重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


暫しの沈黙はお互いの感情を落ち着かせるには、充分効果があった。
浅水の涙が止まる頃には、お互いに次のことを思案していた。


自然と出てくる物は、無理に止めようとしても余計に出てくる物。
時間と共に収まるのなら、そのまま好きにさせてやれ。


そう教えてくれたのは、一体誰だったか。
だからこそ浅水は流れる涙もそのままに、静かに時が過ぎるのを待っていたに過ぎない。


「それで、君はこれからどうするつもりですか?」


弁慶が何を聞きたいのかはわかる。
わけもわからぬまま自分の知らない時空に跳ばされて。
帰る方法すらわからない浅水の今後の動向が知りたいのだろう。

だが弁慶には悪いが、帰るための手段は既に見付けてある。
問題があるとすれば、自分が帰った後に弁慶の妻である浅水も戻ってくるかというところだ。
もちろん神でもない浅水がそれを知るわけではない。
だからといって、もう一人の自分を無下にも出来ない
それに、


「私がこの時空に来たのは、きっと何かの意味があると思うのよね」


いつだって物事には理由があるのだ。
だからきっと、この時空に浅水がやって来たということも、きっと何か意味があってのこと。


それが熊野に関することか、荼吉尼天に関することかは分からないが。


「意味、ですか?」
「そう。でなければ、わざわざ私がここにやってくる理由が判らないでしょう?」


多少問題はあるが、全てが治まった二つの時空。
ただ単に、ヒノエが隣にいない時空もあるのだと教えるためだけだとは、思えない。
きっと何かがあるのだ。


ここで。
この、時空で。


だからこそ、浅水はこの先どうするかを考えていた。
恐らく、それが一番なのだろうが、そのためには色々と弊害もある。


「だから、しばらくここに置いて欲しいんだけど……駄目かしら?」


弁慶にとっても、悪い話じゃないはずだ。
突然、正室がいなくなったと噂されるよりも、表面上は問題がないのだから。
あるとすれば、中身の問題。

この時空の浅水と、今の浅水では、出来ることに差がありすぎる。
ほんの数日。
しかも、あんまり面識のない人相手なら誤魔化す自身はあるが、邸にいるのは三年も顔を合わせている人たちばかり。
きっと違いには気付くだろう。
それを考えると、弁慶が頷かない可能性も少なくない。

そうなった場合、勝浦にでも行って住み込みの仕事を探せば事なきを得るだろう。
何にせよ、弁慶の返答次第で全てが決まる。


「そうですね……。確かに君がいれば、表面上は問題ないでしょう。あるとすれば、内の問題ですか」


やはり、彼も同じことを考えていたらしい。
となると、誰もが簡単に納得できて、かつ間違いではない言い訳を考えなければならない。


「私の気が触れたことにでもする?」
「それだけでは少し弱いですね」


とりあえず思い付いたことを言えば、もう少し説得力が欲しいとダメ出しされる。
多少気が触れただけで、全てのことがこなせるようになるとは思えない。
ならば、弁慶にも協力してもらえばいいだけ。
最終的に、浅水のことを知っているのは弁慶の他に浅葉しかいないのだから、この二人が口裏を合わせれば済むことなのだ。
それに、烏である浅葉が女房たちの前に姿を現すことは、ほとんどない。
それを考えると、問題はもう少し簡単な物になる。


「じゃあ、ヒノエの命日を利用しましょ」
「何を企んでいるんですか?」
「企むだなんて失礼ね。穏便に事を進める方法でしょ」


に、と口端を斜めに引き上げてから、浅水は自分の考えを弁慶に告げた。


ヒノエの命日になると浅水は情緒不安定になる、と教えてくれたのは弁慶だ。
だったら、それを利用すればいい。
夢でヒノエの最期を思い出したということにして、三年前と今を混同していると弁慶が女房に話をする。
そうすれば、例え浅水がおかしなことを口走ったとしても、決して驚かれたりすることはない。
むしろ、亡くなったヒノエのことをそれほどまでに思っているのだ、と勝手に解釈するだろう。
もちろん、その間様子を見るのは、薬師ではなく弁慶にする。
薬師でもあった弁慶が、少しおかしくなってしまった妻を気にするのは不思議なことじゃない。

一応、二人の仲を確認してみたが、話を聞く限り無理ではなかった。

そして着付けやその他、諸々について。
いつも女房がやってくれるから中々言い出せなかったが、実は一人で出来るのだということにする。
源氏にいたときは、自分のことは自分でやっていたのだ。
出来ないはずがない、と。
けれど、突然そんなことを言われても困るのは目に見えているから、どうしてもというときは手伝ってもらうことを前提にする。
そうしておけば、不審がられることはないはずだ。


「烏はどうしますか?」


いつも浅水のすぐ側には烏を控えさせていた、と弁慶が言えば、それは普通通りで構わないと言う。

事実、邸にいた浅水にも烏はついていた。
それこそ、浅葉と全く同じ、彼が。
浅葉にも口止めを兼ねてそのままついていてもらおうと思っていた。
だからこそ、弁慶の言葉には返事二つで返した。


「浅葉をそのまま付けて。さすがに烏は付けておかないと、いろいろと厄介でしょう?」


それは、自分の行動も込めてだ。
もし浅水に何かあったら、当然動かなければならない。
その際、烏の一人でもついていなければ、後々面倒なことになるだろう。


「わかりました。では、浅葉には君についてもらいます」


話しておきますね、という弁慶に頷けば、後の問題は何だろうと考える。

当面の衣食住と、女房への対策は完璧だ。
烏──浅葉──についても問題はない。
だが、何かが引っかかっている。


「そう言えば、聞き忘れていましたが、寝室は僕と一緒でも構わないんですか?」
「今更でしょ。私がこの邸に置いてもらうなら、それこそ不思議がられるわよ。どうして?」
「君のいる時空では、君の隣にいるのは僕ではないんでしょう?」


