重なりあう時間 第三部 | ナノ
浅水は読んでいた書から顔を上げて、気分転換にと庭を眺めた。
そこには季節の花が色鮮やかに咲いている。
譲が望美のためにと梶原邸で花を咲かせているのを見たが、こちらもそれに負けず劣らず──庭一面に植物がある時点で、梶原邸よりも勝っているが。
それもそのはず。
この邸の当主は代々、別な時空からやってくる白龍の神子のために花を絶やさなかったのだから。
両手を上に上げ、ぐん、と伸びを一つした浅水は、そのまま庭へと下りた。
太陽の高さを見ると、今は昼を回ったくらいか。
「思ってた以上に進まないなぁ」
黒龍との会話で増えてしまった課題は、調べれば調べるほどに謎が深まっていくばかり。
解決の糸口を見付けようと、嵐山にある星の一族の元へやって来たが、ここにある書物もあまり役に立ちそうにない。
ここに祖母がいたら何か変わっていただろうか。
そう思うが、すでにいない人を頼りにしても仕方がない。
となると、弁慶と景時が何か掴んでいることを願うばかりだ。
「浅水姫、こちらにいましたか」
「椿、どうかしたの?」
庭にいた浅水を見付けたのは、現在この邸の当主を務めている椿という女性。
そして、血筋だけで言えば祖母の菫と血縁の彼女は、浅水の遠縁にも当たる。
星の一族の当主は血筋で選ぶのではなく、その力の強さで選ばれる。
本来なら浅水が当主の座につくのだが、熊野へ嫁いだために彼女が選ばれた。
当主が嫁いだ場合、当然のことながら次の当主を選定しなければならない。
そこで椿が選ばれた。
浅水が姫と呼ばれているのは、菫の孫であるせいだ。
もちろん、熊野へ嫁ぐ際に浅水の後見人となったのもこの星の一族。
「こちらをお持ちしました。どうかお受け取りください」
そう言って椿が差し出したのは白い花。
生花ではなく造花だろうか?
その花の形は蓮。
椿に言われたとおりに浅水がその花を受け取れば、まるでそこに花などなかったかのように、一瞬で消えてしまう。
一体何のマジックだろうかと、思わず目を見張る。
「今の、何?」
「浄化の花と申します。私たちにはこれを作るのが精一杯ですが、お身体のほうはいかがですか?」
「身体?」
思わず自分の身体を見回すが、別段変わったところはない。
だが、気分がすっきりしているような気がする。
最近よく見るようになった夢のせいで、すっかり寝不足気味だ。
その分、身体がだるかったのだが、浄化の花に触れた途端にそのだるさが消えている。
あの花に何か仕掛けがしてあったのだろう。
「うん、随分よくなったよ。ありがとう」
「いいえ、それはようございました」
やんわりと微笑む椿は浅水と一回りしか違わない。
物腰の柔らかさや言葉遣いを考えても、姫と呼ぶに相応しいのは自分よりも彼女の方だろう。
かなり自由に育ってきた自分は、姫というよりも町娘程度か。
「調べ物は進んでますか?」
「それがさっぱり。こうなってくるとお手上げだわ」
今も行き詰まって休憩しているのだと答えれば、何故か椿は満面の笑みを浮かべた。
それに何か嫌な予感がしたのは、今の彼女と同じような笑みを浮かべる人物を知っているからだろう。
「でしたら、向こうの部屋に行きませんか?見せたい物があるんです」
見せたい物。
それは一体何だろう。
恐らく、星の一族に関係する物だろうが、この邸で生活をしたことのない浅水には、自分に関係するような物はないはずだ。
断る理由もないため、浅水は大人しく椿の後を追っていった。
通された部屋で見たのは、色とりどりの布。
「全て菫姫が着ていた着物なんです」
祖母が着ていたというだけあって、使われている布も上等な物だ。
こうやって祖母が使っていたという物を見ると、確かにこの世界が祖母の故郷なのだと思う。
自分に教えながら、祖母は帰れない故郷に思いを馳せていたのだろうか。
そう、今の浅水と同じように。
夕方になり、そろそろ梶原邸へ戻る時間となったとき、浅水を迎えに来た人物があった。
一体誰が迎えに来たのだろうか。
そう思いながら外へ出れば、そこにあったのは弁慶の姿だった。
「君がこちらへ伺っていると知って、迎えに来ました」
「別に一人で帰れるから迎えなんて良かったのに」
「さすがに別当の正室ともなれば、そうもいかないでしょう?」
思わず唇を尖らせれば、痛い言葉が耳に届く。
熊野から離れた京ならばと思ったのだが、やはりどこでも同じなのか。
「まぁ、薬草を摘んだ帰り道だったんで、どうせならご一緒しようかと思ったんですよ」
あっさりと自分のことはついでだと言われ、喜んでいいのか分からなくなる。
椿に別れを告げて弁慶と帰路につく。
この時間ならば、日暮れ前には梶原邸につくだろう。
歩きながら弁慶を見れば、彼の言うとおり確かにその手に籠を持っている。
中にはさっき摘んできたらしい薬草が入っていた。
その中に、自分が欲しい薬草を見付けた浅水は、好都合とばかりに口元を斜めにした。
「ねぇ、弁慶」
「浅水さん用の睡眠薬でしたら、僕の部屋に用意してありますよ」
みなまで言わせずに答えた弁慶に、どうやらこちらが何を言いたいのかわかっていたらしい。
