重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


部屋に差し込んでくる陽の光に、浅水は重い目蓋を押し上げた。
いつもとは違う部屋の様子に、まだ完全に覚醒仕切っていない頭をフル回転させる。
普段なら、目が覚めたときの室内はまだ薄暗いはず。
ところが今は、室内がハッキリと見て取れる。
差し込んでくる光で外の様子をかんがみると、寝過ごしたと取って構わないだろう。
チラリと自分の横を手で確認すれば、そこは寝乱れた寝具があるだけで、肝心の人物はいない。


「……やられた」


大きく溜息を吐きながら、浅水は両腕で目を覆った。
こうして浅水が普段よりも寝坊するのは、三年前から度々あること。
もっぱら、ヒノエと熱い一夜を過ごした次の日がそうだった。





現代からこちらの世界へ戻ってきてから既に三年。
和議を結んだ源氏と平家も、ようやく落ち着きを見せていた。
源氏からは九郎や弁慶、景時を筆頭に平家との仲を取り持ち、平家の方も荼吉尼天に喰われてしまった清盛以外の人たちで何とかやっているらしい。
更に、熊野も仲介役としてそれに手を貸していたため、話はそれなりに早くまとまりを見せたようだった。


そして、一段落ついたところで浅水とヒノエの婚儀。


どうやらヒノエは、こちらの世界へ戻ったらすぐにでも婚儀を上げたかったようだが、浅水がそれをさせなかった。
四神との繋がりを断ち切った浅水の姿は、こちらで過ごしていた姿とは全く違う。
それこそ、本来の浅水自身の姿。
その姿で熊野へ戻り、同一人物だと言ったところで、納得してくれるのは湛快くらいしかいない。
だからその前にヒノエが熊野へ戻り、熊野の神子である浅水がいなくなったことを、熊野の民に知らせてもらった。
許嫁の噂まで出ていたほどだ。
熊野の神子を差し置いて、どこの誰ともわからぬ姫が嫁いできたとなれば、それはそれで騒ぎになるだろう。
その心配があったからこそ、浅水は浅水で後見人となる人と家を用意しなければならなかった。
最初の内は弁慶が名乗りを上げてくれたが、流石にそれはどうかと思い、そちらの方は自分でどうにかした。
これについては、当てがあったため何の問題もなかった。
相手方も、快く引き受けてくれたので、後ろ盾は簡単にできた。

だが、一方では納得出来ないという人たちもいる。
その人たちを言いくるめたのは、ヒノエと湛快だ。
それらの問題が全て解決して、浅水が無事に熊野入りしたのは、現代から戻ってきて実に三月も後のことだった。





気怠い身体を何とか動かし、身近にあった着物に着替える。
髪を梳かし身なりを整え障子を開ければ、すでに太陽は中天にさしかかっていた。
周囲に誰もいないことを確認してから、大きく伸びを一つ。
陽の光をその身に浴びることで、気分もまた変わってくる。

恐らくヒノエは出掛けているのだろう。
速玉へ用があると昨夜言っていたような気がする。
ならば、自分は書物でも読もうかと、弁慶の部屋だった場所へと足を向ける。


弁慶の部屋は、今でも熊野にある。
京から熊野へ戻る度、彼が熊野に滞在している度に荷物は次第に増え、今では京にある彼の部屋と似たような状態になりつつある。
けれど、弁慶の持っている書物の中には珍しい物も多く、浅水が部屋の掃除をする報酬に、その書物を読むことを弁慶も承諾してくれた。
今ではすっかりと部屋の中も片付いて、どこに何があるか一目瞭然だ。

──けれど、弁慶が熊野へ戻ってくる度に、その部屋が元の姿になるのは一体どういうことなのか──

いつもそのことに頭を傾げるが、弁慶に聞いたところで笑って誤魔化されるだけなので、敢えて聞く気にもなれなかった。


「あぁ、お方様。文が届いております」


今日はどれを読もうか、と思いつつ歩いていれば、後方から呼び止める声が聞こえて足を止めた。
振り返れば、そこには文箱を持った女房の姿。
どうやら自分宛の文を持ってきてくれたのだ、と直ぐさま歩み寄る。


「ありがとう。後は私が部屋まで持って行くから」


女房から文箱を受け取り、中を開く。
そこに入っていたのは、何通かの文。
差出人を確認すれば、朔と弁慶からだった。
定期的に連絡をくれる朔に対して、弁慶からの文というのはかなり珍しい。
何かあったのだろうか、と思いながら文箱を覗き込めば、更に数通の文が入っている。
それに小さく溜息を吐いてから、側にある気配を確認する。


「浅葉」
「ここに」


そっと名前を呟けば、誰もいなかった背後に現れる人の気配。
浅葉は浅水付きの烏だ。
中性的な顔つきは弁慶とはまた違った感じで、浅水と並べば兄妹もしくは姉妹と言っても通じるだろう。

浅葉は、昔から熊野の神子である浅水付きとして、いつも彼女の側にあった。
だが『浅水』がいなくなったことにより、ヒノエから別の任務を言いつかった。
それが、ヒノエの妻である浅水付きとなることである。
始めのうちこそ新たな任務に緊張していたが、実際にヒノエの妻である人物を見てその緊張もすぐさま解けた。
姿が違えど、接してくる言葉や態度はそれまでと変わらない。

その日から、浅葉は新たな気持ちで浅水付きになることを二人に誓ったのだ。


「この文を、いつもの場所に保管してくれる?もちろん、ヒノエには内密に」


文箱を浅葉に預けながら、周囲に気を配る。
邸にいる女房たちなら気配でわかるが、生憎と、ここの主は気配を消して自分の側へ近寄るのが好きなのだ。
おいそれと隙を見せてしまえば、隠していることが芋蔓方式で全てばれてしまう。


「わかりました。ですが、本当に何も頭領に言わず、よろしいので?」
「いつかはわかることだけど、それは今じゃないからね。今までのはまだ見つかってないでしょ?」
「それは大丈夫だと思います」
「ならいいけどね。でも、そろそろ数も増えてきたかな……」


顎に手を当てて何かを思案する浅水に、浅葉は何も言わずに言葉を待った。
基本的に、烏が主に何か意見することはない。
烏をまとめているのは別当であるヒノエだが、浅葉が今仕えているのは浅水。
ヒノエがこの場にいない以上、主は必然的に浅水となる。


「もう少ししたら、まとめてどうにかするから、それまではやっぱり保管しといて」
「はい。では、御前失礼します」


文箱をしっかりと抱え、浅葉の姿が見えなくなる。
こういうところはさすがだな、と感心してしまう。
自分は烏としての訓練はしていないから、ああも簡単に移動する術は身につけていなかった。


「わざわざ浅葉が出てくるなんて、オレに隠れて何の相談だい?」


不意に聞こえてきた声に、思わずドキリとする。
いつの間に、と思う気持ちと、この場に浅葉がいなくて良かったと思う気持ちが綯い交ぜになる。
けれど、どこへ行ったのかを聞いていなかったのだから、いつ戻ってきてもおかしくはない。
そして出掛けていた彼へ告げる言葉は、既に決まっていた。


「お帰り、ヒノエ。別に隠れて相談してたわけじゃないよ」
「そう願いたいね。ただいま、オレの姫君」


抱きしめられて、額に軽く唇が落とされる。
ヒノエのスキンシップはいつものことだったが、結婚してからは更に輪を掛けているような気がする。
けれどそれが嫌じゃないから困るのだ。
こうやって、大切な人と共に過ごす穏やかな時間。
それが愛おしくてたまらない。


「相談じゃなかったら、一体何事だい?」


耳元をくすぐる吐息がくすぐったい。
肩を竦めることで耳を庇いながら、腕の中で身じろぎする。


「っ、もう。文がね、届いたんだよ」


そう言って、ホラ、と手の中にある文を彼に見せてやる。
すると、浅水を抱きしめながら彼女が持つ文の差出人を確かめる。


「朔ちゃんからはわかるけど、野郎からの手紙ってのは頂けないね。オレよりも、そいつを取ろうってわけ?」


差出人の片方に、嫌な名前を見付けたせいか、ヒノエの顔が顰められている。
ヒノエと弁慶の関係は、今も昔も変わらない。
顔を合わせれば始まる言葉の応酬。
二人を止めてくれと、何度半泣きの女房たちから言われたことか。
そのたびに間に挟まれるこちらの身にもなってくれと、頭を抱えるのもやはり変わらない。


「ところが、今回はヒノエ宛てにも来てるんだよね」
「オレにも?」
「そう、私宛てとヒノエ宛てに」


言いながら、弁慶がヒノエに宛てて書いた方の文を手渡してやる。
それを受け取った瞬間、何とも言えない表情をしたヒノエだったが、小さく嘆息吐いてから懐に文をしまい込んだ。
後から一人で読むつもりなのだろう。
やはり、弁慶がヒノエに宛てて文を書くことなど、滅多にないのだ。
何か良からぬことが起きたのだろうか?


