重なりあう時間 | ナノ
鎌倉編 参





漆拾捌話
 廊下は恐ろしいことにあなたへ続いている






翌日。
表面上は何事もないように見えるそれは、確実に何事かあると物語っていた。
第一に、朝食の支度が終わると望美を起こしに行くはずの譲が、この日に限って望美を起こしに行かなかった。
それどころか、自分から望美を起こしてくれないかと、浅水に頼んだのである。
これには誰もが驚愕した。
何か悪い物でも食べたのかとか、具合が悪いのではないか等々。
尋ねられるたびに笑って何もないと答えているが、浅水とヒノエは昨日の今日で、望美と顔を合わせにくいのだろうと判断した。
ならば、頼むのは朔でも良さそうな物だが、彼女の場合、何かあったら全面的に望美の側に立ちそうだ。


「とりあえず、起こしてくればいいんでしょ?」
「はい、すいませんがお願いします」


申し訳なさそうに頼むくらいなら、自分が起こしに行けば早いのに。
どうせ、嫌でも顔は合わせるのだ。
仲直りは早いに越したことはない。


「仕方ない、一肌脱ぎますか」


寝所へ向かいながら、浅水はよし、と気合いを入れた。
望美の寝起きの悪さは半端じゃない。
身体を揺すっても、耳元で叫んでも起きないのだ。
譲の場合、毎朝ご飯を餌にして起こしているのだろうが、今日はどうやって起こした物か。
彼女が譲の声で起きるのは既に条件反射に近い物があるのだろう。
となると、譲の代わりというのは、少々荷が重いかもしれない。
部屋の前に立ち、一応ぽすぽすと障子の枠を叩く。
返事が返ってくることはないとわかっているから、そのまま障子を開ける。
開けた場所から部屋の中へ、陽の光が差し込む。


「望美、朝だよ。いい加減起きないと、朝飯食べ損ねるからね」


一声掛けるが、返事が返ってくる様子はない。
やっぱりか、と思い布団へ近付けば、布団の中央だけがこんもりと盛り上がっている。
少し考えてから、思い切り布団をはぎ取れば、うずくまった姿の望美が見えた。


「望美、起きてたんなら返事くらいしなさい」


ほら、と上半身を起こしてやれば、のろのろと顔を上げた。
一晩中泣いていたのか、まぶたは腫れているし、くまもできている。
そんな望美を見て、浅水はヒノエを恨めしく思った。
多分、理由は譲なのだろう。
昨日ヒノエと別れた後、譲に何か言われたのだ。
でなければ、いつも気丈に振る舞っている望美が、こんな状態になるはずもない。


「翅羽、さん……私っ……」
「とりあえず、落ち着いて。こんな状態じゃみんなの前にも行けないでしょ。ちょっと待ってて」


そう告げると、いったん部屋を出て広間へと戻る。
みんなに先に食べるように告げ、調査のほうも今日は無理だと告げておく。
さすがに九郎から苦情が飛んだが、何かを悟ったのか、九郎はリズヴァーンが宥めてくれた。
具合が悪いなら診察しますか?と言った弁慶にも、やんわりと断りを入れる。
これは体調よりも精神的なものだ。
診察したところで、本人の気持ちが収まらなければ意味がない。
濡らした布を片手に、望美の部屋へ再び戻れば、先程と変わらない姿の望美がそこにいた。


「望美、入るよ」


一言声を掛けてから部屋へ入る。
後ろ手に障子を閉じてから、望美の正面に座る。
持ってきた布を手渡せば、小さくお礼を言ってから受け取った。
顔に当てると「気持ちいい」という言葉が紡がれる。


「何があったか、話せる?」


そっと尋ねれば、望美の肩が小さく震えた。
ぱくぱくと酸素を求める魚のように、何度か口を開く。


「譲、くんが……っ……」


言葉と一緒に再び溢れてくる涙が、会話を途切れさせる。
このままでは埒があかないと悟った浅水は、気長に望美に付き合うことに決めた。
泣いている彼女の背中を、宥めるように優しくさする。


「っふ……ぅ……」


浅水は、声を殺して涙を流す望美に掛けてやる言葉を、見つけることができなかった。





「……すいませんでした」


しばらくして、ようやく涙が止まった望美の最初の一言が、謝罪の言葉だった。


「別に、気にしなくていいよ。何か辛いことでもあったんだよね?」


問えば、小さく頷いた。
だが、浅水はそれ以上何も言わず、望美から話してくれるまで黙っていた。
すると、しばらくしてから望美はぽつりぽつりと、語り始めた。


「昨日、譲くんに告白、されて」

「私も、譲くんが大切なのに……」

「譲くんを、苦しめたくなんかないのに」

「私を想ったまま不幸になった方がいいなんて、そんなの間違ってるのに」

「忘れて、って……忘れられるわけなんかないっ……」


それは酷く断片的なものだったけれど、大体のことは理解できた。
結局のところ、相思相愛なのだろう。
それなのに、お互いがお互いを想って空回りしている。
譲が嫉妬深いというのも、考え物だろう。
まぁ、だからといってヒノエと同じでも困るだろうが。


「だったら、譲とちゃんと話し合ってみた方がいいね。嫉妬はともかくとして、譲の独りよがりな態度も問題があるわけだし」
「でもっ、譲くんがそう思うって事は、私にも問題があったってことだと思うし……」
「アレも思春期だからねぇ。昔から望美だけしか見てなかったことに加えて、今は八葉っていう目の上のたんこぶがあるからね、っと」