こんなことならもっと早く言えば良かったと思うが、それはそれで弱みを見せるようで嫌だった。
「……何で分かったのよ」
「ヒノエに言われましたからね」
気に入らない、と呟けば、弁慶はあっさりと理由を答える。
けれど、思いもよらない言葉を聞いた浅水は、その場で足を止めた。
弁慶もそれにつられるかのように、数歩進んだ場所で足を止める。
「ヒノエが言ったとは思えないんだけど」
確かに、自分の大切な物を守るためなら、例え苦手としている人物でもヒノエは使う。
だからといって、浅水はヒノエに夢のことを話していない。
何かしら気付かれていたかもしれないが、そこまで明確ではなかったはずだ。
「そうですね。ヒノエが僕に言ったのは、あなたを頼むということでした」
「じゃあ」
「熊野から出るときにも違和感は感じていました。確信したのは、つい最近ですよ」
弁慶の話を聞けば、自分が夜遅くまで起きている時に、部屋に灯りがついているのを見たかららしい。
けれど、弁慶が起きているくらいなら自分も起きていても不思議じゃないと反論すれば、井戸で顔を洗う姿を見たと言われた。
浅水は夢を見て起きた後は、必ず顔を洗うようにしている。
そうすることで、頭をハッキリさせて夢と現実の区別をつけるからだ。
梶原邸に来てからそれをしたのは今日だけではない。
既に何日か繰り返している。
それを見られてしまっては、浅水は何も言えない。
弁慶もそれを知っているからこそ、浅水のために薬を用意したのだろう。
自分から言ってくるのを予想して。
結果、浅水が言うよりも先に弁慶に言われてしまったが、時間の問題だったのだ。
些細なことでしかない。
「それで、今はどんな夢を見ているんですか?」
夢の内容を聞かれ、思わず口ごもる。
これを言って良い物かどうか。
今までの経験からすると、夢と現実が曖昧になっている今、確実にこの夢は現実として現れるのだろう。
けれど、その夢が現実となるためには、明らかに無理があるのだ。
だってあの夢は、三年前のヒノエの姿。
今のヒノエに起きるわけではない。
かといって、三年前のヒノエに起きたところで今の自分にはどうすることも出来ない。
「浅水さん」
先を促す弁慶の声。
責められているわけではないのに、心苦しくて仕方がない。
「……無理に話せとは言いません。けれどいつか、いつかきっと話してください」
弁慶がそう言った直後、浅水の視界が暗闇に閉ざされた。
夜が辺りを包むにはまだ早い。
ならば、突然視力でも失ってしまったのだろうか。
ぼんやりとそんなことを思っていれば、ヒノエとは違った強い腕が自分を包んだ。
「すいません。まさか君が泣くとは思ってもいなかった」
すぐ側から聞こえてきた弁慶の声に、自分が彼の外套に包まれたのだと理解した。
それならば視界が暗闇になったのも頷ける。
だが、同時に妙な言葉も聞いたような気がした。
泣いたと言っていたが、いつ自分が泣いたのだろう。
悲しいことなど何もないのに。
「君の泣き顔を誰かに見せたら、ヒノエに殺されそうですからね」
どこかおどけた口ぶりに、そんなこと無いと言いたかったが、それは言葉にならなかった。
開いた口から出てきたのは小さな嗚咽。
そこでようやく自分が泣いているのだと気が付いた。
一体どうしたのか、自分は今朝から泣いてばかりだ。
そこまで涙腺は弱くなかったはずなのに。
弁慶の着物を小さく掴めば、背中に手を回して優しく撫でてくれる。
ヒノエとは全然違う手。
けれど、手から伝わってくる優しさは同じもの。
こう言うところが血縁だと嫌でも納得させられてしまう。
暫くして浅水が弁慶の腕の中で身じろぎすれば、彼はそっと解放してくれた。
「大丈夫ですか?」
「うん、ごめん。もう大丈夫」
「そうですか。では、帰りましょう。朔殿が待っていますから」
泣いていた理由を詮索されないのが嬉しかった。
自分でもどうして泣いたのか分からないのだ。
それを上手く説明できる自信がない。
「……夢の話は、もう少し待って」
梶原邸へ向かいながら、浅水が弁慶に言ったのはその言葉だけだった。
もう少し、あの夢がどういう意味なのか考える時間が欲しかった。
そうでなければ、夢についても涙の意味もわからない。
「わかりました。でも、僕の部屋には来てくださいね。薬を渡しますから」
「あ……と、薬はもう少ししたら取りに行くわ。それまで持っててくれない?」
「いいんですか?」
睡眠薬を飲めば、夢を見ずに寝ることが出来る。
けれど、夢の意味を考えるならば、夢を見ないわけにはいかない。
薬はそれまで飲まずにいよう。
あの夢が何を意味するか分かったら、そのときは薬を使って夢も見ずに眠ろう、と考える。
「うん、もう少しあの夢を見てみたいから」
見てみたいだなんて、そんなの嘘だ。
出来ることならあんな夢はもう見たくもない。
あの夢のせいで、ヒノエの気持ちが少しだけ分かったような気がした、なんて皮肉過ぎる。
泣くときは彼の胸って決めてたのに
星の一族の設定は捏造です
2009.1.29