始まりの場所 | ナノ
 




国見砦に千尋たちが来てから、砦も随分と賑やかになった。
兵士たちの士気が上がるのはいいことだ。
そして、彼女たちが辿る道には、必ず新たな仲間がいる。
常世の国に立ち向かうのに、こちらの手勢は百人余り。
少しでも戦力が増えるのは喜ばしいこと。


逆に、問題も生じてくるのは当然の理。


以前から砦の中が静かだった、という訳ではない。
けれど、自分の時間というのはいつだって確かに存在していた。
睡眠以外の僅かな自由時間。
それは、気持ちを落ち着けるためであったり、物思いにふけることだったり。
静かな場所であればそれは尚良い。
だが、今はどこに行っても──自分の部屋にいても──たくさんの音が耳に入ってくる。
それが嫌で、自分の場所を探す物は少なくない。



真澄も例外ではなかった。
こっそりと砦を抜け出し、近くにある泉まで足を伸ばす。
数日前に、忍人が千尋の裸を見たのがこの泉だったと知ったのは、つい先日のこと。
空には、月と星がその姿を主張している。
月明かりに照らされて、足下が見えないと言うことはなかった。


「どこがいいかな」


独りごちながら、休憩場所を選ぶ。
いくら夜だとはいえ、荒魂に出会わないとも限らない。
すぐには見つからないような、少し陰を選んで真澄は腰を落ち着けた。


「やっとゆっくり出来る」


ほう、と息をついてぼんやりと空を見上げる。
千尋たちが来る前までは、少しくらい騒がしくても砦の中で一人になれた。
それに、五年も生活していれば、力の抜きどころも自然と身についてくる。
けれど、今はそうも言っていられない。
いつ誰がやってくるかわからないとなると、いつだって緊張していなければならないのだ。
風早辺りならまだいい。
だが、千尋と那岐はダメだ。
よりにもよって、那岐が鬼道使いだったとは。
彼自身は自分から進んで行動を取るように見えなかったが、千尋が彼を連れ回す姿を見ているだけに、なかなか厄介だ。


「説明、面倒だからな。出来ることなら、彼には最後まで気付いて欲しくないんだけど」


言いながら、自分の所持品である勾玉を取り出す。
手の中で勾玉を転がせば、僅かに差し込んでくる月の光に反射して、小さく光る。


「…………?」


そんな中、僅かに聞こえてきた音に、真澄は耳を澄ませた。
誰かがやってきたならば、気配を殺していない限り自分にはわかる。
一体こんな夜更けに誰がやってきたというのか。
息を潜めて周囲の気配を探っていれば、先程と同じ音が再び耳に届く。
抑揚の付いたそれは、動物の鳴き声よりも澄んだ音。
それの発信源が気になって、真澄は持っていた勾玉をしまうと、その場から動き出した。

気配を消して、音の聞こえる方へ。
次第に大きくなってくる音は、その源が近くにあるということ。
なるべく音を立てないように移動していけば、辿り着いたのは泉の近く。
そこにいるのは一人の男性。
そして、その音は男性の口から紡がれる歌声。
だが、目の前にいる男性には一度も会ったことがない。
近くにある御木邑の若い男は、ほとんどが土雷の邸に連れて行かれたはず。

だとしたら、彼は一体……?


『あ……』


こちらの気配に気付いたのか、男は歌うのを止めた。
それを少しだけ残念と思いながら、真澄は男の前に自分の姿を現した。


「ごめん、邪魔したみたいだね」


敵意はないと言う意味も兼ねて、両手を上に上げながら近付く。
すると、男はその表情をさっと曇らせた。
それを見て、邪魔されたのがそんなに嫌だったのか、と真澄は思ったが、そうでないとわかったのはその直後。


『すまない……すぐ消える』
「は?え、ちょっと!」


短い謝罪の直後に走り出す男に、思わず面食らう。
それほどまでに人に見られたくなかったのか。
はたまた、真澄に見られたことに気分を害したのか。
まさか逃げられるとは思ってもいなくて、真澄は慌てて男の後を追うことにした。


少し走れば、先程の男が何やら着込んでいるのが見える。
それが一体何なのかわかった瞬間、真澄は先程の男の正体をようやく理解した。


「え、遠夜……?」
『……そうだ』


しっかりとフードを頭から被ってしまえば、そこにいるのは確かに土蜘蛛。
土蜘蛛の素顔など、今まで一度も見たことがなかっただけに、開いた口がふさがらない。
すまない、と再び謝る遠夜に思わず首を傾げる。
どうして謝ることがあるのだろう。
謝るとしたら、逆にこちらの方だというのに。


『……これは棺……これは、咎。人は棺から離れた土蜘蛛を恐れる。だから……』


言っている意味はよくわからないが、遠夜の着ている物が棺と呼ばれる物だということだけは理解できた。
死者を納めるそれと同じ名前とは、随分皮肉が込められている物だ。
けれど、と真澄は思い直す。
自分は一人になれる場所を探してここまで来た。
だとしたら、遠夜も同じではないのだろうか。
いつもは棺に身を包んでいるが、それから解放されたくてこの場まで。


「別に、謝る必要はないよ。まぁ、見目が見るに堪えない物なら抵抗はあるけど、遠夜は見ても不快にならないし」


むしろ、滅多に見ることの出来ない素顔を見れて役得だ。
どうせなら、いつもこのままでいればいいのに。
そう思ったが、そんなことをしては忍人がまた何か言い出すだろうから、あえて黙っておく。


『どうして……?怖くないのか?』
「怖い?それこそどうして。遠夜は遠夜でしかないのに」
『とおやは、とおや?』


ことり、と首を傾げる様があまりにも幼くて、思わず吹き出しそうになる。
純粋、とでも言えばいいのだろうか。
まるで年端のいかぬ幼子のようだ。


「そう、土蜘蛛である前に、私たちの仲間」
『あ……そういえば、俺の声……真澄にも聞こえる?』
「聞こえるよ、遠夜の声。ちゃんと、私に届いてる」


遠夜の声は千尋にしか聞こえない。
そう言ったのは、誰だったか。

初めて遠夜と会ったときから、その声は真澄の耳にも届いていた。
けれど、千尋以外には遠夜の声が聞こえないと言うから、自分も聞こえることを黙っていただけ。
それが何をもたらすかなんて、考えたくもなかったのだ。


「これは遠夜と私、二人だけの秘密だよ」
『わかった』


口元に指を当てながら誰にも話してはいけない、と遠夜に諭す。
そう、特に千尋には話してはならない。


「ね、遠夜。さっきの歌、もう一度聞かせてよ。ちゃんと聞けなかったんだ」
『……お前が望むなら』


くるりと口調を変えて、もう一度遠夜に歌を強請る。
あの綺麗な旋律は、心の中にあるわだかまりを浄化してくれそうだ。
真澄は少し離れたところにある木を背もたれにして、その場に座り込んだ。





千尋が真澄と同じように遠夜を見つけるまでのしばらくの期間。
毎夜のように同じ場所でこの光景が見られることになる。





空気は音を伝える媒体 
綺麗なのは声だけじゃなく素顔もだった





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夜の逢瀬(笑)
2008.12.4


 
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