重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


怨霊が現れたという話は、瞬く間に京の町中に広がった。
やっと平穏を取り戻したと思った矢先の報せに、忙しくなったのは九郎たちだけではなかった。


怨霊を封印できる白龍の神子がいない。


そうなると、駆り出されるのは黒龍の神子である朔である。
どうやら、望美たちがこの世界へやって来たときも似たようなことをやっていたらしい
心底申し訳なさそうな表情で説明をする九郎や景時はともかく、弁慶は口で取り繕っていても、事実どう思っているからわからないから危険だ。


「私なら大丈夫よ。黒龍もいるもの」


そう言う朔の表情に恐怖や緊張といった物は感じられない。
本人が大丈夫だというのだから、そうなのだろう。


「私も、神子を守る」


何より、彼女の最愛の黒龍がそう言っているのだ。
心強いというのもあるのだろう。

その光景に、何となくあられていると感じるのは浅水だけではないはずだ。


「浅水さん、留守をお願いしますね」

「はいはい」


玄関先で、出掛ける彼らを見送る。
怨霊が現れた次の日から、九郎たちは朔を交えて京を回るようになっていた。

その際、自分も一緒に行くと言った浅水だったが、万が一のことを考えて九郎がそれを止めた。
怨霊を封印できない今、一度鎮めたところで再び怨霊が現れる。
どうやら、浅水に怪我をさせてしまってはいけないという、九郎なりの気遣いらしかった。
だが、浅水にとってそんな気遣いは無用でしかない。
熊野での生活を知れば、九郎だってその言葉を撤回するだろう。
そう思っていたのだが、それに続いて景時までもが似たようなことを言ってきた。
景時に至っては、ヒノエから頼まれているだけに、危険な真似はさせたくないとか。

確かに、自分に何かあったらヒノエはそれこそ憤慨しそうだが。

無理だと分かっていながらも、弁慶に救いの手を求めた浅水は、最終的に彼の笑顔に切って捨てられることになる。










いくら怨霊が出たとはいえ、昔ほど頻繁に現れるわけではない。
邸で一人留守番にも飽きた浅水が取る行動と言えば、一つしかなかった。


「全く、過保護なのはヒノエだけで充分なのに」


ブツブツ言いながらあてもなく散歩をするの格好は、京に来るまで着ていた比較的動きやすい着物だ。
もちろん、怨霊対策として小太刀も持ち歩いている。

いつもは賑やかな界隈も、今ではすっかりと閑散としている。
それほどまでに、怨霊の影響力が凄いのだと、嫌でも思い知らされる。
怨霊と戦う術を持たない住人は、いつやってくるかもしれないその影に怯え、隠れていることしかできない。
応龍の加護が無くなる。
ただそれだけでこうも簡単に荒んでしまうなんて。
熊野も、熊野権現の加護が無くなれば同じようになるのだろうか。
それとも、別当の結界でいくらかは抑えられるのだろうか。


「やだやだ、暗いことしか考えられないんだから」


ふるふると首を左右に振って、思考を切り替える。
せっかくの散歩なのに、これでは気分転換にすらなり得ない。


「そういえば、秋の神泉苑は行ったことなかったな」


自分が知っているのは桜が咲き誇る春の神泉苑。
紅葉まではかなり早いが、秋の神泉苑へは訪れたことがない。
どうせなら、見る景色は綺麗な方がいい。
そう考えると、浅水は神泉苑へ向けて歩き出した。



道すがら、誰か人はいないかと周囲を見回すが、浅水が見かけたのはほとんどが警備の武士たち。
たまに子供がいたなと思ってみても、何かに追われるように駆け足で通り過ぎてしまう。
その様子に、重い溜息を吐いた。


「神泉苑って、龍神と縁深い場所だったよね」


こんな事態を引き起こした応龍に、一言言ってやろうかと思う。
かといって黒龍に言うのはお門違いだ。
黒龍が応龍の半身だとしても、浅水が文句を言いたいのは半身ではなく完全体だ。
仮に黒龍に八つ当たりをすれば、朔に何を言われるかわかった物じゃない。


