重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


自分自身とこうして対面する機会など、鏡を通してでしか考えられない。
だが、生身ではないけれど、確かに目の前にいるのも浅水である。
こうしてみると、同じ人間だというのにその身から感じられる空気が随分と違う。
まるで、同じ名前の別人と対面しているようだ、と浅水は内心ごちた。

それはきっと、歩んできた道が違うせいだろう。
方や熊野で十年も生活して、方やこちらの世界に来てから約四年。
しかも、熊野に関して言えばまだ三年である。

そして自分はヒノエが隣にいるが、こちらの浅水の隣には弁慶が。
やはり、パートナーとも言える相手が違うのも、何かしら関係しているのだろうか。
それよりも、今のこの状況だけはいただけない。


「この空間、熊野権現にも協力してもらったって言ったわよね?」

「ええ、言ったわ」

「解除は、一人でも出来るの?」


それを問えば、浅水は少し首を傾げてゆっくりと瞬きをした。
きっと質問の意味を考えているのだろう。

彼の神の力を借りて作った空間。
その強い力を、一人の力で解放することは出来るのか。
力の弱い者は、自分より強い者が作ったそれを解除することは出来ない。
もしこれが浅水に解除できない場合は、きっと熊野権現に誓願しなければならないのだろう。
感じることは出来ないが、多分どこかでこの様子を伺っているのだろうことは想像できる。


「……出来るわ」


けれど、思いもよらない返事に自分の考えは杞憂だったかと考える。
だが、自分が考えていることを実行すれば、再び来なければならない空間だ。
それを思えば再度熊野権現の力を借りる事に若干の心苦しさを感じる。

ならどうすべきか。

そう思ったときに頭の中に浮かんだのは、かつての経験。
アレならばきっと、何とかなるかもしれない。


「じゃあ、この空間を解除して元に戻してくれる?」


そう言えば、なぜ?と言いたそうな顔でこちらを見つめてくる。
あぁ、自分自身だというのに、どうして思考は同じでないのか。
少しでも考えれば、自分が今何を思っているのかわかりそうな物なのに。


「いくらここが別の空間だってわかっても、さすがにこの状況は嫌なの」

「でも、私はあなたにまだ何も話していない」


せっかく話をするために熊野権現の力を借りて空間を作ったのに、何もしないまま戻すわけにはいかないのか。
帰さないと強く言っている瞳に、思わず肩を竦めた。
自分自身の諦めの悪さは、自分がよく知っている。
それを否定することは出来ない。


「どうせこの空間は時間の流れなんか無いんでしょ?それに、ここでよりも夢の中で話したいんだけど」


まるで切り取られた空間。
きっとこの空間から解放されても、実際には一秒だって時間の経過はないのだろう。
だが、どうせなら夢の中で話した方がいい。
そこでなら、今のように居心地悪い思いもしないだろう。


「そこでなら、熊野権現だって出てこれるでしょ?」


かつての経験を思い出せば、四神の姿をその目にしたのは夢の中だ。
実際の外見があの通りなのかはわからないが、少なくとも何もない空間へ話しかけるよりはよっぽどいい。
思案するように黙り込んでしまった浅水からの回答を、静かに待つ。
悪い提案ではないはずだ。

浅水が何を話したいのかはわからないが、それはきっと自分に関係することだろう。
どうせなら、この世界へやってきたときに現れて欲しかった、と思わないでもないが、その辺は浅水の都合もあるのかもしれない。


「なら、あなたと弁慶が寝た後にあなたの夢の中で」


それで構わないかと聞いてくる浅水に構わないと頷けば、ブツブツと何かを口にしている。
浅水の耳までは届かなかったが、それが解除の方法なのだろう。

目蓋を閉じて、静かにその時を待つ。
すると、鼻腔をかすめる弁慶の匂いと、肌にひんやりとした空気を感じた。
戻ったのだろうと、ゆっくりと目を開ける。


「弁慶、そろそろ寝よ?」


そう言って一度だけ背をなぜてやれば、のろのろと弁慶の頭が動く。
その顔は、ほんの僅かな時間で随分とやつれたようにも見えた。
頬を両手で包むようにすれば、浅水の手の上に弁慶のそれが重ねられる。


「そう、ですね。明日も早いですから」
「たまには一日休んでもいいんじゃない?次の日は私も手伝うから」


せっかく将臣と敦盛が来ているのだ。
久し振りに、ゆっくりしても罰は当たらないという物。
それに、この世界の浅水と違って、自分は別当補佐としても動いていた。
重要な物でなければ、それなりに手伝えるだろう。


