特等席


夏休みに青峰の馬鹿がボールをぶつけた放送室の窓は、いつの間にかくもりガラスではなくなっていた。

こちらへ歩みを進めてくる赤司と目が合う。体育館いっぱいに並べられたパイプ椅子に生徒が群がっている、一つ一つがよく見える。
これは私の知っている、もやのかかったような体育館の風景ではない。
気付けば、引退してからずいぶん時間が経っていた。


「名前、マイクスタンドの調節が上手くいかないそうだ。来てくれないか」

開け放たれた扉からゴム底と床がこすれる音がして、赤司が顔をのぞかせた。
卓の後ろで音源の確認をしていた後輩二人が小さく歓声をあげたらしい。赤司が「お前たちも放送委員だったのか。バスケ部ばかりだな」なんて対応している。
意味もなく照明のスイッチを入れると、遠く舞台上でスタンドをいじっていた生徒たちはびくりと顔を上げた。

「先生は? いるっしょ、頼めば?」
「その先生がお手上げなんだそうだ」

赤司はその秀麗な顔を少しだけ緩めてみせた。
ふうん。そうやって出来るだけそっけなく頷いて、席を立つ。


それで、感じる。

オンナノコの視線。
ねたみそねみひがみ。
ジェラシー。


「てゆか、赤司をあごで使うなんていい度胸してるよね」
「何のことだかさっぱりだな。たまたま近くにいたから、僕の方から行くって言ったんだよ」

あら、と私が口もとに手を当てると、そう、と赤司は答えた。

「お前のことだから、どうせここでサボっているだけだろうと思ってね」
「よく分かってんじゃん。さーすが赤司様」
「馬鹿にしているのか。ほら、ここからでもよく見えるだろ。みんな明日の準備に追われているんだから」

行くぞ、と言って赤司は私の右腕を軽く引く。
オンナノコの視線がそこに集中したのを感じて、ぞくっと来た。胸のあたりが身震いするようだ。
生憎この席は一つしかないってことはみんな知っているようで、赤司にも、私にもアクションをしかけてくる阿呆はいない。

これだからやめられないのだ。


「だってさあ、卒業式を自分たちで準備するのってなんか萎えない?」

放送室を出ると、いっぱい、いっぱいの目を感じた。

自分の座る椅子を確保して、明日の卒業式のプログラムを確かめていた生徒たちがこちらを見ている気がする。
赤司の左側を歩く私を見ている気がする。なんでアンタがそこにって。
オンナノコからの視線の数は、引退してから急上昇した。
部長とマネージャーという接点が、引退して無くなっても、私たちは変わらずつるんでいたからだろう。

「そうか? 僕は合理的だと思うが。立つ鳥跡を濁さずっていうだろ」
「まー赤司はねー。私、ほんとは卒業式の予行もやりたくないぐらいだよ。なんか違う気がして」

赤司はよく分からない、と素直に首を傾げた。

「いまどき連絡手段なんていくらでもあるし、そこまで感傷に浸る必要もないんじゃないか?」
「そうだけど、やっぱり難しいことじゃん、それって」

帝光を卒業してしまえば、京都に行くような赤司とは特に、関係がなくなってしまうのは分かりきっていた。

学校が同じ、クラスが同じ、部活が同じだから、お互いに仲良くしているのであって、ある意味ではそれはとても義務的なものだ。
愛情だの友情だのがあってもなくても、その枷が無くなってしまえば、今と同じ時間はもう訪れないだろう。
少なくとも、赤司と卒業後も今と同じような付き合いを持っている自分を思い描くことすら出来なかった。


「どうでもいいが、一瞬のためらいなくステージによじ登るのは女子としてどうなんだ」
「なーに、赤司様は階段をお使いですか」
「当然だ」

だから、オンナノコたちには大目に見てほしい。

あんたたちは単に赤司に憧れてるだけで、多分数年後には美しい初恋の人ぐらいにカテゴライズされてるだけなんだ。
赤司君は卒業アルバムにその名前がのっているだけで話のタネになるようなひとだった、と自分に言い訳だって出来る。
私みたいになまじ赤司ときちんと関わってみると、それすら出来なくなることを知っているのだろうか。


