重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


その質問は、弁慶の表情を酷く曇らせた。

それほどヒノエは悲惨な最期を迎えたのだろうか。



聞きたくない。
けれど、知りたい。



それは、弁慶にとって言いにくいことだとしても、自分は知っておかなければならないと思った。


「弁慶、ヒノエは……」
「皮肉ですね」


こちらが何かを聞くより先に、弁慶がそっと呟いた。
けれど、それは訊ねている答えではない。
浅水はただ黙って弁慶の言葉を待った。


「僕がこの話を聞いたのは浅水からなのに、それをあなたに話さなければならないなんて」


どういうことだろう。
こちらの世界の浅水が弁慶にヒノエの最期を話したというのなら、弁慶はその場に立ち会わなかったのか。
ヒノエが散ったのが戦場ならば、その可能性は高い。
源氏の軍師である弁慶は、総大将である九郎と行動を共にしていた。

それに、乱戦になってしまえば、誰がどこにいようが分からない。
もしこちらの浅水が、弁慶とそういう関係になる前にヒノエと一緒にいたのなら、それを庇ってということも考えられる。


「弁慶は、ヒノエの最期を見ていないの?」


恐る恐る尋ねれば、弁慶は静かに頷いた。


「そこにいたのは浅水だけでしたから。話を聞くだけでも、随分と時間が掛かったんですよ」


だろうな、と思う。
現代で親しい人の死を経験したのは、祖母だけだ。
何だかんだで、自分は戦という物にまともに参加していない。
それなのに、ヒノエの最期を一人で看取ったというのなら、きっとショックは大きかったはずだ。
浅水を庇ったのなら尚更。

だが、直接の原因を聞いていない今は、ヒノエが浅水を庇ったのかは分からない。
安易に結論に結びつけるのは良くないと、弁慶の続きを聞くことにする。


「……清盛殿を討つために、ヒノエは厳島へと向かう予定でした」


どうやら、時空が違えば源平合戦の結末も違うようだ。
自分たちは最終的に平家を倒すのではなく、源氏と平家で和議を結ばせた。
だが、こちらは清盛を討つことによって、史実の通りに源氏が勝利したのだろう。

ならば、この世界には荼吉尼天がまだ存在しているのだろう。
鎌倉殿の正室として。
あの時感じた恐怖は未だに身体が覚えている。

禍々しいほどの気。
それは白龍や四神と同じほどの力を持ちながら、決して相容れることは出来ない。

けれど、鎌倉殿はそれを自分の懐に入れいている。
普通に考えたら、決して正常な人間のすることではない。


「けれど、その途中で阿波水軍の人から、平家の大将を捕らえたという情報が入ったそうです」


弁慶の話を聞きながら、浅水は疑問を持ち始めた。
果たして、阿波水軍にそれほどの力があるのだろうかと。
一対大勢という、卑怯きわまりないやり方なら可能性はあるかもしれないが、それでも相手は大将だ。
自分が知る限りでも、知盛、忠度、将臣がいる。
いくら手負いでもあの彼らが、そう簡単にやられるとは思えない。


「そうです、阿波水軍の言葉は偽りでした」


何かを言うより先に、弁慶がこちらの言葉をくみ取った。
阿波水軍は熊野水軍を──というよりはヒノエ自身を──良く思っていない。
あわよくばどうにかして消したいと思っているはずなのだ。
そう簡単にこちらに有利な話を持ってくるとは考えられない。


「けれど、ヒノエと浅水は確認のために阿波水軍の船へ移った」


そこまで言われれば、その先は言われなくとも分かった。

恐らく、浅水を盾にしてヒノエを捕らえたのだろう。
ヒノエが女性を見殺しに出来るような男じゃないのは、自分が一番よく知っている。


「弁慶、もういい」


思わず零れそうになる嗚咽を抑えながら、これ以上は話してくれるなと弁慶に待ったを掛ける。
けれど、弁慶は緩く首を振って、話を止めようとはしなかった。


「君は、聞かなければなりません」


そう言った弁慶の表情は、俯いていた浅水にはわからなかった。



予想できてしまったヒノエの最期。

それはきっと、浅水が側にいなければ回避できたはずだ。
こちらの世界の浅水は、どれほど自分を責めたのだろう。
どんな思いで、ヒノエと血縁である弁慶の元に嫁いだのだろう。



自分ならきっと、そんなことは出来ない。
同じ人間だというのに、時空が違えば考えも違うのだろうか。





「空も海も等しく同じ色で、夕焼けが世界の全てを染め上げているようだと」





どこかで似たような光景を見たことがあると、浅水は思わず顔を上げた。
目の前にいる弁慶の表情は、まるで人形のように固まっている。
それは、軍師として表情を殺していたときよりもたちが悪い。


「船が燃えて、更にその色を強くしていった……?」


多少言葉を奮わせながら浅水が弁慶の言葉を引き継げば、おや、という視線が投げられた。
それは、固まっていた表情が動いた瞬間。


「そうですが……なぜ君がそれを?」


出来ることなら否定して欲しかった言葉。
けれど、それは肯定の言葉として返ってきた。


ここのところ、ずっと見ていた夢の正体。


出来ることならそれが現実にやってこなければいいと願っていたというのに。
この時空では、既に現実として起こってしまったことだっただなんて。


「あなたの浅水は、夢見は出来なかったの?」


ヒノエと共に行動していたというのなら、きっと夢違えが出来ただろうに。
それをしなかったというのは、夢見をしていなかったか、夢見が出来なかったかのどちらかでしかない


