重なりあう時間 第二部 | ナノ
折角ここまで来たのに、こんなことになるなんて。
それとも、ここまで来たからこうなったの?
いつだって、あと少しというところで邪魔が入る。
Act.47
リズヴァーンの姿を探しながら迷宮の奥へと進む望美の足取りは、重い。
まるで、ここへ辿り着くまでの浅水のように。
だが、望美は何か考えていると言うよりも、どこか心ここにあらずといった感じに近い。
リズヴァーンのことも心配だが、自分一人だけ何も理解できていないことに、不安を覚えているようにも感じる。
それを知っていながら、何も言葉を掛けない自分も、大概に冷たいのだろうと浅水は冷静に判断した。
けれど、自分も望美と同様に、いや、もしかしたらそれ以上に不安の種は尽きない。
迷宮においてもイレギュラーと思える自分の存在。
果たして、そんな自分がこの先で待つ者とどう関係しているのだろうか。
「先輩。少し、戻った方がいいんじゃないですか?」
そんな望美の様子を察知してか、譲が提案する。
気ばかり急いている望美は、他のメンバーのことなど忘れたかのように、一人で先へ進む。
彼女の内情をわかるからこそ誰も、何も言わないし、言うことが出来なかった。
ただ、怨霊が現れるこの場所で、一人先に進む望美が、いつ怨霊に囲まれるかもわからないのは確かだ。
「ううん、大丈夫だよ。早く行かなきゃ。先生を捜さなきゃ」
譲の心配ですら、今の望美には届かない。
今の望美には、リズヴァーンしか見えていないのだと、誰もがそっと溜息をついた。
塔へと続く道をひたすらに進んでいけば、やがて開けたホールのような場所に出た。
自分たちの反対側には、塔へと続く階段が見える。
だが、その階段の手前に、自分たちの捜し人を見付け、望美の表情がパッと明るくなった。
「先生っ!」
あらん限りの声で呼び掛けてから、残りの距離を一気に詰める。
すると、歩いていた足を止め、リズヴァーンはこちらを振り返った。
「神子……」
自分の元へと駆けてくる弟子の姿。
戦装束だと顔の半分がその仮面に隠れ、表情が読みにくくなるリズヴァーン。
だが、今の彼からは驚愕の色が何よりも強く伝わってきた。
「先生、教えて下さい。先生はどこへ行こうとしてるんですか」
真っ直ぐに問われる瞳に、リズヴァーンは思わず視線を逸らす。
彼が視線を逸らすときは、何か心に後ろめたい物があるときだ。
どうせ望美には何も語らず、自分一人の手で全てを終わらせようとしていたのだろう。
彼もまた浅水と同じように、何もかも一人で背負ってしまう人だから。
浅水はリズヴァーンの肩を通り越し、階段の先へ続く塔を睨み付けた。
恐らく、あそこに全ての原因がいるはずだ。
「いい加減、追いかけっこは終わりにしようぜ。ここまで来たんだ、話してくれてもいいんじゃない?」
何も答えないリズヴァーンに、今度はヒノエが問いかける。
弁慶は、尚も黙りこくるリズヴァーンを見て、そっと溜息をついた。
「……それを知らせねば扉は開かない。ヒノエの言うとおり、今がその時期でしょうね」
「弁慶!」
弁慶の言葉に慌てて景時が口を挟んだ。
どうやら、その言い方では弁慶の大体のことを予想出来ているらしい。
相変わらず、軍師でもある弁慶は油断ならない。
「彼女には、全てを冷静に知ってもらわねばなりません」
「だけど……」
思わず口ごもるのは、それを聞かされた望美がどれほどショックを受けるかわかるからか。
だが、扉を開くためにそれが必要だというのなら、弁慶の言わんとすることも理解できる。
ただ一人。
話題の中心である望美だけが、話しについて行けずに呆けている。
── 教えてあげようか ──不意に、どこからともなく声が聞こえる。
その声に、聞き覚えがあって、浅水は思わず周囲を見回した。
けれど、彼の人の姿はどこにも見えない。
「え……?」
どうやら、聞こえたのは自分だけではないらしい。
そう思ったのは、望美が耳を押さえて声を上げたから。
自分と同じように周囲を見回す姿は、どうやら声の主が誰かまで理解していないらしい。
── 私があなたに教えてあげる。彼から隠す、あの夜の真実を ──言葉が終わったと同時に、脳裏に映像が浮かんでくる。
それはあの夜のこと。
望美と景時を、雨の中捜した、あの──。
まるで、映画でも観ているかのように頭の中に情報が流れてくる。
それは望美も同じようで、初めて知らされる事実に、感情が追いついていないようだ。
かといって、他のみんなに見える物でもないらしい。
見えるのは、自分と望美の二人だけか。
「何?これは──。景時さんを傷つけたのは、私……?」
のろのろと景時を見つめる瞳が揺らいでいる。
一方的に流されてくる情報に浅水はこめかみを押さえた。
