重なりあう時間 | ナノ
京編 弐拾伍





参拾話
 行きたくない帰りたくない






夜風はまだ寒いから、と弁慶が残していった外套を羽織り、浅水は一人庭にいた。
弁慶に言われたくらいで動かなかった足が憎らしい。
だが、正論すぎるそれに、追うのを躊躇ったのは自分自身。
明日熊野に出発する前にヒノエと話しておこう。
それくらいの時間はあるはずだ。
一言、誤解を解いておきたい。


「ったく……いつもなら何か言うはずなのに、今日に限ってどうして何も言わなかったのよ」


地面を軽く蹴って悪態をつく。
はぁ、と一つ嘆息してから空を見上げた。
漆黒の絨毯に一面の星。
そして、淡い光を放ちながら全てを見守るように満月が佇んでいた。










翌日。
どうしてもヒノエと話がしたくて、浅水は邸内を探していた。
ところが、その日に限ってヒノエは朝食時にも現れず、姿を見た人はいないという事実。
出発の時間は近付いている。
それなのに、目的の人は姿を見せない。
自分を避けているのだと安易に想像できた。

一言。

ただ、一言だけで良いのに。
これならば、今日出発するなどと言わねば良かった。
後先考えなかった自分の発言に後悔する。
苛々しながら玄関に立った浅水に、望美が首を傾げる。


「翅羽さん、どうしたんですか?」
「ヒノエに話したいことがあったけど、見当たらないからさ。でも、そろそろ時間だし諦めるよ」
「もう、行っちゃうんですか?また会えます?」


うるうると見つめる姿は犬のようで微笑ましい。
けれど、それは口に出さず、彼女の頭を軽く撫でてやる。


「そうだね、また会えるよ」


この戦が終わったら、と言葉は続くはずだった。
ところが、不意に止まった口に、言葉は続かない。
いつまでも黙ったままの浅水に、どうしたのかと望美の視線が訴えてくる。
同じように、浅水を見送りに出た面々も不思議そうな顔をしている。


「……熊野」
「え?」


ぽつりと紡がれた言葉に、望美が聞き返す。


「夏に、熊野で」


なぜそんな言葉が出たのかわからなかった。
驚いたような表情を浮かべる望美に微笑みかけ、浅水は再び同じことを言った。


「夏に熊野で待ってるから」


次に弁慶を見やり、小さく睨む。
睨まれた本人といえばどこ吹く風のように完璧な微笑を浮かべている。
気に入らない、と内心舌打ちをする。


「弁慶、ヒノエを頼む」
「ふふ、わかってますよ」
「ならいいんだけどね」


ぶっきらぼうに吐き捨てて、見送りに出てくれた人たちの顔を見る。
この場にいないのはヒノエだけ。
このまま離れてしまうのは不本意だが、相手に会う気がないのならば仕方がない。


「じゃ、みんな元気で」


軽く手を上げることで挨拶とし、浅水は梶原邸を去っていった。





「ヒノエ、そこにいるんでしょう?」


浅水を見送った後、弁慶は庭にある一本の木を見上げていた。
遠目からは見えないが、下から見ればハッキリと姿を確認することが出来る。
いつもなら簡単に見付けられるはずなのに、それができなかったのはそれほどまでに動揺していたからか。


「浅水さんはもう行ってしまいましたよ。会わなくて良かったんですか?」
「別に、熊野に帰れば嫌でも会うだろ」


そう言うと、ヒノエは木から飛び降りた。
そのまま邸の中へ戻る彼の後ろ姿を見て、弁慶は小さく呟いた。





「相変わらず、意地っ張りですね」










京とお別れ……寧ろヒノエとお別れ(爆)
2007/2/4



 
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