重なりあう時間 第二部 | ナノ
 









隠し事はそれなりに得意ではあるけれど。










一刻を争うかもしれないときに判断を誤るほど、愚かじゃない。










やっぱり、誰かさんの育て方が良かったのかしら?










Act.37 










景時を見送った後、浅水は再びリビングに戻っていた。
ソファに深く沈み、瞳を閉じる。
誰もいない、テレビをつけない部屋は、とても静かで。
人工の灯りすらなければ、ここがどこなのかわからなくなりそうな自分が怖い。
けれど、と閉じていた瞳をそっと開けば、天井が目に入る。


「自然の音がしない、か」


自然に恵まれた熊野とは違い、現代の鎌倉。
ましてや住宅街ともなれば、自然はめっきりと減る。
それでも、街中に比べればまだある方だ。
だが、家の中に入ってしまえば、風の音や緑の匂いとは遮断される。
それが心苦しい感じがするのは、すでに身体がそれらを覚えてしまったから。


「現代よりも、あっちの世界が気になるなんてね」


自嘲気味に笑むが、仕方のないことだと自分を納得させる。
すでにあちらの世界も自分の故郷なのだ。
今更、忘れることなど出来ない。
だからこそ、今の状況全てに決着が付いたとき、自分は選択を迫られる事になる。










現代か、

それとも、

熊野か。










なるべく考えないようにしていたが、一人になるとどうしても考えてしまう。
どちらも大切で、なくしたくない。
けれど、どちらも望むことは不可能。
二つを天秤に掛けて、最終的にどちらを選ぶか。


「……あほらし。今考えたってどうしようもないことだ。まずは、目先のことの方が大事」


深く息をついて、思考を切り替える。
今はそんなことよりも、景時の方が重要だ。
一人で出掛けた彼に、何も起きなければいいが。
待っている時間というのが、どれほど苦痛なのかはよく知っている。
要らぬ心配ばかりしてしまうのも。
だが、景時を見送ってからこちら、どうにも胸騒ぎがしてならないのだ。
いくら夢で先視が出来なくなったとしても、予感だけはなくならない。
いつの時代も、嫌な予感だけは当たるのだ。


「景時が無事だといいんだけど」


小さく呟いて、この予感が杞憂であることを願う。
そんな時、カチャリとリビングのドアが開いた音が聞こえた。
足音は軽く、男たちのそれとは違う。


「ねぇ、浅水。兄上がどこに行ったか知らない?」
「朔」


声を掛けられて振り返れば、そこにいたのは朔の姿。
そういえば、たまには有川家にも泊まらないかと誘っていたのだ。


「景時?どうかしたの?」


知らない振りをして理由を問えば、朔は困ったように頬に手を当てた。


「兄上がお風呂から上がったら教えてくれるように言ったのだけど、全然こないの。それでお風呂場へ行ったんだけど、姿が見えなかったのよ」


どうやら、朔は景時の後に風呂に入る予定だったらしい。
ということは、景時は風呂に入ると言って、そのまま家を出て行ったのか。
家中を探しても彼の姿を見付けられなかった、という朔に、事情を知る浅水は内心謝罪する。


「でも、一体どこへ行ったのかしら?」


景時の行方を思案する朔に、どう答えようかと考えていたときだった。
突然、心臓を鷲掴みにされるような痛みが浅水を襲う。


「っ……」


昼間に一度、迷宮の中でこの苦痛をやり過ごしていたから、今日はもうない物と思って油断していた。
まさか、一日に二度もあるとは。


「浅水っ?どうしたの!」


様子のおかしい浅水に気付いた朔が、慌てて背に手を当てるが、その表情を見るなりサッと顔色が変わった。


「待っていて、今、弁慶殿を呼んでくるから」


そう言い残すなり、朔はリビングから飛び出していった。
その間も、苦痛は浅水を苛むばかり。
いっそのこと、このまま意識を失えたらどれだけ楽か。
呼吸すらままならない現状に、胸元を掴む手に力がこもる。


(景時……)


何も、なければいいと願っていた。
そうすれば、少なくとも安心できると。



── いつまでそれが続くかしら ──



ふと、自分の耳に届いてきた声。
その声は、確かに聞き覚えがある。
けれど、出来ることなら耳にしたくないもの。
聞こえてきた声と、自分の状況。
やはり、時折やってくるこの苦痛の原因は彼女にあるのだ。

それから考えると、最悪の結果になったのだけは明らか。
恐らく景時も、無事ではないだろう。


「浅水さんっ!」
「浅水!」


朔が開けたままにしていたドアから、先を競うようにヒノエと弁慶の姿が現れる。
だが今の浅水には、その二人の姿を確認することすら出来ない。
二人が浅水の前に膝を付き、様子を確かめると、似たように眉をしかめた。


「これは……」
「今までと全く同じだね。クソッ、一体何が起きてるっていうんだ」


浅水の表情と様子から、これまでと同じように、なす術がないことを悟るとヒノエは小さく唇を噛んだ。
今の自分たちに出来るのは、ただ時間が過ぎて、彼女の様子が落ち着くのを待つだけ。
これまでに似たような症例を診たことのない弁慶にも、お手上げだった。










しばらくして、浅水の様子が落ち着いたのを見ると、弁慶は浅水に問診をし始めた。
発作が起きるまで何をしていただとか、今の身体の具合はどうだとか。
けれどどれも弁慶の参考にはならないだろう。
そして、その治療法がないことも、浅水は知っている。
否、理解してしまった。
どういう理由と目的なのかは知らないが、全ての原因は荼吉尼天にある。