「浅水!大丈夫か?」
「ごめ、ちょっとだけ……」
そんな浅水の様子に気が付いたヒノエが、肩を掴んで支えてくれる。
ヒノエにもたれかかるように、身体を委ねてしまう。
自分の意思とは裏腹に、勝手に頭の中に情報を流されるのが、これほど苦痛だとは思わなかった。
だが、問題は自分よりも望美。
「そんなはずない!そんな、こと……絶対に」
強く否定するも、次第に望美の語尾が弱くなっている。
映像は、未だに流れ続けている。
報国寺の近くで向き合う望美と景時。
けれど、実際は望美ではなく、望美の身体を操っている荼吉尼天。
刀身が黒い刀を携えて、景時を攻撃している。
あの時、彼が怪我をした理由はこれだったのか。
荼吉尼天が関係しているのは知っていたが、まさかこういう手段だったとは思わなかった。
だが、これはあまりにも。
いくら自分の意思ではなかったといえ、あまりにも酷すぎる。
恐らく、リズヴァーンは景時の怪我を見て理解したのだろう。
彼を傷つけたのは望美だと。
彼女に剣を教えたのはリズヴァーンだ。
弟子の剣筋を、師匠が知らないはずはない。
そして、それを看た弁慶も、大体のことはわかったのだろう。
だからその事実を望美に隠そうとした。
それなのに。
荼吉尼天はこちらが隠していたのものを、全て望美に教えてしまった。
「だけど……」
「いけない!望美さん、心を揺るがせては……!」
普段、ハッキリと意思を持っている人の身体を奪うためには、どうすればいい?
そんなの、わかりきっていることだ。
動揺させるなりなんなりして、心に隙を作ればいい。
そうすれば、その隙を狙って入り込むことが出来る。
耳を塞いでどうにかなるのなら、誰かに言ってその耳を塞がせている。
だがこれは。
荼吉尼天がやっていることは、直接脳内にあの時の映像を流し込んでいるのだ。
瞳を閉じたところで、まぶたの裏に映像が焼き付いている。
これでは、何をやっても無駄。
「私が……あの世界でも……何度も運命を上書きするたび……何度も、みんなを傷つけて……」
震える声で呟く言葉は、泣いているようにも聞こえる。
それでも、望美の瞳からは涙など零れていない。
焦点の合っていない目は鈍い光で、どこを見つめているのかすらわからない。
「まずいね……荼吉尼天の思うつぼだ」
「どういう意味だい?」
浅水の言葉に、ヒノエが目を鋭くさせる。
今のところ、望美にコレと言った変化は見られない。
「荼吉尼天は望美の……っう……!」
「浅水っ!」
話している途中、再びやって来た発作に、思わず膝をつく。
慌てたヒノエも膝をつくが、この苦しみは今までの比ではない。
それは、荼吉尼天がすぐ側にいるせいか。
── あなたはいつになったら諦めるのかしらね ──ころころと、楽しそうな声が頭の中に響く。
彼の人は今、自分に向かって「あなたは」と言った。
その言葉が示すところは、一つしかない。
「……落ち、た……」
無理矢理言葉を作れば、ハッとしたようにヒノエが望美を見る。
ただ立っている姿は先程と変わらない。
変わらないのだが、その様子は明らかに違っていた。
虚ろだった瞳には光が宿っている。
それだけではない。
望美がいつも纏っているのは、陽の気。
けれど、今の彼女が纏っているのは、その反対の陰。
「そういうことかい。今の望美は、荼吉尼天の操り人形ってわけだ」
状況を飲み込んだヒノエが、喉の奥で低く唸った。
意識は荼吉尼天でも、身体は望美だ。
下手に攻撃をして傷つけたところで、それは望美の怪我となる。
荼吉尼天には一切傷が付くことがないのだ。
「………………」
静かに望美が振り返る。
荼吉尼天が操っていると言うだけで、表情まで変わってしまうのか。
姿はそっくりだが、まるで別人だ。
「望美……?」
「………………」
そんな望美の様子に、九郎は思わず声を掛ける。
薄く笑みすら浮かべている彼女は、先程までとは全く違っていた。
弁慶はそんな望美の変化で全てを理解したのか、何も言わずに望美の中にいるであろう荼吉尼天を見ている。
「ようやく、手に入れたよ」
自分の姿を見ながらそんなことを呟く望美に、誰もが顔を見合わせる。
何のことを言っているのか。
手に入れたというのは、一体、何?
「浅水、動けるかい?」
「うん、多分大丈夫」
大丈夫といいながらも、ヒノエの手を借りてその場に立ち上がる。
発作は既に治まっている。
胸の苦しみも、ない。
望美を睨み付けるように見えれば、彼女はこちらを向いて微笑んだ。
「ここまでみんな、ご苦労様」
ぐるりとみんなを見回しながら微笑むその顔は、望美とは思えないほどに妖艶。
瞳から奪われた色
カウントダウン開始
2008/5/13