何だ、そういうことか。

つまりは、弁慶は自分ではない誰かに遠慮しているというわけだ。
この場合、その誰かとは浅水の旦那であるヒノエを差しているわけだが。

けれど、弁慶との会話引っかかっていた物が何か、ようやく分かったような気もする。


「それは否定しないけどね。それと、君っていう呼び方、止めてくれない?」


先程から、弁慶が浅水を呼ぶのは名前ではない。
別に二人きりの時ならそれでも構わないが、誰かがいるときにその呼び方だと問題になる。
それに、未だに警戒されているのでは、と思わず勘ぐってしまいそうになる。

もちろん、自分が弁慶に警戒することはないが、弁慶からすれば自分がやってきたから妻がいなくなったとも考えられるのだ。
表情には出さないが、その奥底では何を考えているか分からない。


「分かりました、浅水」
「何か違和感を感じるけど、仕方ないわね」


呼び方についてもこれで解決。
後は、知りたいような知りたくないような問題が一つ。
一応聞いておかなければいけないことだが、もし「はい」と答えられたらそれはそれで軽くショックを受けそうだ。
きゅ、と唇を小さく噛んで、浅水は意を決した。





「二人の間に、子供はいるの?」





三年経っても、自分とヒノエの間にはまだ子供がいない。
けれど、弁慶との間に子供を設けていたら、困るのはその子供に関してだ。

乳母がいるからどうにでもなるだろうが、子供を育てたことのない浅水には、母親としてどう接したらいいか分からない。
それに、親の態度に子供は敏感だ。
きっと浅水の様子が変なことに直ぐさま気付いてしまうだろう。


「残念ですが、彼女との間に子供はいませんよ」


心底気落ちした弁慶の声に、内心安堵したことは秘めておく。


三年経っても子はいない。


それは自分と同じ境遇にあるということ。
もしこの時空で子供がいたのなら、きっと何か問題があるのでは、と勘ぐるところだ。
けれど、この時空でも子はいない。


子供を授からないのは、何かが関係しているのだろうか。


「君……浅水には、子供がいるんですか?」


逆に問われるとは思っていなくて、咄嗟に言葉が出てこなかった。
ここで嘘をついてもどうなる物でない。
いっそのこと正直に、全て話してしまった方が楽だと知ったのは、夢の話をしたときから。


「いないよ。三年経ってもまだ、ね」
「そうですか」


すると、弁慶は申し訳なさそうに目を伏せた。
弁慶が非を感じることじゃないのは分かっている。
これは多分、何かがあるせいなのだ。



そして、その中心にいるのはきっと、浅水自身。



それが、子供に関係しているのだろう。

でなければ、熊野に跡継ぎが誕生しなくなる。
側室を持たないと宣言しているヒノエは、本当にその言葉を守るだろう。
そんな彼にこれ以上風当たりが強くならないようにするには、跡継ぎを産むのが一番なのだ。


「では、僕は女房にその話をしてから仕事に戻ります」
「わかった。私は大人しく書物でも読んでるわ。弁慶の蔵書から借りてもいい?」
「えぇ、好きな物をどうぞ」
「ありがとう」


弁慶を見送ってから、その足で彼の別室へと向かう。
果たしてその部屋は、自分の記憶と同じ場所にあった。

天井高く積み重なっている書物は、乱雑にまとめられ、どこに何があるのかわかった物じゃない。
やはり、どの時空でも弁慶の部屋というのはこうなのだろうか、と呆れを通り越して溜息しか出てこない。
この部屋の中から、どうやって自分の必要とする書物を探せと言うのだろうか。


「掃除から始めるしかないか」


は、と天井を眺めながら小さく息を吐き、一度部屋に戻ってたすきになりそうな紐を持ってくる。
着物の袖をその紐でたくし上げてから、浅水はいざ弁慶の部屋へと乗り込んでいった。

それは日が暮れて、弁慶が邸に戻ってきても終わることはなかった。


浅水の姿が見えないと、慌てて邸を探し回った女房が、ようやく浅水を見付けたのは、全ての部屋を回った後だった。















目の前に広がる、オレンジの空。

鮮やかな夕焼けが世界の全てを染め上げている。

船の上から見る光景は、空も海も等しく同じ色。

そう、全てが同じ色に染まっていた。



背後を振り返れば、空と同じ色が愛しい人を呑み込む所で。



どれだけ泣いたところで、今の彼が助かる道などないというのに。



どうしてこの夢を見るのだろう。
既に終わってしまった事ならば、何度も見続けるのはおかしいじゃないか。
そう思ったとき、いつかも似たような経験をしたことを思い出す。
それは望美たちがあの世界に現れたとき。

自分が現代から違う世界へやって来たときのことを、何度も何度も夢に見た。
望美たちよりも数年早く将臣がやってきたときも、同じ夢を繰り返し見た。


その夢を見るなくなったのは、将臣や、望美たちが現れた時から。


ピタリと止んだその夢は、先見ではないけれど間違いなく星の一族の力の一つ。
これ以上ヒノエの死を見たくないと思いながら、眠る度に見えてくる彼の姿。










それは一体何を意味しているのだろう。



そして、この時空の浅水はどこへ消えたのだろうか──。










何回繰り返せば気が済むの 










弁慶の部屋はどこの時空も変わらず
2009.2.7
 
  

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