重なりあう時間 | ナノ
福原編 漆
漆拾弐話
悲しみは癒してあげたい弁慶が一人、いずこへと去っていくのを見送れば、少しの逡巡の後、望美までもが走り出しって行ったのを浅水は見た。
「あらま、わざわざ確認に行っちゃったよ。望美も物好きだね」
少し考えればわかることなのに、と小さくごちる。
でも止めることはしなかった。
この世界に住む人の、ありのままを見ればいい。
元の世界では、滅多に見られる物ではないのだから。
例えそれが、どんなに辛く、苦しいことでも。
「敦盛」
ふと、目に入った人物に声を掛ける。
敦盛は平家が逃げていった海が気になるのか、しきりに後ろを振り返っている。
浅水が呼べば、ハッとしたように慌てて振り返った。
「翅羽、殿」
「敬称なんかいらないのに。昔みたいに名前で呼んでくれると嬉しいんだけど?」
「だが、さすがにそれは……」
気楽に言ってみたのに、敦盛は尻込みしたように言葉を濁した。
こうなってしまっては望む物は得られないか、と肩を竦める。
だが、幼い頃のようにしぶとく粘ればどうだろう。
そう考えて、あまりしつこいと嫌われるか、とあっさり諦める。
「なら、気が向いたらでいいよ。それだったら、敦盛も気が楽でしょ?」
「翅羽殿、すまない」
「翅羽、何敦盛からかってんだよ」
敦盛が謝ったところで会話に入ってきたヒノエに、絶対勘違いしてるな、と頭を抱える。
「別に、自分が構ってもらえないからって拗ねないの」
「なっ……」
思わず言葉に詰まったヒノエを見て、浅水と敦盛が吹き出す。
二人を見て、逆に自分がからかわれたのだと知ると、ヒノエは途端に不機嫌そうになった。
やりすぎたか、と思ったが、年相応のヒノエの態度に失笑を隠し得ない。
いつまでも笑っている浅水に、ヒノエの機嫌は尚も急降下。
「悪かったわよ。だからいい加減機嫌直してくれない?」
暫くして、ようやく笑いの収まった浅水が言った、ヒノエへの一言がそれだった。
弁慶の用件が済むまで大輪田泊に留まることになった。
何もすることがない浅水は、ぷらぷらと周囲を放浪していた。
ヒノエの機嫌は何とか直った物の、いつまた損ねるかわからない。
最近はヒノエの方に軍配が上がっていたから、調子に乗ってまたからかってしまいそうだ。
「あれ?」
目の前に見えた幼馴染みの姿。
その表情は、何か悩んでいるように見えた。
「望美、どうかしたの?」
そっと近付いて声を掛ければ「翅羽さん」と返される。
ん?と首を傾げてみれば、望美は少し躊躇ってから弁慶の帰りが遅い事を浅水に告げた。
別に、弁慶も子供じゃないんだし、用件が終わればすぐ戻ってくる。
そう望美に告げるが、そうじゃないんです、と力強く反論されてしまった。
「……弁慶さんを疑いたくはないんですけど、でも、もしかしたらって思うんです」
一通り望美の話を聞いてから、浅水はそっと溜息をついた。
確かに、彼女が疑いたくなるのはわかる。
何しろあいてはあの弁慶だ。
にっこりと微笑んだその裏は、何を考えているかわからない。
「なら、私が行って様子を見てこようか?」
「翅羽さんが、ですか?」
「何?私じゃ信用ならない?」
驚く望美に、思わず首を捻る。
自分は弁慶とは違うと思っていたのだが、もしかしたら望美に取ったら自分も弁慶と同類なのだろうか。
「いえっ、そういうわけじゃないんですけど。翅羽さんに頼んだら、ヒノエくんが嫌がるかな、って」
ごにょごにょと言葉を濁す望美に、そう言うことかと理解する。
多分、自分とヒノエ、ヒノエと弁慶の関係を知っているからこそ、躊躇っているのだろう。
「それは気にしなくていいよ。望美はみんなの所で待ってればいい。私は弁慶の所に行ってくるから」
ぽんと彼女の肩を叩いてから、弁慶がいるであろう港の方へと足を向ける。
海が近付くにつれ、潮の香りがする。
やっぱり海が恋しいと思うのは、十年も熊野にいたせいだろうか。
だが、港に近付くにつれ、有り得ない色が目に入る。
それを見て、やっぱりな、と思う自分がいた。
見知った後ろ姿を見つけ、わざと足音が聞こえるように近付く。
気配を消して近付いたのでは警戒されるだろうから。
「……随分と景気よく燃やしたねぇ」
少し間延びした声は、その場の雰囲気にそぐわないと知っている。
それでも、浅水はあえてそうした。
弁慶の横に立ち、海の上で燃え上がる平家の船を眺める。
「浅水、さん……。どうして、あなたが?」
呆然とした呟きに、そんなに自分が来たのが不思議だろうかと疑問に思った。
「私より、望美が来た方が良かった?」
弁慶の顔を見ずに告げれば、隣で小さく息を吐いたのがわかった。
それが、彼が肩の力を抜いた合図。
「いえ、ここに来たのが君でよかった」
「そうだね。望美だったらこの光景を見て、弁慶を非難するかな」
くすくすと笑いを零す浅水に、弁慶は少しだけ眉をひそめた。
多分、彼も同じ事を考えたのだろう。
「……何も、言わないんですね」
浅水の笑いが収まった頃、ぽつりと呟かれた言葉につられて彼を見る。
「弁慶は私に何を言って欲しいのかな。非難の言葉?それとも、褒美の言葉?どっちも、弁慶の望む物じゃないでしょうに」
「それもそうですね」
力なく笑む弁慶に、浅水は眉をひそめた。
ここまで弁慶が落ち込むなんて珍しい。
それも、浅水の目の前で。
いつもなら、何があっても弱い自分を相手に見せたりなどしない弁慶が。
「弁慶」
「はい?」
呼べば返事を返してくる。
だけど、今はそれすらも儚い物のように思えてならない。
浅水はそんな弁慶を、両の腕で抱き締めた。
「ちょ、浅水さん?」
突然抱き締められた方は、一体何が起きたのかわからない。
ただ、抱き締められているという事実に狼狽えるばかり。
たまにはこんな事があってもいいだろう。
完璧は、疲れる。
離す気配のない浅水に観念したのか、弁慶は彼女の腕の中で大人しくなった。
それを見て、ちょっとだけ微笑むと、ぽんぽんと子供をあやすかのように背中を軽く叩く。
「僕は赤子ではないんですけどね」
「でも、私よりは年下だわ」
そう言って、お互いに吹き出す。
軽口を叩けるようになれば大丈夫か、と安堵する。
「……浅水さん。もう少しだけ、このままで」
そう言って、浅水の背に手を回してきた弁慶に、背中を軽く叩くことで返事を返した。
あれ?絆の関は……?
2007/4/29