重なりあう時間 | ナノ
福原編 肆
陸拾玖話
ノックもなしに飛び込んで、驚く顔が見たかった物見へ行った部下が、一ノ谷の崖を下りた鹿が平家の陣の脇の藪から放たれた弓に倒れたのを見てきたらしい。
その報告に、九郎の顔色がさっと青くなった。
このまま望美の忠告を聞かずに奇襲を掛けていたら、自分達が鹿と同じ運命を辿っていたことだろう。
そう思うと、やはり物見は出して正解だったのだ。
「犯してはならない危険だったな」
「はい、先生」
報告を聞いたリズヴァーンが九郎に言えば、彼は硬い表情ながらも頷いた。
そのまま真っ直ぐ望美を見つめ、頭を下げる。
「俺の無思慮をよく止めてくれた。礼を言う」
それに驚いたのは望美だった。
まさかあの九郎が素直に頭を下げるとは思わなかったのだ。
「そんなっ、お礼だなんて。私はただ、危険なのを知って欲しかっただけですから」
「いや、その危険を警告できるのはすごい才能ですよ?」
慌てて胸の前で手を振って否定する望美に、弁慶からの世辞が贈られる。
だが、彼女もまた九郎の態度に驚いたのだとわかる。
もちろん、望美だけじゃない。
九郎の態度には浅水も瞠目した。
「……何だ?俺だって、自分の非は認めるぞ」
そんな浅水の視線に気がついたのか、九郎が弁解するように言い放った。
それに思わず吹き出せば、怪訝そうな視線が送られる。
確かに源氏の大将は青い。
青い上に、素直だ。
そう思うと、ここが戦場であるにも関わらず、ついつい笑みがこみ上げてくる。
浅水はくつくつとしばらく笑い続けていたが、そういえばと笑うのを止めた。
どうして望美は危険であることを知っていたのだろう?
思い至るのは、やはりそこだった。
この世界へ来た望美たちと、そう長い間一緒にいたわけではない。
だから、彼女が何を見、何を知ったのかはわからない。
でも、確実に自分とは違う『何か』を知っているのだけは確かだ。
「……望美は何を隠してる……?」
考えてもわからない。
聞いたら教えてくれるだろうか?
そう考えて、すぐに否定する。
隠し事は、相手にわからないようにするから、隠し事だ。
それに、隠し事があるのは望美だけじゃない。
自分も、最大級の隠し事を抱えている。
──ヒノエと、望美に。
ちらり、と二人へ視線を送った後、つい、と視線を逸らせば、譲の姿が目に入った。
彼の姿を見た瞬間、譲なら何か聞いているかも知れないと思った。
だが、すぐさまそれを否定する。
望美の事に対しては何よりも、誰よりも敏感なこの従兄弟のことだ。
彼女の身に危険がありそうなら、真っ先に止めるだろう。
小さく肩を竦めて溜息をつけば、今後について話し合う大将と軍師の姿が目に入った。
「弁慶。崖からの奇襲以外となると、どう攻める?」
「そうですね……崖からの奇襲が出来ないとなると……西へ回って、正面の塩谷から攻めるしか他はないでしょうね」
「西か……」
弁慶の言葉に少し考え込む。
だが、判断は一瞬。
「そうだな。時間もない、そうしよう」
弁慶の言葉に頷けば、九郎は周囲を見回して今後の行軍について声を上げた。
それに望美がほっと安堵の溜息をついているのを、浅水は見逃さなかった。
よく見れば、望美を見ているのは自分だけじゃない。
リズヴァーンも、慈愛に満ちた瞳で望美を見ている。
けれど、あの瞳が持ち合わせているのは慈愛のみではない。
だとしたら、何──?
ぐるぐると、終わることない質問が頭の中を駆けめぐる。
だが、浅水が神妙な顔で悩んだところで、答えが出るわけでもない。
更に言うなら、行軍が止まるわけでもない。
時間は確実に進んでいる。
景時を助けるためには、早いところ平家の戦力を割かなくてはならない。
「もうすぐ一ノ谷の陣が見えてくるはずだ」
「わかりました。気をつけて行きましょう!」
浅水が悩んでいる間にも、軍は一ノ谷への側まで進んでいた。
どこをどう弄ればいいのかわからなくなってきた……orz
2007/4/23