重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


ぼんやりと意識が浮上してくる。
けれど、重い目蓋は未だ開かず。
耳に届いてくるのは、どこか緊迫した様子の声。
それと共に、飛び交う指示の声。
この声はどこかで聞いたことがある。
しかも、つい最近のことだ。
そう、この声は──。


「九郎」


無意識に口から言葉が出る。
それと同時に、あれほど重かった目蓋もすんなりと開いた。

視界に入る天井は見慣れた熊野の邸でも、梶原邸の物でもない。
むしろこれを邸とはとうてい呼べないだろう。
過去に戦で数度世話になったこれは、天幕だ。
ならば今は戦時中か。
ヒノエを助けてと告げられたのだから、当然かつての源平合戦に再び身を置くのだろうと想像はしていたが。
よりにもよって、戦の真っ最中だとは誰が思うだろうか。


「……やってくれるじゃない」


ぼそりと呟いて身体を起こす。
結局、詳しいことは何一つわからず終い。
となると、自分自身の力で情報収集することから始めなければならない。


「何、これ」


視界に入った自分の格好に、思わず声を上げる。
熊野で聞いた話によれば、自分は望美と行動を共にしていたらしい。
それを思えば、自分の服装も望美と似たような物かと思っていたのに。
自分が着ているのは、朔とさほど変わりのない着物。
髪もいくらか短くはなっているが、現代にいた自分の物よりは長い。
どういうことだと考えていれば、ふと、手元に置かれてある一本の小太刀が目に入った。
実戦には不向きにも思えるその装飾は、舞剣を加工して作られた馴染みのある品。
そして、小太刀から確かに感じられる四神の神気。


四神の協力を得た、という話は聞いていない。
だとしたら何故、ここにこの小太刀があるのだろう。


出来ることならもう少し詳しく聞きたかった。
これでは、自分が状況を理解するまでに酷く時間がかかってしまう。


「浅水さーん、起きてますか?」


頭を押さえながらどうした物かと考えていれば、天幕の外から自分を呼ぶ声が聞こえた。
その声は、自分の知っている物。
だが、返事をするよりも先に、違和感を覚えた。
声を掛けたのが誰かは知っている。
もちろん、ここが三年前の世界だとすれば彼女がいて当たり前だ。
翅羽ではなく、浅水と呼んだのも理解できる。
熊野にいなければ、偽名など無くてもよかったのだから。
けれど。



どうして、彼女が自分を呼ぶのに敬称を付ける意味があるのだろう。



声の主は間違いなく望美だ。
そして、自分の名前を知っているのなら、どうしてこれまで通りに呼ばないのだろうか。
あの呼び方では、まるで自分が望美の知る自分ではないようだ。

そこで、ふと気付く。


朔のような着物。
三年前よりも長い自分の髪。


もしかしたら、ここでも自分は望美たちより早くこの世界に辿りついたのではないだろうか。
そう考えると納得が出来る。
でも、どうして自分はそれを訂正してやらなかったのだろう。
何か理由があったのか。


「あ、起きてるじゃないですか。もう、だったら返事くらいして下さいよ」
「ごめん」


ぷう、と頬を膨らませる望美に苦笑しながら謝れば、望美は首を傾げながら浅水の顔を覗き込んできた。
若干身体を後ろに反らすと、じっと覗き込んでくる望美の視線が痛い。
もしかしたら、何か勘付いたのだろうか。


「浅水さん、悪い夢でも見ました?」


けれど、望美の口から出てきたのは全く別のことで。
そのことに安堵しながらも、気を付けなければ、と思う。


「どうしてそう思う?」


悪い夢なら、現在進行形で見ているところだ。
いくらこれが現実だとしても、夢であってくれと思わずにはいられない。


「えっと、何だか顔色が悪いし……話し方がいつもと違うような気がするから」


話し方が違うということは、いつも通りに話せないということか。
そのことに多少面倒だと思いつつも、これからは朔の様な口調を心懸けようと心の中で呟く。
それに、今は望美が顔色が悪いと言ったことを利用させてもらうことにする。


「少し、夢見が悪かったの。どんな夢かは覚えていないのだけれど」
「そうですか。じゃあ、弁慶さんに診てもらいますか?」


望美の申し出には、やんわりと断りを入れておく。
弁慶と一対一で向き合ったりしたら、彼はきっと自分の不自然さに気付くだろう。
そんなことがあってはいけないのだ。


「それよりも、今の状況を教えてもらえるかしら?」


せっかく望美がここに来たのだ。
少しでも現状を把握しておきたい。
今がいつなのかということも含めて。


かつて自分が歩んだ歴史では、ヒノエが熊野を動かした事実はない。
それは、熊野が戦に参戦しない限り、ヒノエが船に乗ることはないということ。
ヒノエが熊野を源氏方につかせなければ、彼が死ぬということはない。
ただ、問題としていつの時点で熊野が源氏についたのか、今の浅水にはわからない。