「浅葉、何かあったら九郎たちへ連絡してね」
「……だったら大人しく邸にいればいいのでは?」
「誰もいない邸に籠もってたって暇でしょ。それに、気分転換は必要よ」


いつの間にか自分の後ろを歩いている浅葉に、浅水は何一つ驚くこともなく会話を続ける。
ここまで人通りが少ないのだ。
一人で姿の見えない相手と話していたら、気が触れたのかと思われてしまう。
だからこそ、浅葉は他の人の姿が見えない時を見計らって浅水の後ろに現れた。


隠れて守るよりも、近くで守る方が時として有効な場合がある。


遠方からの攻撃ならば、隠れていてもわかりやすい。
けれど、近距離では中々分かり難いのだ。


「どこまで行かれるのですか?」
「人の話を聞いてなかったの?神泉苑よ」


どうせならそのままついてきなさい、と言い捨てて、浅水は浅葉の手を引いた。

一介の烏の手を引いて歩く人間など、これまで見たこともない。
一瞬呆気にとられた浅葉だったが、浅水はそういう人だと思い至れば、大人しく付いていく。





そんな浅葉が、内心でヒノエに謝罪の言葉を言っていたかは、彼のみが知る。





そうして辿り着いた神泉苑にも、当然の事ながら人の姿は無く。
ある意味貸し切り状態だ、と思いながらその光景を眺める。

紅葉には程遠いこの季節。
植物たちはこれからやってくる衣替えに備えての準備を始めているのだろう。
黙って散策を続ける浅水の後ろを、何も言わずについて行く。

すると、浅水はとある場所で足を止めた。
そこはいつの日か雨乞いの儀が行われた場所。
浅葉には記憶にない場所だが、三年前にこの場であったことは忘れない。
もしあの時、四神が力を貸してくれなければ、自分は今ここに存在していなかったかもしれない。


感傷にも近い思いは、来訪者によって掻き消された。


「人が感傷に浸ってれば、随分と無粋なお客だこと」


感じる気配は人外の物。
それに嘆息を付きながら浅水は小太刀を鞘から引き抜いた。
そんな浅水を守るように浅葉が前に立ち、武器を構えて周囲に気配を配る。
仕事熱心なのはいいが、ついさっき自分が言った言葉を彼は覚えているのだろうか。


「浅葉は九郎たちのところへ」
「ですが」
「言ったはずよ。それに、私は大丈夫だから」


その言葉に思わず眉をしかめる。


浅水の大丈夫ほど、信用ならない物はない。


それを言ったヒノエの言葉は身に染みて知っている。
もし何かあった場合、自分はどれほどの後悔をするのだろうか。


「二人で何とかするよりも、朔を連れてきて貰えると助かるわ」
「今から探せと言うんですか?」


出掛けた彼らがどこへ言ったのかは浅水には分からない。
だからといって、烏である浅葉たちが何もせずに自分の側にいるだけとも考えない。


「どうせ居場所くらい知ってるんでしょ?だったらさっさと呼んでくる」


行った行った、と追い払うように急かしてやれば、暫くしてその場を後にした。
浅葉の姿が見えなくなると、ようやく行ったかと安堵する。
自分の持っている小太刀なら、普通の武器よりも怨霊に有効的だろう。
問題は、どれだけの時間で九郎たちをここまで連れてくるか、だ。

負けるつもりはないが、どれだけの数がいるかわからない。
数体ならまだしも、団体との出会いは嬉しくない。
第一、自分はまだ応龍への文句すら言っていないのだ。


「さて、その姿を見せてもらいましょうか」


言いながら、浅水はクナイのような物を数本取り出し、怨霊のいる方へ投げつけた。
すると、そこから現れたのは三体の怨霊。
これくらいならば、と浅水は小太刀を構えて怨霊へ向かって駆け出していた。










どれだけの時間、怨霊と対峙しているだろうか。
そんなことを思いながら、浅水は疲れてきた身体を必死に動かしていた。

三体の内、二体までは何とか撃退することが出来た。
けれど、残りの一体は土属性の浅水が尤も苦手とする木属性。
いくら攻撃を与えても、微々たる程度しかダメージを与えられない。
逆から言えば、こちらが攻撃を受けてたらとんでもなくダメージを受けるということになる。
怪我でもしよう物なら、薬師である弁慶の説教が待っている。

