重なりあう時間 第二部 | ナノ
不思議な迷宮。
誰が、何の目的のために作ったのかすらわからない。
一種の芸術のような建物は、時に予測も付かないことが起きる。
Act.31
二度目の迷宮。
怨霊が現れれば、そのたびに封印を繰り返す。
恐らく閉ざされた扉を開き、現れる怨霊を全て封印すれば、現代に持ち込まれた穢れは祓われるのだろう。
けれどこれだけ広さがあっては、全ての怨霊を封印するのも容易いことではない。
それは誰もが理解している。
そして、やらなければならないことも。
果たして、いつになったらそれが終わるのかは、正直考えたくないところ。
新たに開かれた道を、地図に書き込みながら探索を続ける。
それは、怨霊を封印して穢れを祓うためでもある。
だがその一方で、どこか楽しんでいる者がいるのも否めない。
この迷宮内に置かれている宝箱には、どうやら望美にとって大事な物が入っているらしい。
らしい、というのはそれを見ることの出来るのが、望美しかいないからだ。
彼女以外には、宝箱は空っぽに見える。
けれど、望美にはしっかりと『何か』が見えるというのだ。
今では現代組の望美と将臣が、宝箱探しに躍起になっている一面も見える。
「しっかし、普通の場所じゃねぇとは思ってたけど、あんなの見るとますますそう思うな」
迷宮を進みながら、何の気なしにしみじみと呟く。
その視線は遥か前方を捉えている。
一体何のことを言っているのか、と思いながら浅水も将臣の視線の先を見やる。
そうすれば、彼が何を見ていたのかが理解できた。
「そうだね、あんなでっかいのが空に浮かんでるなんてさ」
「一体何の原理だろうね」
望美が相槌を打ったのにつられるように、浅水も言葉を紡ぐ。
「空?」
そんな三人の言葉を聞き取ったのは弁慶で。
彼も同じように遥か前方を見つめていたが、どうやら見えなかったらしくそのまま首を傾げてしまった。
そういえば、彼は目が悪かったんだったか、と浅水が思い至ったのは少ししてからのこと。
あの時代、あの世界ではあまり眼鏡をつけている人はいない。
現代ならば、眼鏡をつけている人を見れば視力が悪いんだな、と理解できるが、裸眼でいられては判断に困る。
そして、弁慶も例にもれず裸眼でいる。
「見えませんか?あの向こうの方なんですけど……」
「塔の脇の辺りから階段が伸びて、その先にでっかい建物があるだろ」
けれどその事実を知らない二人は、弁慶が自分たちと同じ物を見付けられなかっただけだと思っている。
指で示しながら説明を続けている。
「けど、地面につながってるように見えねぇんだよな。ここから見た感じだと、宙に浮いてるみたいでさ」
「……階段、ですか……」
説明を受けながらも、弁慶は視線を彷徨わせる。
時折目を細めている姿を見て、将臣は思わず肩を竦めた。
譲の視力が悪いせいだろうか。
あまり視力が良くない人は、見えないと物を良く見ようと、目を細める傾向がある。
今の弁慶の態度は、それと酷似していた。
「本当に見えないみてぇだな」
「ええ。僕、あまり目が良くはないんですよ」
将臣の言葉に同意すれば、やっぱり、といったふうに納得する。
視力が良くないのであれば、裸眼の自分たちと同じ物が見えるはずもない。
ぼやけて見えているか、もしくは全く見えないかのどちらかだ。
「全然気付きませんでした……」
どこか信じられない物でも見るかのように、望美が弁慶の瞳を覗き込む。
すると、弁慶は自分の視力が悪くなった原因を望美に語って聞かせた。
最たる原因は、あまり灯りのない中で読書に勤しんだせい。
現代のようにいつでも明るい訳じゃない。
例え灯りがあったとしても、読書するにはいささか頼りないものだ。
そんな中ならば、視力が悪くなって当然。
「日々の暮らしに困るほどでありませんから心配はいりませんが……」
「はい、ストップ」
弁慶の言葉が終わらないうちに、望美と彼の間に手を差し込んで遮る。