「本当に大丈夫だって」
「駄目です。あれだけ苦しんでたんです、何かあってしかるべきでしょう?」


にっこりと、顔に満面の笑みを貼り付けている弁慶が怖い。
思わずヒノエに助けを求めようとしたが、彼は緩く首を横に振るばかり。
どうやら、今回ばかりはヒノエも弁慶側に付くらしい。
ならば、とリビングにやって来た将臣に視線をやれば、途端に視線を逸らされる。
もはや、誰も自分を庇ってくれる人はいないらしい。


「兄上ったら、浅水が大変だというのに、本当にどこへ行ったのかしら」


けれど、朔の放った一言は、弁慶の意識を逸らすには充分だったようだ。


「そいうえば、景時の姿が見えませんね」
「あれ?ホントだ」
「まだ風呂にでも入ってんじゃねぇのか?」
「兄さん。もしそうだとしても、さすがに気付くだろ」


どうやら朔が弁慶を呼びに行った際、何事かと他のみんなも来たらしい。
ただ一人、景時を覗いては。


「もしかしたら、望美の所へ行ったのかもしれんな」
「有り得ませんよ。それに、いくら景時さんでも夜更けに先輩の家に行くだなんて、ヒノエじゃあるまいし」
「ちょっと待てよ、譲。そいつは、聞き捨てならないね」
「何だよ、ホントのことだろ」


九郎の言葉に、譲が鋭く返せば、今度はそれにヒノエが返す。
相変わらず、譲の世界は望美を中心に回っている。
そのことに、思わず苦笑してしまう。


「兄上と望美に電話してみるわ」
「うむ」


電話帳から望美の携帯を探し出し、電話を掛ける。
これで景時が一緒にいるなら、みんなの不安も消えるのだろう。
だが、彼が望美と一緒にいないこと。
ひいては、どこへ行ったかを知っている浅水としては、不安をぬぐい去ることは出来ない。


「…………」
「浅水?まだ、調子が悪いのか?」


黙り込んでしまった浅水の顔を、ヒノエが覗き込む。
突然現れた彼のアップに、思わず身を引いてしまう。
いくら慣れたとはいえ、突然目の前に現れると、違う意味で心臓に悪いのだ。


「ううん。そういうわけじゃ、ないんだけどね」


曖昧な返事は、ヒノエの不審を煽るのに充分。
それを知っていながら、ハッキリと誤魔化せなかったのは、自分に余裕がないせい。


「……ええ、ごめんなさいね」


どうやら電話が終わったらしい。
通話ボタンを押しながら、朔がみんなの顔を見た。
だが、その表情はどこか冴えない。


「兄上には繋がらなかったわ。でも、望美とは一緒にいないみたい。彼女も探してくれるって」
「望美だけに探させるのは心配だ。俺たちも行くぞ」
「神子……」


朔から様子を聞くと、誰の表情にも鋭い物が走る。
どうやら、事の重大さに気付いたらしい。
浅水は景時の居場所を知っているが、それを言うことは出来ない。
なぜなら、彼に言わないことを約束しているから。
けれど、この最悪の状況ではそんなことを言っていられないだろう。


「浅水さんは、このまま家にいて下さい」
「そうだな、あんな事のすぐ後ってのは、きついだろうし」
「冗談、行くに決まってるでしょ」


家に残れという言葉を一蹴し、その場に立ち上がる。
無闇に探し回っても、時間がかかるだけ。
ならば、知らない振りをして目的地へと導いた方が早い。


「お前、本当に大丈夫なのか?」
「しつこいよ、ヒノエ。自分の身体くらい、自分でわかるって。それよりも、行くなら早く行かないと」


心配してくれるのはわかるし、ありがたい。
だけど、出来るだけ早くと促して、ひとまず上着を取りに部屋へと戻る。


「景時……」


今頃彼がどうなっているか、怖くて想像できない。
無事でいてくれるといいが、もしかしたらと言うこともある。
できるだけ、急がなければならない。
浅水は上着を手にすると、玄関へと急いだ。


「浅水」


どうやら、自分が最後だったらしい。
すでに玄関は開けられ、何人かは外に出ている。
靴を履き、外に出てから上着を羽織れば、湿気を含んだ空気が身体を包んだ。


「一雨、きそうだね」
「なるべく早く捜さねば」
「みんなで捜しても埒があかねぇし、別れて捜そうぜ」


家に鍵をかけ終わると、ちょうど良いタイミングで将臣が話し始めた。
確かに、全員で捜しても見つからなければ意味がないだろう。



行方がわからないのなら。



目的地は決まっている。
だったら、わざわざ捜す必要なんてない。


「報国寺」
「何だって?」


聞こえてきた言葉に、誰もが視線を浅水へとやる。
指すような痛い視線。
それに怯んでいるようでは、熊野別当補佐などやっていられない。


「多分、報国寺に行ったんだよ」
「どうして君がそれを知っているんですか?」
「知ってるわけじゃないよ。何となく、予感がするんだ」


弁慶の探るような鋭い視線。
明らかに疑っているのだとわかるそれに、言い方を間違えたかと小さく舌打ちする。


「とりあえず、何の情報もないんだ。行ってみて損はないだろ」
「………………」


リズヴァーンの沈黙が、普段のそれとは違うような気がして、少しだけ気になった。
今はそれを確認するよりも、やらなければいけないことがある。
みんなは小さく頷くと、その場を駆け出した。










雲が、月の姿を隠し始めていた。










どこにいるの? 










三章終了

2008/3/20



 
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