重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


阿波水軍の船に乗り込めば、捕らえたという平家の大将の姿などどこにもなかった。
それを見て、やっぱりと思ってしまうのは仕方のないこと。
元より、阿波水軍が平家の大将を捕まえられるとは思ってもいない。


「で?その平家の大将ってのはどこだよ」


ヒノエもそれを分かっているのか、尋ねる言葉がどこか棒読みのような気がする。
始めからいないと分かっていて乗り込んだのだ。
当然と言えば当然か。
それに気付いていない阿波水軍は、もう救いようがないだろう。


「それっ、かかれっ!」
「ぅわっ」

合図と共に、ヒノエと浅水に飛びかかってくる阿波水軍。
半ば予想は出来たが、ここまで大勢で掛かってくるとは思わなかった。


「お前らっ!」
「おっと、この女がどうなってもいいのか?」


ヒノエが自身を抑えている阿波水軍衆を振り払おうとすれば、頭らしい男がヒノエを押し止める。
手にしているのは短刀だろうか。
その鈍色が浅水の頬に当てられる。


同じ海賊だというのに、熊野水軍とは大違いだ、と浅水はどこか冷静な自分がいる事に気が付いた。
何より、ヒノエが自分に傷を付けさせるはずがないだろうと思っているのも、理由の一つかもしれない。


やはり、平家の将を捕らえたという話は嘘だったらしい。
熊野の頭を片付けて平家につけば、褒美がもらえるという安易な考え。
果たして平家がそう簡単に動くだろうか。

例え今回、平家から離反したように見せかけていたとしても、平家がそれを知らなければ立派な裏切り行為だ。
一度裏切った者はその信用を以前のように得ることは出来ない。
きっと阿波水軍も同じだろう。
目先の欲に眩み、最終的には何も手にすることが出来ないのだ。


「品がないね。悪党面してそんなに楽しいか?」
「……悪党面は生まれつきじゃないの?」


ヒノエの言葉に、ぼそりと突っ込みを入れてみる。
どうせ聞こえないだろうと思ったそれは、案外ヒノエの耳に届いていたらしい。
ヒノエが小さく失笑を浮かべたのを見て、思わず自分を捕らえている阿波水軍をチラリと見る。
もしヒノエに聞こえていたのなら、彼よりも距離がない阿波水軍にもしっかりと聞こえているだろう。

けれど、阿波水軍は浅水の言葉に何一つ言い返してこない。

ということは、ヒノエは読唇でもしたのだろう。
でなければ阿波水軍には聞こえずに、ヒノエに聞こえると言うことは有り得ない。


「減らず口はそこまでだろ?熊野別当」


ニヤニヤと卑下た笑いはそのままに、浅水の頬に当てたままの刀身を軽く動かす。
それを見たヒノエが、これ以上何かのリアクションをするとは思えない。
こうなると、ヒノエの足手まといになるのは自分自身である。
毎度のことながら、どうして学習能力が付かないのだろうと自分にがっかりしてしまう。


「ま、いざとなれば私はどうとでもなるけど?」


それは言葉のままの意味。
ここにいるのがこの世界の浅水なら、何も出来ずに大人しくしているだけ。
けれど、今この場にいる浅水は違う。
一通り武術も学んでいれば、武器も身につけているのだ。
何とかしようと思えば、阿波水軍の拘束から逃げることだって出来る。


「それは分かってるよ。けど、惚れた女を捨てて逃げられるほど、オレも融通きかないんでね」


嬉しいような、そうでないような微妙な気持ちである。

ヒノエが惚れているのは自分であって自分ではない。
本来なら、その言葉を聞くべき浅水が別にいるのだ。
そのことに申し訳なさを感じるが、阿波水軍がそれを理解できるはずもない。
きっと、ヒノエの言った言葉の通りに解釈しているはずだ。





「いいザマだな、熊野の頭領」


数分後。
ヒノエは阿波水軍の男数人掛かりで、柱に鎖で繋がれていた。
がっちりと縛り上げられたその姿は、そう簡単に逃げられそうにない。

そして、そんなヒノエの姿を見て、やはりと浅水はごちた。

いつか繰り返し見た夢。
そこでヒノエは今と同じような状況になっていた。


「鉄の鎖でこれだけきっちり縛り上げたんだ、もう逃げられないぜっ!」


だが、阿波水軍は知らない。
ヒノエがその鎖から抜けられることを。
だからこそ、嬉々としているのだ。
これで邪魔者はいなくなるのだと、信じて疑わずに。


「じゃあ、女は返してやる。ほらよっ!」
「ちょっ」
「浅水ッ!」


勢いよくヒノエの方へと突き飛ばされて、思わず足下がふらついた。
ヒノエの足下にペタリと尻餅をついてから、その場に立ち上がる。
幸いなのは、浅水は阿波水軍の男に拘束されていただけであり、鎖の類は何一つ付けられていなかったことだろう。


「あばよ!船と一緒に燃えちまえっ!」


既に小舟でも用意してあったのだろう。
そう言い残すと、次々と阿波水軍の男たちが船の上から姿を消していく。
それから少しして飛んできたのは火矢。
わざわざそんな物を用意するとは、自分たちの身の安全を考えたのだろうか。
どこまでも、抜け目ないというか、ずる賢いというか。


