重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


源氏の陣からヒノエと飛び出して早数刻。
周囲は既に宵闇に包まれている。
半月、と九郎に約束したからには多少の強行軍も仕方の無いこと、と浅水は何も言わずにヒノエの少し後ろにいた。
つかず離れずのこの距離は、いざというときに立ち回れるだけの余裕がある。
遅れたら置いていく、と言っていたのはヒノエだが、いつもより速度を落としているように思えるのは気のせいか。
そこまで考えて、そういえば、と思い直す。

今の自分は、ヒノエと共に成長した自分ではないのだ。
だからこそ、この速度がヒノエが妥協できる物だと気付く。
本来ならもっと早く移動できるのに『浅水』というイレギュラーが一緒にいるせいで、速度を落とす羽目になった。

このままでは、ヒノエの計画にズレが生じる恐れがある。
一度ヒノエに話さなければいけない。
そう思っていると前を進むヒノエが馬の足を止めた。
何かあったのか、と馬をその場に止めて周囲に気をやりながら、ヒノエの様子を伺う。


「この辺でいいか」


けれど、聞こえてきたのは普段と何ら変わりのない口調。
身軽そうに馬から下りると、近くにある木に手綱を結びつけた。


「え……?」


それに驚いたのは浅水自身である。
目の前でヒノエがしているのは野宿の準備だ。
確かに、あと少しで周囲は闇に包まれてしまうが、進めないほどではない。


「早く馬から下りなよ。今日はここで野宿だぜ」
「でも、急ぐんじゃ……」
「確かに急ぐ旅ではあるけど、その前にやらなきゃいけないこともあるんでね」


これ以上進まない、というヒノエの意思は変わらないらしく、浅水は仕方なく馬から下りた。
ヒノエに倣い、近くの木に馬を繋いでおき準備を手伝おうかと手を伸ばす。
けれど、やんわりとそれを拒絶された。
この状態で拒絶された場合、何を意味しているかなど安易にわかる。



自分はヒノエに疑われているのだと。



それもそうだろう。
ヒノエを頭領と呼び、持っていない小太刀を持っている。
望美ですら自分に違和感を持ったのだ。
それをヒノエが気付かないわけがない。
小さく溜息をついて、ヒノエの動作を目で追う。
三年前のヒノエはこんなにも幼かったのかと、改めて思う。

今では自分よりも背が高くなり、別当としての落ち着きもある。
何より、包容力が違うように思えた。
だが、洞察力や鋭さは変わらない。
恐らく今頃は自分のことを観察しながら考えているはずだ。


(少し寂しいなぁ)


自分はヒノエを知っているのに、ヒノエは浅水を知らないと言う事実だけが感傷を覚えさせた。










「で、あんたは一体誰なんだい?」


簡単に食事を済ませた後、やることもなくただぼんやりと焚き火を見ていれば、不意にそんな質問が飛んできた。
けれど突然過ぎたせいか、思っていた以上にいい言葉は見つからない。


「誰って……浅水、だけれど」


返した言葉はそれだけ。
しかも、昼間に口調を意識していたせいか、出てきた言葉も普段のそれとは微妙に違う。
それを聞いたヒノエは多少眉をしかめつつも、鋭い視線を外そうとはしなかった。


「仮にあんたが本当に浅水だとしても、オレの知ってる浅水じゃない」
「……さすがだね、いつから?」


言われることは想像が出来ていただけに、驚きには繋がらない。
恐らく最初から知っていただろうと思うのに、尋ねることは止められなかった。


「今朝から、かな。浅水からは感じられなかった神気を、今の姫君からは強く感じるからね」


それに、浅水はそんな小太刀を持っていなかった。と続けるヒノエにやはりと思う。
しかしこの時空の自分は本当に神気を持っていなかったのか。
夢見も出来ず、四神からの助力も得られないといった時点で想像は出来たが、改めて言われると嘆息してしまう。
元は同じ人間なのだから、例え違う時空にあったとしても星の一族としての能力くらい、使えそうな物だが。


