重なりあう時間 | ナノ
福原編 捌





漆拾参話
 やられっぱなしだと思ってたけど






弁慶を抱き締めたまま海を眺める。
炎を上げていた船が、燃やす物がなくなって次々と消えていく。
船が全て見えなくなる頃には、炎の変わりに空が朱にそまっていた。


「……僕は、後悔はしません」


耳元で呟かれる声を、黙って聞く。
聞いてほしいのか、それとも単なる独白なのか。
多分、後者だろうと予測を付けて、そのままの姿勢でいる。
浅水から放れようとはしない弁慶を、自分から突き放すつもりはさらさらなかった。


「追撃は、源氏の勝利のために必要だった」


どこか、自分を納得させるための台詞に、浅水は眉をひそめた。
だが、その言葉を最後に、弁慶は浅水の腕の中からそっと抜け出した。


「もういいの?」
「ええ、すいませんでした。まさか、あなたに慰められる日が来るなんて、思ってもみませんでしたよ」


そう言って微笑んでみせる弁慶の顔を、じっと見つめる。
普段と変わりない、つかみどころのない笑顔。
望美なら、多分気付かないであろう微妙な違和感は、浅水にははっきりとわかってしまう。


「弁慶がいいならいいんだけど。けど、随分と酷い顔」
「そんなに、酷い顔してますか?」


ぺたり、と自分の頬に触れながら首を傾げる弁慶に、大げさに頷いてみせる。


「みんなのところへ戻るつもりなら、その顔どうにかしたほうがいいよ」
「生まれ持った顔はどうしようも出来ないと思いますけどね」


返された言葉に、わなわなと拳が震えるのを感じた。
こいつは絶対、自分がどんな顔をしているかわかっていて、そんなことを言っているのだ。


「……だったら止めないけど。最愛の甥っ子に、これ以上嫌われてもいいならどうぞ?」


ビシビシと言葉に刺を刺しながら忠告すれば、ぴたりとその表情が固まる。
何だかんだとヒノエは弁慶を邪険にしているが、弁慶の方は本人が思っている以上に兄の息子である甥を気に入っているのだ。
それが多少、ひねくれて歪んでいるのは誰の目から見ても明白だが。


「浅水さん、それは脅迫ですか?」
「私は事実しか言わないけれど?」


にっこりと、お互い笑みを浮かべたまま一歩も譲らない。
この場に九郎辺りがいたら、顔面蒼白になるのではないかと思えるような、ピリピリとした緊迫感がそこにはあった。
先に折れたのは、弁慶だった。


「駄目だな。今日はあなたに勝てる気がしない。仕方ありません、大人しくあなたの忠告を受けることにしますよ」


ほう、と溜息をついて肩の力を抜くと、彼は力ない笑みを口元に浮かべた。
それに満足した浅水は口端を斜めに引き上げた。


「僕は」


再び紡がれる影のある言葉に耳を傾ける。
黙ってその先を促せば、音になるのは弁慶の心からの本音。


「僕はこの戦、どちらが勝っても構わないと思ってる。例え罪を重ねようと、ここで立ち止まるわけには、いかない。この罪を背負うことが、僕の罰なのだから」


自分で自分を抱きながら、吐き出すように言われた言葉は、言霊として弁慶を縛る。
彼が苦悩しているのを目の前で見ながら、浅水には何もしてやることは出来ない。


「そう、だね」


歯切れ悪く、同意する。
まるでそうすることしか、浅水には許されていないようで。
何とも言い難い空気が流れる。


「私、先に戻るわ。弁慶も、落ち着いてその顔が直ってから戻っておいで」
「浅水さん」
「軍師がそんな顔じゃ、部下にまで気持ちが伝染するからね。もちろん、望美たちも」


じゃ、と弁慶の返事を聞く前に、ひらひらと手を振って浅水は踵を返した。
弁慶の言う罰を知らないわけじゃない。
だけど、あれ以上あの場にいるのはどうしようもない苦痛でしかなかった。


「ヒノエの機嫌が悪くなってなきゃいいんだけど」


自分が弁慶の元へ行ったのは、望美の口から伝えられているはず。
となると、せっかく直ったヒノエの機嫌も、再び悪くなっている可能性がなきにしもあらず。
むしろ、悪くなっていると思っていた方がいいかもしれない。
どうやって彼の機嫌を直せばいいのか、と浅水は頭を抱えた。





みんなの待つ場所まで戻れば、浅水を待っていたのか、姿を見るなり望美が駆け寄ってきた。


「遅かったから、何かあったのかと思っちゃいました」


ほっとしたように告げる望美に、内心詫びる。
何か、は確かにあったのだ。


「あれ?翅羽さん、弁慶さんは……?」


てっきり一緒に戻ってくると思っていた弁慶がいないとわかり、途端に望美の表情が曇る。
そんな彼女の頭を撫でながら、弁慶は遅れてくることを告げれば、不承不承納得してくれた。


「えと、それでですね……ヒノエくんが……」


どこか遠くの方を見ながら、ごにょごにょと語尾を濁して離す望美に、浅水は自分の予想が当たっていたことを知った。
頭の痛くなる問題に、どう対処したもんかと考えを巡らせる。
だが、それよりも早く浅水の肩に回される腕があった。


「あの腹黒軍師と二人きりで、何話してたワケ?」


耳慣れた声に、小さく遅かったと舌打ちをする。
目の前にいる望美は、目の前にいる浅水とヒノエを交互に見ながら「あ〜」とか「う〜」とか訳のわからない言葉を言っている。


「何をって、ヒノエが考えているような事じゃないのだけは、確かだろうね」
「本当に?昔からそう言って、何もなかった試しがないように思うけど?」
「いつの話よ、それ。戦場にいて、昔のようにくだらない悪戯を考えるほど、子供じゃないし」


ぺん、と肩に回されたヒノエの手を軽く叩けば、とりあえずは解放される。
それでも、浅水の言葉には納得していないのか、どこか探るように細められた視線が痛い。


「相変わらず、君も無粋な人ですねぇ」


まるで天からの助けとも取れそうな言葉に、思わず声の主を捜す。
少し離れたところからやってくる弁慶は、どうやら普段の落ち着きを取り戻したらしい。
そのことにほっと安堵するが、またしても一波乱ありそうで頭を抱える。


「僕と翅羽の間で何があろうと、君には関係ないことでしょう?」
「ハァ?アンタ、自分が何言ってんのかわかってるわけ?」
「この僕がわからないとでも?」


案の定、言い合いを始めてしまった二人に、がっかりと肩を落とす。
浅水の隣では、望美がおろおろと二人を見ている。
このままこの場にいても仕方がないし、弁慶が戻ってきたことを報告しなくては。
そう判断した浅水は、望美の手を取り二人がいるのとは逆方向へ歩き始めた。


「ちょ、翅羽さん?」
「あの二人はほっといて、弁慶が戻ったことを報告しよう」


すたすたと歩きながら望美に説明を済ませると、はい、と言う素直な声が返って来る。



源氏軍はようやく、大輪田泊から撤退することになった。










少し明るめ……になってないか(爆)
2007/5/1



 
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