「ふふ、それは心強いですね」
「一通りは出来るから、期待しててよ」


明るくそう言って、再び弁慶を床へと促す。
別々の褥に横たわり、けれど弁慶の手を浅水が握ってやれば、程なくして規則正しい寝息が耳に届く。
それが狸寝入りではないことを確認すると、浅水も漸く瞳を閉じた。
眠れないかもしれないと思ったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
目を閉じればやってくる睡魔に、浅水は大人しく身を委ねることにした。


もう一度、もう一人の自分に会うために。
















上も下も、右も左も曖昧な世界。
過去に何度か訪れている場所に再び立てば、もう一人の自分の姿を探す。
一瞬、夢渡りすら出来ないのではと思ったが、熊野権現の神気を感じて待ち人が現れたことを知る。
けれど、現れたのは一人だけ。
見覚えのあるその姿は、先程現実の世界で見た浅水。
夢の中にいるからだろうか。
その姿は陽炎のようではなく、はっきりと実体を持っているかのようだ。
熊野権現の姿はない。
だが、感じられる神気から、この場にいることだけはわかった。


「で、話ってのを聞かせてもらいましょうか」


わざわざ熊野権現の力を借りて現れるくらいだ。
きっと、それほどまで重要な話なのだろう。


「……ヒノエを、助けて欲しいの」


出てきた名前に思わず反応してしまうのは仕方ないだろう。
そもそも、言葉の意味がわからない。
助けろ、とはどういう意味なのか。
自分の知るヒノエならばわかるが、目の前の浅水のヒノエならば既に手遅れ。
だが、疑問も浮かんでくる。
わざわざ違う時空へやってきた自分に、元いた時空のヒノエを助けてと言うだろうか。
それならば、今のように夢渡りで訴えた方が早い。
どうせ熊野権現の力を借りるなら、別な時空でも構わないはずだ。

かつて白龍の神子が時空を越えた際、新たに訪れた時空でも白龍は他の時空で何かあったのかを知っていた。

同じ神ならば、それも可能ではないのだろうか。


「助けろって、どのヒノエを?」


興味本位から出た言葉だったが、随分と嫌味のように聞こえてしまったかもしれない。
もし自分が見ている夢が関係しているのだとしても、あれはこれから起きる物ではない。
既に過去の物だ。





「この時空のヒノエを」





あっさりと告げられたことに、思わず瞠目する。
本気でそれをいっているのだろうか。
三年も前に亡くなった命を救うことなど、ただの人である自分に出来るはずがない。
それを頼むなら、それこそ熊野権化に頼むべきだ。


「本気で言ってるわけ?失われた命は取り戻せない。それくらい知ってるでしょ」
「知ってるわ。でも、あなたならそれが出来るの」
「どうやって?」


いくら出来ると言われても、安易に返事は出来ない。
まずは話を聞いてからだ。


「私にはなくて、あなたにはある物で」
「私が持ってて、あなたは持ってない物?」


一体何の謎かけだろう。
ヒノエや弁慶、はきっと違う。
それに、今の言葉から考えたら、その物を使えば助けることが出来るのだろう。
『物』と限定したからには、星の一族の力とも違う。
そもそも、この時空へやってきたときに自分が持ってきた物なんて一つもない。


「あ……」


そう思ったが、とあることを思いだした。
突然、着の身着のままこの時空へやってきた。
けれど、浅水が唯一身につけていた物がある。

着物の袷から紐を引っ張り、それを外へ出す。
手のひらの上に乗せれば、僅かに光を放っているようにも見える。
今までこんなこと一度もなかったというのに。


「白龍の、逆鱗」


そういえば弁慶も敦盛も、自分がこの逆鱗を持っていることに酷く驚いていた。
きっとこの逆鱗が答えなのだろう。


「白龍の神子である望美が、その逆鱗を使って時空を越えることは知ってる?」


その質問に直ぐさま頷く。
自分が逝った時空から、逆鱗と四神の力を使って時空を越えたという話は聞いている。





「じゃあ、彼女が何度も運命を上書きしていたことは?」





思わず息を飲んだ。
どうやらこちらの浅水は、自分の知らないことを知っているらしい。
さすがに望美が運命を変えていたという事実は初耳だ。
けれど、それを聞いて納得出来たこともある。