これ以上弁慶に何かを語らせたら、どうせろくな言葉は出てこないだろう。
それに、譲の機嫌が悪くなるのも困りものだ。
真っ先に反映されるのは、その食卓なのだから。
「浅水ちゃん」
「浅水さん」
間に入った手を辿り、二人が視界に捉えたのは浅水の姿。
「これ以上は止めてくれる?誰かさんが鬼のような形相でこっちを見てるから」
それが誰を示しているのかは、わざわざ言う必要もない。
望美はパッと振り返り、譲の元へと駆け寄った。
ひとまずはこれで安心と、ホッと胸を撫で下ろす。
「あんまり望美と譲をからかうのは止めておきなよ」
釘を刺すために言葉にするけれど、弁慶相手に釘を刺したところで聞くわけがないと知っている。
だが、やるのとやらないのでは、やっておいた方がいいに決まっているのだ。
「別にからかっているつもりはないんですが……でも、君の顔ははっきり見えるように、近くにいたいものですね」
「はいはい」
望美に掛けるはずだっただろう言葉を、そのまま言われたところで、誰が嬉しいと思うのだろうか。
弁慶は軽くそれを流す浅水の背後で、甥であるヒノエが譲と同じような表情をしていることに気付く。
いつもは余裕のある態度をしてみせるくせに、時折こうやって本心をさらけ出す。
普段なら、その肩書き故に本心をさらけ出すことはあまり感心しないが、ここは異世界。
年相応な甥の姿は、見ていて飽きない。
「ったく、相変わらずの減らず口だね」
「男の嫉妬ほど、醜い物はありませんよ?」
浅水を庇うようにヒノエが弁慶の前に立てば、出てくるのはいつもと変わらない言葉。
どちらかが口を開けば──むしろ、ヒノエが口を開けば──必ずと言っていいほど繰り返される言葉の応酬。
実は、弁慶が密に楽しんでいることを、ヒノエは知らない。
「はぁ?誰が誰に嫉妬してるって?」
「それはもちろん、ヒノエが僕にでしょう?」
クスクスと小さく笑いながら言う弁慶は、とても楽しそうで。
思わずヒノエの顔が歪められたのは言うまでもない。
そんな二人を眺めていた浅水は、小さく溜息をついた。
愛情の裏返し、とでも言えばいいのだろうか。
弁慶のヒノエに対する、愛情は酷く歪んでいるのだ。
けれど、それもヒノエが立派に成長しているからと取ってもいいだろう。
弁慶は興味のない人間には、時に恐ろしく無頓着だ。
「何で俺がアンタに嫉妬しなきゃいけないんだよ」
「浅水さんを取られたようで悔しいんでしょう?」
「どこをどうとったらそんな考えに行き着くのか、理由を聞きたいね」
「ちょっと、私まで巻き込まないでよ」
自分にまで飛び火してきそうな勢いに、浅水は慌てて二人の間に割って入った。
二人の会話は離れて聞いているから楽しいのであって、直接巻き込まれてはたまったものじゃない。
けれど、そんな二人を止めようとして、簡単に止められるのならば誰もがそうしているだろう。
突然抱きしめられる感触がしたと思えば、いつの間にやらヒノエの腕の中。
しっかりと腕に閉じこめられてしまうと、身動きすら取れなくなる。
「大体、アンタは浅水に振られてんだから、いい加減諦めなよ」
「想いをすぐに振り切れるほど、僕も人が出来ていないんですよ」
「アンタの言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
先程の弁慶の言葉を思いだし、鼻を鳴らす。
すると、弁慶は少しだけ瞬きを繰り返すと、大げさに溜息をついて見せた。
「言葉の意味をわかってないんじゃないですか?た・ん・ぞ・う」
「っ、その名前を呼ぶなっての!」
浅水はこのまま低レベルな言い争いになりそうだと、ガクリと肩を落とした。
自分を捉える腕は相変わらず。
このまま誰かが仲介してくれるか、二人の気が済むまではこの場から逃れられそうにない。
それは、昔から身をもって知っている。
