星に願いを、なんて陳腐なフレーズだけれど


灰崎祥吾の家は、くそど田舎にある。

都心から電車に揺られること1時間半。途中、面白いほど乗客が降りていく。
なんとか原という、彼の家の最寄駅に着くころには、いつも一人だ。


灰崎には、お金がない。

彼を見ていると、グレるにもお金がかかることを思い知らされる。
タバコもビールも、安くない。髪を染めるのもタダじゃない。
お金のためにまじめにバイトなんて始めたら不良ではなくなるし。
不良を続けるのは大変だ。

と言ったら、友達に「染まってるよ、名前ちゃん」とドン引きされた。
わたしは目にしたことはないけれど、カツアゲとか、そのためのケンカとか、灰崎はよくしているらしい。


灰崎は、家族のことをあまり話したがらない。

私が知っているのは、灰崎は、中学生の頃、お母さんの仕事の都合で東京にいたことだけ。

今年、灰崎はお母さんと、そのお母さん、つまり灰崎のおばあちゃんの家がある、この街に引っ越してきた。
お母さんが何をしている人なのかは知らない。
わたしはしょっちゅう灰崎家に行くのに、その姿を見たことがない。

すっかり夜も更けた今も、いっこうに音沙汰がないから、やっぱりおおっぴらに出来ないような職業なんだろうと思う。



「名前、お前んとこ門限いつだっけ」


灰崎は履きつぶしたサンダルを引っかけて、古い引き戸に手をかけた。
戸に垂れ下がった鈴がからんからんと音を立てると、夜風が吹き込んできた。
間口の広い玄関に、夏草の匂いがしのびこむ。


「……10時?」
「ハッ、ふつーにヤベェじゃん。どうすんだよ」
「走るかな」
「いーけど、その言葉、後悔すんなよデブ」
「ろくに部活行ってないやつに言われたくないわ。バトミントンなめんな」
「じゃあバス停まで競走な。はい、ヨーイドン」


そう言ってすぐ、灰崎は玄関の向こう、夜の先へと駆けていった。

わたしが慌てて飛び出したときには、その白いTシャツは、庭を抜け、公道に向かっていた。
ぽつりぽつりと通る車のライトが、道路沿いの畑を照らしていく。灰崎は遠い。
一生懸命足を動かしてるのに、まったく距離が縮まらない。
『灰崎は遠い』
なぜかそのフレーズが、酸素不足の頭をぐるぐるする。



灰崎の家から500mは走っただろうか。
バス停が見える頃には、すっかり息が上がってしまっていた。

薄暗い蛍光灯が、バスの運行表と粗末なベンチを照らしている。
そこでふんぞり返っていた灰崎は、わたしの姿を認めると、声を張り上げた。


「おいバトミントン部。生きてるか」
「生きてますー。あー疲れた」


さすがの灰崎も汗はかいているようだった。
7月の夜は蒸し暑い。
手で顔のあたりをあおぎながら、その隣にどんと腰かけると、灰崎は「デブ」と言った。


「さっきからデブデブうっさいな。仮にも彼女への口のきき方かよ、全くもう」
「でも今、ピシッていった、ピシッて」
「ベンチはそんなにヤワに出来てないから。つか灰崎よりはるかに軽いからっ」


立ち上がろうとすると、灰崎の右手が伸びてきて、ぶにっと両頬をつかまれた。
両唇を突き出して、わたしはさぞファニーな顔をしていることだろう。


「やっぱ、ちょっと顔丸くなったんじゃね? 」
「……お風呂上がりの白くまアイスか……」
「自覚あんじゃねぇか。ま、おっぱいデカくなっから俺はいーけどー」


頬の次は、胸に伸びてきた手をつかんでおさえる。
ちょっと勝ち誇った気でいると、今度は灰崎のおでこがわたしの肩に乗せられていた。


「お客さん、お触りは有料です」
「ケチくせえこと言うなよ。減るもんじゃなし」
「どこのオヤジだ」
「次のバス5分で来るから」


どうやら灰崎はどいてくれる気はないらしい。


ため息をつきながら、ふと空を見上げると、雲の切れ間でいくつか星が瞬いていた。
日が長くなってから、星を見るのは久しぶりだ。


「そういえば今日、七夕じゃん」
「あ? 七夕?」
「知らないの? 社内恋愛でフィーバーしてたら神さまにどやされたカップルの話」
「身も蓋もねーしなんかちげぇだろ……」


小さい頃は毎年、笹を飾っていたのに、今年は短冊すら作っていない。
年をとるってこういうことなのだろうか。
あの頃よりずっと時間の流れが速くなったし、こういった行事への執着といったものも薄くなった。


「あー神様、これ以上年をとりたくないっす」
「ババアみてーな願い事だな。夢も希望もねぇ」
「は? 女の永遠の夢だぞこれは。てか灰崎はどうなのよ。あんの、夢と希望」


灰崎は黙り込んでしまった。
もしかしたら、そんなこと考えたこともなかったのかもしれない。
七夕をまじめにやってる灰崎なんて、子供のときですら、想像できない。
この話題は切り上げよう、そう思った時だった。
灰崎は小さな声で何かを言った。


「え? ごめん、いま何て?」



「……来年も、今のまんまだったらそれでいい。特に不満ねぇから」


灰色のそのウェーブのかかった頭をなでると、灰崎はぷいとそっぽを向いた。
肩に触れる灰崎の体温が急に上がる。
ふううん。


「ニヤニヤしてんじゃねーよ。気持ちワリィ」
「しーてーまーせーん。あんたがジカジョーなんだよ」
「はああ? それはてめーだろデーブ」
「デブって言ったほうがデブなんだよで―――ぶ」


公道の向こうからヘッドライトが近付いて来るのが見えた。
ほとんど無人のそのバスは、ぷしゅうと音を立てて、わたしたちの前に止まった。
灰崎が先に立ち上がった。
見慣れた後ろ姿に「ばいばい」と声をかけて、わたしはバスへ乗り込む。


「名前」


呟くような声量。
ドアが閉まる直前、灰崎は置いて行かれた子どものような顔をした。
わたしは思いっきり手を振った。




0707




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