言い過ぎたと、慌てて手で口を押さえる。
そろりと望美をのぞき見るが、彼女はなにやら考え事をしていて、今の発言には気にもとめていないようだった。
それにほっと安堵する。


「どうしたら、譲くんの不安がなくなるのかな?」
「悪夢を見なくなるのが一番だろうけどね」


今の譲ではちょっと無理かな、と独りごちる。
何事においても余裕がなくなってきている今の譲では、生前祖母が言っていた夢違えのことも覚えてはいないだろう。
それ以前に、自分が死ぬ夢を違えるということは、並大抵のことではないが。


「譲くんが、死ぬ……」


小さく呟いてから、望美は自分の身体を抱き締めた。
言葉にしてみることで、それが現実味を帯びてしまったのだろう。
譲には夢を違えることはできないが、自分にはできる。
そう考えた瞬間、あぁ、そうか。と一つだけ納得してしまった。
自分の持つ、名前の意味。
あれにはこんな意味が含まれていたんだ、と小さく笑ってしまう。
だが、それがいけなかった。


「譲くんが死ぬことが、そんなに楽しいんですか?」


あまりにも的外れな問いに、思わず首を傾げた。
誰も、譲が死ぬのを良しと思っているわけではないのに。


「別に、その事で笑った訳じゃないよ?」
「だったら、どうして笑ったんですか!」


途端に起こり始めた望美に、思わず舌打ちをする。
そういえば、望美も九郎と似たような部分があった。
春の京で、リズヴァーンに会ったときがいい例だ。
情緒不安定に加わって、それは相乗効果をもたらしているようだ。


「悪いけど、それは言えない」
「やっぱり、譲くんが死ぬのが嬉しいんだ」
「……どうしてそうなるかな。仮に、譲が死ぬ運命だとしても、私がそれで得をすることは何一つとしてない。違う?」


そう言えば、うっと言葉に詰まったようだ。
少し考えてから、違いませんという返事が返ってきたけれど、どこか納得できていないようにもとれた。


「でも、私の気持ちは七宮さんにはわからないよ!私が、どんな気持ちで運命を……っ?!」


そこまで言って、ハッとしたように、今度は望美が口元を押さえた。
浅水をチラリと見た瞬間、瞳が少しだけ揺らいでいたように見えた。


「あ……」


言い過ぎただろうか、と後悔しても後の祭り。
紡がれた言葉は取り消せない。


「そうだね。私には望美の気持ちはわからない。けど、同様に、私の気持ちも、望美にはわからない。わかるはずが、ない」


感情を殺した、冷えた口調。
望美がそんな浅水を見たのは初めてだった。


「それだけ元気があるなら充分でしょ。一応、今日の調査は止めるように言ったけど、大丈夫そうなら行くといいよ」
「翅羽さ」


立ち上がりながら言うと、望美の言葉を待たずに部屋を出た。
これ以上、あの部屋にいたら、次は何を言い出すのかわからなかった。


「……十年は、長いよね」


相手の気持ちがわからなくなるには十分な時間。
昔は彼女が何を考えているのか理解できたし、それに同意することも出来た。
だけど、今は望美が何を考えているのかわからない。
それは望美にとっても同じなのだろう。


「おっと」


俯きながらぼんやりと考えていた浅水は、正面から誰かとぶつかった。


「悪い、って浅水?」
「え?」


耳慣れた声に顔を上げれば、視界がぼやけていて相手の顔が良く見えない。
どうしてだろう?と考えていれば、ぱさりと頭から何かをかぶせられた。
それに触れてみれば、何かの布だということがわかる。
そのまま手を引かれ、近くの開いている部屋へと連れて行かれる。
パタンと障子の閉じる音がしたと思ったら、ようやく布を取り除かれた。
だが、視界は相変わらずぼやけている。


「望美に何か言われたのか?」
「ヒ、ノエ?」


両手で頬を挟まれて、鼻の先がくっつくほどに顔を近づけられれば、それがようやくヒノエだと解る。
それにしても、どうしてこんなに視界が悪いのだろうか。
ぱちぱちと数回瞬きすれば、はぁ、と呆れたように溜息をつくのがわかった。


「自覚がないのかな、この姫君は」


そのままヒノエを見つめていれば、近付いてくる顔が見える。
何をするのだろう、とぼんやりと考えれば、頬に触れる濡れた感触。
それが、左右両方に繰り返される。
その後、まぶたの上に唇を落とされて、ようやく我に返る。


「な、何っ?」
「あぁ、止まったね」
「だから、何が?」


再び顔を覗き込んでくるヒノエに、思わず顔が赤くなるのを感じた。
こんなことをされて、正気でいられるはずがない。
思わず視線を逸らしながら尋ねれば、小さく笑われたのが解る。


「涙。前にも言ったろ?オレの胸はお前のためにあるって」


言われて、思わず自分の頬に触れる。
そう言われれば、先程よりも視界が晴れている。


「お前のそんな顔、オレ以外の男には見せたくないからね」


ここにも独占欲の固まりが一人。
でも、そんなところも好きだったりするから、たちが悪い。
望美には後で謝ろう。
でも今は、ヒノエの優しさに縋りたい。


「ね、さっきの、もう一度してくれる?」
「お前からねだるなんて珍しいね。もちろん姫君の仰せのままに」


そっと目を閉じれば、顔中に羽のような口吻が降りてきた。










閑話休題。翌日の朝のお話
2007/5/12



 
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