最初から期待していなかったせいだろうか。
だが、どこかは期待していたのかもしれない。


「ま、わかってたことだけどね」


言葉にすれば虚しさだけがこぼれ落ちた。
八方塞がりというのはこういうことを言うのだろうか。
どこへ行こうとしても振り出しに戻ってしまう。
だからといってこの空間から出られないことに不安を感じるわけでもない。


きっと大丈夫。


何故かはわからないが、そんな感じがするのだ。
そんなとき、微弱ながらも感じた気。
熊野権現のものと酷く類似しているそれは、熊野権現の物にあらず。
けれど、自分は確かにこの気を知っている。
今でも脳内に鮮やかに浮かび上がるその人物は、当時はわからなかったが、今なら誰なのか理解できる。


「私は、ここにいるよ」


そっと誘導するように言の葉を紡げば、微弱だった気が次第に強く感じられるようになった。
同時に、宙に一点の光が生じる。
それは次第に光量を増やし、視界を白く染め上げるほどにまばゆく光り放つ。
あまりのまぶしさに浅水は視界を隠すように腕を上げた。
しばらくして周囲が何事もなかったかのように平穏を取り戻せば、浅水は視界を遮っていた腕をようやく下ろした。
すると、目の前には一人の少女。
先程までは確かに存在しなかったはずの彼女が、三年前と同じ姿でそこにいた。


「やっと、辿り着いた」


ふわりと微笑むその顔はとても嬉しそうで。
見ているこちらまで思わず顔をほころばせてしまいそうになる。


「私には三年振りだけど、あなたはそうでもないのかな」
「どうしてそう思うの?」
「答えて欲しい?」


質問に質問で返せば、くすくすと笑いながら首を横に振ってくる。
軽く癖のある明るい赤茶色の髪と、片耳にあるシルバーの耳飾りが動くたびに揺れる。


「もう、私が『何』かわかってるんだね」


浮かべていた笑顔がくしゃりと崩れる。
まるで泣きたいのを堪えているような、そんな表情に思わず抱きしめたい衝動に駆られてしまう。
けれどそれはまだ出来ない。
自分はまだ、目の前の彼女に謝罪すらしていないのだから。


「私のせいで、大変な思いをさせてごめんね」


言いながら、少女の方へと足を踏み出す。
離れているその距離は三歩分。
一歩踏み出すごとに、その距離が短くなる。


「それから、何回も助けてくれてありがとう」


一歩。
少女はその場から動く気がないのか、それとも動けないのか。
浅水の言葉に、ただ首をゆるゆると振るだけ。


「あなたがいてくれなければ、私はここにいなかった」


三年前、現代で二度ほど危機を迎えた浅水。
それを助けてくれたのは、いずれも──片方は意識がなかったが──目の前の少女だった。
そのために彼女がどんな犠牲を払ったのかは想像もし難い。
人一人の運命を変えるのだ。
きっと、犠牲になった物は大きかったはず。


「本当に、ありがとう」


また一歩。
浅水と少女の距離がゼロになる。
自分より若干小さい少女を抱きしめれば、胸にしがみつくように顔を埋めてくる。



やっと辿り着いた。



少女が現れたときに言ったその言葉には、いろいろな意味が含まれているのだろう。
それが重い一言であるというのは、想像に難くない。


「あなたがここに現れたということは、私は帰れるのかしら」


腕の中にいる少女が落ち着いた頃を見計らって声にすれば、すん、と小さく鼻を鳴らした音の後に少女が頷いたのがわかった。
そのことに心底安堵するも、そういえば問題はもう一つあったのだと思い出す。
だが、少女がそれを知っているとは思えない。
となると、帰った後にまた一騒動あるのだろうか。
気付かれないようにそっと溜息をつけば、少女は浅水の腕の中からするりと抜け出した。


「大丈夫」


まるで全てを理解しているような口振りに、浅水は首を傾げた。


「大丈夫って、何が?」


もし見当違いのことだったら困るので、あえて問い返してみる。
少女の言った「大丈夫」は帰ることに関しての言葉かもしれない。
わざわざ口を滑らすような真似はしないほうがいいだろう。


「浅水が心配してるのは、時空に囚われている白龍のことでしょう?」
「っ!」


何故。
どうして?


自分は白龍について、一言も口にはしていないはずだ。
それなのにどうして核心を突いてくるのだろうか。


「私が教えてもいいけど、それじゃ面白くないよね」


どこか悪戯を思いついたような表情に、思わず眉をひそめた。
こういった表情をするときは、誰かしら思惑があるという物だ。
きっと、少女も何かを思いついたのだろう。


「種明かしは、白龍にしてもらって」
「白龍にって……その肝心の白龍がいないんだけど」
「それは大丈夫」


何が大丈夫なのか。
少女が何を言いたいのか全く持って理解できない。
そもそも、その自信はどこから来るのか。
自分には持ち得ないそれは、彼の人によく似ている。





「みんながあなたを待ってるよ」





みんなと言われ、脳内に浮かぶのは自分がいなくなった時のこと。
きっと心配しているんだろうな、と申し訳ない気持ちになってくる。
ああ、もしかしたらヒノエの耳にも入っているかもしれない。
弁慶のことだ、あの場にいた浅葉を使って熊野に連絡を入れているだろう。
それを思うと別な意味で頭が痛くなってきそうだ。


「そう、ね。早く帰らないと、ヒノエが何をしでかすかわからないわ」


もちろん、ヒノエが何かをする相手はもっぱら弁慶なのだろうが。
彼からの報復を考えると少しだけ肝が冷えそうだ。


「ねえ、もう私の名前は聞かないんだね」


それは初対面の時を言っているのだろうか。
あのときは突然現れた自分と同じ格好の少女が何者かわからなくて。
だからこそ、質問ばかりを繰り返した。


けれど、彼女が「何」かわかってしまえば質問することは無意味でしかない。


聞かずともいいのだ。
少女を疑う要素は何一つない。


「だって、あなたがそうなんでしょう?」


確信の意味を込めて問いかければ、少女は少しだけ瞠目した後、満面の笑みを浮かべた。
それが、その空間での最後の光景。










「                 」










意識を失う前に聞こえた少女の言葉は、しっかりと浅水の耳に届いた。










もう少しだけ、待ってて 









次回ようやくヒノエのターン
2009.10.30
 
  

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