重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


将臣と敦盛を広間へと通せば、そこから先は過去の話に花が咲いた。
けれど、生憎浅水はこの場にいる二人と共通の記憶を持っていない。
本来ならここにいるのは弁慶の妻であり、この時空にいた浅水なのだ。
別な時空からやってきた浅水は、ここに来てまだ日が浅い。
けれど、浅水のことは風の噂で聞いているらしい。
二人が聞いてくることと言えば、熊野の生活は慣れたかだの、身体の調子はどうだ?といった浅水の身の回りに関してのみ。
それについては普通に応えることが出来るので、素直に話すことが出来た。


同じ運命を辿っているのなら、ある程度のことは話せるだろうが、この時空は浅水の知る流れとは全く違う。


どうやらヒノエとは相思相愛だったらしいが、熊野について詳しく知ったのも弁慶の妻となってから。
そして、望美たちと一緒に源氏に加勢したのは宇治川からだと言われれば、ぱったりと口を閉ざしてしまう。
だからこそ、三年前と今の記憶が混同しているという嘘が役に立つ。
もし指摘されても、素知らぬ顔で惚けることが出来るのだから。


「そういえば、二人は熊野に何か用があったんじゃないの?」


まさか怨霊である敦盛を連れて熊野参拝と言うことはあるまい。
そう考えれば、それ以外の理由で熊野にやってきたのだろうことは、安易に想像がつく。
だからといって、その用件が何なのかまではわからないが。


「あぁ、ちょっと弁慶に近況を報告にな」
「報告?」


思いもよらぬ言葉に、思わず首を傾げる。
この時空では清盛が倒れたことで源平合戦に決着がついた。
けれど、平家の生き残りがどうなったのか迄は聞いていない。
目の前にいる将臣と敦盛は平家だ。
二人に聞けば早いのだろうが、迂闊に聞くことの出来ない今の状況が憎い。


そもそも、どうしてこの時空の将臣は現代に戻っていないのだろうか。


一時的にとはいえ、現代に戻ることが出来た自分たちはそこで全てに決着を付けた。
将臣が現代に残ることを決めたのもその時である。
もし荼吉尼天を追って現代に行くことがなければ、自分の知る将臣もまたこの世界に残っていたのだろうか。


「まぁ、生き延びた平家のヤツらについてな」


幾分言葉を濁しながらも、ハッキリと言った将臣の言葉に浅水は瞠目した。
まさか生き延びた人がいるとは思わなかった。
鎌倉殿である頼朝ならば、きっと平家の残党も一人残らず処分しろと言うだろう。
けれど、それをしなかったというのか。
だが、それ以外にも疑問が生まれる。

どうして弁慶に報告するのだろうか。

仮にそれが頼朝の慈悲だと言うのなら、頼朝本人のところに報告にいくはず。
弁慶には関係のない話だ。


「あぁ、そっか。今のお前にはそっから話さなきゃなんねぇんだよな」


全くわからないという顔をしていれば、今の浅水の状態を思い出したのか、面倒くさそうに髪の毛を混ぜっ返す。
敦盛はそんな将臣を宥めているが、そう簡単に宥められる将臣じゃない。





「熊野がこっそりと手引きしたんですよ」





けれど、説明を全部飛ばして結論だけを話しながら広間へ足を運ぶ人物に、三人の視線が移る。
弁慶が上座に座れば、少ししてから女房が茶を持ってくる。
それを一口飲みながら、女房の姿が遠ざかるまで何も語らない。
理由はきっと、浅水のことがあるからだ。

だが、浅水の方は弁慶から与えられたヒントを元に、必死に頭の中で考えを巡らせていた。

熊野がこっそりと手引きしたのは、きっと船のことだろう。
平家には女房や子供だっていたはず。
戦力にならない女子供を船で運ぶくらいなら、鎌倉のいらない追求もかわすことが出来るだろう。


「よっ、弁慶。久し振りだな」
「弁慶殿、ご無沙汰しています」
「将臣くんも敦盛くんも、久し振りですね」


三人が挨拶を交わしながら色々と話を進めていく姿は、戦の時のような緊張感はなく、気心の知れた友との再会と言ったところ。
こんな姿は、きっとこの場でしか見ることが出来ないのだろう。