一度歩んだ道ならば、どこで選択肢を間違えなければいいかわかるけれど、結末だけしっている道は何を選んでいいのかわからない。

下手に選択肢を間違えれば、あの夢と同じことが繰り返される。
目の前で何も出来ずに、愛しい人を見殺しにするだけ。
それだけは、何があっても避けたい。
いや、避けなければいけないのだ。



でなければ、わざわざ自分がここまで来る意味がない。



少しでも間違わないように。
最善の結果を得られるように。


「あ、そのことなんですけど、今から軍議を始めるって九郎さんが」
「軍議を?」


それで呼びに来たのだと言われてしまえば、ここはついて行くしかない。
九郎のことだ。
待たせたら嫌味の一つでも言ってくるに決まっている。
小太刀を持って立ち上がれば、それに気付いた望美が再度首を傾げる。


「浅水さんって、そんな武器いつの間に持ってたんですか?」


純粋な疑問だったのだろう。
だが、それは浅水にとって悪い方向にしか進まない。
望美が小太刀を始めて見たのだとしたら、きっとここの自分は四神の協力を得ていないのだ。


「ちょっと、ね」


曖昧に言葉を濁し、九郎の元へと望美を促す。
ここで深く追求されたらどうしようと思ったが、幸いなことに望美はそれをしなかった。
だが、軍議が開かれるというのなら、きっと他のメンバーも小太刀に気付くだろう。
探りを入れてくるとしたら、弁慶辺りか。
いっそのこと、天幕に小太刀を置いていこうかとも考えたが、そんなことが出来るはずもなく。
結局小太刀を携えたまま軍議に参加することにした。












目的の場所へ行けば、すでに人は集まっていて。
写真のないこの世界で、三年前の姿をもう一度見れるとは思わなかったから、どこか感慨深い。
自分たちが最後だとわかると、遅れたことに謝罪を述べる。
てっきり何か言ってくると思われた九郎は、小さく返事を返しただけで何も言っては来なかった。
そのことに少しだけ驚いたが、今は軍議が先かと大人しくしておくことにする。
自分を見る弁慶の視線がどこか鋭かったが、それには敢えて気付かない振りをしておいた。
弁慶が真っ先に視線で捉えたのは自分の持っている小太刀だ。
後から厳しい質問攻めに会うだろうと、心に留めておく。
まずは情報収集が先だ。

どうやら自分たちが来る前に話は進んでいたらしい。
ならば尚更、話の流れを確認する必要がある。


「どうしても選ばなきゃいけないなら、正面の生田かな?三草山の戦いのせいで、還内府を怖がってるしさ」


う〜ん、と悩みながら進言する景時の言葉に、思わず浅水の眉がしかめられる。
三草山の戦には参加しなかったが、それ以降には参加している。
生田と聞いて、ここがどこか確信することが出来た。
過去に一度通った道。
けれど、あのときはこの場に北条政子がいたのではなかっただろうか。
和議を結ぶと見せかけて、平家に奇襲を掛けろと告げた鎌倉殿の正室が。


「でも、源氏に水軍っているの?」
「あら、源氏方でも三浦水軍は有名なのよ。私たち梶原党も水軍と繋がりがあるの」


思案にふけっていた浅水は、朔の水軍という言葉にハッと顔を上げた。
話を聞いていなかったせいでよくわからないが、平家をどう攻めるかという話だったはず。
そこに出てきた水軍の話。


正面が不安なら、後ろからも挟み込めばいい。
その為には水軍が必要不可欠。
ただ、源氏の水軍は瀬戸内から閉め出されていて動けない。


そうすると動ける水軍は、一つ。
思わずヒノエの姿を探せば、彼は黙り込んで何かを思案している。
きっと、ヒノエは熊野を動かすのだろう。
今を逃せば源氏に勝ち目は二度と無い。
ならば、熊野の力を総動員して平家に攻めればいい。
そうすれば戦は終わる。


「しょうがないか。ここはオレが一肌脱ぐしかないね」


小さく息をついたヒノエが、何かを決意したように言葉を紡ぐ。
こうなってしまっては、水軍が動くのは止められない。
後はいかにしてヒノエの死を回避するかを考えなければ。