阿波水軍が船から遠ざかっていったのを確認してから、浅水は改めてヒノエを見た。
きっちり縛り上げたと言うのは嘘ではないらしい。
鎖でヒノエを何重にも縛ってある。


「ま、駄目で元々ってね」


腰にある小太刀を抜きながら、浅水は鎖を断ち切ろうとしてみた。
だが、頑丈な鎖を使っているのだろう。
断ち切るどころか、こちらの小太刀の刃が欠けそうな衝撃がやってくる。


「随分といい鎖を使ってること」


少しだけ痺れる手を振りながら、浅水は小太刀を鞘に戻した。
断ち切れないのなら、出来ることは一つしかない。


「さて、練習の成果を見せてもらおうか」
「……何でそんなに嬉しそうなんだよ」


阿波水軍が充分に遠くへ言ったことを確認してからそう言えば、ヒノエはげんなりとした表情を見せた。
練習の時とは違い、今はヒノエの命が掛かっている。

成功すれば良し。
けれど、失敗すればこの運命からヒノエは消える。

助けに来たはずの運命で、その命を落とされてしまっては元も子もない。


「あのさ、浅水。オレが失敗したら、あんたがここに来た意味がないってわかってんの?」


思わず浅水は瞬きを一つした。
そんなこと言われずとも理解している。
それに、ヒノエが縄抜けを失敗したりしないことも良く分かっているのだ。


「へ〜……熊野別当は、縄抜けに自信がないと見える」


口角を斜めにつり上げながらそう言えば、ヒノエの方もカチンと来たようだ。
あれだけ練習しておきながら、縄抜けが出来ないなどとは言わせない。


「ホント、嫌な姫君だね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」


顔を歪めながら皮肉を言うヒノエに、何食わぬ顔で返事を返す。
だが、船に火が回る前に脱出しなければならないのだ。
あまり遊んでいるのも好ましくない。


「よし、と……」


暫くすると、ガチャガチャと音を立ててヒノエの身体から鎖が外れた。
身体を少し動かして、何も異常がないことを確認する。


「お見事」
「誰かさんの教え方が上手かったんでね」
「それはどうも」
「それよりも、海に飛び込むぜ。このままじゃせっかく助かったのに意味がなくなっちまう」


泳げるか?と聞かれ、それに頷くことで返事を返せば、二人はそのまま海へと身を投げた。
冬の海は凍るような冷たさ。
必死に手足を動かして陸を目指す。
先を行くヒノエが時折気遣うようにこちらを見てくるが、浅水にはそれに気付く余裕すらない。


陸まで後どれくらいあるのだろうか。


手足の感覚がなくなってくる。
早く陸へ着けばいいのにと思うのだが、中々辿り着いてはくれない。
これ以上は限界だ。

そう思っていると、力強い腕が自分を引っ張り上げてくれる。


「っ……はぁっ、はっ……」
「大丈夫かい?」


呼吸を整えながら頷けば、そこが陸であることに気が付いた。
陸に上がれたのは嬉しいが、冬の海水で冷えた身体に冷たい風が吹き付ければ、更に体温が奪われる。
着替えようにも着替えなど持っているはずもない。
そして、火をおこそうにも、暖を取るまでには時間が掛かる。
そうなると、早く源氏の陣に辿り着かなくてはならない。


「いっそのこと、オレの術で火でもおこすかい?」
「火事は……勘弁して欲しいわね」
「でも、背に腹は代えられないってね」


寒さで震える身体を両手で抱き締めるが、効果は期待できない。
そんな浅水の手を掴むと、ヒノエは源氏の陣がある方向とは逆の方へ歩き始めた。


「ヒノエ、陣は逆……」
「その前に、身体を温める方が先だろ」


有無を言わさずに歩いていけば、洞穴のような場所へと連れて行かれる。
寒いことに変わりはないが、風が直接当たらないだけ幾分マシである。
ちょっと待ってな、と告げてその場から出て行ったヒノエは、暫くすると手の中に木の枝を持ってきた。
だが、雪で湿った枝に火を付けるのは至難の業だ。
そう思っていたのに、ヒノエが術を使えば簡単に火がおきる。

柔らかな炎の色に、ほっと息をつく。

着物が乾くとは思えないが、これで少しでも暖は取れるだろう。


「浅水、出来るだけ着てる物脱いで」
「……はい?」


何か今、妙な言葉を聞かなかっただろうか?

言葉の真意を探ろうとヒノエを見れば、ヒノエは既に上着等を脱いで上半身を露わにしている。
これは直接お互いの肌で暖め合うというアレだろうか。
確かに、それが今できる一番の良策だろう。
それにこのままでは凍死しかねないのも事実。


「下心なんてないから安心しなよ」
「……ま、非常事態だし、仕方ないか」


何か間違いがあったとしても、相手はヒノエだ。
何とかなるだろう。

そんなことを思いながら、浅水も水を含んで重くなった着物を脱ぎ始めた。
さすがに全部脱ぐわけにもいかないので、単衣だけは身につけておく。
けれど、全身濡れ鼠と化していたため、単衣もピッタリと身体に張り付いている。
身体の線が浮き彫りになり、肌の色さえも透けそうなこの状態では、裸でいるのとあまり変わらない気がしないでもない。
幸いだったのは、ヒノエがそれについては何も触れてこないことだった。



浅水の後ろからヒノエが抱き締める状態で二人。
互いに冷えた身体を暖め合った。










心臓の音がやけにうるさいのはどうして 










普通はこうなるはず
2009.7.24
 
  

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