「あっ、名前来たよ」
「おーい、こっちこっち〜」
「ちょっとこれネジごとぶっ壊れてんだけどさあ、イケる?」

喧々諤々とマイクスタンドを囲むひと塊と一緒になってしゃがみ込みながら、横目にずらりと並ぶパイプ椅子の列を見た。

明日ここに立つときには、そのガランとした空間が人で埋まっているのだろう。
きっとすぐだ。その瞬間は早回しでやってくる。

「出来たっ! これで歌の練習ができるぞ!」
「すげー、お前こんな器用だったっけ?」

やっと高さ調整の出来るようになったマイクスタンドを立てる。まるで自分がステージで歌う歌手みたいだ。
当然、と言うと、少し離れたところにいた赤司が、緑間との会話を中断してこちらを見た。

「バスケ部ではいつも重宝していたな。すぐに物を壊す馬鹿がいるから」

みんなその説明で誰のことを言っているのか分かったのだろう、すぐさま笑いがおこる。当の本人たちは裏で告白でもされているのか、揃って姿が見えなかったが。

「そーそー、放送室の窓も私が直したんだよ。今のやつに変わるまで」
「あっ、確かに! 綺麗になったと思った」

すると、「ほら、席に戻りなさい」と先生は直ったばかりのスタンドを持ちながら私たちに言った。
お礼ぐらい言ってくれてもいいじゃないすかあ、と大ブーイングに、たじたじっとなりながら、先生は正面に向き直ってマイクの電源を入れる。

「全員着席ー、歌の最終確認だけ急いで終わらせます。…それから、手伝ってくれた奴、ありがとうな」

皆がわあわあ拍手しながら、我先にとステージからジャンプして自席に向かうさまを、赤司の左で見ていた。いつものように。
私たちの行動パターンはなんだかんだで似ている。

「テンション高いね。すごいわー」
「おや、名前はいいのかい? それこそ、最後くらい僕に合わせてくれなくたっていいのに」

四段しかない階段を赤司に続いてゆっくり踏みしめていく。合わせてなんかないよ、と言おうとして、やっぱり止めた。

「それよりさ、向こうにはいつ行くんだっけ」
「言わなかったか? 来週の土曜日の、11時の新幹線」

「まさか。初耳だよ」
だって、今まで怖くて聞けなかったんだから、間違いない。

「てか、やっぱ赤司坊ちゃんはグリーン車なわけ? 」
「馬鹿にしているのか。どうせすぐ降りてしまうんだから、大差ないさ」


それを聞いて、思わず、オンナノコの視線を確かめてしまった自分がおかしかった。

赤司が「どうせすぐ降りてしまう」ものが、私のことみたいだと思った、なんて。分かってるはずなのに、不安を紛らわせたかったなんて。


「もしかして、見送りに来てくれたりするのかい?」

視線を上げると、体育館の両サイドにある、重い扉が同時にひらいて、ちょうど黄瀬と青峰が何が起こったのか分からないような顔で向き合っていた。
黄瀬の右頬は不自然に赤いし、青峰のワイシャツの襟は片方だけめくれ上がっている。

告白どころか振ってきたのか、と他人事のように思おうとした途端、目のあたりにかっと熱を帯びるのを感じて、とても焦った。

「うーん、もう一声ほしいかな」

なんてね、と冗談めかすつもりが、赤司が急に振り返ったものだから、何も言えなかった。
かすかな嗅ぎ慣れた匂いが鼻をかすめる。

そこにあるのは、にきび一つほくろ一つない白い肌。私をとらえる赤と黄色の両眼。
現実味はないけれど、この先、今この瞬間を忘れることはないだろうと直感的に思った。

「僕は、名前に来てほしい」

まばたきを長くして、じゃあ行くね、と答えた。

赤司の後ろ姿は見えない。
放送室に一番近い自分の席について、私は、先生がスタンドからマイクを外すのを待った。


0307 『愛人』:提出



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