重なりあう時間 第二部 | ナノ
異性と二人きりで出かけるのって、デートって思っていいんだよね。
和やかな空気が一転して険悪な物に。
お願いだから、もう少しだけそっとしておいて。
Act.29
「浅水さん、ちょっといいですか?」
「弁慶?どうかしたの?」
夜、最後に風呂に入った浅水が、自分の部屋へ戻ろうとすれば、背後から弁慶に呼び止められた。
既に寝室としている和室に行ったはずの彼が、わざわざこんな場所にいるのだ。
最初から浅水を待っていたに違いない。
立ち止まり、彼の方を向けばいつもと変わらぬ笑みがそこにはあった。
「寝る前にすいません。よければ明日、僕と一緒に出かけてもらえないかと思って」
「弁慶と一緒に?」
思いもよらないお誘いに、少々瞠目する。
普段は一人で調査をしている弁慶だ。
わざわざ自分を誘う理由があるのだろうか。
それとも、単純に出かけたいだけか。
(デート……の線は有り得ないな)
既に二度ほど彼を振っている身としては、デートの場合態度に困る。
日常生活や情報交換なら構わないのだが。
そもそも、明日の朝言っても良さそうなことを今言うのだから、浮ついた話ではないだろう。
そう考えると、自然と顔の筋肉が引き締まる気がした。
「いいよ。じゃあ、何時にする?」
「僕は何時でも。浅水さんの時間に合わせますよ」
これが他の女性に対して言っている言葉なら、相変わらずだ、とか思っているところ。
浅水に対してそう言うということは、今の浅水がどれだけ不安定なのか良く理解しているということ。
最近はあまり寝坊をしなくなってきたが、気を抜けばいつまた寝坊するかわからない状況。
そんな中、自分を外出に誘うということは、時間に余裕があると思って構わないだろう。
「わかった、なら私が起きてからってことで」
「そうですね。仕度が出来たら呼んで下さい。それまでには僕も仕度しておきますから」
大まかな予定を立てれば、浅水はそこで弁慶と別れた。
自室へ戻り、ベッドの上に身体を投げ出す。
ほどよく利いたスプリングが、その衝撃を受け止めた。
弁慶の思惑が全く掴めない。
元より、彼の考えを読もうというのは、素人の自分には浅はかな考え。
相手は軍師なのだ。
あの笑顔の裏で、幾重にも策を巡らせていたのを知らない浅水ではない。
「明日は何があるのやら」
溜息と同時に言葉も吐き出すと、浅水はしっかりと布団の中に潜り込んだ。
折角約束したのだ。
例えそれが何の用事だったとしても、自分の起きるのが遅いせいで台無しにしてはならない。
早く寝たところで何が変わるわけでもないが、気分的に早く寝ればそれなりの時間に起きれるのではないか、という期待がなくもない。
布団に潜り込めば、程なくして睡魔がやってくる。
浅水はやってくる睡魔に抵抗するつもりはなく、そのまま身を委ねた。
翌朝。
早いとも遅いとも言えない時間に起きることの出来た浅水は、朝食を取った後に弁慶と二人で出かけた。
八葉のみんなも、今では銘々に自分たちの時間を楽しんでいるようだ。
「この窓からの景色は、見ていて飽きることがありませんね」
とりあえず、電車に乗り込みどこへともなく移動する。
今日は弁慶に付き合うことにしているから、どこへ向かっているかなどは聞いていない。
灯台に導かれる船のように、ただ彼が示す場所へ向かうだけ。
窓の外は流れていく景色が続いている。
交通手段が電車だと、いい加減見慣れてくる風景だが、彼にとってはそうでもないらしい。
「僕は、次々と風景が変わっていくのを見るのが好きなんです」
「そうだったっけ?初耳だと思うんだけど」
「おや、言ってませんでしたか?」
「聞いてないって」
交わす会話はたわいもないもの。
それこそ、普段の何気ない会話。
今更ながら、弁慶の普段とは違った一面を見たような気がする。
ヒノエに比べれば、弁慶と一緒に過ごした時間は限られている。
そもそも、彼は比叡にいたし、熊野に帰ってくるのだってたまにだけ。
数年前は、九郎と一緒に平泉まで行っていたのだから、そうなると更に熊野とは疎遠になる。
源氏に与したとなれば、尚更だ。
弁慶自身は、源氏の軍師ではなく九郎の軍師と言う。
けれど、九郎が源氏にいるという事実から考えても、弁慶が源氏の軍師であることに変わりはない。
春の京で一時、夏の熊野からはずっと一緒にいるが、自分はヒノエとばかりいたから、あまり弁慶とは話していないようにも思える。
「風がとても気持ちいいですね」
電車を降りれば、そこは海のすぐ近くだった。
熊野を故郷にする自分たちにとって、海はかけがえのない存在。
懐かしさを感じると同時に、寂しさも覚える。
「少し、海沿いを歩いていきましょうか」
「そうだね。ここは熊野じゃないけれど、海が綺麗だ」
「ええ、そうですね」
