重なりあう時間 第三部 | ナノ
 


目の前に広がる、オレンジの空。
鮮やかな夕焼けが世界の全てを染め上げているのを見て、これが夢だと理解する。



熊野にいた頃から見ていた夢だと。



船の上から見る光景は、空も海も等しく同じ色。
そう、全てが同じ色に染まっていた。


「っ!」


次に自分がいたのは水の中。
凍えてしまいそうな水温は、夢だというのに妙にリアルで。
手足の自由が奪われてきた頃に流れて来た板。
それに身体を預ければ、そのまま水中に沈むことを免れる。





目の前の色は、オレンジから闇へと移り始めていた。










瞳を開ければ、自分の見ていたそれが夢だとわかる。
今いるのは寝具の中。
冷たい海水の中ではない。
そのことにそっと息を吐けば、目元が濡れている。
どうやら泣いていたらしいと気付けば、それを手でそっと拭う。

まだ夜明け前には遠いのだろうか。
誰かが活動している気配は感じない。
出来ることならもう一度寝たいが、あの夢を見た後に寝ようとは思えなかった。


「仕方ないか」


小さく呟いて寝具から起き出す。
部屋に灯りをともせば、ぼんやりと室内が明るくなった。
床を片付けてしっかりと着替えた後に顔を洗いに部屋を出る。
井戸の水で顔を洗えば、頭もすっきりした。
持ってきた手ぬぐいで顔を拭いて、部屋へ戻ろうとしたときである。


「……黒龍?」


濡れ縁に佇んでいる人影を見て、そっと声を掛ける。
明らかに子供の物と思えるそれは、梶原邸では一人しか思い当たらない。
けれど、どうしてここにいるのだろうか。
厠は反対方向だ。
それに、朔と同じ部屋で寝ていたはず。
彼女に内緒でここまでやって来たとでもいうのか。


一体何のために?


半年ほど前から梶原邸に滞在していると言っていたから、迷ったという答えは考えられない。


「夜明けまではまだ早いよ。部屋でもう少し寝たほうがいい」


何にせよ、朔が起きるまではもう少し時間がある。
彼女が目を覚ます前に戻っていた方がいいだろう、と部屋へ戻るように促しながら、自分も黒龍の側へ近寄る。

もし本当に迷っているのだとしたら、この小さな龍神を部屋まで送らなければいけないだろう。


「浅水」


お互いの姿がハッキリと見て取れる距離まで近付けば、黒龍は浅水の名を呼んだ。
それに応えながら浅水が黒龍の隣へと移動すれば、着物の袖を黒龍に掴まれる。
確か、白龍も似たような行動をしたような気がする。
やはり分かたれたとはいえ、元は一つの神。
仕草や行動も似るのだろうか。


「何、どうかしたの?」


ぼんやりとそんなことを思いながら、浅水は黒龍の言葉を待った。
名前を呼んだのだから、何か用があるのかもしれない。
目が醒めた浅水はこれから寝るつもりはなかったし、いい暇つぶしにもなる。
話を聞いてやるだけの時間は、いくらでもあった。





「私の片割れは、時空に囚われているよ」





黒龍の言葉に、浅水は眉を顰めた。
この間の話では、囚われているとは言ったが、どこにとか誰にといったことは分からないと言ったはずだ。
翌日から自分と弁慶、それに景時にも手伝ってもらい、資料になりそうな物を漁ってはいるが何の手がかりも見つからない。
それなのに、目の前の龍神は半身が時空に囚われているという。

それが一体どういうことなのか、どこのことを言っているのかは浅水には皆目見当もつかない。
分からないことはどれだけ考えても分かるはずがない。
それを理解している浅水は、自らの内にある疑問をそのまま黒龍にぶつけることにした。


「時空、ってどういうこと?前に私たちが現代へ行ったときに通った空間とは違うんでしょ?」
「あれは時空と時空を繋ぐ空間。狭間、とも言うよ。時空は人が存在している場所を示す」


それは黒龍に言われなくとも気付いていた。
まして、現代に生まれ育った自分としては、別な時空があると言われても驚いたりしない。
事実、自分自身が時空を越えてこの場にいるのだから。

だが、時空に囚われているということがわからない。


「それは、ここじゃない別の時空にいるっていうことでいいの?」


訊ねれば黒龍は小さく頷いた。
ならば、一体どこの時空に捕らわれているというのか。
パラレルワールドという物が存在するならば、白龍がいる時空を見付けるのはかなり厄介なことだ。
そもそも、時空を越える術を自分たちは持っていない。


望美からもらった白龍の逆鱗。


もしかしたら、それを使えば時空を越えられるかもしれないが、白龍の神子でもない自分が逆鱗の力を引き出せるとは思えない。
どうすればいいというのか。


「黒龍、白龍が囚われている時空がどこか、わかる?」


それさえ分かれば、後は方法を見付けるだけだから、幾分楽になるかもしれない。
例えどの時空にいるか分かっても、その方法が見つからなければいつまでたっても白龍を取り戻すことは出来ないが。


「ごめんなさい。私には、わからない」


申し訳なさそうに首を横に振る黒龍に、落胆の溜息が出るのを止められない。

神とはいえ、万能ではないということか。
それとも、白龍のように本来の力が発揮できないせいか。
どちらにせよ現状は何一つ変わらない。


「でも、一つだけ言えることがある」


だが、更に続く黒龍の言葉に、今度こそ浅水は頭を抱えることになった。










「浅水も、囚われているよ」










その言葉に、思わず目を見開く。


白龍以外にも囚われている。
誰が、自分が?


