重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


湛快と別れた後、ヒノエの部屋へと足を向けた。
ヒノエのことだから、今後の予定でも話すのだろうと何とはなしに想像する。
問題はどうやって平家に悟られずに船を源氏の元まで届けるか。


平家は未だ、熊野が中立だと信じて疑わないだろうから。


肉体労働は嫌だなぁ、などと思いつつ、水軍衆がいるのだから自分一人くらい楽は出来ないだろうか、と思案する。


「あいつと何話してたんだ?」


部屋に腰を落ち着けると、ヒノエが真っ先に口を開いたのがそれだった。
そのことにおや?と首を傾げる。
これまでヒノエが浅水に関することを尋ねたのは、一度きり。
それ以外は、ほどんとと言っていいほど何も言ってこなかった。
それなのに湛快と話をしていただけで尋ねてくるとは。


やはり湛快の言動には興味があるのか。


何だかんだ言いつつ、ヒノエは父である湛快を尊敬している。
だからこそ、自分に別当の地位を譲って隠居の身となった彼を疎ましく思っているのだ。
実力だけならまだまだ現役。
だからこそヒノエが熊野を離れている間、別当代理として熊野をまとめていられる。


「湛快さんの行動がそんなに気になる?」
「はあ?何でオレが」


心底驚いた様子のヒノエに、思わず吹き出してしまう。
恐らく無意識の行動だったのだろう。
だからこそ、それを指摘されてあからさまな表情になる。
ふとした拍子に現れる年相応な表情は、浅水の知るヒノエからは見れなくなって等しい物。
三年という時間はこんなにも大きいのだと、改めて思わされる。



「だって、ヒノエが私に興味があるとは思えないから」



そう告げれば、僅かにヒノエが瞠目するのが分かった。

純粋な興味はあるのかもしれないが、きっと彼が気に掛けているのは自分ではない浅水だろう。
気に掛けている物が彼方にあれば、目先にある物が目に入らなくても仕方ない。
それゆえの言葉だったのだが、違うのだろうか。


「……別に、興味がないわけじゃないけどね」


ボソリと呟かれたヒノエの言葉は、浅水の耳まで届かなかった。
急に視界が一転する。
確かに座っていたはずなのに、いつの間にか天井が見えた。
チラリと視線を動かせば、自分を見下ろしているヒノエの顔。
押し倒されたと思い至るまで、さほど時間はかからなかった。

いとも簡単に押し倒されたことに、浅水は多少ならず驚いた。
やはり若いとはいえ、男であることに変わりはない。
女である自分は、三年前のヒノエにすら叶わないのか。


だがしかし。


色気も雰囲気の欠片もなく押し倒されてしまえば、一体何がしたいのだろうと首を傾げるしかない。


「それで?別当殿は何がしたいのかしら?」
「この状態でそれを聞くのかい?」


嘆息一つ吐いてヒノエを見据えれば、不敵そうな笑みで簡単に返される。

この状態。

確かに、見る人が見たら誤解を招かれかねない状態だ。
だが別当の部屋に不用意に近付くような者はいない。
やってくるとしたら、一大事があった場合だ。
それに浅水がヒノエと一緒に部屋に行くのを見ている女房もいる。
浅水が声を上げたとしても、きっと流されて終わるのだろう。

それは部屋に用意されている寝具からも想像が出来た。

ヒノエの用が済むまでは、と用意された一室に寝具の類は見当たらなかった。
身体を横にしたいとも思わなかったから、それはそれで構わなかったのだけれど。
まさかそういう意味で捉えられていたとまでは想像が出来なかった。
なぜなら、ヒノエの部屋に入った途端に目に入ったのが、二対の寝具。
ヒノエはそれについて何も言わなかったけれど、部屋に入るなり鼻を鳴らしたから、きっとヒノエが命じたのでないことは目に見えている。

そして、冒頭の問い。

きっと湛快辺りが命じたとでも考えているのだろうか。
だが、それは有り得ないだろう。
得体の知れない女を熊野に、しかも別当家に招くような愚行はしないはずだ。
だからこそ、湛快は浅水を見極めるために現れたのだろう。


さてどうしようか。
自分の上にいるヒノエを見上げながら、どうしたもんかと思案する。
引く手あまたなヒノエは、既に女性経験豊富なはず。
それに、彼が本当に自分と褥を共にするつもりなら、とうに行為に至ってもおかしくはないはずだ。
それをしないということは、元よりそのつもりがないということ。


「とりあえず、寝言は縄抜けを完全に会得してから言ってもらおうかな」
「縄抜けなんてもう覚えたろ。それとも、今度は浅水自身を縛ろうか」
「はいはい、ヒノエが縛りたいのは私じゃない私でしょ」


ヒノエの額を指で弾き、どいて、と軽く肩を押せば、ヒノエはあっさりと浅水の上からどけた。
これはこれで面白くない気もするが、やらなければいけないことがある。
遊ぶよりも先にそちらを済ませておかねばならない。


「それとも、別当殿は人の物に手を出すのが趣味だったかしら?」


くすくすと笑みを零しながら告げれば、ヒノエは今まで見たこともないような表情を浮かべていた。
きっと頭の中では浅水の言葉を反芻しているのだろうが、表情までは抑えきれなかったらしい。