「ふふっ、お前が心配するようなことは、何一つ起こっちゃいないよ」


じっとヒノエを見つめていれば、浅水の頬にかかっている髪を耳へかけてやりながら、頬をやんわりと包み込む。
それに自分の手を重ねれば、自分とは違う、節ばった男の手を感じることが出来る。
彼の手はいつからこんなに大きくなったのだろう。
顔だって、幼さがすっかり抜けきり、精悍さが増すばかり。
水軍の連中はよく「湛快に似てきた」と言っているが、確かにその通りだ。


「ならいいんだけど……」


語尾が濁るのは、不安要素が抜けきらないせい。
ヒノエの言葉を疑うわけではないが、やはり滅多に便りをよこさない人がよこす便り、というのは気になる物。


「憂い顔も嫌いじゃないけどね。どうせなら、笑った顔の方がいいな」


サラリとそんなことを言ってのけ、軽く触れるだけのキス。
さり気ないそれは、いかに女性の扱いに慣れているかを、まざまざと見せつけてくれる。
ヒノエもそうだが、湛快もその弟である弁慶も女性の扱いはかなりの物だ。
やはりこれは血の為せる業なのだろうか。


「その言葉で、どれだけの姫君が泣いたことやら」
「その中に浅水も入ってる?」
「残念ながら、私はそんなヒノエを見て育ったわけだから、泣くなんてまず有り得ないね」
「だよな……逆にオレが泣かされてばっかだった気がする……」
「ちょっと、誤解を招くような言い方しないでよ」


軽く手を上げれば、ひらりと交わされる。
元より、力を入れるつもりはなかったから、仮に当たっても痛みは感じないはずだ。

幼い頃はどちらかといえばヒノエよりも浅水の方が強かった。
方や見た目も中身も同じ子供。
方や見た目は子供、中身は十七。
一緒になって遊ぶときはまだしも、何かあれば冷静に対処できたのが浅水の方だ。
あの頃は、感情よりも理性の方が先に出ていたような気がする。


「頭領!」


廊下を駆けてくる音が聞こえたかと思えば、同時にヒノエを呼ぶ声も聞こえる。
二人して声のした方を見れば、ヒノエが小さく舌打ちするのが聞こえた。


「無粋なヤツだね。せっかくの浅水との逢瀬を邪魔するなんて」
「何かあったのかな」
「いいや、いつまでも戻らないオレを呼びに来たんだろ」


軽くそんなことを言い放つヒノエに、思わず顔が顰められる。
ということは、ヒノエは浅水が起きた時間を見計らって仕事を抜けてきたのだろう。
でなければ、いつまでも戻らない、などという言葉は使わないはずだ。


「仕事、抜けてきたわけ?」
「昨日激しくし過ぎたから浅水が心配だった、とは思ってくれないわけ?」
「なっ……馬鹿じゃないの」


その言葉に、思わず顔に熱が上がるのを止められない。
だが、ヒノエの言葉はもっともで、未だに腰の辺りが怠くて仕方がない。


「酷いな、お前が心配なのは本当のことだけど?」
「あのね……んぅ……っ」


ぐい、と腰を抱かれれば、途端に息をもつかせぬような激しい口付け。
昨日の熱をすぐにでも思い出しそうなそれに、思わずヒノエの着物を握りしめる。
足に力が入らなくなったところでようやく解放されれば、そのままヒノエの肩にしなだれる。


「しっ、失礼しましたっ!」


ちょうどその場についた男は、二人のそんな光景を目の当たりにして、顔を赤く染めながら思わず回れ右をした。


絶対に狙ってやったのだ。


そう思わずにはいられなかったが、この状況では何を言っても無駄だろう。
大人しくヒノエに身体を預けたままにしながら、内心で謝罪する。


「全くだね。奥方を部屋へ運んでから戻るから、お前は先に戻ってな」
「はっ、はい」


言って、男の姿が完全に見えなくなると、ヒノエはそのまま浅水を抱き上げた。
突然身体が宙に浮けば、必然的に何かに捕まりたくなる物。
けれど、ここにはヒノエしかいない。
仕方なく、浅水はヒノエの首筋に手を回し、落ちないようにしっかりとしがみついた。
そうすると、ヒノエがこちらを見下ろしてくる。


「役得、かな」
「自分でそうするように仕向けといて、役得も何もあったもんじゃないでしょうに」


はぁ、と小さく溜息を吐きながら言えば、違いない、と返される。
部屋まで運んでもらえば、そっと下ろされる。


「夕方までには戻るから、それまで大人しくしてなよ」
「生憎、誰かさんのせいで今日はそこまで動けません」


まるで子供にでも言い聞かせるような口調に、棘を含んだ口調で言い返してやる。
すると、目を丸くした後、ヒノエは小さく吹き出した。
それに憤慨したのは浅水である。
一体誰のせいだと思ってる、と目で訴えれば、何のつもりなのか、そっと頭を撫でてくる。





ヒノエが出掛けた後、浅水は届いた文を読み始めた。










過保護は従兄弟の専売特許だった 










第三部ではオリキャラ登場!……しかし、甘くならないのは何故だっ
2008.9.11
 
  

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