重なりあう時間 | ナノ
熊野編 弐
漆拾漆話
息が詰まりそうに嬉しいなんて梶原邸へ行けば、優しそうな景時と朔の母親が出迎えてくれた。
しばらくの間、梶原邸に滞在させてもらうことにすると、望美が直ぐさま鎌倉の怪異について尋ねる。
すると、朝比奈と隠れ里稲荷、星月夜の井の三ヶ所で不思議なことが起きているのだという。
朝比奈では、そこを通るときに気分を悪くして、倒れる人が何人も出ている。
隠れ里稲荷では、毎夜いくつも火が見えるのに、近付くと消えてしまう。だが、そこに人が集まっていた様子も残っていなかった。
星月夜の井では、気味の悪いものが水面に映る。
これらの情報を元に、調べることに決める。
だが、同じ場所に大勢で行っては能率が悪いと、何人かが組んで調べに行くことにした。
さっそく調べに行こうとする望美と将臣に、せっかくきたのだから少し休んでは、と景時と朔の母親に言われ、結局調査は翌日からということになった。
「やっと一息付ける」
濡れ縁に座り、梶原邸の庭を見ながら、浅水はうーん、と伸びをする。
ここは京にある景時の屋敷と似ていて、どこかほっとする。
ちょうどいい陽気で、あまり眠れていない浅水にとっては、昼寝するにもってこいの状況。
もたれかかるために、柱の側へと移動する。
そのとき、屋敷の外へ出て行く望美の姿を見たような気がした。
「ま、いっか」
どこかへ行くにしても、どうせヒノエや将臣がついて行くだろう。
それに、自分がいちいち望美の行動に口を挟む必要はない。
他人事だと言わんばかりに、浅水は小さくあくびをした。
「……さん、浅水さん。こんなところで寝ていては風邪を引きますよ?」
肩を揺すぶりながら、自分を起こす声が聞こえて、浅水は目を開けた。
だが、目の前にいる人物から感じる違和感に首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「……弁慶が黒くない」
「はい?」
思わず言った一言に、言われた方も首を傾げる。
だが、その表情からどこからともない黒い物を感じるようで、何を言っているんだ、と思い直す。
慌てて否定しようと身じろぎすれば、肩から外れる一枚の布。
いつの間にそんなものがかかっていたのか。
思わずそれを手にしたところで、それが布ではなく、弁慶の外套だということに気がついた。
そこで、ようやく違和感の理由を知る。
いつも見慣れた外套を身にまとっていなかったせいだ。
「わざわざ掛けてくれたの?ありがとう」
受けた恩に素直に礼を言い、外套をたたんで相手に返す。
「夕方見かけたときにかけたんですが、さすがにこの時間まで寝ているとは思いませんでしたからね」
どういたしまして、と自分の外套を受け取りながら答える弁慶に、この時間?と辺りを見回す。
そこでようやく、今が夜と呼ばれる時間だということに気がついた。
「さすがの私も、ここまで爆睡するとは思わなかったわ」
自分に呆れたように言いながら苦笑を浮かべてみせる。
弁慶はそんな浅水の顔をじっと見ていた。
顔に何か付いているだろうか、と思わず自分の頬に触れる。
「やはり、あまり眠れませんか」
言われた言葉にどきりとする。
他の誰もがわからないとしても、ヒノエと弁慶に隠せる物ではないと自覚している。
それが、熊野で生活していた時間の長さ、だ。
「今はまだ平気。戦があるわけじゃないしね」
あっさりと、隠すこともせずに答える浅水に、次は弁慶が溜息を吐く。
そんな答えが返ってくるのはわかっていた。
いつだって、肝心なことは自分の中に隠してしまう。
だから、浅水が眠れないほどの夢というのを、弁慶は未だ聞いていない。
「どうしても駄目なときは言って下さい。今よりも強い薬を処方しますから」
「嫌よ。弁慶の薬って、どれも美味しくないんだもん」
心底嫌そうに顔をしかめてみせれば、にっこりと満面の笑みが返ってくる。
「良薬、口に苦し。と言うでしょう?少しくらい我慢して下さい」
あれのどこが少しなのだろうか。
本当に薬草を煎じたのか?と思えるほどに異臭を放つ物や、妙な泡が出来ていた物だって見たことがある。
──生憎、そのどちらも飲まされたのはヒノエだが。
内心ごちたが、口には出さずに表情で訴える。
それだけで、こちらが何を言いたいのか理解したらしい。
酷いな、と呟きながら落ち込む振りをしてみせる。
「ところで、ヒノエいる?」
「ヒノエですか?さぁ、そういえば姿を見てませんね。譲くんも、望美さんの姿が見えないと探していたようですが」
「ふぅん」
ヒノエと望美。
別におかしい組み合わせではない。
もし、自分が寝る前に見た望美が、そのままどこかへ出かけたのなら、十中八九ヒノエも同行しているだろう。
どこへ行ったのかは知らないが、こんなに遅くまでどこで遊んでいるのやら。
「では、僕は用があるので失礼しますね」
「あぁ、ありがと。弁慶」
その場を立ち去る弁慶にもう一度礼を言う。
一人残された浅水は、ぼんやりと月を見上げながらそのまま濡れ縁に座っていた。
そのうち、自分の側にやってくる気配を感じて、その方を眺める。
「七宮さん……」
やってきたのは、譲だった。
望美の事を探していたのだろう。
どこか焦りの色が見えなくもない。
そこは自分の知っている従兄弟と変わらないままだったから、思わず口元に笑みを浮かべた。
それを見て気分を害したのか、途端に譲の表情が曇る。
「まだ望美たちは帰ってこないの?」
「え?あ、はい。でも、先輩たちって……?」
「私の予想だけどね。多分ヒノエも同行してるから、心配ないよ」
そう言えば、譲が自分との距離を詰めた。
「ヒノエが一緒なら尚更心配じゃないですか!あなたは心配じゃないんですか?」
「まぁ、確かに望美のことは心配かもね。ヒノエが一緒なら」
「そうじゃなくて!」
尚も声を張り上げる譲に、思わず眉をひそめる。
彼は一体何が心配なのだろう?
