重なりあう時間 第二部 | ナノ
誰かが呼んでいる気がする。
あなたは一体誰?
私に何を伝えたいの?
Act.40
夢を、見ていた。
どうしてそう思ったのかはわからない。
けれど、頭のどこかがこれは夢だと告げている。
その証拠に、自分が立っている場所はどこか頼りなく、世界そのものが酷く曖昧。
夢で先を視ていた時は、それが夢なのか現実なのかを見極める事が難しかった。
今の自分は夢見が出来ない。
そのこともあってだろうか。
逆に、これが夢なのだとハッキリと理解できる。
「夢の癖に、リアルって言うのはいただけないんだけど」
誰にともなく、独りごちる。
夢だとわかっているのに、四肢の感覚がしっかりとあるのはどういう事だろうか。
そして感じる、清浄な気の流れ。
「今の私は普通の人間と変わらないはずなのにね」
どうしてか感じられるそれに、思わず自嘲気味に呟いた。
ここまで来ると、何かしらの意志が介入しているように感じてならない。
けれど、それが何なのかはわからない。
四神とは一切の意思疎通が取れていない。
熊野権現も、またしかり。
そうなると、考えられる物は他にいなかった。
── ──ふいに、誰かに呼ばれたような気がして、浅水はピクリとその場で耳を澄ませた。
けれど空耳だったのか、声など少しも聞こえない。
どこを見回しても自分の姿しか見えないのだから、この場には自分以外の誰もいないと考えていいだろう。
「どうやったらこの夢から覚めるかが問題、か」
夢だとわかっているのに、頭はしっかりと覚醒している。
この場合、どうやったらこの空間から出ることが出来るのだろうか。
── ──そんな時、再び耳に届いてきた声。
ハッキリと聞いたわけではないが、確かに誰かの声がする。
途端に警戒して、周囲に気を張り巡らせるのは、これまでの経験から。
例え、今の自分が何も出来ないとわかっていても、警戒を怠ることだけは出来ない。
(どこにいるの?)
姿が見えないだけで、すぐ傍にいるのかもしれない。
気配を感じることの出来ない身体が、こんなにももどかしいなんて思わなかった。
── 浅水 ──再び耳に届く、声。
今度はハッキリと自分の名を呼んでいる。
その声はどこかあどけなく。
愛おしさがこみ上げてくるような、そんな声だった。
「あなたは、誰?どうして私を呼んでいるの?」
問いかけても、返事は返ってこない。
けれど、自分を呼ぶ声だけがその場に反響する。
自分の耳を頼りに、声が聞こえてくる方を目指し、一歩足を踏み出した。
── 浅水 ──尚も声は止まらない。
ゆっくりと、それでいて、周囲に気を配りながら前へ進む。
だが、声の主が現れることはない。
それどころが、その声すらもどんどん小さくなってしまう。
どこかで方向を間違えたか。
そう思い、来た方向へ戻ろうとしたときである。
それまで足下にあったはずの床が、綺麗になくなっていた。
「嘘っ」
直後、身体を包む浮遊感。
手を伸ばしても、縋る物など何一つない。
浅水の身体は、虚空を舞った。
ハッと目を開けたときは、見慣れた天井がそこにはあった。
心臓が早鐘を打ったように動いているのは、まるで自身が落下したような感覚だったせいか。
深呼吸をしてから、身体の力を抜く。
どうやら、身体は自分が思っていた以上に緊張していたようだった。
「そういえば、私いつ部屋に戻ったんだっけ?」
昨夜は景時を捜しに出掛けたはずだ。
報国寺の近くで彼を見付けた後、リズヴァーンに景時を任せたまでは良かったが、家の鍵を持ったままだったことに気付き、タクシーで帰ってきたはず。
タクシーに乗り込んだまでは覚えているが、それ以降は記憶がない。
ついたら起こすと言われたが、自分は起きなかったのだろうか?
