重なりあう時間 第三部 | ナノ
 




ヒノエが死んだ。






そのことだけがいつまでも頭から離れない。
けれど、自分の隣にいるのは確かにヒノエではなく弁慶。
悪い夢だと思いたい。
夢見をしているときは、夢と現の区別がつかなくなるほどにリアルなのだから、これもそうなのだと。

けれど、夢から目覚めても尚、夢の続きを見ているというのはどういうことだろうか。


「……頭、痛い」


ボソリと呟いて、そのまま天井を見つめる。

きっとあのまま眠れないと思っていたのに、あっさりと自分は眠ってしまったらしい。
目が醒めれば日はすっかり昇っていた。
隣に手を伸ばせば、そこに人の温もりは残っていない。
それにホッとしたような、寂しいような気持ちがする。

重い頭を抑えながら起き上がって室内を見回すが、やはり熊野の自分の部屋。
自分はまだ夢の続きを見ているのだろうか。
ぼんやりとそんなことを思いながら、褥を抜け出して着替えに手を伸ばす。
けれど、その手は着物に届く前に宙で止まった。


この着物は、一体誰の物だろうか。


目の前にあるのは、見覚えのない着物ばかり。
けれど、その布の高価さはパッと見ただけでも分かる。
もしかして、と思い、他の着物も出してみたが、どれもこれも自分が持っていた着物ではない。
浅水の着物は、大概がヒノエの見立てた反物から作られた物である。

──ごく稀に、浅水自身が作ったりもするが──

着物が出来上がれば、大概がヒノエに強請られて一度は袖を通しているのだ。
しっかり覚えていなかったとしても、見直せば確かに自分のだと分かるくらいには記憶している。
だが目の前のこれは。


「本当に、夢じゃ済まなくなってきたわね」


恐らく、この着物の見立ては弁慶なのだろう。
三年前にヒノエがこの世から去っているなら、考えられないことじゃない。
だが、その理由は定かではないが。


「とりあえず、着替えておかないと面倒よね」


適当に見繕って着替えを済ませ、櫛で髪を梳く。
弁慶は仕事でもしているのだろうか。
聞きたいことは山ほどあるというのに、夜まで待たなければならないのは苦痛以外の何物でもない。

ならば女房に聞いてみようか。
そう思ったが、今の自分が女房に何かを尋ねれば、きっとおかしな目で見られるだろう。
何を聞いても、そのまま受け入れてくれそうな人物。
その条件に当てはまる、心当たりがある人物は一人しかいなかった。
けれど、飄々としている彼は熊野中を放浪しているはずだ。
運良く邸に顔を出しているとも限らない。
そうなると、他に誰がいるだろう。


「あ、そういえば」


烏ならば、この熊野の現状も知っている。
今の自分に誰がついているかはわからないが、烏ならば大体の顔と名前を覚えている。

浅水は烏を呼ぶために部屋から出た。


「お方様、お目覚めになられたんですか」
「ええ」


浅水に声を掛ける女房に返事を返すのは、すでに身についた習性のような物。
すんなりと口から言葉が出る。
けれど、その次に続いた言葉には思わず開いた口が塞がらなかった。


「あら、もうお召し替えは済んでいるんですか。今日は芙蓉に着付けを頼んでいたはずですが……」


まだこちらに来ていませんよね?と問われて、どう答えて良い物か分からなかった。
あの口ぶりからすると、自分は一人で着物の着付けすら出来ないということになるのだろうか。


そんな馬鹿な。


十年、正確に言うのなら、十三年もこちらの世界にいるのだ。
自分のことは自分でする、がモットーの別当家で育てられた浅水が、自分の着替えすら出来ないということは有り得ない。
けれど、このまま何も言い返さなければ、目の前にいる女房が不審がるだろう。
何とか上手く誤魔化さねば。


「少し早く目が醒めてしまって、ちょうど近くにいた葵に頼んだの」
「さようでしたか。頭領からの伝言で、昼に一度お戻りになられるようなので、それまでは待っていて下さいとのことです」
「ええ、ありがとう」


そのまま頭を下げて遠ざかる女房を見送り、ホッと安堵の溜息をつく。
どうやら誤魔化せたらしい。
ここまで神経が図太くなったのは、きっと誰かの教育のせいだなと少しだけそれに感謝する。

昼に戻ってくるというのなら、その時に説明を求めてもいいだろう。
だが、その前に事前情報も手に入れておきたい。
説明を聞く度に驚いて、話の腰を折るような真似はしたくなかった。
弁慶はきっと浅水が浅水でないことに気付いていない。
昨夜は夢のせいで一時的に記憶が混乱しているのだと思ったはずだ。