それでなくとも留守を頼まれていたのだ。
勝手に外出した挙げ句、怨霊と鉢合わせして怪我をしました、だなんて恐ろしくて言えない。
けれど、逃げてばかりいるのも体力を使う。


「あぁ、もうっ。しつこいったらない!」


怨霊の攻撃をかわした直後、何かに足を取られ浅水はその場に尻餅をついた。
マズイと思ったのは瞬間。
とっさに立ち上がろうとしたが、目の前には刀を振りかざしている怨霊の姿。
ここまでか、と浅水はきつく目を閉じた。


「え……?」


けれど、いつまでたってもやってこない衝撃に、恐る恐る目を開ける。
浅水の視界に入ってきたのは、白い着物。


「戦場で目を瞑る馬鹿がどこにいる!」
「九郎?」


ぱちくりと瞬きすれば、やはりそこにいたのは九郎で。
いつもならうるさく感じるはずの怒声が、そのときばかりは酷く頼もしく聞こえた。


「朔殿、手伝ってくれ!」
「ええ」


九郎に呼ばれて朔が一歩前に出た。
その手は、黒龍としっかり繋がれている。
間に合って良かったと、そっと安堵する。
浅葉の姿は見えないが、どうせ近くにいるのだろう。


「浅水さん」


自分の方へ近寄ってくる弁慶に、ひくりと頬が引きつるのが分かった。
今の弁慶は素晴らしいまでに満面の笑顔を浮かべている。
けれど、彼から発せられるオーラは、笑顔に反比例するかのように黒い。
思わずこの場から逃げ出したい衝動に駆られるのは何故だろう。

慌てて誰かに助けを求めようとするが、怨霊を相手にしている九郎と朔、黒龍は論外。
景時は自分と同じように乾いた笑いを浮かべている。
リズヴァーンを見れば、彼は浅水を見てそっと目を閉じ、一言。


「諦めなさい」


態度で示されるよりも、その一言が一番痛かったなど誰が言えようか。
浅水は九郎と朔がやってくるまで、延々と弁慶の説教を聞く羽目になった。



「それにしても、彼が現れたときは驚きましたよ」
「本当だよね〜、オレたち今日はどこに行くか教えてなかったし」


ということは、いつもはどの辺りに行くのか教えていたのだろうか。
そんなことを思ったが、これ以上何か言われるのはごめんなので心の内に閉まっておく。


「大体、どうして浅水が神泉苑にいるんだ」
「気分転換も兼ねて、散歩?」


黒龍がいるので、応龍に文句が言いたくなったからとは言わないでおく。
もしそれを口にして、黒龍に何か変化があったなら、今度は朔からのお説教が待っているだろう。
説教は一日に一度で充分だと、思わず苦虫を踏みつぶしたような顔になる。


「では、充分気分転換になったでしょうから、帰りましょうか」


有無を言わせぬその口ぶりに、浅水は大人しく頷くことしかできなかった。
口答えをしても即言いくるめられるに決まっている。


「黒龍?どうしたの?」


朔の声に黒龍を見れば、何かに怯えるようにしっかりと朔にしがみついている。
白龍も似たようなことを望美にしていたことがあったっけ、と少しだけ懐かしくなった。





「何か、来る」





けれど、黒龍の言葉に誰もが辺りを警戒する。
何か、とは怨霊のことだろうか。


「浅水!」
「え?ちょっ……」


黒龍に名を呼ばれたその直後。
浅水は強い力によって泉の中へと引きずり込まれた。


「浅水っ!」
「浅水さんっ!」
「浅水ちゃんっ」


何とか水面へ出ようとするが、浅水を引き込んだ力は思いの外強く、水面へ上がるどころかドンドン水底へと沈んでいく。
口の中の空気を吐き出してしまえば、息苦しさが襲ってくるだけ。





このまま自分は死ぬのだろうか。

それは、ヒノエをまた悲しませることになる。



ごめん、ヒノエ。





そこで、浅水の意識は途絶えた。










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2009.2.2
 
  

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