ヒノエが望美と一緒に同行しているのは、確かに心配かも知れない。
だが、それはヒノエが望美に何かするのではないか、という心配。
さんざん熊野でヒノエを見てきたのだ。
今更彼が何をしようと「またか」と思うだけである。
ただ、その後に少しだけ胸が痛くなるけれど。
「あなたとヒノエは、その……恋人同士なんでしょう?他の女の人と一緒にいられて、嫌だとは思わないんですか?」
少々躊躇いながら紡がれる言葉に、思わず開いた口がふさがらなかった。
自分はヒノエと付き合っているとは、考えたこともないというのに。
「……あのさ、別に私はヒノエの恋人じゃないけれど?」
「でも、ヒノエはそうは思ってないんじゃないですか?」
質問に質問で返され、思わず頭を抱えた。
実際にヒノエの口からそう言うたぐいの物は出ていない、と思う。
昼間の件だって、熊野で自分がヒノエの婚約者だという噂が流れていたから、その噂を利用しただけ。
その噂だって、デマだということはヒノエの口からしっかり聞いている。
「でも、違うよ」
再度否定すれば、譲は渋々と引き下がった。
その事に少々ホッとする。
これで更に言い寄られては、自分が否定したところでヒノエ自身がおもしろがるに違いないから。
「…………て、あり……」
「いや…………役得…………」
そんなとき、聞こえてきた二つの声に二人は反応した。
どうやら、ヒノエと望美が帰ってきたらしい。
どこまで行ってきたのやら、聞こえてくる声は随分と楽しそうだ。
二人が帰ってきたことを告げるために、部屋へ行こうかと立ち上がった浅水は、目の前で嫉妬の炎に狂う譲の姿を見た。
これは一悶着ありそうだ、と浅水はそそくさとその場から逃げた。
「浅水」
みんなのいる部屋へ戻ろうとしていた浅水は、後ろから掛けられた声に足を止めた。
くるりと振り返れば、目の前にいたのはやっぱりヒノエで。
「随分と楽しかったみたいだけど、どこまで行ってたの?譲が嫉妬してたけど」
「みたいだね。オレが望美と別れてすぐに出てきたくらいだし?」
浅水の問いには答えずに、望美と譲の事を思い出しているヒノエに、どこかおもしろくないと思う自分がいた。
これでは譲と同じだと、小さく溜息を吐く。
すると、目の前に何か差し出された。
何だろう、と彼の手の中にある物を凝視する。
「そんなに見たいなら手に取ればいいのに」
「いや、何かと思っただけだし」
「これはお前のためにもらってきたんだけど?」
「は?」
理解できない。
とりあえず、ヒノエの手にある物を受け取れば、それがお守りであることに気がついた。
だが、何故お守り?と疑問に思う。
お守りならば、熊野でもらっておいても良かったではないか。
「望美がさ」
突然話し始めたヒノエを見上げる。
「望美が、最近あまり眠れてない譲のためにお守りをもらいに行くって言ったんだ。だから、オレもついて行って浅水の分をもらってきたわけ。護衛もかねてね」
それを聞いて、思わず手の中のお守りとヒノエを交互に見比べた。
望美についていくついでだとしても、自分のためにわざわざお守りをもらってきた、ヒノエの心遣い。
相変わらず、さり気ない優しさにも余念がない。
「ありがとう」
最近、誰かにお礼を言ってばかりのような気がする。
でも、嬉しいことは確かだった。
「どういたしまして。でも、オレとしては感謝の気持ちを態度で示して欲しいけどね」
ウィンクしながら、楽しそうに言う姿は年相応。
それに仕方ないなぁ、と正面から抱き締める。
「わざわざありがと」
「お前のためなら、なんだってしてやるよ」
耳元で再度礼を言うと、ヒノエの腕が浅水の背中に回された。
望美にヒノエが付き合った理由を捏造してみた(笑)
2007/5/9