重なりあう時間 | ナノ
京編 拾弐





拾漆話
 匿名の自己犠牲






駆け出した浅水を追ってヒノエは走っていた。
来た道は一本道。
いずれは追いつけると知ってはいたが、姿を確認するまで足を止められない。


「翅羽……ッ、浅水!」


満開の桜の下に佇む人影。
ようやく捜し人の後ろ姿を見つけると、声の限り叫んだ。
しかし、届いているはずの声にすら反応しない。
ヒノエは残りの距離を一気に縮めた。


「浅水」


ふわりと後ろから抱きしめても、いつもなら返ってくる辛辣な言葉がない。
それを不思議に思って顔を覗き込めば、いつもは見られない物がその顔に見えた。
その瞬間、ヒノエは後ろから抱きしめていた腕を緩める。
腕の中で浅水の顔が自分の胸元に来るように体勢を変える。


「姫君、一人で泣くより俺の胸で泣きなよ。俺の胸はいつだって姫君のためにあるんだからさ」


耳元でそっと囁けば、浅水の手がきゅっとヒノエの服を掴んだ。
小さく震える肩。
ついこの間まで同じくらいだと思っていたのに。
彼女の肩はこんなに小さかっただろうか。
自分の腕の中に収まる身体は、いつからこんなに。


「ごめっ……少しだけ、このままでいさせて」


服に顔を埋めたまま、くぐもった声を上げた浅水の頭を優しく撫でることで、了解の意を伝える。
そのまま浅水が落ち着くまで、ヒノエは浅水を抱きしめていた。










「ありがと」
「もういいのかい?」


小さく礼を言って離れた浅水の顔を覗き込めば、こくりと頷かれる。
泣いたせいか少しだけ目が赤い。
そっと涙の跡を指で拭えば、再びありがとうと返ってくる。


「アイツに何を言われたわけ?」


核心に迫った問いに、ギクリと身体を震わせる。
逃げようとも、ヒノエの腕の中にいる今は逃げられない。


「オレには言えないことかい?」


甘い声につられて、つい話してしまいそうになる自分を叱咤する。
昔からヒノエの誘導尋問には弱かった。
いや、これではヒノエの声に弱かったということか。


「浅水」


真剣に自分を見つめてくる赤い瞳。
そっと見上げれば、その瞳に映る自分の姿。


「大したことじゃないよ」
「アイツに手を上げたり、浅水がこうやって泣いたりしてるのは、オレに取って大したことなんだけど?」


言われて、弁慶に手を上げたことを後悔する。
昔から感情的になると直ぐに態度で訴えてきた。
今回も、気付いたら弁慶の頬を叩いていた。


「ちょっとね、弁慶に頭に来て」
「それは望美たちが関係している?」


思わず顔を上げた。
何か気付いたのだろうか?
わかりやすい態度を取ったつもりはない。
望美達も、自分のことはわからなかったはず。

だったら何故――?



「七宮浅水」



小さく目が見開かれる。
それをヒノエは見逃さなかった。


「望美たちが捜してる人の名前らしいんだけどさ。オレ、同姓同名のヤツを知ってるんだよね」


ということは、望美の口から漏れたのか。
そう思うと同時に、自分のことを心配してくれているという事実に、胸が熱くなった。


「ねぇ、浅水。お前も小さい頃、親父に連れられてきたよな。……望美の捜し人と同姓同名なのは、何かの偶然?」


綺麗な笑顔が浮かぶ。

だがその瞳は真剣そのもの。

あぁ、誘導尋問よりタチが悪い。

ヒノエの胸を借りた代償がこんなに大きい物だとは。

浅水はどうしたもんかと天を仰いだ。










こんなはずじゃなかったのに
2007/1/9



 
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