上半身を起こすと、ぱさりと何かが目の前に落ちてきた。
「布……?」
それを手に取れば、それは未だ湿り気を帯びていた。
自分が起きたときにそれが落ちてきたと言うことは、恐らくそれがあったのは自分の額。
「……信じられない」
自分の失態に、思わず頭を抱えてしまう。
どうしてこういう時に、体調を崩したのだろうか。
浅水はベッドから抜け出すと、クローゼットから適当に服を選んで着替えることにした。
リビングに顔を出せば誰かしらいると思ったのだが、誰の姿も見付けられなかった。
そういえば、玄関にみんなの靴が無かったかもしれない。
そう思うと、やはり自分は体調を理由に置いて行かれたのだろう。
そして、それを言ったのは恐らくヒノエと弁慶。
自分の事を心配してくれてのことだろうが、一言くらい声を掛けてもいいだろうに。
「過保護なんだから」
だが、そうせざるを得ない理由を作ったのは自分自身。
いくら現代に来て日が経っているとはいえ、二人の心に傷を作ったのは浅水だ。
それに関しては、どうこう言える立場にない。
「けどま、誰もいないのは好都合ってね」
恐らく、昨日の今日では景時も寝ているはずだ。
誰かがいては、彼と二人で話すことなど皆無に近い。
けれど、今ならば。
自分と彼しかいないこの状況ならば、聞くのは可能かもしれない。
浅水は景時が寝ているだろう部屋を探しに、客室を目指した。
「景時、いる?」
部屋の前でそっと声を掛けてから、室内を覗き込む。
普段、彼が寝室として使っている部屋には、誰もいなかった。
当てが外れた、と再び探し始める。
「入るよ」
和室にそっと顔を覗かせれば、普段はそこにない物を目にすることが出来た。
部屋に入り、後ろ手に障子を閉めてから横になっている人物の側へと近寄る。
どうやら寝ているらしく、規則正しい寝息が耳に入る。
チラリと肌に見える包帯が痛々しい。
「……やっぱり、私もついて行けば良かった」
湧いてくる後悔は、未だ消えない。
今の自分がついて行ったところで、何の役にも立てなかっただろう。
けれど、少なくともこんな思いだけはしなかったはずだ。
「君が、気にする事じゃないよ」
「景時……ごめん、起こした?」
寝ていると思っていたはずの彼の声に、思わず謝罪してしまう。
彼だって戦奉行だったのだ。
人の気配に敏感で当然。
「いや、そんなことないよ。それで、浅水ちゃんはオレに聞きたいことがあるんだよね?」
どうやら、彼は自分が部屋に来た理由を知っているらしい。
話す手間が省けた、とはこのことである。
今の景時の状況は、素人の自分から見ても、余りよい物ではないとわかる。
本来なら、病院に連れて行かなければならないだろう。
だが、そうできない状況にある。
なるべくなら安静にしておくべき彼に、あまり話をさせるのもどうか。
「話が早くて助かるよ」
少しだけ肩を竦めながら言うと、景時の目が鋭く光った。
それだけで、自分が何を聞きたいのか理解しているのだと悟る。
本当に。
普段はどこにでもいる好青年のような顔をしておきながら、こんな時だけ鋭い表情をする。
自分もそうだが、景時もなかなかに隠し事が上手である。
隠し通すべき事は、何が何でも隠し通す。
例えそれが、修羅の道であっても。
だから本当は、自分が聞いてもはぐらかされるのでは、と危惧していた。
だが、それは自分の思いこみだったと知ったのは、彼の表情で。
「荼吉尼天、でいいんだね?」
尋ねたのは、その一言だけ。
多くを聞かなかったのは、そうだと確信できる答えだけが欲しかったから。
景時が未だ何かを隠しているように、自分も隠していることがある。
それを公にしてしまうには、どこか自信が持てないでいるから。
真っ直ぐに、寝ている景時を見つめれば、自分が尋ねた直後。
彼はゆっくりとそのまぶたを閉じた。
「……やっぱり、君はわかってたんだね」
どこか苦い口調のそれに、浅水は小さく息をついた。
やはり、そうなのか。
どうして、とか、なぜ、という言葉は出てこなかった。
何故なら、迷宮の中ですでにそれは形になりかけていたから。
室内は、沈黙に包まれた。
なんて残酷な言葉
夢で出てきたのは今後の重要人物(笑)
2008/3/30