「そこの漫才コンビ。いい加減先に進むぞ」
そんな時、天の助けと言わんばかりに響いた声に感謝する。
呼び方が呼び方だっただけに、思わず吹き出してしまったのは言うまでもない。
「将臣、こいつとコンビとか止めてくんない?」
「そうですよ、ヒノエと一緒だなんて」
「仕方ねぇだろ、お前たち二人で天地朱雀なんだ。コンビ以外の何があるってんだ?」
二人の意識が将臣へと向かってくれたおかげで、浅水はヒノエの腕の中から逃れることが出来た。
逆に、二人の標的にされてしまった将臣に、謝罪の意味も兼ねて胸元で手を合わせる。
迷宮の更に奥へと進んでいけば、未だに終わりは見えない。
扉を開いて先に進めば進むほど、道はどこまでも続いている。
「どう見ても人の手によって作られた物なのに、人の気配がまるでないのも不思議な感じですね」
キョロキョロと周囲を見回しながら進む譲の言葉に、思わず迷宮の中を改めてみる。
確かに、どこか洋風の作りをしている迷宮は、明らかに人が作った物のように思える。
所々、ブロックが壊れていたりもするけれど、床に絨毯が引いてあるのは、どう考えても自然ではない。
誰かがそう作ったに違いないのだ。
けれど、怨霊が現れこそすれ、人が現れると言うことはない。
そもそも、一般人に見えないこの迷宮に、人が存在していると言うこと自体、考えられないが。
「一体誰が、何の目的で作った物なのだろうな……」
譲の言葉に同意するように、九郎も迷宮の中を見回す。
そうすれば、誰もが迷宮の中を見渡し始めた。
そんな中、どこかで見たことがある気がする、と声を上げたのは望美だった。
しかし、一体どこで見たというのか。
直接似たような場所に来た、という可能性はまずない。
もし、望美がそんな場所に行っていたら、何かしら報告があるからだ。
当然、その報告は浅水だけにではなく、有川兄弟にも伝えられる。
その兄弟が何も言わないところを見ると、やはり望美が行ったことがあるという線はない。
「ん〜……どこでだったかなぁ」
頭を捻りながら、全体を見ようと望美がみんなから一人離れる。
来た道を数歩引き返し始めたときに、何とも言えない、地響きにも似たような音が低くし始めた。
「何だ、この音は?」
「一体どこから」
音を聞き取った九郎と弁慶が、注意深く辺りを見回す。
音は依然続いており、止まるという気配がなかった。
「地震、にしては揺れてない」
自分の立っている地を踏みしめるようにしても、大地が揺れているわけではない。
ならば、この音は何?
「望美、こんなとこ来たことねぇだろ。どうせ映画とかで見たんじゃねぇの?」
「あ、そうだったかも!確か……」
考えてみても、やはり覚えのないことに、将臣は予測できる限りのことを訴えてみる。
どこにも行かず、この迷宮と似たような場所を見たというのなら、それは映画が一番当てはまる。
すると、望美もようやくその事実を思い出したようで、嬉しそうに表情を明るくした。
けれど、次はその映画の名前を思い出すことに必死なのか、その場に立ちつくしてしまう。
低く唸り続ける音は、次第に天上からパラパラと何かを降らせ始めた。
手でそれを受け止めれば、まるで壁の塗装が剥がれたような、そんな感じ。
どうして上から、と思い天上を見上げる。
すると、低く聞こえてきた音は、不意にその音を大きくした。
「望美さん、いけない!上にっ!」
「え?」
真っ先に気付いた弁慶が、その場にいる望美に声を上げる。
弁慶の切羽詰まったような声に、思案にふけっていた望美はようやく我に返った。
天上を見上げれば、ちょうど望美の頭上。
豪華なシャンデリアが、勢いをつけて地上へと降下を始めていた。
「神子っ!」
「望美っ」
「先輩っ!!」
その様子を見て、誰もが次の惨事を想像した。
「きゃあああああぁっ!」
望美の絶叫が、その場に響いた。
耳をかすめた旋律は
再び迷宮へ
2008/2/20