「浅葉」





ようやく目的の人物の名前を呼べば、庭に音もなく現れる。
呼びかけに応えるというのなら、やはり自分についているのは彼なのだろう。


「ここに」


その姿が自分の知る彼と変わらないのは、果たして喜ぶべきなのか否か。
きっと後者なんだろうな、と思わず自嘲する。


「聞きたいことがあるの。部屋に来てくれる?」
「は?」
「ここで浅葉と話しているのを見られると、何かと厄介なのよ」
「ですが……」


浅葉が浅水の言葉に躊躇いを見せるのは当然のことだろう。
ましてや、一つの部屋に二人きりなど、普通に考えてもあってはならないことだ。
けれど、そんなことを言っていては自分の欲しい情報は何一つ入ってこない。
立ち止まらずに動き続けるからこそ、欲しい物を手に入れることが出来るのだ。

この手は使いたくなかったけれど、と小さく唇を舐める。


「命令よ、来なさい」
「……御意」


キッパリと言い切れば、観念したように浅葉が頭を下げた。
出来ることなら穏便に済ませたかったが、当の本人の頭が固いのだ。
こればかりは仕方ない。


「それで、聞きたいこととは何ですか?」


部屋に入り、しっかりと障子を閉めれば浅葉が多少不機嫌そうに聞いてきた。
自分のやったことを思えば、彼の機嫌を損ねても仕方ないだろう。


「とりあえず、何も聞き返さずに答えて欲しいの」
「聞き返さず……?」
「そうよ」


いちいち質問に言葉を返されては、いくら時間があっても先へ進めない。
言いたいことがあるのなら、後からまとめて聞くから、とりあえずこちらの質問に答えてもらう方が先だ。


「分かりました」


はぁ、と観念したように息を吐いた浅葉に、良かったと小さく呟く。
これで彼が答えてくれなければ、本当に弁慶が来るまで待たなければならなかった。
しかも、事前に情報がないこちらにとって、それは大変喜ばしくない。
なぜなら、あの口に上手く丸め込まれてしまうからだ。


「ヒノエが三年前に死んだのは、本当?」


ヒノエの名前を出せば、少しだけその表情が歪んだ。
咄嗟に出る表情の変化は、抑えようとしても抑えられる物ではない。
それだけに、弁慶の言っていたことは事実なのだと改めて気付かされることになる。

だが、熊野別当であるヒノエが死亡したのなら、今は誰が熊野をまとめているというのだろうか?


「それはいいわ。じゃあ今の別当は、誰?」


それを口にしたとき、浅水を見ていた浅葉は眉を顰めた。
その表情は、何を今更、とでも言いたげだ。
けれど、どんな目で見られたとしても、知らない物は知らないのだ。
だからこそ、こうして浅葉に聞いているのだから。










「弁慶様です」










半ば想像していただけに、その言葉にはあまりショックを受けなかった。

とりあえず、熊野のことは理解できた。
残っているのは、自分のことだ。



「私が熊野にやってきたのは、いつだったかしら?」



浅水にとって重要なのは、熊野で過ごした時間だ。
それが、今の浅水を作ったと言っても過言ではない。

自分のことまで聞いてくる浅水に、正気なんだろうかと疑ってくる視線が面白い。
いっそのこと、正気を失えたらどれだけ楽だろうか。

浅葉の返事を待つ時間が、酷く長く感じられる。


「……三年前、白龍の神子とやって来たのが、最初だったはずです」


その言葉に、思わず納得してしまう自分がいた。

望美と一緒にこの世界へやって来たなら、恐らく着ていた物は望美とそう大差ない物だったのだろう。
着物と言いながらも、下は制服のスカートにスニーカー。
恐らく、まともに着付けをするような着物は着なかったはずだ。
この世界に残った今も着付けが出来ないのは、全て女房がやってくれるおかげだろう。
誰かにやって貰っていたら、覚える物も覚えない。


「じゃあ、最後の質問ね」


これが、今一番確認しておきたいことだった。
夢と呼ぶにはあまりにもリアルすぎるこの世界。

熊野に弁慶がいるというのなら、源平合戦は既に終戦を迎えているのだろう。










「私と、弁慶の関係は?」










夜中に目が醒めたときの状況を思い出してみれば、恐らくはそうなのだろう。
けれど、それが納得できないからわざわざ確認する。


第三者の口から答えが出てしまえば、それは現実の物として受け入れなければならないのに。


知りたいと思うのは、人間の性だ。

それを聞くのが怖いからこそ、知っておきたいという矛盾。


お互いの関係を知っておかなければ、きっと前に進むことは出来そうにない。
それが、望んでいない答えだとしても。





「お二人は、夫婦です」





夫婦。


その三文字が、浅水の中で弾けた。


「は、ははっ、あははははっ!」
「お方様?」


突然笑い出した浅水に、一体どうしたのかと浅葉が声を掛ける。
けれど、浅水の笑いは止まらない。





よりによって、自分と弁慶が夫婦。





これが笑わずにいられるだろうか。





それとは裏腹に、涙が止めどなく溢れてくるのは何故。










半狂乱になって暴れてやろう 










情報収集の結果
2009.2.4
 
  

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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