「ヒノエくん、何をするつもり?」
「源氏が勝てる状況に持って行くには、熊野を参戦させるしかないってことさ」
「熊野水軍が見方になってくれるのっ?」


ヒノエの発言に、望美の瞳が輝いた。
いや、望美だけではない。
九郎や景時も、ヒノエの思わぬ発言に驚きながらも喜んでいる。
唯一、弁慶だけが何かを考えているようだが、それは熊野が源氏に味方した後のことだろうか。


「ヒノエくん、本当にっ?」
「ああ、もちろん。熊野別当、藤原湛増として約束するよ」


こう明言されてしまっては、もう後には退けないだろう。
そもそも、ヒノエが一度行ったことを違えたりしないのは、自分がよく知っている。


「で、具体的にはどうするつもりなんだ?」


いくら熊野が味方についても、源氏の元へ辿り着くまでは時間がかかる。
それまでどうするかということを聞きたいのだろう。
ここから先はヒノエの策であって、弁慶の策ではない。
弁慶ですら考えつかないことを考えているのかもしれない。


「オレに、半月の猶予をくれるかい?」


ヒノエが言ったのはそれだけだった。
半月の猶予をもらえるならば、半月後に熊野の船団を大輪田泊の沖に引き連れて来ると、自信を持った口調で告げたのだ。
その間、源氏は海岸へ移動してヒノエを待つという算段だ。
それ以上は言えないというヒノエに、望美が不服そうにしていたが、どこに耳があるかわからない。
下手に話すわけにはいかないということか。


「わかった。半月の間はお前を信じて待とう」


決断を下すのは源氏の大将としてか。
けれど、どこか引っかかるような気がするのは気のせいだろうか。
半月の間は、ということは、そこまでは待つがそれ以上は待たないという意味に取れる。


「沖に熊野の船団が見えたら、水陸同時に攻撃を開始する」
「ああ、オレが船団を引き連れて戻ってくるまで、決して戦を始めるなよ?」


同時に攻め上げないと源氏に勝ち目はない、と九郎に告げておきながら、ヒノエが念を押した相手は九郎ではなく望美だった。
九郎とどこか似ている望美のことをよく理解している。
固く言っておけば、望美は馬鹿な行動を取ったりはしない。
ヒノエを信じて待つと言う望美に、満足そうな笑みを浮かべる。


「じゃ、行ってくるよ。姫君は笑顔でオレを送り出してくれる?」
「うん」
「待って!」


ヒノエと望美のやり取りを聞いて、このままじゃいけないと感じた浅水は、咄嗟に声を上げていた。
もちろん、それに驚いたのはヒノエと望美だけではなく。


「浅水さん……?」
「どうかしたの?」
「何だ、突然」


どうやら、ここの浅水は突然行動を起こしたりはしないらしい。
こんな時まで自分の違いを実感させられるなんて思わなかった。
小さく自嘲気味に笑ってから、ヒノエの前へと進み出る。
持っていた小太刀をしっかりと握りしめ、ヒノエと向かい合うように立ち止まれば、そのまま地面に膝をつく。
着物が汚れることなど、些細な事でしかなかった。


「浅水さんっ!」
「姫君……?」


膝をついた浅水に、一体何事かという視線がいくつも投げられる。
そのまま頭を下げれば、ついて出る言葉など一つしかない。





「頭領、私も連れて行ってください」





ヒノエがこの言葉の意味を理解してくれるとは、露程も思っていない。
けれど、これが一番手っ取り早いのも事実。


「待って、浅水。あなたが行ってもヒノエ殿の足手まといになるだけだわ」
「そうだ。お前は大人しく俺たちと共に……」
「──いいぜ」


朔と九郎が抗議の声を上げたが、それはヒノエの言葉によって意味を無くしてしまう。
ヒノエが許可したのなら、こちらがどう言ったところで無理なのだ。
浅水にはヒノエについて行く意思があるし、ヒノエはそれを許した。
ならば、それを止める理由がどこにある?


「その変わり、遅れたら問答無用で置いて行く。いいな?」


ニ、と口端を斜めにつり上げて笑う様子は、自分の知るヒノエと何ら変わらない。
そういえば、自分が熊野を離れてから、一月以上ヒノエと会っていなかった事に気付く。
例え目の前のヒノエが、自分の知らない彼であっても、こうして再びまみえただけで顔が綻びそうだ。


「上等」


ヒノエと同じような笑みを浮かべてみせれば、直ぐさまその場に立ち上がる。

浅水とヒノエは天幕から抜け出すと、馬を駆けて熊野へ急いだ。








頭よりも身体が先に動くのよ 










再び源平合戦へ
2009.4.13

  

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