重なりあう時間 第二部 | ナノ
郷に入っては郷に従え、とは言うけどね。
まさかそこまでしてるとは思わなかった。
でも、あなたの気遣いを喜んでいる自分が確かに、いた。
Act.4
ベッドに横になっていた浅水は、携帯が告げる着信音に上半身を起こした。
こんな時間に自分に電話をかけてくる人なんて、果たしていただろうか?
学校へ行かなくなってから、早二週間弱。
メールでやり取りを交わす友人はいるけれど、用件は全てメールで済ませているから、電話で話すような事はないはず。
同じ家にいる将臣や譲なら電話など使わずに直接部屋へ来るだろうし、望美だって電話をするより家に来た方が早いだろう。
だとしたら、一体誰?
訝しげに思いながらも、机の上にある携帯へ手を伸ばす。
ディスプレイを見てみれば、そこに映し出されているのは見知らぬ番号。
誰かが機種変更したという話も聞いていない。
だとしたら、間違い電話だろうか。
見知らぬ番号は出ないに限る。
けれど、いつまでも鳴り響く音は途切れることはなくて。
もし間違い電話だとしたら、かける相手を間違っていることを告げた方がいいのかもしれない。
どうせ通話料は自分ではなく、相手持ちなのだ。
浅水は通話ボタンを押してから、携帯電話を耳元へ近づけた。
「……もしもし?」
『今晩和、お休みのところを邪魔してしまったかな』
てっきり間違い電話だと思っていたはずのそれは、電話の向こうにいる人の声を聞いた途端、違うことを知る。
この声を、自分が聞き間違えるはずはない。
『ねぇ、オレの姫君。雲間から姿を見せてくれると嬉しいんだけど?』
第一、自分のことを「オレの姫君」などと呼ぶのは一人に限られている。
電話越しにクスクスと聞こえてくる声は、楽しそうに笑む様子が浮かんでくるようだ。
「ヒノエ、一体どこにいるわけ?外?」
『ふふっ、どうだろうね』
質問に答えるつもりがないのか、はたまたそれすらも駆け引きの一種と同じなのか。
十年も一緒にいたから、ヒノエの行動もある程度なら理解できていると思っていた。
けれど、はぐらかすようなその口調は、浅水をもからかっているように思える。
小さく溜息をつけば、再び耳に声が届く。
『窓を開けてよ。オレが誰かを知りたいならさ』
窓?
その言葉に、思わず部屋の窓を見る。
カーテンが閉まっているそれは、外の様子は伺えない。
けれど、窓を開けろと言うことは彼はやはり外にいるのだろう。
浅水は、携帯を耳元に当てたままベッドから離れた。
カーテンを開けてから、鍵を開け窓を開ける。
すると、窓を開けた途端に誰かが部屋の中へするりと入ってきた。
「ありがとう。夜の逢瀬を受け入れてくれるなんて、随分と大胆だね。ようやくオレの物になる気になったかい?」
自分で開けるように言っておきながら、一体何を言っているのか。
痛くなりそうな頭を押さえながら、浅水は携帯の通話を切った。
顔を見て話せる距離まで来たのだ。
同じ部屋にいながら電話で話すことほど、馬鹿げている物はないだろう。
「何言ってるの。いつ誰が来るかもしれないような場所で、そんなことできるわけないでしょ」
「ふーん……なら、誰にも邪魔されない場所ならいいのかい?」
