始まりの場所 | ナノ
その日は、寝苦しいわけでもないのに、なぜだか寝付けなかった。
胸がざわざわして、嫌な風を感じていた。
どうせ眠れないのなら、と床を抜け出した私が彼らを見つけたのは、偶然か。
それとも必然だったのか。
彼らを見つけた私の胸に浮かんだのは、不安と恐怖。
例えるならばどこか、手の届かない場所へ行ってしまうような、そんな感じだった。
彼らが今いる場所から離れる前に、と慌て駆け出す。
「なっ、何だぁ?」
「真澄、どうしてここに……?」
飛びつくように羽張彦の腰にしがみつけば、隣にいた柊が驚愕の声を上げる。
それもそうだろう。
いつもなら、この時間に起きていたりはしないのだから。
「俺たちの小さい姫は怖い夢でも見たか?」
人当たりのいい笑みを浮かべながら、羽張彦が私を抱き上げる。
岩長姫に師事を受ける者たちの中で、一番年若いのは私だった。
後からやってきた忍人ですら、私よりも上で。
そんな私を誰よりも相手にしてくれたのは、羽張彦だ。
彼には私と似た年頃の弟がいるらしい。
そのせいか、私を妹のように思っているのだろう。
俺たちの姫というのは、これまた近い年頃の二ノ姫にあやかってか。
「……っ」
羽張彦の笑顔はいつもと同じ物。
そのはずなのに、寂しさばかりが募ってしまう。
思わず彼の首筋に腕を回してしがみつけば、ぽんぽんと背中を叩いてあやしてくる。
「行かないで」
そのままの体制で呟けば、羽張彦の身体がわずかに揺れた。
やはり、どこかへ行くつもりなのだ。
簡単とはいえ、旅装束と武器を身につけていればわかりそうなもの。
「俺たちがどこに、何しに行くか知ってるのか?」
「知らない。けど、嫌な予感がするの。だから行かないで」
「でもなぁ……」
私と会話をしながら柊と目で会話をしていたなど、羽張彦にしがみついている私にはわからなかった。
「真澄、私たちはどこにも行きません」
「……本当に?」
羽張彦にしがみ付いていた身体を離し、柊を見る。
彼の言葉には一癖も二癖もある。
人の言葉をうかつに信じてはいけない。
それを教えてくれたのは、間違いなく目の前にいる柊本人。
「もちろんです。それに、羽張彦がいるんです。心配には及びませんよ」
ね?と同意を求められては、頷くしかない。
今の柊からは、有無をいわさぬ無言の圧力があった。
仕方なしに頷けば、どちらからともなく安堵の息が漏れる。
「夜も更けてきました。子供はもう寝る時間ですよ」
柊が言い終わると同時に、何かの衝撃を受けた。
それが羽張彦の手刀だと気付いたのは、薄れる意識の中で聞いた彼の謝罪から。
「悪いな、邪魔されるわけにはいかないんだ」
「羽張彦、行きましょう。一ノ姫がお待ちです」
「ああ」
完全に意識を失った私の耳には、羽張彦の謝罪の言葉以外は届かなかった。
次の日、目を覚ました私は自分の部屋にいた。
多分、彼らが私を部屋まで運んでくれたのだろう。
その日から、羽張彦と柊を見かける人はいなくなった。
そして、それと時を同じくして、豊葦原から一ノ姫の姿もなくなった。
羽張彦が一ノ姫をかどわかして豊葦原を去った。
そんな噂がまことしやかに囁かれるようになったのは、それから間もなくのこと。
それが本当ならどんなに良かったことか。
私の中の直感が告げている。
噂は、所詮噂でしかないと。
あの夜感じた不安と恐怖は、もっと別の物だと。
私がその詳細を知るのは、もっと後の話。
泣き叫んで崩れ落ちても戻らない日常を
あのとき止められていれば何か変わったかな
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昔は真澄も素直で可愛かったんです
2008.10.20