海を眺めながら歩けば、浅水は内心首を傾げた。
ここまでを思い返しても、どうやら龍脈や自分たちに関わることは話していない。
それ以前に、話す様子が見られない。
第一にして迷宮の「め」の字すら言葉にしていないのだ。
浅水は、小さく頭を抱えた。
「ねぇ、弁慶」
「はい?」
ざっ、と砂の音を立てて立ち止まり、彼の名を呼ぶ。
そうすれば、数歩進んだ位置で弁慶も立ち止まり、浅水を振り返った。
「今更こんなことを聞くのも何だけど、今日の用事って一体何だったわけ?」
「本当に今更ですね。真面目な用件ではないんですが、一度君と二人で出かけてみたかったんです」
二人だけで出かけたことはなかったでしょう?と逆に問われて思い起こせば、確かに。
いつだって自分たちの回りには誰かしらいたから、二人きり、という環境にはなかったと思う。
となると、やはりこれはデートなのだろうか。
だが、ここに来るまでの空気を考えてみても、デートと呼べるほど甘い物ではない。
それを思えば、二人で出かける、という言葉が一番しっくり来る。
そのまま再び海沿いを歩き、寒くなってきたところでお茶でもしよう、と弁慶に誘われて入った喫茶店。
喫茶店、というよりは、どこかのレストランを思わせる内装。
店内を飾る装飾品や雰囲気が、上品さを感じさせた。
「で?私を誘った理由を聞かせて貰える?」
注文したガトーショコラを食べながら再び尋ねれば、普段の彼の笑みに陰が走った気がした。
「困ったな。よくよく僕も信用がないらしい」
「信用されないことしてる弁慶が悪いんじゃない?」
苦笑しながら言う弁慶に、行儀が悪いと知りながら、手にしていたフォークで彼を指す。
軍師という肩書きを除いたとしても、彼自身が何を考えているか計り知れない。
浅水とヒノエに簡単に人を信用してはならないと、弁慶自身が身をもって教えてくれたような物だ。
「酷いですね。でも、君と出かけてみたかった。これだけは、嘘じゃない」
真っ直ぐに自分を見つめてくる瞳に、嘘偽りは見えなかった。
弁慶の言っていることは真実。
それくらい、瞳を見ればわかる。
「君は清らかで、優しい微笑みが美しい人だ」
更に続いた言葉の羅列に、思わず眉をひそめる。
弁慶はヒノエの叔父である訳だから、彼と似たようなことを言ってもおかしくはない。
けれど、普段は自分に対して口にされない言葉がその口から出てくれば、誰だって違和感を感じる。
「そして、僕にはとうてい持ち得ぬ、不思議な力を持った人。いわば、謎めいた人だ」
「……何が言いたいの」
ここまで言われてしまえば、彼が何を言いたいのかは想像が付く。
けれど、はっきりと言葉にされていないのに、あえて自分から言うのは癪に障る。
例え、ちゃんと言葉になっていても、話すのに抵抗がある。
「少しでも君の心の内を垣間見たいと願ってしまう」
弁慶はそこで一旦口を閉じた。
そのまま真っ直ぐ、射るような視線を浅水に送る。
思わず逸らしたくなるその視線は、けれど逸らすことが出来ない。
否、逸らせない。
彼の視線はまるで捕食者のそれ。
少しでも逃げようとすれば、直ちに捕まえられるだろう。
だから浅水も真っ直ぐに弁慶を見る。
「……私の心の内を見ても、何も楽しくないと思うけど?」
やけに喉が渇くのは気のせいではないだろう。
舌で唇を湿らせれば、ようやく声を出すことに成功した。
「楽しいとか、そんなことはどうでもいいんですよ」
一体弁慶が何を言いたいのかわからない。
他人の心など見ても、何も面白い物はないはずだ。
それなのに、弁慶はそんなことはどうでもいいと言い切った。
ならば、何の目的があって自分の心など見たいと言うのか。
「浅水さんが恐れている物の正体を、僕は知りたいんです」
どくん、と心臓が跳ねた気がした。
そんな物を知って一体どうするのか、と言ってやりたかった。
けれど、水から上がった魚のように、口が動くばかりで言葉など生まれてこない。
「将臣くんには話せるのに、僕たちには話せないなんて、未だに信用されてない証拠ですよね」
伏せ目がちに、悲しそうに告げる弁慶は、そのまま消えてしまうんじゃないかと思えるほどに儚い。
違う。
そうじゃない。
簡単な言葉なのに、どうしても声にならないのは、無意識のうちに分かっているからだろうか。
それを言葉にしてしまったら、自分の思いを全て打ち明けなければならないことを。
恐らく、まだ自分しか気付いていないだろう、変化の理由まで。
どうせ選ばなければならないのなら、最後まで待っていて欲しいと願うのは自分のエゴでしかないのだろうか。
自分ですら消化しきれない思いは、表に出すにはまだ早すぎる。
残されたガトーショコラの味は、わからなかった。
何が言いたいの、何を言って欲しいの
こんなはずじゃなかったのに……
2008/2/12