失言だったと悟ったのはその時だった。
いつまでも現代を知らない彼ではない。
日々、情報を吸収しているのだ。
いずれ下手な言葉は通用しなくなるだろう。
逆に、言葉に詰まることがあるかもしれない。
「馬鹿。ヒノエだって知ってる癖に……降参だわ」
肩を竦めながら両手を上に上げれば、その瞳がキラリと輝いた。
次の瞬間、唇に感じた柔らかな感触。
瞬き一つしてから瞳を閉じれば、腰をしっかりとホールドされる。
触れるだけのそれとは全然違う、深く、長い口付け。
小さく音を立ててヒノエが離れていくと、浅水はそのまま彼の胸の中にもたれかかった。
「今日はこれくらいで勘弁してやるよ」
耳元で囁かれ、そのまま唇が落とされる。
今日は、ということは、また次もあるということなのか。
今回は自分の失言のせいで彼に負けたが、次もあるというのなら少しでも対策を立てておいた方が良さそうだ。
「これくらいってね……」
「明日がくる前にお前に会えて良かった」
「朝も会ったでしょ?」
同じ家にいるのだ。
一日一度くらいは顔を合わせることになる。
けれど、例外もあるということは、熊野にいた頃に体験している。
毎日会うというのがどれほど大変なのかも、理解している。
「今日のお前は、今日だけにしかみれないからね。浅水も、オレのことを気にかけてくれてたんなら、嬉しいけど」
その言葉に、今まさに考えていたところだ、というのは言わないことにした。
言ったら最後、ヒノエの言葉に踊らされるような気がする。
ヒノエお得意の、甘い言葉で。
「それで、わざわざ窓から来た理由は?」
「恋心があれば、高さも塀も意味ないだろう?それに、秘めやかにお前のもとをおとなうなら夜がいい」
答えになっているようで、実は答えになっていない。
ヒノエのことだから、たまには木登りもしてみたかったのだろうと考える。
さすがに現代──ましてやこんな住宅街──で、昼間から木登りをしていたら、近所の人が驚くだろう。
その跳躍力に。
「そうそう、さっきのはオレの携帯。番号、覚えといて」
浅水の手にある携帯を指差すヒノエに、そのまま番号を電話帳に登録する。
そういえば、携帯などいつの間に準備したのだろうか。
今朝はそんな話をした記憶がないから、白龍と出た後にでも買ったのか。
「どうやらこの世界にいるのも長引きそうだからね」
理由を説明するヒノエに、そういうことかと理解する。
すでにヒノエは長期戦を構えているのだ。
「便利そうだし、必要ならそろえとこうかと思って。街に散って調べるなら、あったほうがいいだろ?」
だからといって、既に準備を進める手回しの良さには脱帽する。
けれど、この世界での身分証明がない彼が、どうやって携帯を手に入れたのか興味はある。
金の心配はしていない。
確か、路銀として熊野から持ってきていた宝石があったはずだ。
それを売ればかなりいい金額になるだろう。
それに、何やら最近は株にも興味を持ち始めたらしい。
朝、新聞の経済欄を読んでいる姿をたまに見る。
だとしたら身分証明は?
そこまで考えると、とある考えに捕らわれる。
もしかしたら、その辺りで声をかけてきた女性に本体を買わせて、支払いはヒノエ自身とかいうアレだろうか?
