重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


とくん、とくん、と肌が触れている部分からヒノエの心音が伝わってくる。
華奢なように見えてしっかりとした肉体は、確かに男の物。
後ろから力強い腕に抱き締められていると安堵してしまうのは、それがヒノエだから。
顔が見えないこの状況では、自分を抱き締めている腕が、自分の知っている彼の物だと錯覚してしまいそうになる。



このまま耳元で自分の名を囁いて、キスの一つでもしてくれたら。



そんなことを頭のどこかで願ってしまう。
自分はここまで追い詰められているのか、とヒノエの存在がいかに大きいかを改めて知らされる。
普段ならさほど気にしないであろうそれ。
だが、この時空においては嫌でも認識させられてしまう。


「まだ寒いか?」


ふるり、と小さく身を震わせれば、それに気付いたヒノエが更に身をくっつけてくる。
それでなくともお互いの距離はなかったに等しいのに、これ以上近付けられてはたまらない。
しかも、二人を隔てているのは浅水が着ている単衣のみ。
だからこそ、動作はダイレクトに相手へ伝わってしまう。


「こんな状況じゃなければサイコーだったのにな」


どこかおどけた感じのその言葉は、浅水を気遣っての物なのか。
下心はないと言ったヒノエの言葉に偽りはないだろう。
言霊には力が宿る。
それを知らないヒノエではない。


「あんまり調子のいいことばかり言ってると、後で後悔するよ?」
「それはそっちのオレのこと?」


小さく笑みながら言葉を返せば、ヒノエがそれに乗ってくる。
どうだろうね、と曖昧に返事を返せば、面白くなさそうに少しだけ唇を尖らせたのが分かった。
別の時空にいる自分のことが多少なりとも気になるのだろうか。
どちらもヒノエ自身だが、これから彼がどう成長するかは今後の経験にもよる。
下手な情報を与えない方がヒノエのためにもなるだろう。


「……今回の戦」


ぽつり、と話題を変えたヒノエに浅水は黙って耳を傾ける。


「偽情報を流すことで敵を策にかけたのに、敵は逆に正しい情報を掴ませることでオレたちを罠にはめた」


確かにその通りだ。
阿波水軍が持ってきた情報はどれも本当の物。
唯一、偽っていた情報があるとすれば、平家の大将を捕まえたことと、阿波水軍が平家から離反したということ。


いつだって目先の欲に走る阿波水軍に、そこまで頭が回る人物がいるとは考えられない。


となると、今回の策を考えたのは他にいるのだろう。
忠度を犠牲にしてまで源氏を──熊野水軍を葬ろうとした。
そんなことを考えるのは、平家以外に有り得ない。


「読み切れねえとは、オレもとんだ甘ちゃんだな」
「でも、ここで終わるヒノエじゃないでしょう?」


一つ反省をしたら、前に進めばいい。
その失敗を踏まえた上で、今後に役立てればいいのだ。

それに、やられっぱなしでいるような熊野別当なら、熊野をまとめられるはずがない。


「当然だね。このままにしちゃおけないさ。それに……」


ぎゅっ、と浅水を抱く腕に力を込められれば、何事かとヒノエの様子を伺う。





「お前を危険な目にあわせたのは許せないからね」





耳元で囁くように言われれば、思わず心臓が高鳴った。
こんなこと日常茶飯事のはずなのに、どうして意識してしまうのだろうか。

ここにいる浅水は精神だけの状態で、肉体はこの時空の浅水の物なのだろう。
その証拠に、今の姿は浅水にとって見知らぬ物。
やはり外見が若くなったせいで、気持ちまで三年前に戻ってしまったのだろうか。

それだって、ヒノエにときめくことは滅多にあったわけじゃないが。

きっと、この状況がいけないのだと自分に言い聞かせてみる。
みんなの元へ戻れば、普段通りに戻るのだと。


「別当湛増の怒りってのを、奴らにも味わってもらおうか」


ニ、と不敵に笑む姿からは、確かにヒノエが怒りを感じているのだとわかる。
ヒノエを本気にさせたのだ。
これまで以上の戦力となるのは間違いないだろう。





── リィ、ン ──






そんなことを考えていた浅水の耳に、小さな鈴の音が届いた。
けれど、どこかに鈴があるようには思えない。
それに鈴の音が耳に届くなら、距離はそれほどないはずだ。


「浅水?」
「ねえ、鈴の音が聞こえなかった?」
「鈴?」


辺りを見回し始めた浅水に、ヒノエがどうしたのかと首を傾げた。
理由を話せば、そんな物は聞こえなかったという答え。
だったら自分の気のせいだったのだろう。
そもそも、こんな場所で鈴の音が聞こえてくること自体おかしいのだ。