「え、ちょっ……」


思わず待ったを掛けるように浅水の方へ手のひらを向ける。


「あんた、男が既にいるってわけ?」
「だからそう言ってるじゃない」


してやったり、と言わんばかりの顔をすれば、ヒノエはそれほどショックだったのか。
頭を抱えてブツブツと何やら呟き始めた。
恐らく、この時空の浅水について考えていると思われるが、それにしも随分な態度である。


「なあ、浅水は誰と結ばれたんだ?」


ふと、何かに思い至ったようにヒノエが浅水を見た。
もしかしたら、自分と結ばれた相手がこの時空の浅水とも結ばれる、とでも思っているのだろうか。
あながち間違いではないが、いつだってイレギュラーという物は存在する。


それがヒノエの死であったり、浅水の死であったりと様々だが。


必ずしも決められた未来というのはないのだ。


「さあ、誰だろうね?」
「何だよ、別に教えてくれてもいいだろ。それとも、オレには言えないってわけ?」


またしても年相応な表情を浮かべるヒノエに、胸に浮かぶのは郷愁か。

どうせなら、自分のよく知るヒノエがいればいいのにと思ってしまう。
例えこの時空から戻れたとしても、問題が解決するまでは熊野に帰れない。

ヒノエにすら、会えない。

航海の帰りを待っているのとは違い、胸に浮かぶ寂しさもいつもとどこかが違う。
それはきっと目の前にいるヒノエが、彼とは似て異なるせいだろう。


「だって、先に知ったら面白くないでしょ?それに、私の目的は話したよね?」
「来るべき未来を変える、ってやつかい?」


熊野に向かう途中で話していたそれをヒノエが口にする。
与えられた情報をきちんと己の中で管理していることに内心で拍手する。
けれど、それができなければ別当職などやっていられないだろう。


「そう。だから、まだ未来は決まってない」
「だから言えない、ってことかい」
「ご名答」


自分の知る、来るべき未来。
それは、ヒノエがこの世から去り、彼の変わりに弁慶が熊野を治める姿。
いくつかある未来の一つだと分かってはいるけれど、やはりヒノエがいない世界は苦痛でしかない。


だが、この時空の浅水が自分と違うことに、疑問が次々と浮かんでくる。
例え熊野で十年過ごしていなかったとして、星の一族としての知識は祖母から与えられているはずなのだ。
それなのに、力の一切が使えない。
更には、京にいたときから望美たちと行動を共にしていたようなのに、望美たちは浅水を幼馴染みだと認識していない。
これは一体何を意味しているのだろうか。



──      。



「え?」


何かが聞こえたような気がして、浅水はぐるりと頭を巡らせた。
けれど、部屋にいるのは自分とヒノエの二人だけ。
気配を窺ってみても、誰かが潜んでいるという感じは見受けられない。


「何かあったか?」


きょろきょろと頭を揺らす浅水に、ヒノエの視線が鋭くなる。
慌てて何でもないと言えば、どこか納得の行かない表情ながらも、ヒノエは警戒を解いた。


「じゃ、縄抜けの最後の仕上げをしようか」
「……なあ、縄抜けに最後の仕上げとかいらなくないか?逆に締め上げられそうで怖いんだけど」


嬉々として告げる浅水に、ヒノエの顔がどこか青ざめている気がするが、気のせいだと言うことにしておく。
きっと、想像したのは叔父である黒い人物だろうが、生憎自分はそこまで酷くはない。

だが、やり遂げた暁にはご褒美は必要か、と頭のどこかでチラリと考える。


「じゃあ、ヒノエが完璧に縄抜けを会得したら、ちゃんとした私の名前を教えてあげる」


きっとヒノエが知っているのは浅水という名前だけだろう。
ならば、ちゃんとした名前を教えてやれば、ヒノエの知りたいことの答えにもなる。


「出来なかったら?」


キラリ、とヒノエの目の色が変わったのが分かった。
この条件で彼が乗ってこないはずがない。


「完璧に会得するまで寝かせない」
「そういうお誘いは、是非とも褥の中で睦みながら聞きたいね」
「馬鹿」


がっくりと肩を下ろしながら、縄抜けのための鎖を用意する。
熊野に着く前にヒノエに頼んでいたおかげか、それは既に部屋の片隅に準備されていた。


「毎回思うんだけど、こうやって自分が縛られるのを見てると、変な趣味だと思われそうでゾッとするね」


他のヤツには見せられない、とぼやくヒノエに浅水は手を動かしながら口を挟んだ。


「熊野別当は緊縛されるのが趣味です、って?やってみる?」
「おいおい、冗談だろ?そんな根も葉もない噂を立てられたら、熊野の終わりだぜ?」


勘弁してくれ、と心底呟くヒノエに小さく肩を竦めてみせる。
熊野によからぬ噂が流れるのは、浅水とて本意ではない。



鎖から抜け出したヒノエが、無事に浅水の名を聞き出せたかどうかは火を見るよりも明らかである。










ご褒美は付き物だからね 










とりあえず、ヒノエはイエローカードで(笑)
2009.6.25
 
  

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -