重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


気付けば景色は一変していた。
ヒノエと暖を取るためにいた洞穴ではなく、既に何度も訪れている曖昧な空間。



そして、目の前に立っている自分自身。



単衣のままだった浅水の姿は、見覚えのある物に戻っている。
いつ着替えたのだろうかと疑問に思ったが、これも人ならざる物の力だろう。
深く考えるだけ無駄だと、早々に考えることを諦める。


「お帰りなさい」


そう言って自分を出迎えた浅水は柔らかな笑みを浮かべている。
ヒノエの命を救ったことが嬉しいのか、それとも他に理由があるのかは分からなかった。


「私を戻したってことは、ちゃんと上書きできたのね?」


浅水自身、上書きが成功したのだと分かってはいたが、最後まで見届けていない分確認は必要だ。
もしかしたら、上書きが出来なかったから戻されたと言うことも考えられる。
その場合は元の時空に戻るのに、更に時間が掛かることになる。


「ええ。源氏は平家を討ち、ヒノエも無事だわ」
「そう、ならよかった」


気になっていた結末を教えられれば、ひとまず安堵する。
もちろん、あの時空に関して気になっていたのはそればかりではないが。

だが、どれほど気にしていたとしても、自分は関わることは出来ない。
浅水の生きる時空は他にある。

あの時空は、いくつもあった運命の一つなのだろう。
枝分かれした運命の中で、浅水が選んだのはあの時空ではなかった。





「じゃあ、欠けた一部が何か分かった?」





これまでとはすっかり変わった明るい口調。
まるでなぞなぞでもしているかのようなその問いかけは、本当に楽しそうで。
けれど、その内容は楽観視できる物ではない。

黒龍にも、目の前にいる自分にも。そして白龍にも言われたことだ。

だが当の本人ばかりがそれを理解できていない。
今この瞬間でさえ、自分に何が欠けているのかがわからないというのに。
恐らく、目の前にいる浅水はそれを知っていて問いかけているのだろう。


自分自身とはいえ、腹が立つのも仕方のないこと。


ただここで分かったと答えたらそれが何かを問われるだろう。
下手なことを口には出せないので、肩を竦めてみせることで返事を返す。
自分なら、それで意味が通じるはずだ。


「何だ、つまらない」
「つまらないってねぇ……」
「白龍にも言われたならわかると思ったんだけど?」
「え……」


今、彼女は白龍と言わなかっただろうか。
だとしたら、白龍の言葉に何かが隠されているとでもいうのか。
白龍は何と言っていた?

『自分を取り戻しに来たんだね』

違う、これではない。
だが、取り戻すと言うことはあの時空に何かがあったはず。

『だから神子も分からないんだね』

そうだ、望美は何故か自分が幼馴染みだと分からなかった。
その理由を尋ねたとき、白龍は言わなかっただろうか。
望美の目には、自分は従姉妹の名を持つ別人としか映っていない、と。
そしてその最大の理由。
望美が、自分を別人として認識している理由は何だっただろうか。

『だって、ここの浅水は浅水じゃないから』

姿も名前も同じなのに、どうして白龍は否定するような言葉を言ったのだろう。
あの場に存在していたのは確かに浅水だ。
ならば何故──?





「お前はどこにもいない。今ここにいる姫君が、唯一の『浅水』だよ」





再び思い出される彼の人の言葉。
違う時空に確かに存在するもう一人の自分自身。


だが、浅水だけは別だと、確かに彼からそう聞いた。


別にそれを疑っているわけではないが、事実だとしたら。
浅水という自分は、この場にいる自分一人だけだというのなら。

白龍が言った言葉も納得できる。

星の一族としての力を持っていなくても不思議はない。
けれど、同時に浮かんでくる疑問。
今目の前にいるのは一体誰──?
目の前にいるのが自分自身であることは何となく分かる。
纏う気は違っていても、彼女は紛れもなく自分であると。
それとも、そんな風に思うことすらおかしいのだろうか。


わからない。


何が正しくて、何が間違っているのだろう。
痛み出した頭を押さえるようにすれば、目の前にいる浅水は小さく笑んだ。


「そこまで分かっててどうして肝心なことが分からないかな」


クスクスと楽しそうに笑うその表情はとても無邪気で。
本当に楽しいのだと思わずにはいられない。

そもそも、何も話していないのに思考を読み取ったかのように話す。
それはこの空間が為せる業なのだろうか。
以前、四神との会合の時も似たようなことがあったような気がする。
それとも、自分自身だから考えていることが分かるのか。
後者だったら、目の前の自分が何を考えているのか分かってもいいはずだ。
それが全然分からないのだから、きっと前者なのだろう。