そういえば、自分のいた世界では生き残った平家はどうなったんだろうか。
結局、事後処理は京で九郎と弁慶、景時が、熊野でヒノエが終わらせたはずだった。
その間浅水は、後ろ盾となってくれた嵐山に毎日のように足を運んでいた。
もし戻ったなら、一度聞いてみるのもいいかもしれない。


「戦に関係のない女子供を熊野が助けるのは別に構わなかった、ってわけね」
「そういうことです」


よくできましたね、と言わんばかりの笑顔で告げる弁慶に、小さく鼻を鳴らす。
手引きした、と言っても熊野がしたのは船の準備くらいなのだろう。
それ以外の居住地などは、きっと将臣や平家の人たちで決めたはずだ。


「でも、よく還内府まで……あぁ、そっか。熊野に話を持ちかけたのが将臣なわけだ」


いくら女子供を逃がしたとしても、還内府を見逃すほど鎌倉も甘くない。
だとしたら、将臣は最初から最後の戦には参加しなかったのだろう。
そう考えれば納得も行く。


「どうかしたの?」


途端に黙ってしまった三人の顔を見れば、誰もがその表情に驚きの色を隠せない。
何か変なことを言っただろうかと考えれば、それに思い当たらなくもない。


「浅水、お前……」


チラリと弁慶を見て助けを求めようとしたが、その顔は自分で何とかしろ、と言っているようにも見えた。
いくら今と三年前を混同しているとはいえ、自分はとんでもない失言をしてしまったのだ。
弁慶までそれに驚いたのが何よりの証拠。





「何で俺が還内府だって知ってんだ──?」





やはり、辿った歴史が違えば知っていることも随分違ってくるらしい。
これ以上誤魔化すことは出来ないと思えば、浅水は弁慶に視線だけで確認する。
彼が頷いたのを見てから、浅水は自分のことを話し始めた。















浅水の話をするだけでも時間はかかったのに、その後もお互いに質問などを繰り返していればすっかりと夕餉の時間になった。
この際だからと、そのまま夕餉も一緒に済ませれば、出てきた酒のせいで軽い宴会のような物になってしまう。
それが終わって床についたのは、夜も深まってからだった。


「……ヒノエ」


そっと部屋から抜け出せば、月を仰いで彼の名を呼ぶ。
呼んだところで現れるはずもないのはわかっている。
だが、こうして懐かしい人たちに会えば、嫌でもヒノエのことを思い出してしまう。


今頃、自分がいなくなったと報せでも受けているだろうか。

それとも、今戻れば現代に行ったときと同じように、それほど時間が経過していないのだろうか。


白龍の逆鱗を取り出して手のひらに乗せれば、月明かりに照らされてそれが神聖な物のように見える。
事実、普通の人間では見ることも叶わない神の所有物。
それを手にすることが出来たのは、彼の神の神子だった。
自分が持っているのは、本当に偶然。
望美がくれなければここにはない。
だが、その望美もどうやらこの世界から現代に戻ったということは、将臣から聞いた。
今頃は現代で元の生活を送っているのだろう。


「いつまでの夜風に当たっていては、風邪を引きますよ」


ふわりと肩に掛けられた羽織に振り返れば、そこにあったのは弁慶の姿。
てっきり寝ている物だとばかり思っていたのに、起こしてしまったのだろうか。


「弁慶」
「君があの月に帰ったら、僕の天女は戻ってくるんでしょうか」
「それは……」


きっと弁慶はわかっているのだ。
自分が元の世界に戻っても、弁慶の妻である浅水が戻ってこないかもしれないということを。
けれど、それは浅水にすらわからないのだ。
だから安易に返事も返せない。
下手に希望を持つようなことを言って、実際は真逆だったという可能性だってある。


「眠れませんか」


急な話題転換についていけない。
突然どうしたというのだろう。


「ヒノエの、夢をみているのでしょう?」


ヒノエという名に、思わず羽織をぎゅっと掴んだ。
月明かりで見える弁慶の表情は、いつもの彼とは全く違っていて。
泣くことをこらえているような、そんな顔。


きっと、弁慶は誰よりもヒノエの死を悼んだのだろう。


顔を合わせれば、いつだってヒノエは弁慶を邪険にしていたけれど、弁慶はそれだけじゃなかった。
甥であるヒノエが可愛すぎて、逆にからかってしまうのだと。


「弁慶は器用そうに見えて本当に、不器用だね」


言いながら弁慶の頭を抱きかかえれば、小さく着物を掴まれたのがわかった。
恐らく、この役目は自分でなくてはいけないのだろう。

ヒノエの死を知り、けれどヒノエと運命を共にしている自分でなければ。

眠れないのは、多分弁慶も同じなのだろう。
別当としての責務に追われながらも、夜になればヒノエのことを夢に見る。
夜中に起きて、まんじりとしないまま日は昇り、再び仕事。
そんな日々を過ごしていては、いつかきっと倒れてしまうだろう。
だが、その為に自分がこの世界に呼ばれたと考えるのは、弱すぎる。
決定的な何かが足りないのだ。