考えられないことではないが、本当にありそうで怖い。
「せっかくだし、オレも一枚姫君の似姿をもらっておこうかな」
「え?」
ぐい、と肩を引かれ、何事かと思っている内に、携帯に内蔵さえれているカメラのシャッターが切られる音。
それがあまりにも突然のことだったので、自分の顔は変なことになっているだろう。
「うん、いいね。動かぬ絵姿より、実物の方が魅力的だけど……こうして二人の秘密を作るのは悪くない」
けれど、携帯の画面を満足そうに見ているヒノエを見たら、何も言えなくなった。
もしこれがヒノエ以外の誰かだったら、自分は何としてでもその画像を消去させただろう。
しかし、ここまで嬉しそうにしている彼の姿を見たら、そんなことをする気も失せた。
「ん、どうかした?」
ヒノエの胸の中で小さく息をつけば、少しだけ身体を離して顔を覗き込んでくる。
それが自分を心配しているということは、言われなくてもわかる。
恐らく、今いるメンバーの中で誰が一番浅水を気にかけているかと言えば、間違いなくヒノエだろう。
思えばこの世界に戻ってから、ヒノエとだけは一日たりとて顔を合わせない日がない。
例え少ない時間とはいえ、何かしら毎日顔を合わせている。
「いや、随分と馴染んだなって思って」
多分、何も言わずに街にいれば、十人中十人が声をかけてくるだろう。
彼が違う世界の住人だとはわからずに。
「月の姫君の住まう桂の都は、興味深くてね。オレの心を惹き付ける物ばかりなんだ」
月の姫君。
それは自分のことなのだろう。
あちらの世界にいた頃から、たびたび言われていた言葉。
お前はあの月に帰るのか?と。
そのたびに、自分は否定の言葉を告げてきた。
けれど蓋を開けてみれば、何とやら。
ヒノエ風に言えば、今いる世界は月となる。
確か、ヒノエだけではなく、弁慶も似たようなことを言っていた事がある。
ならば、今の状況は弁慶にとっても興味深い物が多いということだろう。
「ま、はるばる異国に来たんだから、満喫しなきゃ損だろ?」
一言でまとめられた言葉は、何よりも雄弁にヒノエの意志を表していた。
結局のところ、ヒノエ自身がこの世界を楽しんでいるのだ。
本人がそれでいいのなら、自分が何だかんだと口を出さない方がいい。
そういえば、とふと思う。
夕食の時に家にいなかったのはヒノエと敦盛。
ヒノエは今自分と一緒にいるから構わないが、そろそろ敦盛も戻ってきてもいい頃合いだ。
「浅水」
名を呼ばれ、くい、と顎を持ち上げられる。
そうすると、必然的にヒノエを見上げる形になった。
「逢瀬の最中に、他の男のことを考えているのかい?」
何か、第六感で感じたのだろうか。
それとも自分の表情に表れていたのか。
どうせなら、前者を希望したい。
「それにしても、そうやって可愛い顔を見せるから、ついからかいたくなるんだぜ?」
自分の空耳だろうか。
今の言葉を考えると、どうやらヒノエはカマをかけていたらしい。
自分はまたしてもヒノエの言葉に踊らされたことになる。
「いや、今日はまだ敦盛を見てないな、って思って」
「あぁ、アイツは図書館ってのに入り浸ってるみたいだぜ」
言われてなるほど、と納得してしまう自分が恨めしい。
敦盛とて、何もせずにこの世界にいるわけではない。
彼は彼なりに、この世界のことを調べているのだろう。
そうでなければ、こんなに遅い時間まで図書館にはいられないだろうから。
どうしてだろうか。
この世界へ戻ってきてからの自分は、あちらの世界にいた頃と変わってきている──?
いつもなら軽くかわせるはずのヒノエの言葉をかわせない。
彼の言葉の一つ一つに捕らわれる。
最近じゃそんなこと、滅多になかったのに。
「浅水?」
「え?」
名を呼ばれ、思わず顔を上げる。
ヒノエの瞳の中に、自分の姿が映る。
今まで彼の瞳に映っていたのは、こんな姿の自分じゃなかった。
「どうかしたのか?様子がおかしいみたいだけど」
「ううん、何でもない。ちょっと眠くなったみたいで」
探るようなヒノエの視線から逃れるように、緩く首を振る。
眠い、と告げれば彼は「あぁ」と小さく声を上げた。
「寝る前に長居して邪魔したね。そろそろ帰ろうかな」
そう言ってそっと浅水から離れる。
思わず引き止めたくなりそうな手を必死に押さえれば、ヒノエは少しだけ浅水と距離を取った。
「じゃあ、また……続きは、お前の夢の中でね」
ふっ、と微笑むと、来たときと同様にさっとヒノエの姿が消える。
部屋の出入り口は閉ざされたまま。
開け放たれたままの窓から風を受けたカーテンが、静かに揺れていた。
「夢……か」
こちらの世界へ来てから、浅水はまだ、それらしい夢を一度も見ていないことに気付いた。
進むしかできない今
不完全燃焼……(悔)
2007/12/9