「肝心なことって、何よ」


多少警戒しながらなのは、自分だけが全てをさらけ出している状態だからか。
それとも、これ以上思考を読まれないようにするためか。


「いい?ここにいる貴方が唯一の存在である「浅水」だとしたら、私は何?」


ここにいる自分が唯一の浅水だとしたら。
考えられるのは、名を騙っているだけか、クローンか。
そのどちらかしか考えられない。


「クローン、っていうのは近いようで違うかな」
「また人の考えを勝手に……」


人の思考を読むのだけは止めて欲しい。
けれど、今妙な言葉を耳にしなかっただろうか。
クローンが近いようで違うとしたら、残されているのは一体何だろうか。


「ね、本当に分からないの?」


ずい、と顔を覗き込むくらいまで近付かれても、わからない物はわからない。
素直に頷けば、呆れたように深く溜息をついた。



「私が、浅水の欠けた一部なんだよ?」



思わぬ告白に、浅水は瞠目するしかなかった。










もうどこから突っ込んだらいいか分からない。
欠けた一部と聞かされて、自分自身を想像する人がいるだろうか。
そもそも、一部と言われたらもっと小さい物を想像するだろう。
それが、よりにもよって人一人?
悪い冗談にしか思えない。


「……説明を求めるわ」
「ま、当然よね」


頭がパンクする前に考えることを放棄して、説明を求める。
分からないことはいくら考えても分からないのだ。
ならば、事情を知る人に説明して貰った方が早いに違いない。


「望美が逆鱗を使って、何度も運命を上書きしていたのは知ってる?」


そんなことは初耳だ。
確かに望美が持つ逆鱗で時空を越えると言う事実は知っているし、自分も経験している。
だが、そう何度も時空を越えていたとは。


「時空を越えると言うことは、歪みを生むということ。私がいたのはその歪みが生んだ時空だった」


本来なら、望美が時空を越えることにより、その時空は消滅するらしい。
けれど、一部とはいえ浅水がその時空に存在していたせいで、望美が時空跳躍した後も消滅はしなかった。
それどころか、ヒノエの死という結末のせいで歪みが更に歪みを生んだ。

歪みが小さい内ならばまだしも、取り返しの付かないところまで大きくなってしまえば、欠けた一部は異物として同化できなくなる。

そうなる前に、歪みを正すためにも浅水自身を呼ぶ必要があった。
たまたま龍神と深く関わりのある神泉苑に、浅水がやって来たことはほんの偶然。
だが、その偶然を逃してはならないと、無理矢理逆鱗の力を使ったと浅水は言った。


「話は分かったけど、逆鱗の力なんてそう簡単に使えないでしょう?」
「そこはそれ。浅水は神々に愛されてるからね」


そう言って誤魔化されてしまえば、これ以上何を聞いても話してはもらえなかった。


「じゃあ、必要最低限の歪みは正されたわけ?」


望美が時空跳躍を繰り返していたのは紛れもない事実。
それによって生まれた歪みも多数あるのだろう。
ヒノエの死によって歪みが生んだ歪みを修正できたのなら、自分は元いた場所へ戻れるのだろうか。


「……そうだね、あの時空も無くなったみたいだし」


無くなった。
その言葉に、ズキリと心が痛む。
歪みを正すためとはいえ、自分は一つの時空を消滅させてしまったことになるのだ。
それは大勢の人を殺したも同然。


「望美が時空跳躍したことで、あの時空は消滅する運命だった」
「でもっ!」


例え別人とはいえ、あの時空にいた仲間と多少なりとも同じ時間を過ごしたのだ。
これを悲しまずに、何を悲しめと言うのだろうか。


「大事を成すために小事を切り捨てることは、大切なことよね?」


何を言いたいのかはわかる。
けれど、頭でそれを理解していたとしても、心はそうもいかない。
同じ自分自身ならば、それだって分かるはずだ。


「私は、どうあっても浅水に戻らなければならなかった。その為には何だってするよ」
「それって、どういう……」
「浅水」


皆まで言わせず、浅水が浅水の肩に手を掛けた。
きっと、これ以上は何を言っても聞き入れてはもらえないのだ。
何より浅水の目がそう訴えている。


「ヒノエを、救ってくれて有難う」


そう告げると、浅水の唇が自分のそれに触れる。
自分自身にキスするなんて変な気分だと思いながら、滅多に出来ることじゃないとされるがままになっておく。
しっかりと首に腕を回されて、自分も背中へ腕を回す。



けれど、その腕は宙を掴んだだけ。



キラキラとした粒子が視界に入る。
まるで望美が封印したときと似たような光景に、浅水は思わず目を奪われた。










事実は小説よりも奇なり、ってね 









時空云々については捏造設定です。
2009.7.31
 
  

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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