「夢見というのは、確か星の一族の力でしたね」


ここの弁慶が嵐山に行ったかはわからない。
けれど、どちらにせよ後から望美か九郎が報告をしているはずだ。



「では、浅水も君も、星の一族ということですか?」



今知ったという口ぶりに、浅水はどう対処していいか分からなくなった。

そもそも、どこでどう間違ってしまったのだろう。
十年前の熊野に辿り着いた自分と、望美たちと共に熊野へ現れた浅水。

その時点で、既に運命は違う道を歩み始めていたのだろう。
だが、祖母に色々と話を聞かせて貰ったことには変わりないはずだ。
自分のように、この世界に辿り着いたときから、星の一族としての力は使えるようにならなかったのだろうか。


「そんなことは、一言も言っていなかったはずですが」


記憶を手繰り寄せている弁慶は、恐らく浅水の言葉を思い出しているのだろう。
だが、力を使えなければ夢見も出来ない。

ヒノエの死を知らなければ、夢違えなど、それこそ夢のまた夢だ。


「弁慶、もし違っていたら訂正してね」


そう言って、浅水は自分がこれまで見てきた夢を、弁慶に語って聞かせた。










目の前に広がる、オレンジの空。
鮮やかな夕焼けが世界の全てを染め上げている。

船の上から見る光景は、空も海も等しく同じ色。
そう、全てが同じ色に染まっていた。

そして、水平線の方へと去っていく小舟たち。
それは本来ならこの船を動かしている人間。

火は、近くにある物を次々と呑み込んで、その勢力を広げていた。



振り返った先にいるのは、柱に鎖で繋がれたヒノエの姿。



炎の勢いは思っていた以上に強く、しっかりと繋がれた鎖は中々切れることはない。
それでも、何とかヒノエを解放しようとするのだが、逆にヒノエに突き放されてしまう。
それがヒノエなりの優しさだとわかってはいる物の、はいそうですかと頷くことは出来ない。

溢れる涙は、炎によって直ぐに蒸発してしまう。

そんなとき、ヒノエに託された一つの伝言。





「……弁慶に、熊野を頼むと」





その言葉があまりにも真剣で。

けれど、言葉とは裏腹に表情は切なくて。


託された言葉を伝えるには、船から脱出しなければならない。
だが、そんなことをしてはヒノエを見殺しにすることになる。



ヒノエを殺すのは、自分なのだ。



出来ないと首を振っても、ヒノエがそれを許すはずもない。
浅水が船から逃げ出したのは、炎に全てが呑まれてしまう直前。

冷たい冬の海が身体を凍らせる。
けれど、瞳に映るのは綺麗なオレンジ。

空も海も、船も。

等しく同じ。

海の中に沈んでいく船を、浅水は唯呆然と見ていることしかできなかった。





どれほどそうしていたのだろう。
冷たい水に、手も足も感覚がなくなってきた頃。
燃え残った船の残骸が目の前に漂ってくる。

重い身体を叱咤しながら、その板に身体を委ねれば、既に辺りは薄暗くなっていた。

このまま、誰にも気付かれずに逝くのだろうか。
弁慶への伝言も言えずに。
それならば、ヒノエと一緒に海の藻屑と成り果ててしまいたかった。


灯りが見えたのはそんな時。
ヒノエが迎えに来てくれた。
そう、思った。
けれど、迎えに来たのはヒノエではなく、熊野水軍衆だった。










そこまで話して浅水は口を閉じた。

ずっと夢で見ていたそれ。

いつかヒノエに何か良からぬことがあるのでは、と恐れていたこと。
今まで誰にも話していなかった分、弁慶に話して少し楽になった様な気がする。


「夢見というのは、凄い力を持っているんですね」


話を聞いた後の弁慶の第一声が、それだった。
訂正を入れないところを見ると、全て当たっていたのだろうか。
そんなことを思いながら弁慶を見れば、彼はどこか寂しげな表情を向けてよこした。


「しばらくして、ヒノエの死から立ち直った浅水は、僕にこう告げたんです。『別当殿』と」


それは源平の戦が終わった後でした、と弁慶は続けた。
どうやらヒノエの遺体は見つからなかったらしい。
あれだけ鎖に身体と柱を繋がれていたのだ。
見つかる方が奇跡だったかもしれない。


「そこでヒノエから託された言葉を知った僕は、源氏を抜けて熊野へ戻りました。ヒノエの意思を継ぐために」


そう告げる弁慶の表情は、すでにいつもの物に戻っていた。





甥の最期の願いは、自分の跡を引き継ぐこと。

愛しい甥の願いを、誰が無下に出来ようか。





弁慶の気持ちは、痛いほどに浅水にも理解できた。
何だかんだと弁慶を邪険にしていたヒノエが、熊野を預けるに相応しいと思った人物。



ヒノエは最後にやっと、正直になったのだろう。



けれど、正直になったときが最期だったなんて、こんな結末は残酷すぎる。
浅水は、この時空のヒノエのために涙を流した。










生きていて欲しかった 










実は無印のヒノエルート一週目BAD ED
2009.2.6
 
  

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