「第一浅水はオレを『頭領』だなんて呼ばないよ」
「あぁ、でしょうね」


その一言には大きく頷いて同意する。
自分だってヒノエを頭領と呼ぶのは限られたときだけだ。
目の前の彼は、その理由すら知らないけれど。


「何が目的だい?浅水に成り代わってまで、あんたは何をしようとしてる」


先程よりも厳しい口調に、どう答えた物かと唇を舐める。
成り代わった、と思われても仕方のないことだろう。
現にここにいる自分は浅水でありながら浅水ではないのだから。
だが、やらなければいけないことがある。
それをやらなければ、自分は元いた場所に戻ることも、彼に会うことも出来ない。


「目的、ね。私は、私自身の願いを叶えるためにここにいるんだけど」
「願い?それはあんたの、ってことかい?」
「私であって、私じゃないかな」


普通に考えたら、ヒノエの言っていることも理解できるだろう。
これは少々ややこしいかもしれない。
幸いにも、夜明けまでは時間がある。
浅水はヒノエに説明することを決意した。
このままでは、お互いの話が行き違ってしまう。


この時空にいる浅水が、別の時空にいる自分を呼んだこと。
そして、自分には出来ない頼み事をしたこと。
そのために、この時空にいる浅水の中に、別の時空の浅水が入っていることを簡単に告げる。


もちろん、この時空の未来については一言も触れなかった。
自分が存在している時点で、未来はまだ決まっていない。
結末を知っている自分は、それを違えるためにここまで来た。
むざむざと同じ結末を迎えるなど、誰がさせてやる物か。


「……じゃあ、浅水の願いってのは何だったんだ?」


がしがしと頭を掻きながら、ヒノエが難しい顔をしている。
恐らく、理解はしているのだろう。
理解はしているけれど、感情がそれに追いついていないというところか。


「来たるべき未来を変えること、かな」


それを変えることで、自分の望む物が手に入る。
そして、この悪夢もやっと終わる。
いくら夢の中とは言っても、愛しい人の逝く様は見て嬉しい物じゃない。


「それはオレに関係してることか?」
「さあ、どうだろうね」


へらりとかわしながらも、内心ドキリとした。
賢いヒノエのことだ。
自分が望美側ではなく、ヒノエについてきた時点で何かを感じ取っているのかもしれない。


「言いたくないならそれでもいいけど、肝心なことは言ってもらわないと信用しないぜ」


それは尤もだ。
本当のことを話したとは言っても、ヒノエの信用を得るまでに至らない。
人から聞かされた未来をヒノエが鵜呑みにするとは思えないが、だからといって進んで口にしたくもない。


「嫌だね。どこの熊野別当も鋭くて」


だから、肩を竦めながらそう言うのが精一杯だった。


「じゃなきゃ、別当職なんてやってられないからね」


けれどヒノエはそれ以上話を突き詰めてくる事はなく、逆にニヤリと笑みを作っただけだった。
そのことに内心安堵するが、それで終わったわけではない。
出来ることなら、熊野へ辿り着く前にやっておかなければいけないことがある。


別段、熊野へ着いてからでもいつでもいいが、周囲の目があるところではきっと嫌がるだろうから。
ヒノエは表だって努力するような人間ではない。
自分の知るヒノエは、いつだって人の目を避けるようにして努力していた。
もし、目の前にいるヒノエも同じだとしたら?
きっと、自分が彼にすることは、他の誰にも見られたくないはずだ。


「ね、ヒノエは縄抜けとかできる?」
「縄抜け?」


尋ねれば不思議そうに瞬きをした。
縄抜けが出来ないことを知っていながら尋ねる自分は、随分と意地が悪いのかもしれない。
けれどヒノエがそれを出来なければ、未来は繰り返されるだけ。
事実、縄抜けを覚えていなかったヒノエは、鎖から逃れる術もなく船と共に炎に包まれた。