この世界に来た理由の、最たる何かが。


けれど何日かここで生活してみた物の、別段変わったところもないのだ。
これでは単なる逆鱗の気まぐれかと思っても仕方のないこと。


「浅水……」


ふと、誰かに呼ばれたような気がして周囲に気配を配る。
だが誰かが潜んでいる気配は感じられない。
仮に刺客の一人でもいよう物なら、烏の気配だって緊張した物になるはずだ。
尚かつ、弁慶がそれに気付かないということはあり得ない。
ならば今のは空耳だったのか。


「浅水」


再び呼び声が耳に届く。
一度どこかで経験したことのある物だが、あの時は浅水も夢の中にいた。
ならば熊野権現や四神のように神なのかと思うが、そこまで清浄な神気を感じない。
それ以前に、この声に聞き覚えがあるような気がする。
どこか馴染みのある声。
一体どこから、と弁慶を抱えている腕はそのままに顔だけを動かしてみる。
そうすれば、目的の人物はそう遠くないところに確かにいた。


「あなたは……」


その姿を見て、思わず瞠目する。
離れている距離はそう遠くない。
けれど、問題は距離ではなくてそれ以外のこと。


ぼんやりと、まるで陽炎のように佇んでいるのは一人の女性。
幽鬼のようだが、それは有り得ないと知っている。
着ている着物は上質の物。
どうしてそれがわかるかと言われれば、その着物は見覚えがあるからだ。
見覚えがあるのはそれだけじゃない。
その人物が誰なのか、浅水が一番よく知っている。
その姿を知れば、声に聞き覚えがあっても、誰なのか特定できなかったのは当然だろう。
だって、自分自身に聞こえる声と、他の人に聞こえる声では若干違うのだから。










「この場合も初めまして、になるのかな?」










自分自身に挨拶する日が来るなんて誰が思うだろうか。
しかも相手は鏡の中にいるわけではなく、事実目の前にいる。
肉体を持っているわけではないので、実際に触れることは出来ないだろうが。
何の用があって自分の前に現れたのだろう。
しかもここには弁慶がいるというのに。

そう思って、浅水はおかしいことに気が付いた。
どうして弁慶は気付かないのだろうか。
例え姿は見えなくとも、浅水が声を上げていれば異変には気付くはずだ。
だのに、それに気付いた様子は一切ない。


「どういうこと?」


異変に顔を顰めれば、目の前の浅水がゆっくりとこちらへ近付いてくる。
近付くと言っても、肉体を持っていないために宙を飛んでいると言う方が近いか。
浅水は弁慶の元まで近付くと、その背に自分の顔を寄せた。


「……弁慶、ごめんなさい」


一体何に対しての謝罪なのか。
こうして弁慶を慰めるのは、本来なら目の前にいる浅水だ。
それが出来ないことを謝っているのか。
いや、それ以外にも理由はありそうだ。


「どうして弁慶は貴方に気付かないの?……ううん、違うわね」


尋ねてから、その質問が適正な物じゃないことに気が付いた。
言うべきはそれじゃない。
確認しておきたいのは違うこと。


「この空間は、あなたが作った物なの?」


どちらかといえば、これは結界に近いのかもしれない。
不浄な物を寄せ付けないように、本宮の周りに張り巡らされているようなそれ。
それが、浅水ともう一人の浅水を別の空間に隔離しているとでも言ってしまおうか。
すると、弁慶から顔を離して浅水は浅水を見ながら首を横に振った。


「私にはそんな力はないわ。これは、熊野権現の力を借りて作ったの」


熊野権現。

まさかここでその名前を聞くなんて。
熊野を加護する神まで一枚噛んでいるというのか。
それとも、熊野権現が力を貸さねばならぬほどの何かが起きているのか。





判断材料は、まだ足りない。










これ以上は何を驚かせてくれるのかしら 










弁慶はここまで弱くはないはず
2009.3.11
 
  

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