頭の中で黒龍の言葉を反芻してみるが、謎は謎を呼ぶばかりである。
自分は一体誰に囚われているというのか。
少なくとも、京の梶原邸までやって来たのは浅水自身の選択だ。
もちろんヒノエは渋々とだろうが、それも苦渋の決断だっただろうことは容易に理解できる。


「待って。私はここにいるでしょ?何かに囚われるはずはないんだけど」


仮に囚われているそれが「夢」だというのなら否定は出来ない。
星の一族でもある浅水は、夢で未来を見る。
現に今もその夢のせいで起こされたのだ。
だが、いつかは終わりがあると知っている。
それにこれまでも見てきたことだ。
今更囚われていると言われてもどうしようもない。


「ううん、囚われているよ。浅水は気付かない?」
「気付くって、何に?」





どうしてだろう、胸がざわめくのは。


それを聞いてはいけないような気がしながら、けれど聞きたいという好奇心もある。

過呼吸にでもなったかのように、呼吸すらままならない。





「浅水の一部が欠けていることに」



ドクン、と心臓が高鳴った。

着物の胸元を掴めば、頬に濡れた感触が伝わってくる。
悲しくないはずなのに涙が零れてくるのは、どうして。


「浅水、浅水泣かないで。あなたが泣くと、遠く離れた地にいる熊野権現も心配する」


愛する土地を加護する神の名を出されては、いつまでも泣いているわけにはいかない。
彼の神を通して、ヒノエに伝わってしまう可能性がある。
そういえば、自分付きの烏がこの場を見ていたらどうしよう。


「大丈夫、誰にも見えていないよ」


まるで考えていることを読んだかのような言葉に息を呑む。
これが弁慶なら何となく分かる気がするが。

けれど、黒龍の言葉に何か違和感を感じる。
普通なら「見てない」と言うべきところを、どうして「見えていない」と言ったのか。
それでは、まるで故意に見えないように結界でも張ったかのようだ。
だが、そうする必要があるのだろうか。


「どういうこと?」
「何かの力が働いているんだと思う」
「黒龍がしたわけではないのね?」
「私は何もしていない」


ハッキリと言い切るその表情は真摯で、嘘をついているようには思えなかった。
そもそも神が嘘をつくはずもないのだが。

何か、と言ったところを見ると、彼もその力が何かまでは分からないのだろう。
ならばこれも調べる必要があるのか。

次から次へと出てくる難問に、出てくるのは溜息ばかりだ。


「浅水」


再び名を呼ばれて黒龍を見る。


「浅水は、唯一の存在だよ」
「どういう……」
「それだけは、覚えていて」


言いたいことはそれだけなのか、黒龍は掴んでいた浅水の着物の袖を離すと、そのまま部屋へと戻っていった。
そこに残されたのは、言葉の意味が分からずに首を傾げている浅水の姿。



以前、今の黒龍のように自分を唯一の存在だと言った人がいた。



あの時の言葉と、今の言葉の意味は同じなのだろうか。


「相変わらず、神様の言葉って抽象的だわ」


肝心なことは何一つ語られない。
大きく息を吐き出して、浅水は部屋へ戻ることにした。
黒龍の言葉のせいで、考えなければいけないことが減るどころか増えるばかりだ。


白龍がどの時空に囚われているのか。
その時空への行き方、救い方は?

そして、白龍と同じように囚われているという自分。
一体何に囚われているのか。
何かの力がそれに関係しているのか、いないのか。
唯一の存在。
それが意味する物は何なのか。


一部が欠けていると言われたときに、胸に湧き上がった気持ちは哀しみだ。


自分が思い出せない大切な何かを失ったのだろうか。


「結界を張っていても、時間は普通に流れるのね」


気付けば空が白み始めている。
今から部屋に戻って、朝餉の時間まで何をしようか。
手元にある文献はすでに読み切った後だ。


「そういえば、黒龍は蜂蜜プリン食べたことがないんだよね」


白龍が好きだった蜂蜜プリン。
その作り方は譲だけではなく自分も知っている。
時間もあるから、どうせなら作ってみようか。

譲が現代へ帰ってから、彼らは現代食を口にしていないはず。
今から作れば、朝餉の後にデザートとして出せるだろう。


「よし、決定」


その足で浅水は蜂蜜プリンを作るために厨へと向かうことにした。










久し振りの蜂蜜プリンに、喜んだのは黒龍だけではなかった。










どうせならヒントも準備して 










若干緋月月白の流れも汲んでます
2009.1.28
 
  

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