── リィン  リィン ──






けれど、再び耳に届く鈴の音。
今度ははっきり聞こえたそれに、決して空耳ではないのだと確信する。
それをヒノエに言ったけれど、どうやらヒノエには聞こえなかったらしい。
どうやら、鈴の音が聞こえるのは自分だけ。
だが、発信源はわからないまま。



一体どこから聞こえてくるのか。

それに何の意味があるのか。



必死に頭を回転させるが、答えは出てきそうにない。
一体何だというのか。


「ところで、さっきから浅水の胸元で光ってるそれは一体何だい?」
「胸元?」


光るような物などあっただろうか?
お互いに身体を温めるために、浅水は単衣を残して身につけていた物を全て脱いだというのに。

ヒノエに言われた通り自分の胸元を見下ろせば、確かにそこで何かが光っていた。
ぼんやりとした淡い光。
どこか優しささえ感じさせるそれは、単衣の下で光を放っている。


「あ……」


そこにしまっている物を思い出せば、浅水は慌てて単衣の袷からそれを引っ張り出した。


「これは……白龍の逆鱗?」


浅水が手のひらの上に取り出した物を乗せると、ヒノエは思わず呟いた。
そこにあるのは確かに逆鱗。
けれど、逆鱗が発光しているのを見るのは、浅水も初めてだ。


「なあ、これをお前はどこで手に入れたんだ?」


不思議そうに尋ねるヒノエに、どう答えた物かと言葉に悩む。
本来なら逆鱗は、白龍の神子である望美の持ち物だ。
いくら応龍が復活したとはいえ、そのまま逆鱗を所持しているなど考えたりはしないだろう。

それに、浅水が本来いる場所では、既に全てが解決していることをヒノエは知っている。


「これは餞別にもらったんだよ」
「餞別?一体誰に──?」


誰に、と言いながら、きっとヒノエには分かっているのだろう。
この逆鱗は白龍の物。
それを白龍の神子である望美以外が持つ理由はない。





── リィン ──






再び耳に届く鈴の音。
その間隔は次第に短くなっているような気がする。
それによく見れば、逆鱗は鈴の音に呼応するように、次第に強く光を放っていた。


ああ、そういうことか。


鈴の音と逆鱗の光。
それらはどちらも龍神に関係している。
そこまで理解すれば、この現象にも説明は付いた。


「ヒノエ」
「ん?」


質問の答えを返さずに名を呼べば、普通にいらえが返ってくる。
自分を抱き締めているヒノエの腕を外させれば、そのままするりと身体を離す。


「浅水?」


その行動で何かに気付いたのか、ヒノエの顔が訝しげに顰められる。
立ち上がり、その場に置いたままの小太刀を手に取って、ヒノエの前に戻ってくる。
けれどそのまま彼の側に腰を下ろすのではなく、正面に向き合うような形で膝をついた。

そこまですれば、さすがにヒノエも異変に気付いたらしい。
直ぐに動けるような体勢を取り、浅水の様子をじっと見つめている。


「残念だけど、時間切れみたい」
「時間切れ?」


一体どういうことだ?と真っ直ぐな視線で問われる。
ヒノエに説明する時間はあるだろうか。
先程から聞こえている鈴の音は、絶えず浅水を呼ぶように鳴り続けている。


「ここで私が為すべきことは全部終わった。だから、帰らなきゃ」
「元いた時空に、かい?」
「それはわからない。でも、呼ばれてるから」


元いた時空に戻れたらどれほどいいか。
けれど、どうしたら戻れるかもわからないし、欠けた一部もまだ見つかっていない。
それを考えると、可能性は随分と低いだろう。
だが、今の自分に出来ることは、逆鱗に導かれる先へ行くことだけ。
そうすれば、全てが解決した後に帰ることになるのだろう。


ヒノエの元へ。


「浅水がここからいなくなれば、この時空の浅水も戻ってくる?」
「それは……私にもわからないんだ」


ごめん、と謝れば、分からないなら仕方がないという返事が返ってくる。
何も分からずにこの時空へやって来たのだ。
全てが終われば元に戻ると信じたいが、下手な約束は出来ない。


「そっか……。元気で、っていうのも変だから、ありがとな」
「ううん、ヒノエが無事でよかった」


来るべき悲しい未来を変えることができて良かった。
心からそう思う。

逆鱗の光が強くなると、それに伴い浅水の姿が周囲に溶けるように薄くなっていく。


「ヒノエッ!」
「何──」


名を呼ばれたヒノエが顔を上げれば、目の前に合ったのは浅水の顔。
一瞬だけその唇が触れたような気がしたが、瞬き一つする間に、浅水の姿はその場から消えていた。
まるで、最初からその場には存在していなかったように。


「……ありがとな」


今まで浅水のいた場所を見つめながら、小さく呟く。
それからヒノエは身支度を整えて、最期の戦をすべく源氏の陣へと戻っていった。










別れの言葉はさよならだけじゃない 









ここのヒノエとお別れ
2009.7.28
 
  

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