彼女の強さは、それなのだろう。

武器を扱ったことのない現代人、ましてや望美は女子高生だ。
あれだけ見事に剣を使いこなすためには、きっとかなり鍛錬をしていたのだろうと。


「それは、初めて聞いたわね。で?私にもこの逆鱗を使って運命を上書きしろって?」


話の流れから考えると、恐らくそうなのだろう。
だが、過去の運命を上書きしたら、今の運命はどうなるんだろう。

いくつもある運命の一つとして続いていくのか。

それとも、上書きされたことにより消滅してしまうのか。

もし後者なら、戦で人を手に掛けるよりももっと大勢の人を自分は殺してしまうのだろう。
消滅するというのは、そこにいる全ての人間がいなくなるということだ。


「そうよ」
「ヒノエ一人のために、この時空の全ての人間を見殺しにしろって?」


確かにヒノエは大切だが、彼は全てを弁慶に任せて逝った。
それを無かったことにしろというのか。


元は同じ人間だというのに、どうしてこうも違うのだろう。


自分なら出来ない。
大切なのは何もヒノエだけに限らないのだ。
冗談じゃない、と小さく呟けば何やら浅水が肩を落としたのが見えた。
だがその表情は、諦めた時のそれじゃない。
何となく嫌な予感がする。

多分、今話した事だけで頷くような自分ではないことは、浅水だってわかっているのだろう。
何せ基本は同じなのだから。

問題は、最後の手段に何を隠しているのか、だ。

どうしても断れないような条件をつけるのは目に見えている。
ここぞ、と言うときに使うのが最後の手。
そのタイミングを見逃してはいけない。










「ヒノエを助けなければ浅水の欠けた一部は手に入らない、って言っても?」










やはり出してくるか。
だが、どうして欠けた一部のことを知っているのか。
そういえば、黒龍も言っていなかっただろうか。
「浅水は唯一の存在だ」と。
もしそれが本当なら、欠けた一部が何なのか、目の前の浅水は知っているとでも言うのか。
自分にも、何が欠けているのかわからないというのに。


「その欠けた一部が何なのか、知ってるような口ぶりだね」
「当然でしょう?だって、自分自身のことだもの」


その口ぶりからすると、やはり知らないのは自分だけか。
ヒノエを助けなければ手に入らないと言うのなら、それがあるのはヒノエがいる運命なのだろうか。
だからこそ、彼を助ける必要があると。


「お願い。ヒノエを……私を、助けて」
「え……?」


呟くような言葉に、思わず耳を疑う。
今、何と言った?
ヒノエだけではなく自分を助けろと、そう言わなかっただろうか。
それは一体どういう意味なのだろう。


「それで、答えはどっち?」


訝しがっていれば、それまでと変わらない口調で答えを促される。
まるで、直前の呟きなど無かったかのように。


「選択肢なんて、私に無いじゃない」


欠けた一部を取り戻すためにはヒノエを助けなければいけない。
黒龍は白龍と共に自分も囚われいると言った。
ならば、自分の探し物の先に、白龍もいるかもしれない。
選べ、と言いながら選べる物は一つしかなかった。


「そう言うと思った。ありがとう、浅水」


心底安堵した表情を浮かべる浅水に、お手上げと言わんばかりに肩を竦めてみせる。
すると、浅水は静かに浅水の目の前へと移動した。
一体何のつもりだろうと、浅水の様子を見ていれば、とん、と軽く肩を押される。


「えっ」


直後、身体が宙へ浮かぶ感覚が身体を襲う。
どうしていつもこのパターンなんだ、と思わず叫びそうになる言葉を呑み込む。
それよりも、聞いておきたいことがあったのに。


「ちょっ、肝心なこと聞いてないっ!」


欠けた一部が何なのか、とか、どうやってヒノエを救えばいいのか、とか。
遠くなっていく浅水は、その顔に笑みを浮かべたまま「大丈夫」とだけ告げた。
何が大丈夫なのか、位置から説明しろと言いたいが、この状況では出来るはずもなく。
首からかけている逆鱗も、落下に合わせて宙に浮いている。
淡い光を放っていたそれが、次第に光を増してきたのはその直後。
目も眩みそうな光量は、浅水の姿を包み込んで、浅水の身体ごと──消えた。





「また後で会おうね、浅水」





その様子を最後まで見ていた浅水は、逆鱗が時空を越えるのを見届けてから、消えた。










やっぱり私は私でしかないみたい 










読みにくくてスイマセン……
2009.3.17
 
  

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