「不思議な事を聞くね。オレに縄抜けが出来るか、なんて」
「茶化さないで。出来るの、出来ないの?」


ずい、と身を乗り出すようにヒノエの方へ顔を近づけれる。
こちらが真剣なことに気が付いたのか、ヒノエは小さく息をついた。
あらぬ方へ視線を動かせば、ぼそりと小さく「出来ない」とだけ呟いた。
縄抜けが出来ないことを知られるのが嫌だったのかもしれない。
だが、浅水にとって重要なのは縄抜けが出来ないという事実だけ。



出来ないなら、出来るようになればいい。



幸いにも、熊野までは二人きりだ。
近くに烏の気配はするが、誰かの目があるわけでもない。
熊野までは短い時間だがヒノエならばきっと身につけることが出来るだろう。


「縄抜けが出来ないことが、どう関係するってんだ?」


多少不機嫌そうに、年相応な表情を浮かべるヒノエに思わず笑みが浮かぶ。
こういう姿も、後少しで見ることは出来なくなるのだ。
今の打ちに堪能しておくのも、悪い事じゃない。


「別当が捕まったときに縄抜けの一つも出来ないなんて、情けないでしょ」
「要は、捕まらなきゃいいんだろ」
「絶対、なんてのは存在しないからね。それに、覚えて損は無いと思うけど?」


もちろん、ヒノエが覚えないと言っても問答無用で覚えさせるつもりだ。
どうせなら自主的に覚えると言って欲しい。
じっとヒノエの返事を待っていれば、顎に手を当てて何やら考えている様子が目に入る。
縄抜けはいざというとき役に立つ。
例え使う機会がなかったとしても、覚えていて損をするわけでもない。


「あんた、それが地かい?」
「まあね。ここの浅水みたいな話し方は、肩が凝るのよ」


言って、肩を解すように動かせば、ヒノエが吹き出した。
失礼なと思ったが、これで信用を得られるのならばもうけ物。
だが、そう簡単にヒノエが信用するとは思えない。


「もちろん、縄抜けは姫君が教えてくれるんだろうね?」


ひとしきり笑った後、口角を斜めに引き上げたヒノエに思わず瞬きする。
しかも、これまでは「あんた」としか呼んでいなかったのに、いつの間にか「姫君」へと変化している。
これは相当な変化だ。


「当たり前。嫌だって言っても教えるつもりだったからね」


人の悪い笑みを浮かべながら告げれば、ヒノエの顔が一瞬引きつった。
善は急げと言わんばかりに、荷物の中から縄を取り出せば、まずは簡単な方法から教え始める。


「なぁ、悪いけどオレそういう趣味は……」
「縄抜けするのに縛らないで、どうやって覚えるつもりよ」


あからさまに嫌そうに顔を歪めたヒノエに軽く叩きながら言えば、渋々と両手を前に差し出した。


(そういえば、私が縄抜けできなかったらどうするつもりだったんだろ……)


ヒノエを縛りながら、そんなことを思う。
いくら自分自身のことでも、別の時空にいた自分の事まではわからない。


そういう浅水自身、この時空の浅水については知らないことの方が多かった。


それとも、目に見えて星の一族の力が使えなかっただけで、他のことが出来たとでもいうのだろうか。
別の時空の浅水が何が出来るか、とか。
そんな事は聞いていないが、どうしても気になってしまう。
でなければ、欠けた一部のことを知っているはずがない。


「姫君?」
「あ、何でもない」


手が止まった浅水を呼べば、ハッと我に返って再び手を動かし始める。
わからないことだらけの中でも、やらなければいけないことだけはハッキリしている。
ヒノエの運命を変えること。



きっと、もう一人の自分とはまた会うことになるのだろう。
全てをやり遂げた後に。
そのためには、目の前の事をやらなければならない。





熊野に辿り着くまでの数日。
縄抜けの練習を繰り返す二人の姿があった。










限られた時間は有効に 










束縛耐性ゲット
2009.4.30

  

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テーマ「人外ファンタジー」
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