重なりあう時間 | ナノ
屋島編 弐
玖拾壱話
頼みを一つ、一つでいいから、聞いてくれないか周囲の気が変わったのを感じ、浅水はゆっくりと目を開けた。
目の前に広がるのは、見覚えのある世界。
懐かしい、とは思わない。
むしろ、過去の記憶のせいで、二度と来たくないと思っていた。
白一色のこの世界に。
それでも、以前のように息苦しさがないのは、既に四神が存在しているせいか。
どうせ今回も四神の姿は見れないのだろうと、内心溜息を吐く。
神ならば白龍のように人型を取れるのだろうが、単なる人間に過ぎない自分に、その姿を現してくれるとは思えない。
「あれ?小太刀がない」
ふいに、手にしていたはずの小太刀がなくなっていることに気がついた。
この場にくるまで、確かに手にしていたのに。
なぜ、と小さく呟く。
── 我らが存在しているのに、媒体はいるまい
耳に、というよりは頭の中に響くような声。
浅水はこの声を知っている。
「四神……」
言葉にすれば、目の前に人型を摸した光が四つ現れる。
人型といっても、輪郭が人のソレであって、しっかりとした顔があるわけではない。
だが、どこにいるか分からない神々が、目の前にいると分かるだけでも話しやすい。
宙を見上げて話したところで、実際にそこにいるかどうかも怪しいのだから。
── やっと、我らを呼んだな
光の一つが話し出す。
だが、やはり頭の中に響く声は変わらない。
「ええ」
── このまま我らを呼ばずにいるかと思ったが……
「使わずに済むなら、それに超したことはなかったのですが」
── そうしなければならない理由でも出来たか
問われ「はい」と小さく頷く。
これから先に起こる悲劇を未然に防ぐ方法。
自分が出来ることと言ったら、これしか思い浮かばなかった。
その場に正座をし、姿勢を正す。
す、と目を細めて四つの光を見据えた。
「あなた方の御力を、お借りしたい」
言うと同時に、深々と頭を下げる。
こうしたところで、神が是と頷いてくれるかは分からない。
だが、物事を頼むのに、立ったままというのもどうかと思った。
神──四神──は、自分の頼みを聞いてくれるだろうか。
── フッ、ハッハッハ
ふいに訪れた笑い声に、何事かと思わず頭を上げる。
見れば、四つの光はそのどれもが笑っているようで、微妙に揺れて見えた。
「あ、あの……」
笑われる理由が分からなくて、控えめに声をかける。
すると、それに気付いたのか、四つのうち一つが浅水の側へ来て膝を付いた。
── 立ちなさい
促され、その場に立ち上がるものの、どうしたものかと居心地が悪そうに視線を彷徨わせる。
── 我らの力はすでに汝に貸している
── わざわざ断る理由もあるまい
── それとも、我らを信用できなんだか
── 人という物は、難儀な物。我らは約束を違えたりはせん
それを聞いて、カッと顔に血が上るのが分かった。
自分が四神に頭を下げたのは、本当に力を貸してもらえるのか、半信半疑だったからだ。
それも杞憂だったらしい。
もし力を貸していなければ、浅水が呼んだだけで、この空間にこれるはずはないというのに。
ここは、誰にも穢されない、清浄な空間。
簡単にこれる場所ではない。
「申し訳、ありませんでした」
非礼を詫び、再び頭を下げる。
── 汝のそういうところが、我らも気に入っているのだが
「そう、ですか」
そんなことは初耳だ。
神に気に入ってもらえるなど、神職としては光栄の至り。
「では、あなた方が私に力を貸して頂けるとして、一つ尋ねても宜しいでしょうか?」
──何なりと
その言葉に、すっと息を吸い込んだ。
「四神の力を持ってすれば、黒龍の逆鱗の力を防ぐことは可能ですか?」
浅水の言葉がその場に響く。
しん、と四神たちは沈黙した。
それが答えか。
唯一の頼みの綱である四神。
だが、その望みも潰えた。
もしかしたら、と期待していただけに、落胆も大きい。
でも、そうそう落ち込んでもいられない。
四神が使えないとなると、次の手を考えなくてはならない。
── 汝は、黒龍と相対するつもりか?
「黒龍本人とでは、ないわね。私が訊いたのは黒龍の逆鱗の力。黒龍であって、黒龍にあらず」
そう返せば、またしても沈黙が訪れる。
無理ならば無理と、ハッキリ言って欲しかった。
そうすれば、諦めも付くというもの。
── 汝は何をしようとしている
「何も……。ただ、これから先に起こるであろう悲劇を、回避したいだけ」
── それに、黒龍の逆鱗が絡んでいると?
「恐らく」
深く頷く。
それを見て、四神たちは何かを話し始めたようだ。
だが、その言葉は浅水に届かない。
浅水と話すときだけ、浅水に聞こえるようにしてくれているのだろう。
それとも、わざと聞こえないようにしているのか。
真意は分からなかった。
── 逆鱗の力を防ぐことは可能だろう
ようやく出された結論に、ハッと顔を上げる。
── ただし、我らもどこまで逆鱗の力に耐えられるかは、断言できん
だが、喜んだものつかの間。
すぐに続いた言葉に、眉をひそめた。
「ならば、少しの間なら耐えられると?」
── そういうことになる
── 汝が時間を稼ぎたいならば、できなくもない
四神の誰が言ったのかは分からないが、その言葉を聞き逃さない浅水ではなかった。
「その方法を、教えていただけますか?」
── 汝に、その覚悟があるか?
「覚悟ならば、とうに」
この世界にたどり着いたときから、覚悟なんて掃いて捨てるほどにした。
今更、覚悟の一つや二つ増えたところで、痛くもかゆくもない。
それ以前に、覚悟だけで悲劇を免れるのなら、それこそ願ったりだ。
── その覚悟が、いかなる物でも?
「くどい」
相手が神であるというのに、浅水はキッパリと言い放った。
生半可な気持ちでここまで来た訳じゃない。
── ならば、汝の覚悟に免じて教えよう
ようやく話す気になった四神に、浅水はホッと安堵した。
布石は蒔かれた
2007/6/10